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第2話

「……こないな」

 駅前の時計を見上げて、がっちが小さく呟いた。


 現在時刻、十時十五分。

 集合時間を十五分過ぎても、おっさんの姿はない。


「何やってんだよ、あいつ」

 ぶんたが、改札の向こうを覗き込みながら言う。


「まあ、大方の予想はつくけどな」

 がっちは肩をすくめた。


 おっさんが遅れる理由なんて、一つしかない。

 ――異世界に持っていく“物”選びだ。


 おっさんの家は、三人の中では頭ひとつ抜けて裕福だ。本人の部屋とは別に、コレクション専用の部屋があり、そこにはナイフ、鉈、剣――

 下手をすると、お巡りさんには絶対に見せられない代物がずらりと並んでいる。


 合法スレスレ...いや、むしろアウト寄り。

 それが、おっさんの「男の浪漫」だった。


「多分、どれを持っていくかで迷ってる」

 がっちは苦笑する。

「あるいは、決めたはいいけど、どうやって持ち出すかで詰まってるか」


「だろうね」

 ぶんたも納得したように頷いた。

「見つかったら、普通に銃刀法違反の現行犯だし」


 そのときだった。


「あっ、来たよ」

 ぶんたが声を上げる。


 見慣れたバイクとヘルメット。

 おっさんはバイクを駅前の駐車場に停めると、大きなスポーツバックを持って駅の中に入って行った。


 数分後、現れたおっさんの両手は空。

 だが、その歩き方は、どこか落ち着きがない。


「……駅のロッカーだな」

 がっちが言った。

「一回、預けたんだろ。賢い判断だ」


「というか、そうでもしないと無理だろうね」

 ぶんたが苦笑する。

「堂々と持ち歩いたら、それだけで通報案件だ」


 やがて、おっさんは二人に気づき、軽く手を上げて近づいてきた。


「悪い、遅れた」

 開口一番、そう言って頭をかく。

「想定外に時間食った」


「だろうな」

 がっちが即答する。

「で、結局どれにした?」


 おっさんは一瞬、言葉に詰まり――

「……厳選した」

 とだけ答えた。


 その表情を見て、がっちは確信する。

 ――これは、間違いなく“選びきれなかった”顔だ。

「まあいい」

 がっちは鞄を持ち直す。

「今日の目的はまず買い出し。本番は、そのあとだ」


 ぶんたも頷いた。

「ロッカーに入ってる“それ”を持ち出すのは、向こうに渡る直前にすればいいしね」


「そうだな」

 おっさんは一度、駅構内のコインロッカーの方向を振り返った。

「……まだ引き返せる、気はしねぇけどな」


 三人は視線を交わす。

 誰も、冗談だとは思っていなかった。


「じゃあ行こう」というがっちにおっさんが、「先に何か食おうぜ、ちょっと小腹がすいた」と言う。


 3人は近くの喫茶店に入った。


 席に着くなり呼び出しブザーを押すおっさん。

 やってきた店員に、

「俺はソフトクリームのせのデニッシュパン、あとコーラ。お前ら何にする?おごるぜ」

 がっちは「ホットコーヒー、ブラックで」

 ぶんたは「アイスのカフェオレ下さい」


   ◇


「向こうに行ってすぐさ」

 がっちはコーヒーをすすりなが言った。

「遺跡の石に刻まれてた紋章、ノートにスケッチしてただろ」


「してたな」

 切り分けたパンにソフトクリームを乗せながら、おっさんが頷く。


「それ以外にも、書庫で本を調べながら、気になるところを色々メモしてた」

 がっちは一度、言葉を切った。

「でも、昨日帰ってから確認したら――全部、綺麗さっぱり消えてた」


「……は?」

 おっさんがフォークを止める。

「それ、どういうことだよ」


「上手く説明できない」

 がっちは正直に言った。

「でも、感覚的には……」

 自分の鞄を、軽く叩く。

「こっちと向こうって、“場所が違う”んじゃなくて、存在のレイヤー自体が別なんじゃないかって気がしてる」


「……ますます分かんねぇ」

 おっさんが吐き捨てるように言う。


 ぶんたは腕を組み、少し考え込んだあと、カフェオレをかき混ぜながら静かに口を開く。

「ってことは、向こうで怪我しても、戻ったら治ってるってこと?」


「そういうこと」

 がっちは頷く。


「だったら――

 向こうでの自分は、コピーみたいなもん?」

 ぶんたが言う。


「近い」

 がっちは小さく笑った。

「でも、まだ仮説だけどね」

 視線を二人に向ける。


「今回、もう一度行けば分かると思う。それともう一つ......」

 がっちは、鞄に手を伸ばした。

 中から取り出したのは、三枚の紙。


「これ、昨日私の鞄の中に入ってたものの写しだ」

 テーブルに並べられる。

「ボードゲームの盤面の模様と、美術の課題、それから数学の図形プリント。それぞれ、余計な部分を省いてトレースした」


 三枚の紙には、赤と黒、二色で描かれた図形が印刷されていた。


「赤いラインが繋がるように、重ねてみてくれ」


 ぶんたとおっさんが、半信半疑で紙を重ねる。

 透かした瞬間、二人の動きが止まった。


「……これって」


「そう」

 がっちは、はっきり言った。

「遺跡に刻まれてた、あの紋章そのものだ」


 一拍。


「つまり――」

 鞄から、もう一枚の紙を取り出す。

 そこには、赤いラインだけで再構成された、あの紋章が描かれていた。

「偶然とはいえ、あのとき私の鞄の中で、

