闇堕ち織姫様
※七夕短編ですが、事実とは大いに異なります。
※暗いし狂気的です。
「お父様、彼と一年に一度しか会えないなんて⋯⋯! 私、耐えられません!」
「仕方がないのだ、君たちは度が過ぎた」
私の悲痛の叫びは、無情な声に一刀両断された。
「まだ⋯⋯! もう少しだけでも! 猶予をいただければ!」
「駄目だ。最後までいちゃこらして仕事をしなかったのは君たちだろう」
優しかったお父様。
甘やかしてくれたお父様。
私のことをいつも褒めてくれたお父様。
私の言うことならなんでも聞いてくれたお父様。
──こんなのお父様じゃない──!
小さい頃から、お父様は私に優しかった。
欲しいものならお財布の許す限り買ってくれたし、私の言ったことは全部やってくれた。
三個下の妹が皿を割ったときには殴って激怒したけど、私が父のお気に入りの皿を割ったときには頭を撫でて許してくれたのだから。
小さい頃から、お父様はわたしの全てだった。
天才だともてはやされた刺繍に打ち込んだのも、お父様が褒めてくれたから。
夜空にまたたくきれいな星々が大好きなのも、お父様が毎日眺めていたから。
そして──明らかに政略な婚姻に同意したのも、お父様が勧めてくれたから。
そう、私とあの人の婚約は、あきらかな政略だった。
そもそも、牛を飼って餌を与えて糞を清掃するような仕事をしているあの人と、肉体労働をせずに粛々と刺繍をしている私が釣り合うわけがないのに。
そもそも、一度も会ったことがなかったのに。
そもそも、私にはお父様しかいないのに。
煮えきらない思いを抱えたまま、最初の顔合わせへと挑んだのだ。
──衝撃を受けた。
顔を合わせた相手──政略結婚する相手(予定)であるアルタイルが、めちゃくちゃかっこよかったのである。
整った顔立ち。外に出ているからか、程よく焼けた肌。少しお父様に似たがさつな仕草。
全てが私の目に魅力的に写ったのだ。
あ、めちゃくちゃ好き。
そう、ピンときたのである。
帰ってすぐ、かつて無いほどの早さでお父様の部屋へ。
「お父様、私、あの人ともう一度会いたい!」
そう思っていたのは私だけじゃなかったようで、すぐさま次のデートがセッティングされた。
「ベガ様は、とても良い刺繍をされるのだな。私も一枚欲しい」
数度の逢瀬を重ね、アルタイルに少々不器用な微笑みを向けられて、私は舞い上がった。
大好きなアルタイルのために、最高の刺繍を用意するのだ。
それから私は、三日三晩ご飯も休みも抜いて、ひたすら刺繍の図案作成をしたり、最高級の布と向き合ったりした。最高の時間だった。愛する誰かのために、何かをできる時間がこんなにも楽しいのだなんて。
⋯⋯いや、この楽しさを私は知っていた。お父様のために刺繍をしたあの時間。お父様のために勉学に励んだあの時間。三日三晩ぶっ通しで作業ができたのも、あの経験のおかげだろう。
そして、出来上がった最高の一品。
渡したときのあの人の笑顔は、⋯⋯筆舌に尽くしがたいものだった。
いつもぎこちない笑みしか向けてくれない彼が、最高の笑顔を向けてくれた。
私の刺繍で、私の技術で、私の時間で、あの人が笑ってくれた。
──それだけで十分。
だったのに。
「お前はアルタイルに尽くし、遊ぶばかりで、仕事を全くしないではないか。これまでは見て見ぬふりをしてきたが、もう我慢ならん。これからは二人を大きな川の対岸同士で離し、一年に一度、七月七日だけ会わせてやろう」
敵。
敵敵敵。
何故。
私の味方。優しいお父様。私の全て。
何故。何故。何故。
どれだけ悲痛な声で訴えようと、どれだけ縋ろうと、駄目だった。
お父様の決意は固かった。
それなら。
それから、私は必死に仕事をした。
アルタイルに浸かっている間は全く仕事をしていなかったけれど、私の実力は知っての通りだから、依頼は自然と舞い込んできた。
アルタイルのため。かつてのお父様のため。
そう、言い聞かせて。
七月七日になった。
「お父様⋯⋯」
「すまないね、今日は雨だろう? 川に橋をかける鳥が飛べないのだよ」
「そんな⋯⋯。一年間、このために⋯⋯」
「会わせてやりたいのは山々なのだがね。わかっておくれ」
あぁ、そうか。
天すらも味方してくれないんだ。
この一年間の努力も、全部あの人のため。なのに。なのに。なのに。
私の愛の邪魔をするんだ。
私のことなんて、みんな、どうでもいいと思ってるんだ。
へぇー。
じゃあ、一旦消えてみる?
それから、ひたすら仕事に打ち込んだ。
三日三晩ぶっ通しで刺繍をしたあの日を思い出して。
あのくらいの労働を、毎日続けるのだ、と。
一度、刺繍針をわざと皮膚に刺してみたりした。
お父様の部下の監視がつくようになった。
だから、働いた。逃げることも、消えることもできずに。
ひたすら、この労働が救いにつながるのだと信じて。
そして、その救いは訪れた。
あぁ⋯⋯。私は、死ぬのだ。
唐突に理解した。
不眠不休の重労働が続き、倒れた。
それが、救いなのだ。
「ベガ! ベガ! ベガ!」
必死に私を揺する手、そして声。
「アルタイル⋯⋯!?」
薄く目を開いて掠れた声を出す。
前には、必死な顔のお父様。
あぁ。
あの人は、こんなときにも来てくれないんだ。
へぇ。
「お前は、何故アルタイルが来ないのかと思っているだろう」
思案の沼から引き戻す、声。私の思考を読んだかのような言葉。
「アルタイルはもういない」
へぇ。そうなんだ。
そうなんだ。
へぇ。
アルタイル、もういないんだ。
なら、未練もないね。
「私が殺したからな」
私の愛するお父様。
私の愛したお父様。
お父様が、私の愛するアルタイルを殺したのね。
へぇ。
「⋯⋯どうして」
どうにか絞り出したのは、あくまで疑問だった。
疑問という名の、嘆き。確信。そして、絶望。
「どうして⋯⋯って言われても。ベガは、アルタイルにご執心じゃないか。だから、離さないとね。川の対岸とかじゃなくて、もっともっと遠い場所へ。
──あぁでも、今ここでベガが死んだらアルタイルと同じ方へ逝ってしまうのだな」
冷静なその声に、静かな狂気が滲んでいく。お父様。お父様。お父様。
「でも、ベガをここで息絶えさせる楽しさ。嬉しさ。喜び。⋯⋯安いものだ」
お父様が。私を。──殺す?
⋯⋯あぁ、それでも良いかもしれない。
私の首筋に、煌めくナイフが振り下ろされる。
最期に見たお父様の顔は、私の愛した優しいお父様のものだった。
七月七日に夜空を見上げても、大抵は雲に覆われていて何も見られないだろう。
もし晴れていたら、父親と娘の歪んだ愛情と、血色の幸福が見えてしまうのだから。




