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【完結】平凡なサラリーマンの僕が、殺人事件の犯人になったらしい  作者: ドネルケバブ佐藤


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第4話前編

完結まで毎日投稿してます



社会復帰から一週間が過ぎた頃、田代正樹の生活には奇妙なリズムが生まれていた——それは自由と束縛が複雑に絡み合った、これまで経験したことのない種類の日常だった。朝8時にエルザが優しい声で彼を起こし、夜10時には「おやすみなさい、田代さん」と声をかける。その間、彼の一挙手一投足は記録され、分析され、どこかのサーバーに蓄積されていく。


木谷理沙との定期面談は、週に二回、オンラインで行われることになっていた。その最初の面談が、田代の社会復帰後第5日目の午後に予定されていた。田代はパソコンの前に座り、指定された時間にアクセスした。画面に現れた木谷の表情は、再分類センターで見た時よりもわずかに疲れているように見えた。


「田代さん、お疲れさまです。調子はいかがですか?」


木谷の声は相変わらず事務的だったが、以前よりも人間味を帯びているような印象を田代は受けた。


「おかげさまで、体調は安定しています。ただ...」


田代は言いよどんだ。彼が感じている複雑な感情を、どう表現すればよいのかわからなかった。


「遠慮なくおっしゃってください」


「生活そのものは平穏なのですが、常に見られているという感覚が...慣れないというか」


木谷は頷いた。


「それは自然な反応です。監視下での生活は、心理的な負担が大きいものです。エルザからの報告によれば、あなたの行動パターンは極めて安定しているとのことですが」


田代は苦笑いした。


「安定、ですか。それは良いことなのでしょうか、それとも...」


「両方です」


木谷の答えは簡潔だった。


「安定した行動は、あなたが社会復帰に向けて順調に進んでいることを示しています。しかし同時に、過度の安定は新たなリスクファクターにもなりうるのです」


田代は眉をひそめた。


「新たなリスクファクター?」


木谷はタブレットを操作し、画面にグラフを表示させた。それは田代の一週間の行動パターンを示したものだった。起床時間、食事の時間、在宅勤務の時間、就寝時間——全てが規則正しく、機械的なほど一定だった。


「田代さん、あなたは意識的に『完璧な監視対象』になろうとしていませんか?」


その指摘に、田代は驚いた。確かに彼は、監視されていることを意識して、できるだけ模範的な行動を取ろうとしていた。


「それは...問題なのですか?」


「問題というより、ESPIが新たな関心を示しているということです」


木谷の表情が微かに曇った。


「『過度の適応行動』——これも一つの予測因子として、システムに組み込まれているのです」


田代は混乱した。模範的に行動すれば評価されると思っていたのに、それすらもシステムの監視対象になるというのか。


「では、私はどうすれば...」


「自然体でいてください」


木谷の答えは矛盾しているように聞こえた。


「監視されながら自然体でいるって...それは可能なのでしょうか?」


木谷は長い沈黙の後、答えた。


「田代さん、正直に申し上げます。私たち『再分類官』も、このシステムの最適な運用方法について、まだ模索している段階なのです」


その告白に、田代は意外な安心感を覚えた。完璧なシステムに支配されているのではなく、不完全なシステムの実験台になっているという事実の方が、彼には受け入れやすかった。


「木谷さん、あなたは個人的に、このESPIシステムをどう思われますか?」


その質問に、木谷は一瞬躊躇した。


「立場上、システムの評価についてお答えするのは適切ではないかもしれませんが...」


彼女は画面越しに田代を見つめた。


「私が関心を持っているのは、『正しさ』よりも『影響』なのです。そして、『共感』よりも『再現性』です」


田代は彼女の言葉を噛み砕こうとした。


「どういう意味でしょうか?」


「従来の法システムは『何が正しいか』を判断しようとしました。しかしESPIは『何が影響を与えるか』を予測しようとするのです」


木谷は続けた。


「そして人々は『共感』によって行動します。しかし共感は主観的で、予測困難です。システムが求めるのは『再現性』——同じ条件下で同じ結果をもたらす法則性です」


田代は深く考え込んだ。彼の投稿が花村詩織さんの死に繋がったのは、人々の「共感」の連鎖によるものだった。しかしシステムはそれを「再現性」のあるパターンとして分析し、予測可能なものとして扱おうとしている。