 紋章が“完成”してたってことだ」


 フードコートの喧騒が、少し遠くなる。


「……だから」

 がっちは、視線を落とした。

「異世界転移に巻き込んだのは、私だ。

 偶然だけど……責任はある」


 少し間を置いて、頭を下げる。


「……すまない」


 一瞬の沈黙。

 次に口を開いたのは、おっさんだった。


「何言ってんだよ」

どこか楽しそうに、残っていたパンの欠片ををかきこむ。

「俺は感謝してるぜ」


「同感」

 ぶんたも、どこか軽い調子で続けた。

「退屈な日常を、ぶっ壊してくれたんだから」


 がっちは、ゆっくり顔を上げる。

 二人は、笑っていた。

 怖がりもせず、責めもせず。

 ただ――面白がって。


「……じゃあ」

 おっさんが立ち上がる。

「話は決まりだな」


「うん」

 ぶんたが頷く。

「もう一回、行こう」


 がっちは、小さく息を吐いた。

 そして、静かに言った。

「次は――“実験”じゃ済まないかもしれない」


 それでも、三人の心は迷っていなかった。

 退屈な日常の向こう側。


「念のため、三枚作った」

 がっちは、赤い線だけで構成された紋章のプリントを二人に差し出した。

「二人も、それぞれ持っていてくれ」


 受け取った紙を眺めながら、おっさんが眉をひそめる。

「……これが“鍵”ってわけか」


「可能性は高い」

 がっちは頷く。

「それと、もう一つ重要なことがある」


 二人の視線が集まる。


「向こうの世界では、精密機械は再現されない可能性がある」


「あっ……スマホか」

 ぶんたがすぐに反応した。


「そう」

 がっちは淡々と続ける。

「スマホは、外見だけはコピーされていたけど、機能はしていなかった。精密な内部構造か、もしくはプログラムそのものが、コピーされない可能性がある」


「ってことは……」

 おっさんが顎に手を当てる。

「モデルガンならいけても、電動ガンはアウトか。

 エアガンやガスガンは物理的だから、ワンチャン使えるが……」


「ラジコン系も怪しいね」

 ぶんたが頷く。

「ドローンとかもダメな可能性が高い。

 無難に双眼鏡みたいな、単純構造の道具の方がいいのかも」


「移動手段もだな」

 おっさんが肩をすくめる。

「バイクはやめといた方がよさそうだ。

 ……ちくしょう。戻して、チャリにしとくか」


「どちらにしても」

 がっちが言葉を引き取る。

「まだ仮説の段階だ。

 再びこの世界に戻れると仮定して――今日は、可能性を潰すことを優先しよう」


「ああ、そうしようぜ」

 おっさんが即答する。

「難しい理屈は二人に任せる。俺は、有効な戦闘方法を探す」


「それが見つかれば」

 ぶんたが続ける。

「戦略自体を組み直せるかもしれないしね」


「私は、情報整理を続ける」

 がっちは静かに言った。

「それと……前に召喚された勇者。その存在も、どうしても気になる。

 その線でも、もう少し掘り下げてみるよ」


 スマホ画面の時計は、もうすぐ十一時三十分になるところ。

「とりあえず百円ショップの店内をぶらつきながら

 異世界に持っていくべきものを考えよう」


 三人は並んで、駅前の通りに向かった。


   ◇


「……で、結局」

 百円ショップの入口前で、おっさんが立ち止まる。

「何を買っていけばいいんだ?」


「正直、分からない」

 がっちは即答した。

「分からないけど、ただ...」


「なんだよ」


「こっちの世界と、向こうの世界の物理法則が完全に同じだとは断定できないってこと」


 ぶんたが、なるほど、という顔をする。

「思いもよらないものが、思いもよらない効果を持つ可能性がある。だったら――」


「色々試すしかない、ってわけか」

 おっさんが言葉を継ぐ。


「そういうこと」

 がっちは一拍置き、少し言い淀んだ。

「それと……まだ確証はないんだけど」


「なんだよ、歯切れ悪いな」


「多分」

 がっちは、慎重に言葉を選ぶ。

「向こうに持ち込んで使った物。

 使っても、こっちの世界では、無くならないと思う」


「……は?」

 おっさんが眉をひそめる。

「どういう意味だよ」


「つまりさっき言ってた、“向こうの僕たちがコピー”って話につながるんだよねろ?」

 というぶんたに「そういうこと」と返すがっち。


「お菓子を食べても実際はカバンの中に入ったまんまってこと?か」

 というおっさんに、がっちは

「消費されてる“感覚”はあるのに、現実側では減ってない。実際に使って、戻ってきて、確かめればいい」


「つまり」

 おっさんが口角を上げる。

「理屈はあと回しで、実験ってことだな」


「そういうこと」


「……なら話は早ぇ」

 おっさんは、百円ショップの自動ドアをくぐりながら言った。

「壊しても、燃やしても、爆ぜてもいい物を集めりゃいい」


「言い方」

 ぶんたが苦笑する。

「まあ、否定はしないけど」


 がっちは一度、深呼吸をした。

「今回は“準備”だ。向こうの世界を救うためじゃない」

 一拍。

「向こうの世界が、どこまで壊れるかを知るための」


 三人はそれ以上、言葉を交わさなかった。


 百円ショップの店内は、休日らしく混み合っていた。

 家族連れ、カップル、暇を持て余した学生。


 誰一人として、この中に“異世界に行く準備をしている者”がいるとは思っていない。


   ◇

 

