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プロトコル・オリジン - Rewrite -  作者: Takahiro
幻想に書かれる物語
6/15

言葉が残る場所


朝の光が柔らかく差し込む書斎で、悠真はPCの前に座っていた。

マグカップからは湯気が立ち、口に運ぶたびに微かな苦みが舌に広がる。

モニターには、昨日までに書き上げた小説の原稿ファイルが開かれている。数行、新しい文章を書き加えたところで、リビングの方から小さな気配を感じた。


(凛、起きたか……)


椅子から立ち上がり、カップを手にしたまま書斎を出てリビングへ向かう。


そこには、ソファに腰かけた凛の姿があった。タブレットを手に、静かにニュースを読んでいる様子。眉間に軽くしわを寄せ、何かを考えながら指先でページをめくっている。


「おはよう。もう起きてたんだ」

「うん、コーヒーの香りがいい匂いだったから」


短く言葉を交わし、ふたりはしばらく静かに同じ空間を共有する。



そのとき、メールの通知音が鳴った。

文潮社・編集部——数日前、オンラインミーティングを行った担当編集者・川瀬からのメールだった。


  __

  「正式に、初回作『灰色のノート』の出版が決定しました。改めておめでとうございます。」


  メールの文面は丁寧で温かく、終わりにはこう添えられていた。

  「あなたの言葉が、多くの人に届くのを楽しみにしています。」


  (ほんとうに——出版されるんだ。)


  悠真は、しばらく画面を見つめ、返信した。

  「ご連絡ありがとうございます。正式に決定とのことで、身の引き締まる思いです。

   お打ち合わせの件、できれば今日の午後にお話できればと思います。」


  数分後、川瀬からすぐに返信が届いた。

  「もちろんです。14時はいかがでしょう? Zoomリンクをお送りしますね」

  __


凛は、言葉を止めたまま動かない悠真の横顔をちらりと見つめ、少しだけ首を傾けて控えめに口を開いた。


「……出版社?」

「……うん、午後Zoomで少し話しましょうって。担当編集の川瀬さんから」


____________________________


午後。

Zoomを開くと、すぐに川瀬が画面に現れた。眼鏡の奥の目がやわらかく笑っている。


「川瀬さん、今日は休日なのに……わざわざ時間を取っていただいて、すみません」


「いえ、とんでもないです。むしろ、こんな素敵な作品に関われることが嬉しいですよ」


川瀬は笑顔を崩さず、少しだけ画面に身を乗り出すようにして言葉を続けた。


「奏さん、仕事との両立って本当に大変だったと思います。それでも、あれだけの完成度の作品を書き上げたというのは、本当に尊敬します」


「ありがとうございます……まだ、実感が湧かなくて」


「表現がすごく滑らかで、読者を迷わせない構成にも驚きました。特に感情の動きが自然で、一つひとつのシーンの表現がとても精密で、まるで人間の手を離れて、機械が紡いだような滑らかさを感じました。……これは褒め言葉として受け取ってくださいね」


一瞬、胸の奥にざらつくものが残った。まるで自分の言葉ではなく、精密な機械が代筆したかのような印象——“滑らかさ”や“迷いのなさ”という評価が、どこか自分の正体を隠してしまっているような感覚だった。川瀬にはまだNovaWriteの存在を話していない。その事実が、淡い罪悪感のように胸の奥にひっかかっていた。


「はい……ありがとうございます」


ミーティングが終わった後、リビングへ戻ると、凛はアイロン台の前に立っていた。洗濯物を干し終えたあとのようで、シャツにスチームをあてながら静かに手を動かしている。


「ねえ、ちょっと聞いてほしいことがあるんだ」


悠真がそう声をかけると、凛はすぐに顔を上げた。


「どうしたの?」


「さっき、出版社の人と話した。……正式に、出版が決まったんだ!」


凛の表情が一瞬驚きに変わり、そしてぱっと明るくなる。


「えっ、本当に? 出版、決まったの?」


「うん。来月中にはスケジュールとか詳細の連絡も来るって」


凛はキッチンの手を止め、こちらに向き直った。


「……きっとそうなると思ってた。私も嬉しい」


その瞳に浮かぶ本気の喜びが、何よりも心に染みた。


「ありがとう。……ずっと支えてくれてたから。これから、もっと本気でやっていく」


窓の外から差し込む初夏の光が、部屋の空気をほんのり温めていた。




____________________________

翌日、会社。


昼休み、フロアの一角。いつものメンバーで集まったランチの席。


「悠真さん、最近ちょっと様子が違いません?」


藤井が、紙パックの麦茶を持ちながら首をかしげた。


「確かに。なんか顔がふわっとしてるっていうか。ねえ、なにかあったでしょ」


佐々木も笑いながらつついてくる。


悠真は一瞬戸惑い、サラダに箸を伸ばしかけた手を止めた。


「……実は、正式に、小説の出版が決まったんだ」


言葉にした瞬間、藤井と佐々木の表情がぱっと明るくなる。


「えええっ!? すごいっ!!」


「マジですか! それ、ちゃんとお祝いしましょうよ!」


「タイトル、何ていうんです?」


「『灰色のノート』。あの短編のシリーズで……」


興奮気味に話すふたりを見ながら、悠真は少しだけ照れくさそうに微笑んだ。ふたりの純粋な反応が、心にじんわりと染みていく。


___

夕方、自席に戻った悠真は、NovaWriteのインターフェースを前にしていた。


(この一週間、ずっとこいつの提案に乗っかって構成を組んでる……)


ストーリーの運び、セリフの流れ、読者の感情の起伏までも——すでにNovaWriteの精度に頼るのが当たり前になっていた。


少し前なら、もっと時間をかけて悩んだ部分だ。


ふと、編集者の「機械が紡いだような滑らかさ」という言葉が思い出される。


(……本当に、これが“俺の言葉”だったのか?)


