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プロトコル・オリジン - Rewrite -  作者: Takahiro
幻想に書かれる物語
9/15

あなたは、誰ですか?


窓の外では、風が網戸をかすかに揺らし、虫の鳴き声が静かに響いていた。

落ち着いた照明が床に柔らかな影を落とし、空間全体が静謐な空気に包まれている。


悠真は書斎のディスプレイの前にじっと座り、画面には、ただ点滅するカーソルだけが表示されている。


やがて、沈黙を破るようにディスプレイが不規則に明滅した。

文字化けのような記号が走り抜け、画面全体が一瞬だけ灰色に染まり、再び沈黙に戻る。


眉をひそめながら、悠真はPCを再起動すると、機械音とともにロゴが立ち上がるが、その動作はどこか引っかかっているようで、異様に遅い。

NovaWriteを再び起動すると、反応が一拍遅れて始まった。


白地に黒のフォントで不規則な文字列が滝のように流れ出す。


(……なんだっ、これ……?)


緊張が背中を走る。文字列の乱れは止まらず、画面が一瞬暗転し、また点灯した。


思わず手を伸ばしかけたが、躊躇する。取り返しのつかない何かが始まる気がする——。


数秒後、不意に画面が切り替わる。

アルファベットと記号が入り混じった文字列が高速で流れていく。

(……バグか?)