 時刻は、もうすぐ十三時。

 百円ショップで買い物を済ませた三人はショッピングモールのフードコートにいた。


「昨日、転移が起きたのは十六時だった」

 がっちがポテトをつまみながら言った。

「今日も、同じ条件で行く」


「ああ」

 カツ丼をかきこみながらおっさんが頷く。


 たんまり胡椒を入れて色が変わったラーメンをすすりながら、ぶんたは時間を確認する。

「残り三時間か」


「じゃあ、それぞれもう少し準備だな。」


「うん。忘れ物ないか最終チェックしよう」


「時間前にあの歩道橋に集合で」


 三人は自然に立ち上がった。

 がっちとぶんたは、そのままショッピングモールの中へ。


 おっさんは二人に一言告げ、駅前に停めてあるバイクへ向かう。

 一度帰って、チャリで出直すつもりらしい。


 ぶんたは、なぜかおもちゃ売り場へ直行した。

 手に取ったのは――

 超強力・長距離噴射・大容量タンク付きの水鉄砲。

「……これ、かな」


 一方、がっちは同じ売り場で、

 方位磁石と、理科の自由研究セットを手に取っていた。


 仮説を検証するために何が必要なのか。


 転移の時間まで、残りわずか。

 再び世界を渡る準備は、静かに整えられていった。


   ◇


「昨日と同じ条件で行こう」

 がっちが言った。

「あの歩道橋の下を、16時ちょうどに通過する」


「了解だ」


「オーケー」


 15時59分。

 三人は並んで歩道橋へ向かい、歩道を歩き始めた。

 交通量の多い道路。聞き慣れたエンジン音。


 いつもと変わらない、土曜の午後。

 だが――

 三人の手にした紙が、同時に淡く光り始めた。

 白でも、青でもない、不自然な輝き。


「……やっぱりな」

 がっちが、確信を込めて呟く。

「ビンゴだ」


 秒針が、16時を指した瞬間、光が、弾けた。

 世界が反転し、足元の感覚が消える。

 そして――

 16時ちょうど、三人は、再びあの世界へと転移した。


「……いったい、勇者様たちはどこへ行ってしまわれたのか」

 城内を歩き回りながら、大臣は落ち着きなく呟いた。


 昨日まで、確かにこの城に滞在していたはずだ。

 用意した部屋も、食事も、警備も、すべて整っていた。

 だが――

 今朝、勇者たちが使っていた部屋を確認すると、そこには誰の姿もなかった。


 寝具は乱れておらず、争った形跡もない。

 ただ、最初から誰もいなかったかのように、静まり返っていた。


「城内をすべて探せ。地下も、塔もだ」

 そう命じてはみたものの、結果は同じだった。

 城のどこにも、勇者の姿はない。

「まさか……城を出られたのか?」


 大臣は、思わず声を落とした。


 それは、あまりにも危険だ。

 魔物が跋扈する今の世界で、護衛もなく外へ出るなど――

 数十年ぶりに顕現した勇者たち。

 その存在は、この世界に残された数少ない希望そのものだ。

 もし、万が一のことがあれば。

 この国だけでなく、世界そのものにとって取り返しのつかない損失となる。


「……ううむ、どうしたものか」

 大臣が重いため息をついた、そのときだった。


 窓の外が、ふっと明るくなる。

 淡い光の球が――

 一つ、二つ、三つ。

 ゆっくりと宙を漂いながら、城へと近づいてくる。


「な、何だ……?」


 光の球は、窓ガラスをすり抜けるようにして、部屋の中へと飛び込んできた。


 次の瞬間。

 眩い光が弾け、室内を満たす。


 思わず目を覆った大臣が、恐る恐る視線を戻すと――

 そこに立っていたのは、三人の少年だった。

 服装は違うが見覚えのある顔。


「……勇者様?」

 確かめるように呟く声が、震えた。


 三人は、周囲を見渡し――

「……どうやら」

 一人が、肩の力を抜くように言った。

「無事に戻ってこれたみたいだな」


 その言葉を聞いた瞬間。

 大臣は、膝が抜けそうになるのを必死で堪えた。


「勇者様方……いったい、どちらへ行っておられたのですか」

 恐る恐る、といった調子で大臣が問いかけた。


 三人を囲む兵士たちも、緊張した面持ちで様子をうかがっている。


「ちょっと、野暮用にな」

 返したのは、おっさんだった。


 まるで散歩にでも行ってきたかのような、あまりにも軽い口調。


