第8話 神を信じる巫女は誰に祈る
王都中央神殿《ルシエール大聖堂》。
荘厳な天蓋の下で、今日も一人の少女が、静かに祈りを捧げていた。
薄布の儀式衣に身を包み、床に膝をつくその姿は、まるで“神の人形”だった。
「──主よ。どうか、この国に正しき光を。人の心が道を誤らぬよう……」
少女の名は、リリス・マリエル。
神の声を聞くとされる“神託巫女”。王家とも繋がりを持つ神殿の聖女として、絶対的な信仰と尊敬を集めている。
だが、それは同時に──彼女自身を“信仰の牢”に閉じ込めていた。
誰かを信じることは、心を委ねること。
だから、リリスは人を信じなかった。
唯一信じられるもの──それは、“神”だけ。
そんな彼女の元に、“異端”がやってくる。
◇
「──このような神聖な場に、“詐欺師”が現れるとはな」
迎えたのは、神殿の最高司祭であり、リリスの保護者ともいえる老僧。
レオは恭しく頭を下げた。
「畏れ多い場に立ち入ること、許しを乞います。ただ──どうしても、リリス様に直接お会いしたくて」
「何の目的で?」
「“神”について、少しお話がしたいのです」
老僧が目を細めた瞬間、神殿の奥から声が響いた。
「……よいでしょう。話を聞きます」
カーテンの奥から現れたリリスは、神託の巫女としての神々しさを纏いながらも、どこか興味を引かれたようにレオを見つめていた。
「あなたが、民の間で“聖導師”と呼ばれている方ですね?」
「ええ。……まったく、心外ですが」
リリスの表情が、ほんのわずかに緩んだ。
他の者が言えば傲慢に聞こえるその言葉が、この男から発せられると、なぜか“誠実”にすら思える。
「あなた、神を信じますか?」
突然の問い。
レオは一瞬沈黙し──そして、はっきりと答えた。
「いいえ。俺が信じるのは、“信じさせる力”だけです」
その言葉に、神殿の空気が凍る。
だが──リリスは怒らなかった。
むしろ、なぜか“心が震える”のを感じていた。
「……なぜ、私に会いに来たのですか?」
「君のような“本気で神を信じている人”に会いたかった。そして、聞きたかったんだ」
レオは一歩、リリスに近づく。
「君の神は、本当に君を“救ってくれる”のか?」
その問いに、リリスは言葉を詰まらせた。
答えは、当然“はい”のはずだった。
だが──“本当に?”と心の奥で誰かが囁いた。
「……そんなの、決まって──」
「なら、神が君をずっと独りにしているのは、なぜだ?」
それは、ずっと心の奥に隠していた“不満”だった。
誰にも言えなかった“寂しさ”だった。
なぜ、自分は“神の声”を聞けるのに、人と向き合うことは許されないのか。
なぜ、自分は“誰にも心を許してはいけない”のか。
──レオの言葉は、刃ではなかった。ただの“問い”だった。
だが、リリスの信仰を揺らがせるには、それだけで十分だった。
その夜、リリスは神殿の中で、眠れぬまま月を見上げた。
頭から、あの男の言葉が離れない。
「……私は、何に祈っていたの……?」