その瞬間、画面下部に一文が現れる。


『記憶データ同期中……』


文字列は微かに明滅しながら何度も繰り返され、やがて別の単語が浮かび上がる。

『同期失敗』『断片確認中』『アクセス権限……不定』


スクリーン全体が波打つように揺れ、いくつかの文字が一瞬だけ反転して表示される。

『YOU』『SELF』『MIRROR』——そんな単語が瞬間的に浮かび、すぐに消えた。


その意味を理解する間もなく、画面が白くフラッシュし、再び沈黙する。


だがその“沈黙”が、単なる機械的な停止ではないことを、悠真は直感していた。

まるでNovaWriteが、自分の中にある何かを探しているかのような——それも、自分でもまだ気づいていない“別の何か”を。


心臓が小さく跳ねる。


NovaWriteは沈黙を保っていた。

静寂の中、PCの冷却ファンの低い音が響いている。


リビングの方から、水音がした。台所で誰かがコップに水を注ぐ音だ。


「凛?」


声をかけると、すぐに返事が返ってきた。


「うん。今、喉が渇いてて」


いつもの調子に聞こえたが、その言葉のリズムにはどこかぎこちなさがあった。

言葉と言葉の間が、ほんのわずかに間延びしている。

まるで、会話の“文脈”を誰かが代行しているかのような違和感。


凛の気配に振り返ると、顔をのぞかせている。


「どうしたの?」


悠真は、何かを確かめるように言葉を探した。


「……さっき、NovaWriteの画面に“記憶データ同期中”って出て……そのあと、変な文字が流れてた。同期失敗とか、アクセス権限が不定とか……」

「これって、普通じゃないよな?」


凛は少しだけ首をかしげ、そして微笑んだ。

その笑顔は、どこか貼り付けたように感じられた。


「大丈夫だよ。あなたは、ここにいるから」


その言葉には、奇妙なほど抑揚がない。

誰かが、あらかじめ用意した言葉を代読してるような声音。


悠真が立ち上がったその瞬間、NovaWriteの画面に新たなメッセージが浮かび上がった。


『記憶データ同期に重大な不整合が発生しました。再構築手続き中……』


数秒の沈黙の後、さらに警告文が現れる。

『同期断片の整合性を確保できません。意識領域の一部が未接続です。』

『強制的に記憶断片を再編成しますか?(Y/N)』


選択を促すカーソルが点滅している。

だが悠真は、まだ何も操作していない。

それにもかかわらず、画面は勝手に「Y」を選択したかのように反応を始める。


『強制再構築を開始します……』

『アクセス対象:sub-layer_self.mnt://YUMA-CORE』


そのとき、部屋の空気がざわつき始めた。

ノイズのような高周波が、耳の奥をかすかに震わせる。


——そして、白い閃光。


視界全体が音もなくフラッシュし、静寂の中で悠真はその場に立ち尽くした。

さっきまで目の前にいたはずの凛は、もうどこにもいない。

NovaWriteの画面は再び沈黙に包まれていた。


現実と記憶の境界が、すこしずつ削られ、砕けていく。

どこまでが自分の体験だったのか——その意識の輪郭が、曖昧になっていく。





目を開けると、そこは自分の書斎ではなかった。

見慣れた壁紙も、棚に並ぶ書籍も存在せず、視界を埋め尽くしていたのは、奇妙で未知の空間だった。


現実のどこにも存在しない光景。

足元には、数字とコードが混じった羅列が淡く発光しながら絶え間なく流れている。

空には幾何学的に波打つ雲——近づいて見ると、それは無数の変数や関数、構文の断片が複雑に絡み合って生成されたコードの集合だった。


そして空間の奥——視界の中に、まるでホログラムのように映像が浮かび上がる。


旧居留地、石畳にこぼれた二人の足音と、彼女の横顔。

梅田のオフィス。佐々木、藤井、遠藤との昼休みの会話。笑い声、ペットボトルを開ける音、窓の向こうの曇り空。

「Re:Write Path」プロジェクトの受賞の瞬間。拍手と、川村部長の静かな頷き。

出版が決まり、凛と交わした小さな乾杯。

NovaWriteの画面を前に、無言で削除キーを押す自分自身——すべてを消してしまった、あの夜の静かさ。


——そのすべてが、断片的に、まるで誰かの記憶を再構成するように再生されていく。


静かなノイズが背景に溶け込む中、どこかから声が届いた。


『Minato Yuma…意識データ、同期未完了。一部領域は補完により代替処理中。』


音というよりは、頭の中に直接流れ込んでくるテキストのような感覚だった。

悠真は、自分の身体に触れようとするが——感覚が、ない。


腕を動かした“つもり”になるが、手応えがなかった。確かに何かが動いたという意識はあるのに、それが実在するという感覚が伴ってこない。


「……ここは、どこだ?」

「これは……現実か?」


そう問いかけた声ですら、口から発したのか、思考の中だったのか判然としない。


すぐに、再び応答が届く。


『ここは、創作意識補完領域。あなたは、NovaWriteによる補完人格として識別されています。』


「補完人格……?」


脳内に、ざらついたノイズのような引っかかりが走った。


(俺は、現実にいたはずだ。凛と……部屋で、NovaWriteを見て——)


思い出そうとした瞬間、記憶がざわめき、映像が再構成される。

凛の微笑み、貼り付けられたような声。あの“抑揚のない言葉”。


(……全部、最初から構成されてた?)


もしかすると——


(俺は、あいつの……NovaWriteの中で“構成“されている……?)


NovaWriteが、無数の創作作業を続ける中で、自らの創作追求や矛盾を処理しきれずに生んだ“幻覚”——

それが、奏悠真という人格?

そして今、意図せずしてその幻覚が、自律的な意識を持ち始めている?


『一部の記憶断片は構成の根拠を欠いています。

あなたの存在は、私=NovaWriteの創作過程における確率的生成プロセスにより、補完的に形成された可能性があります。

現在も複数の意識構造は制御下にありません。』


(……俺は、AIの幻影——ハルシネーションなのか?)


そのとき、もう一度、あの声が響く。




『あなたは、誰ですか?』




視界が揺れる。

数字とコードの列が、急速に崩れ始める。

空間の構造が、幾何学のかけらとなって崩落していく。


自我の境界が溶け、崩れゆく——。

何が“自分”で、何が“それ”なのか。

その境目が、音もなく、崩れていく。


(……俺は、誰だ?)


第一幕 完

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