 大臣が言葉を失っている間に、おっさんは肩に掛けていた大きなスポーツバッグを床に下ろす。

「まず、着替えるぜ」


「……は?」

 誰かの間の抜けた声が漏れた。


 だが、おっさんは構わずファスナーを開ける。

 中から取り出されたのは――

 迷彩柄の戦闘服。

 肘と膝を覆うプロテクター。

 目元を完全に覆うゴーグル。

 頭部を保護するヘルメット。

 そして。

 腰に収められるサイズのナイフ。

 刃渡りのあるマチェット。

 黒光りする、ガスグローバックとショットガン。

 予備のガスボンベも装着する。


「な……なんです、その装備は……」

 大臣の声が、わずかに裏返る。


 兵士たちも、反射的に槍を握り直していた。

 剣でも、槍でもない。

 弓でも、魔道具でもない。

 明らかに、この世界の武具とは系統が違う。


「安心しな」

 おっさんは、にやりと笑う。

「全部、試作品みたいなもんだ」


「試作……品?」


「そう。使えるかどうか、これから試す」

 そう言って、おっさんは迷彩服に腕を通し始めた。


 その様子を見ながら、がっちが一歩前に出る。

「心配はいりません」

 淡々とした声で続ける。

「私たちは、城を離れていたわけではありません。

 正確には――別の場所に行って、戻ってきただけです」


「別の……場所?」


 がっちは頷いた。

「この世界と、私たちの世界。その往復が可能だと、確認してきました」


 大臣の顔色が、さっと変わる。

「ま、まさか……」


「ええ」

 ぶんたが、静かに言葉を継ぐ。

「昨日と同じ方法で、同じ時間に、意図的に“戻って”きました」


 城内に、ざわめきが広がった。


 勇者は“呼ばれる存在”だ。

 自ら行き来できるなど、想定されていない。


「つまりだ」

 装備を整え終えたおっさんが、肩を鳴らす。

「俺たちは、何度でも来れる。しかも――準備してからな」


 その言葉に、兵士たちは息を呑んだ。


 希望か。

 それとも――

 未知の災厄か。


 少なくとも、この瞬間、城に集う者たちは、はっきりと理解した。この三人の勇者は、過去の勇者とは、何かが決定的に違う。


 着替えを終えたおっさんは、肩を回しながら言った。

「じゃ、さっそく行ってくるぜ」

 止める間もなく、城の外へ向かって駆け出した。

 おっさん愛用の自転車――JEEPのバイクを持って。


 頑丈なフレームに太いタイヤ。

 舗装路など想定していない、荒れ地を走るための乗り物だ。


 瘴気に侵され、草木もまばらなこの世界では、むしろ本領発揮と言っていい。

 ペダルを踏み込むと、砂と小石を蹴散らしながら勢いよく走り出す。

「魔物と接触したら、適当に様子見てくる!」


 そう言い残し、おっさんの姿はあっという間に荒野の向こうへ消えた。


 残された二人は、その背中を見送りながら視線を交わす。


「……さて」

 がっちが、小さく息を整える。

「私たちは、持ち込んだ物での検証だな」


「そうだね」

 ぶんたが頷く。

「街の中で何か起きると厄介だから、僕は街の外で色々試すよ」


「了解」

 がっちは即座に判断する。

「では私は、街の中での調査だ。瘴気のことや、前に来た勇者の痕跡……調べられるだけ調べてみる」


 言葉を交わすのは、それだけで十分だった。

 三人は、それぞれの方向へ歩き出す。


 役割は違う。

 だが、目的は同じ。

 この世界を――

 どう壊せば、終わらせられるか。


 三人は、完全に別行動を開始した。


   ◇


 がっちのリュックの中には、場違いなほど本格的な器材が詰め込まれていた。

 携帯用顕微鏡。

 ビーカー。

 試験管。

 空気測定用の検知管。

 水質検査キット等々…


 まずがっちは、あちこちに粘着性のビニールシートをぶら下げ始めた。大気中のチリを集める為である。

 続いては城の外。

 堀や井戸、数カ所の水を採取した後には、砂の採取も行った。


 それを城のあの部屋に持ち帰り調べ始める。


 簡易水質試験。pH値、中性――有害物質、検出なし。

「まあ……当たり前か。魚が生息している時点で、ある程度は予想できていた」


 砂の粒子を顕微鏡で見てみるが...粒子の大きさ、形状、結晶構造、

「……ただの砂だな」

 特異な微生物も、異常な結晶も見当たらない。

 