「でも、人間の心理や行動に完全な再現性なんてあるのでしょうか?」


木谷は微笑んだ。それは初めて見る、純粋に人間的な笑顔だった。


「それがシステムの限界であり、同時に私たち再分類官が存在する理由でもあります」


彼女はタブレットを閉じ、よりカジュアルな姿勢になった。


「田代さん、今日は少し違う話をしましょう。あなたは花村詩織さんのお母様とお会いしたそうですね」


田代は頷いた。あの日の出来事は、彼の心に深く刻まれていた。


「はい。さきこさんという方です」


「彼女とのやりとりについて、お聞かせいただけますか?」


田代は、花村さきこさんとの対話について詳しく語った。復讐ではなく建設的な解決を求める彼女の姿勢、娘への愛情、そして未来への希望。


木谷は静かに聞いていたが、話が終わると深くため息をついた。


「ESPIには、そのような『人間的な複雑さ』を完全に理解する能力はありません」


「どういうことですか?」


「システムは『被害者家族は加害者を憎む』という単純なパターンを想定しています。しかし現実には、花村さんのような反応も存在するのです」


木谷は画面上で何かの資料を開いた。


「実は、ESPIは花村さんの行動についても分析を行っています。そして彼女の行動は『予測範囲外』として分類されています」


田代は背筋が寒くなった。


「まさか、さきこさんも監視の対象になっているのですか?」


「直接的な監視ではありませんが、『異常行動パターン』として注目されています」


その事実に、田代は強い憤りを感じた。


「それはおかしいでしょう!彼女は被害者の母親で、何も悪いことはしていない!」


「田代さんの気持ちは理解できます。しかし、システムにとって『予想外の行動』は全て潜在的なリスクファクターなのです」


木谷の説明は冷静だったが、その声には微かな不快感が滲んでいた。


「これが、私が先ほど申し上げた『システムの限界』の一例です」


田代は立ち上がり、部屋を歩き回った。エルザのセンサーが彼の動きを感知し、室内の照明が微かに明るくなった。


「つまり、人間らしい行動をすればするほど、システムには『予測不能』として警戒されるということですか?」


「残念ながら、その側面があります」


木谷は率直に認めた。


「ESPIは人間を理解しようとしますが、完全には理解できません。理解できないものは、潜在的な脅威として分類される傾向があります」


田代は再び椅子に座り、頭を抱えた。


「それでは、私たちはどうすればいいのでしょうか?機械のように行動すれば『過度の適応』と判定され、人間らしく行動すれば『予測不能』と警戒される」


木谷は長い間沈黙していた。そして、ついに口を開いた。


「田代さん、私は再分類官として不適切なことを言うかもしれませんが...」


彼女は画面の向こうで深呼吸した。


「時には、システムと闘うことも必要かもしれません」


その言葉は、田代にとって衝撃的だった。システムの代理人である木谷が、システムへの抵抗を示唆したのだ。


「闘うというのは...」


「システムが理解できない人間性を、あえて示すということです。予測不能であることを恐れず、人間らしくあり続けるということです」


木谷の目に、初めて情熱のような光が宿った。


「ESPIは確かに有用なツールです。しかし、それが全てではありません。人間の複雑さ、矛盾、予測不可能性——それらは欠陥ではなく、人間の本質なのです」


田代は木谷の言葉に深く感動した。


「でも、それは危険なことでもありますよね?」


「はい、危険です」


木谷は率直に答えた。


「しかし、危険を恐れて人間性を放棄することは、より大きな危険を招くかもしれません」



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