第4話 薄くなる身体
相変わらず目覚めると頭が巡らない。タイムリープの副作用と考えれば手軽なリスクで未知の冒険が出来るのだからお得という感覚なのだが、なかなか馴れることがない。
最初はタイムリープしても何もせずに周囲を観察し、記憶にある風景と合致しているかという単純なテスト時間旅行を繰り返していた。
数分のタイムリープですら朝の目覚めは悪く、頭の回転が戻るのは3時間ほども掛かった。
一番最初は薬の飲み合わせでタイムリープが起きたのだが、市販薬の飲み合わせで効果が相乗するという事は基本無くて、アルゴリズムは相乗効果にならないように出来ている。
薬の飲み合わせでは決して想定外の薬効は起きないのだ。
これは西洋医学の話で、漢方ではアルゴリズムはよく分かっていないけど効果がある、というスタンスで設定されているので、今回のタイムリープは漢方系の「どうしてか分からないけど効果が出ちゃった」というものである。
そもそもタイムリープなんて膨大なエネルギーが必要そうに思えるし、魂の引越しというか若き自分に憑依するという微妙に転生などと違う理論的な分析が出来そうにない。
実験室で再現できなければ論文も書けないといった科学の根本に迫る課題が僕にのしかかってくる。
しかし今回の目覚めでは体が半透明な、薄まっているような感覚が生じていた。隣で寝ている美しき妻は物理的な重量感というか存在感がある。
一方の僕は質感が全く足りていないように感じる。タイムリープによる悪影響として観察し、理解を深めねば安全性などに危機感を覚える。
頭の冴えのなさは、脳という精密機械に影響が出やすいのだろう。毎回、3時間ほどで回復しているので心配していなかったが、少し様子を観たい。
ところで妻は寝ているが、タイムリープを始めてから何も変わっていない。
妻が別人に代わったとか、変に喧嘩が多くなったとか、特に何もない。過去をいじった彼女たちが手紙を出してきたりは今はないだろう。随分と時が流れたからね。
妻は女優として十数年一線で活躍しており、高校時代はたいそうモテたそうだ。
別学年の人たちが教室まで彼女を観に来たり、1年の頃から男性への対処法を勉強させられたというほど。
ナンパや痴漢など、危険な目に遭う前に対処するらしく、電車に乗っていても遭遇しないそうだ。
僕と外食に行くと店員さんらに声を掛けられたり、配達の方にはネットで「見た、遭遇した」などと発言しているのを時々見かけた。
住所までは暴露されていないようなのでネットマナーは最低限のものはあるようだ。
ただ自治会だけはストーカー製造機。どこに引越ししてもストーカーが発生し、自宅の周りを周回する男性や、スマホを持ち上げてシャッターチャンスとなれば動画やら撮影されている。
ゴミ捨ても妻が行ってくれていたのに今は僕が殆どをやっている。結婚生活は未だにラブラブカップルのように過ごしているのが僕の自慢である。
過去の後悔を妻に話したところ、井口さんの時は「彼女は貴方のことが好きだったのね」と言い、他の娘たちの場合は「貴方の安心さに胡坐をかいて調子に乗ったのは貴方ではなくて彼女たち」のように僕の感じていることとは真逆のことを言う。
「一番あなたを愛してるのは私だからね」
というのが妻の決めセリフである。こんな素敵な妻がいるのでタイムリープをして昔の彼女とヨリを戻そうなどとは思わなかったのが、バタフライエフェクトの最小限で僕が我慢できる所以である。
しかし身体が薄まっている自分を観ると、恐ろしいショックが精神を襲うという事はなく、意外と冷静に観察できていることに驚く。
理系の研究者ならではの理性が働いているともいえよう。
こういった不可思議な現象を考える時、僕は「宇宙の果て」を連想する。学生らから「実際の所、どうなっているのですか?」と質問されることがある。よくある知識が増えたから子供の頃の疑問を論議する、という感じ。
僕は、宇宙の外は虚数の世界だと返事をしている。身近なところでは電子レンジなどが虚数を応用しているようなもので、人間にはまだ知覚できないのだから「分からないものは分からない」と線引きするのが研究者の使命というか。
線引きは自分の脳力の差分を把握するのに必要で、陰謀論などを見極める訓練となる。
光は、粒子であり波である、水みたいなもので、光の粒子が飛んでくる間にある「水みたいな何か」を昔はエーテルとか言って架空の物質を作り出した。ダークマターも類似商品だ。
こういったことも「分からないものは分からない」として切り分け、タイムリープを慎重にこなすことに成功していた。
しっかし、半透明の身体はいただけない。かなり深刻な展開になってしまった。
死が近づいているとも感じるが、痛みはなく視覚的に質量が少なくなっている身体を客観視し、タイムリープのせいで死を呼び込んでしまったのだろうと当然の報いみたいに考え、心を平穏に保とうとしていた。
「宇宙の果て」や「光」については、僕の現実逃避。
精神状態は決して良くなかった。