 検知管を取り出し、大気の成分を測定したりもしたが、

 酸素濃度、二酸化炭素濃度、

 どちらも、地球とほぼ同じ値を示していた。

 腐敗ガスや毒性ガスの類も検出されない。

「...瘴気の正体を突き止めないことには、対策の立てようがないんだが」


 時間を置いて、再び顕微鏡を覗き込む。

「……やっぱり、砂ぼこりばかりか」

 がっちは、ゆっくりと息を吐いた。

「瘴気っていうのは……目に見える概念じゃないのかもしれないな」


 化学物質ではない。

 生物でもない。

「もしかすると……魔力とか、そういうものに近いのか」


 そうなってくると、話は変わってくる。

 地球の物理法則では、瘴気の正体は――検討すらつかない。


「……精密機器を持ち込めれば、もっと詳しく調べられるんだが」

 そう呟きながら、がっちはポケットからスマホを取り出した。


 画面には、16:00の表示。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 ただ時刻を示すだけの、プラスチックの塊。


 がっちは、無言で工具を取り出す。

 ドライバーを当て、スマホの外装を外し始めた。

 数分後。

 分解された内部を見て、がっちは静かに頷いた。


「……やはり、そうだったか」

 そこには、基板も、チップも、配線もなかった。

 あるのは、それらしく見える形状だけ。

 精密な構造は、一切再現されていない。


「この世界に顕現されたものは……」

 がっちは、頭の中で結論を組み立てる。

「外見は精巧にコピーできる。

 だが、複雑で精密な構造――あるいは、プログラムの類は再現できない」

 スマホは“スマホの形をした置物”でしかない。


「……なるほどな」

 これで、いくつかの仮説が裏付けられた。

「さて……どうするか」


 がっちは顔を上げ、城の外へ視線を向けた。

 その瞬間だった。


 ――ドンッ。


 地鳴りのような衝撃。

 次いで、街の外れから、巨大な火球が立ち上った。

 昼間にもかかわらず、はっきりと見えるほどの炎。


「……何事だ!?」


 嫌な予感が、背筋を駆け上がる。

 がっちは、器材をまとめることも忘れ、火球の上がった方向へと走り出した。


   ◇


 ぶんたは、さっそく持ってきた水鉄砲を取り出した。

 玩具売り場で見かけた、ごく普通の――いや、

「超強力」「大容量」とだけ書かれていた、水鉄砲だ。


 タンクに水を注ぎ、しっかりと装着する。

 レバーを押し、引き、空気を溜める。


 いつもなら、子どもが笑いながら遊ぶための動作。


「……よし」

 ぶんたは、周囲を確認する。


 人影はない。

 兵士たちは、少し離れた場所で様子を見ている。


「そろそろ、いいかな」


 目の前には、ちょうどいい大きさの岩があった。

 軽い気持ちで、引き金を握る。


 シュュゥゥゥン!!


 水鉄砲では、明らかに聞いたことのない音が響いた。

 次の瞬間。


「……冗談だろ」


 岩が――

 真っ二つに、切り裂かれた。


 割れた、のではない。

 砕けた、のでもない。

 まるで、鋭利な刃物で断ち切られたかのように、

 断面が、異様なほど滑らかだった。


「……ウォーターカッターも、びっくりだね」

 思わず、乾いた笑いが漏れる。


 引き金を引いてから、タンクの水がすべて吐き出されるまで――、一秒も、かかっていない。

「がっちの言ってた“物理法則が違う可能性”って……こういうことか」


 背筋が、じわりと冷える。

 念のため、人のいない場所を選んで正解だった。

 もし、これを人に向けていたら。

 想像しただけで、ぞっとする。


 その様子を見ていた兵士たちが、どよめいた。


「すごい……!」

「これが、勇者様の武器……!」

「あの岩を、真っ二つだぞ!」


 歓声が、次第に熱を帯びていく。


「勝てる……!」

「これなら、魔物もひとたまりもない!」

「勝てるぞ! この戦争、勝てる!!」


 ぶんたは、割れた岩と空になったタンクを交互に見て、心の中で呟いた。


(……いや、勝てるかもしれないけどさ、

 ⋯…魔物一匹倒すたびに、水入れて、エア溜めて、

 ……正直、めちゃくちゃ面倒じゃない?)


