第5話 出会いは黒薔薇の香り
夜の王都は、まるで別の顔をしていた。
街灯に照らされた石畳。花街の通りから漏れる艶やかな灯。色と欲望が交錯するこの時間、昼間の秩序はどこかへ消え失せ、そこにはただ“人間の本性”だけが残る。
──レオはその空気を、嫌いではなかった。
「《黒薔薇館》へようこそ、レオ様」
案内されたのは、街の北部にひっそりと佇む、豪奢な館。
高級娼婦と密偵、金と情報、そして死さえも流通するというこの場所は、王都最大の闇組織《夜蔵》の中枢。
そして、その頂点に立つのが──
「はじめまして、“聖導師”様。貴方をお招きしたのは、他でもない。私、貴方に“興味”があって」
黒いドレスに身を包み、妖艶な微笑みを浮かべて女は現れた。
目を引くのは深紅の口紅と、漆黒の髪をゆるやかに垂らした気品ある風貌。そして何より──視線が、まるで蛇のように鋭い。
「ヴィオラ・ノクターン。夜蔵の“女帝”とでも紹介すればいいかしら?」
ヴィオラ。
この街の金融、花街、密輸、賭場、あらゆる“黒”を束ねる存在。
ただの暴力ではなく、知性と色気と金を武器に王都の影を支配してきた女。
「……随分と高い場所から見下ろされてる気分だな」
「そう? なら、同じ高さまで上がってきて」
ふたりは、テーブル越しに向かい合う。
葡萄酒が注がれ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。だが、その香りの奥に、レオは“毒”の気配すら感じた。
「私、あなたのこと、少し調べさせてもらったの。突如現れ、聖者の奇跡を起こし、貴族に顔を売り、村を救い……全部、あまりに出来すぎているわ」
「そうかもな。俺は“出来すぎた男”なんだ」
ヴィオラがくす、と笑う。
仕草のすべてが計算されている。誘惑し、試し、引き込むための毒と蜜。
そして何より──彼女の瞳は、“見透かす”目だ。
「貴方の力、“本物”ね。けれどそれは、魔法でも神の加護でもない。“信じさせる”ことで、現実を歪める……そういう類の“嘘”」
──見抜かれた。
初めてだった。レオの虚言成真を、真の意味で理解した相手は。
「……なるほど。これは手強い女だ」
「ええ、手強いわよ。だから、あなたが“私を落とす”つもりなら──本気で来て?」
テーブル越しに、ヴィオラが手を差し出す。
「どうする? 騙す? 懐柔する? それとも──抱いて、堕とす?」
レオは笑った。
この女は“強者”だ。だが同時に、何より危うくて、何より魅力的だ。
人を操る側で生き続けてきた女。だからこそ、心のどこかで“支配される快楽”を求めている。
「……面白い夜になりそうだな。黒薔薇の女帝」
「ふふ……あなた次第よ、“聖導師”様」
──こうして、レオは裏社会の頂点に触れた。
獲物でもなく、敵でもない。
“同類”とさえ思える存在と、今、火花が散る。