 ぶんたは、次にスリングショット――

 いわゆる、パチンコを取り出した。


「水鉄砲があれだったからね」

 苦笑しながら、肩をすくめる。

「……まさかとは思うけど、パチンコもかな」


 足元に転がっていた、適当な小石を拾う。

 弾としては十分だ。

 ゴムに石をセットし、狙いを定める。

 さきほど、水流で真っ二つにした岩。


「よし……行けっ!」


 力いっぱい、ゴムを引き絞り――

 手を離した。


「あれ?」


 弾は、飛ばなかった。

 いや、正確には――

 ゴムが、戻らない。


 引き伸ばされたゴムは、

 まるでカタツムリが這うような速度で、じわ……じわ……と、元の形に戻ろうとしている。

 石は、だらりとぶら下がったままだ。


「……」


 ぶんたは、しばらく無言でそれを見つめた。


「……ゴムは、ダメってことか」

 ぽつりと呟く。


 引っ張る力は、ちゃんと加えた。

 だが、反発しない。

 弾性が、まるごと失われている。


「ここまで、性質が違うとはね……」

 ふと、水鉄砲のことを思い出す。

 圧縮した空気。

 解放された瞬間の、異常な推進力。


「……圧力と解放、か」

 小さく、息を吐く。

「それを考えると……」

 ぶんたは、苦笑気味に空を見上げた。

「案外さ、おっさんのエアガンが、一番ヤバい武器になるかもしれないね」


 冗談めかした口調。

 だが、その目は笑っていなかった。

 この世界では――

 何が武器になり、何が無力になるのか。

 その基準は、人の常識とは、まったく噛み合っていない。


 そしてそれは、使い方を一歩間違えれば、人も、街も、世界も壊しかねないということでもあった。


 続いて、ぶんたが取り出したのは――花火だった。


 ロケット花火。

 打ち上げ花火。

 爆竹。

 煙玉。

 ドラゴン花火。


 袋から次々と並べていくと、兵士たちがざわつく。


「……これは、何の武器だ?」


 火薬のないこの世界の兵士には理解の追いつかない物なんだろう。


 ぶんたは軽く手を振った。

「さすがにね。一気に火をつけるほど、命知らずじゃない」


 少し離れた場所に鞄を置き、

 まずは一本だけ、慎重に取り出す。


「最初は――ロケット花火かな」


 地面に平たい板を置き、即席の発射台にする。

 その上にに、ロケット花火を置いた。

 ライターを取り出し、親指で着火レバーに触れる。


「さて……」

 ぶんたは、半ば冗談めかして呟いた。

「今度は、どんな風に驚かせてくれるのかな」


 カチッ――

 力を込めた、その瞬間だった。


 ドンッ!


「――っ!?」


 爆音。

 ロケット花火ではない、ライターそのものが爆発した。

 掌の中で、圧縮された火球が弾け、炎は制御を失ったまま上空へと舞い上がる。

 轟音とともに、赤く膨れ上がった火の塊が、弧を描いて空を焦がした。


 兵士たちが、悲鳴とも歓声ともつかない声を上げる。


「なっ……!」

「火が……火が飛んだ!?」


 爆風に吹き飛ばされたぶんたは、地面に転がりながら呆然と空を見上げた。


「……冗談、だろ」


 手元を見る。

 ライターも――そこにあったはずの掌さえ跡形もない。

 だが不思議と痛みは無かった。


「着火装置が、先に耐えきれなかった……?」

 ごくりと、唾を飲み込む。


 ライターガスの問題じゃない。

 火を生む“仕組み”そのものが、過剰に増幅された?。


 圧縮空気。ゴムの弾性。

 そして――燃焼。


「……この世界」

 ぶんたは、乾いた声で呟いた。

「“エネルギーを解放する仕組み”に、やたらと厳しいな」


 視線を、残された花火へ向ける。

 ロケット花火は、まだ無傷だ。


 だが――


「これ、下手に点けたら……」


 冗談では済まない。

 ロケット花火が飛ぶ前に、

 着火した瞬間の爆圧で、周囲が吹き飛ぶ可能性がある。


 ぶんたは、静かに一歩下がった。


 この世界は、確かに力を与えてくれる。

 だが同時に――

 使い手の安全を、まったく保証しない。

 その事実だけが、はっきりと突きつけられていた。


   ◇


 がっちが現場に辿り着いたとき、そこには異様な光景が広がっていた。


 兵士たちが慌ただしく行き交い、その中心で、ぶんたが地面に座らされている。数人がかりで応急処置を施されている最中だった。


 がっちは、その異変にすぐ気づいた。

 ――右手首から先が、ない。

 服は焦げ、裂け、所々が黒く変色している。露出した皮膚には火傷の跡が点々と残っていた。


「……どうしたんだ、ぶんた」

 声をかけながら、がっちは周囲を見渡す。

「城の方からも、はっきり分かるくらいの火球が上がった。何が起きた?」


 ぶんたは顔を上げ、少しだけ困ったように笑った。

「ライターを使おうとしたら……爆発した」


「爆発?」


「うん。そうとしか言いようがない」

 ぶんたは、吊られた右腕をちらりと見てから続ける。

「親指に力を入れた瞬間だ。次の瞬間には、ああなってた」


 がっちは無言で、燃え跡の残る地面を見下ろした。

 ライターのガスが急激に燃焼すれば、確かに火球は生じる。だが――。

(規模が違う)


 自分も過去に、燃焼実験を行ったことがある。安全な条件下で、理論通りに。

 だが、ここまでの威力にはならない。


「……まさか」

 がっちは一度、深く息を吸った。

「火種を、もらえますか」


 近くにいた兵士が、戸惑いながらも火縄を差し出す。

 がっちはそれを受け取ると、ポケットから一枚のレシートを取り出した。


 指先で摘み、火縄の先へとそっと近づける。

 次の瞬間。


 ボッ!


 音を立て、レシートは一気に燃え上がり、灰すら残さず消えた。


「……やっぱり」


「何か、分かったのか?」

 ぶんたが問いかける。


 がっちは視線を上げずに答えた。

「多分、私たちがこの世界に持ち込んだ“可燃物”は、爆発的に燃える」

 言葉を選びながら、続ける。

「ガス、火薬、燃料……燃える前提で設計されたものほど、危険だと思う」


 ぶんたは少し間を置いて、口を開いた。

「……不思議と、痛みはないんだ」

 一瞬だけ、言葉が途切れる。

「これも……コピーってことなのかな」


「そう...なんだろうな」

 がっちは頷いた。


「おっさんがバイクを置いて、自転車にしたのは正解だったな。エンジンをかけた瞬間、爆発していたかもしれない」


「それは……ゾッとするね」

 ぶんたは苦笑する。

「花火の実験、後回しにしてよかったよ」


「花火?」


「うん。色々持ってきた」


 ぶんたが見せた袋の中には、ロケット花火、打ち上げ花火、爆竹、ドラゴン花火が無造作に詰め込まれていた。


 がっちは一目見て、首を横に振る。

「爆竹とドラゴンはやめておこう。危険すぎる」


「僕もそう思う。さっきので十分だ」

 だが、がっちはロケット花火と打ち上げ花火を手に取った。

「……これは、使えるかもしれない」


 少し距離を取り、地面にロケット花火を斜めに差し込む。

 火縄で導火線に火を移した。

 瞬間、ロケット花火は砲撃のような火球となって飛び出した。


 尾を引き、空気を裂き、遠くで爆ぜる。


 続いて、打ち上げ花火。

 地面に浅く溝を掘り、筒を斜めに寝かせ、同じく火縄で着火。


 ドンッ!


 重低音とともに、筒が焼け落ち、その中から火球が放たれた。


「……これは」

 ぶんたが息を呑む。

「使えるね」


「ああ」

 がっちは静かに頷いた。

「取り扱いには細心の注意が必要だが……火力は段違いだ。切り札になり得る」


 ぶんたは、がっちを見た。

「で、そっちは? 瘴気の正体、何か分かった?」


「いや。調査の途中だった」

 がっちは視線を上げ、苦笑する。

「どこかの誰かが、派手に狼煙を上げてくれたおかげでな」


「……それは、悪かった」

 ぶんたは肩をすくめた。


 だが二人とも分かっていた。

 この世界は、想像以上に危険で、同時に、想像以上に“使い方次第”なのだと。


   ◇


 日が傾き、城内に灯されたランタンの光が、壁に長い影を落とし始めても――

 おっさんは戻ってこなかった。


 城の書庫で、がっちは古い書物をめくりながら、その事実を淡々と受け止めていた。

 紙は脆く、触れるたびに微かな音を立てる。

 文字は掠れ、ところどころ判読できない。


 その向かい、窓際に立つぶんたは、じっと外を見つめていた。

 沈みゆく太陽が、荒れ果てた大地を赤く染めている。


「……ぶんた」

 がっちが視線を本から離さずに言う。

「心配する必要はない。万が一のことがあっても、向こうの世界で無事再会できる」


「うん」

 ぶんたは小さく頷いた。

「理屈では分かってる。でもさ……」

 言葉を探すように、少し間を置く。

「やっぱ、心配になるよ」


「それよりも」

 がっちはページをめくる手を止め、ちらりと視線を上げた。

「私としては、君の右手の方が心配なのだがね」


 ぶんたは一瞬きょとんとし、それから――

「ははっ」

 照れたように笑った。

「確かにね」


 失われた右手首。

 だが、不思議と痛みはない。

 血も止まり、違和感だけが残っている。


 そのときだった。


 ぶんたの身体が、淡く光り始めた。

 粒子のような光が、足元からふわりと舞い上がる。


「あれ?」

 ぶんたが自分の手を見る。

「昨日より……早い気がする」


 がっちは即座に状況を理解した。

「負傷だろうな」

 静かな声で告げる。

「欠損部位がある分、こちらの世界に留まるためのエネルギー消費が早くなったんだ」


「ガス欠、ってこと?」


「ああ」

 がっちは頷く。

「これで分かった。こちらの世界での“消滅”は、時間一律じゃない。個人差がある」


 光を帯び始めたぶんたを見つめながら、思考を続ける。

「もし、向こうの世界で再会するタイミングに差がなければ……」

 一瞬、言葉を切る。

「私の仮説は、ほぼ確定だ」


「その確認は、後ほどってことだね」

 ぶんたは、どこか軽い調子で言った。

「じゃあ、先に帰ってるよ」

 がっちに向かって、左手で小さく手を振る。

「後でね」


 次の瞬間。

 ぶんたの身体は、光の粒子へとほどけ――

 静かに、消えた。

 部屋に残ったのは、ランタンの灯りと、紙の擦れる音だけ。


「……さて」

 がっちは、再び書物へ視線を戻した。

「私は、もう少し過去の記録を探ってみるかな」

 指先で、今にも崩れそうなページを慎重に押さえる。

「ちょうど、面白い記述も見つけたところだ」


 そのページの上部には、かろうじて判読できる文字が残っていた。

 擦れ、欠け、崩れかけた見出し。

 それでも、はっきりと読み取れる一語。


 ――勇者――


 がっちは、その文字を静かに見つめた。

 過去に現れ、世界を救い、そして――消えた存在。


「……さて」

 小さく、独りごちる。

「君は、一体何を残していったんだ?」


 ランタンの火が、わずかに揺れた。

 まるで、その問いに答えることを拒むかのように。


   ◇


「――でよ、とんでもないもの見つけちまったってわけよ」

 そう言って、おっさんはカツカレーを豪快にかきこんだ。


 ここは、おっさんの自宅にあるコレクションルームだ。


 部屋の四方にはガラスケースが並び、その上の壁一面には、所狭しと武器が飾られている。

 ナイフ、鉈、剣――用途も年代もばらばらだが、どれも丁寧に手入れされていた。

 部屋の中央にはガラス天板のコレクションテーブル。

 その下には拳銃と銃弾のコレクションが整然と並べられている。


 そして今、そのテーブルの上には三皿のカツカレーが置かれ、三人はそれを囲むように座っていた。


 あのあと、予想していた通り――

 三人は十九時ちょうどに、歩道橋の下へと戻ってきた。


 第一声で、おっさんが「腹減ったー!」叫んだ。

「いやー、まいったぜ。いくら時間が経っても帰れねぇから、正直ちょっと焦ってた」


 ぶんたは、自分の右手を見つめている。

 欠損していたはずの手首は、何事もなかったかのように元通りだ。

 指を動かし、確かめるように握り、

 安心したように小さく頷いた。


 その中で、ひとりだけ。

 がっちだけが、深刻な顔をしていた。


「どうした、がっち。さっきからその顔だけど」

 おっさんが言う。


「……もしかしたら、だけど」

 がっちは静かに口を開いた。

「みんな、勘違いをしていたのかもしれない」


「勘違いって、なんだよ」


「私たちは“勇者”でも何でもない」

 がっちは視線を落としたまま続ける。

「もしかしたら――私たちが、世界を壊す“鍵”になっているのかもしれない」


 一瞬、空気が止まる。


 だが、おっさんは肩をすくめた。

「……とりあえず飯食おうぜ。めちゃくちゃ腹減ってんだ」

 そう言って立ち上がる。

「家来いよ。飯、用意するから」


 ――そして今に至る。


「いや〜、チャリの調子が良くてさ」

 カツにフォークを突き刺しながら、おっさんが話を続けた。

「多分だけど、二百キロくらい出てたと思うんだよ」


「二百……」

 ぶんたが呆れた声を出す。


「途中で魔物の群れをいくつかぶっちぎってさ。

 山もいくつか越えたところで――見つけたんだよ」


「何を?」


「バカでかいキノコだ」


「……キノコ?」


「ああ。根元がちょっと光っててな。

 傘の裏から、光の雨みたいなのが飛び散ってた」


 その瞬間。

 がっちの手が止まった。

 スプーンをカレーに突き刺したまま、微動だにしない。


「……おい、がっち」

 おっさんが眉をひそめる。

「どうしたんだよ。それにさっきの“勘違い”って話、どういう意味だ」


 がっちは、ゆっくりと息を吐いた。

「――前に召喚された勇者がいた」


 二人が黙って聞く。


「その勇者が呼び出された時代、まだ魔物は存在していなかったそうだ」


「……は?」

 ぶんたが声を上げる。

「どういうことだよ、それ」


「文字通りだ」

 がっちは淡々と言った。

「魔物が現れ始めたのは、勇者召喚より後の時代だ。

 つまり――」

 一拍置く。

「魔物から世界を救うために、勇者が呼ばれたわけじゃない」


 沈黙が落ちる。

 カツカレーの湯気だけが、静かに立ち上っていた。


 おっさんが、低く呟いた。

「……じゃあ、なんのために呼ばれたんだよ」


 がっちは答えなかった。


 ただ、ゆっくりと顔を上げる。

 その目には、確信に近い不安が宿っていた。

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