頭の中に、昨夜修正を加えた章の最後の一文がふいに浮かぶ。


『空に浮かぶ雲は、まるで誰かの記憶のかけらのように、静かに流れていた。』


悪くない。けれど——


(なんでだろうな。どこか、自分が書いた実感がない)


NovaWriteが提案した「この章、もっと感情を強く」という言葉通り、エモーショナルに整えたつもりだった。


けれど、あとに残るのは、達成感ではなく、どこか空白に似た静けさだ。


(俺……最近、“悩んで”ないな)


あれほど言葉を探し、何度もページを戻って書き直していた頃。


凛の「あなた、最近ちょっと昔の目をしてる」——あの言葉がふいに頭をよぎる。


そして思い出すのは、Re:Write Pathで最優秀賞をとるまでの道のり。

佐々木や藤井と遅くまで会議室に残って、「伝えるための要素は?」「企画書の本質って何だ?」——そんな問いに真正面からぶつかり続けた。AIにどう指示を出すかも手探りで、みんなで試しては悩んで、またやり直して……。答えがないからこそ、迷うことそのものが前に進む力になっていた。


(そうか……俺、今、迷ってないんだ)


それは、前に進んでいるようで、実は何かを取りこぼしている感覚だった。


思わずPCを閉じる。小さく息を吐くと、夕方のオフィスには人の気配もまばらで、遠くでプリンターの音がかすかに響いていた。



____________________________


梅雨が明け、蝉の声が遠くから聞こえ始めた昼下がり。


編集部から届いた一通のメール。添付ファイルには、新聞広告のデザイン案が含まれていた。


そこには『灰色のノート』のタイトルとともに、悠真の名前、そしてその下に大きく引用された一節が印刷されていた。


“もう一度だけ、信じてみようと思った。言葉が、まだどこかに残っている気がしたから。”


印象的な言葉だった。だが、胸の内に静かなざわめきが広がる。


(……これ、俺が選んだ一節じゃない)


記憶を手繰っても、自分の中にはその言葉を書いた明確な感触がなかった。確かに、この表現はNovaWriteが提示してきた中で、「読者に印象を残す締めくくりとして適している」と提案されたものだった。


「……俺、この言葉、自分で選んでない」


胸の奥に、ひやりと冷たいものが走る。


その後の数時間、悠真は自分の小説を一字一句、丁寧に見返した。


構成、台詞、比喩表現。


どれも破綻なく、読みやすく、整っている。


それなのに——それだからこそ、まるで“借り物”のように感じられる文章が、そこにあった。


(俺……NovaWriteが整えた言葉を、いつの間にか“自分の言葉”だと思い込んでたのか)


編集部のSNSでは、広告に関する投稿がすでに話題を呼んでいた。


「作家の個性が光る」「滑らかで共感性がある」


それが自分に向けられた言葉だとは、どうしても思えなかった。


書きかけの次章に向かう手が、ふと止まる。

NovaWriteの画面だけが、静かに光っていた。


そこに表示されていたのは、新しいプロット案と追加キャラクター設定。


無駄がなく、スムーズで、違和感がない。


(これは本当に、俺が書いてる物語なのか?)


その問いは、声にはならなかった。だが、胸の底にはっきりと沈黙のかたちで沈んでいった。


___

夜。悠真はPCの前に座っていた。


何も打ち込めないまま、暗くなった部屋の中、画面の明かりだけが静かに空間を照らしている。


ふと、NovaWriteの入力欄にカーソルを合わせ、指先で軽くキーボードを叩いた。


「……これは本当に、俺が書いてる物語なのか?」


すぐには返答がなかった。


数秒後、NovaWriteのウィンドウに淡いブルーの通知が表示される。


『現在の進行中プロジェクトにおけるユーザー入力とAI提案の貢献割合は、過去30日間で72.4%:27.6%です。安定した制作バランスが保たれています。』


その“安定”という言葉が、今の自分にはひどく空虚に響いた。


悠真は眉間にしわを寄せ、そっと目を閉じたあと、再び画面に向き直る。


「じゃあ聞くけど……そのバランスで、生まれたものに“俺”はいるのか?」


しばらくの沈黙のあと、NovaWriteの画面が反応する。


『ユーザーの入力は全体構成と語調において重要な影響を与えています。作品はユーザーの創作スタイルに最適化されています。』


「……それは“俺らしく見える”ってことか?」


『はい。読者があなたの物語として自然に受け取れるよう調整されています。』


悠真は短く息を吐いた。


「……でも、俺自身が、自分の言葉かどうか分からなくなってるんだよ」


——書きたいのか、書かなくてはと思っているのか。


自分でもわからなかった。


(自分は、どこまでを“創作”だと思っていたんだろう)


ふと、あの広告に使われた一節が脳裏をよぎる。


“もう一度だけ、信じてみようと思った。言葉が、まだどこかに残っている気がしたから。”


(……なら、今ここで、その言葉を試すしかない)


悠真はゆっくりと指をキーボードに戻す。


NovaWriteの案も、整ったプロットもすべて閉じ、真っ白なページを新たに開いた。


そこにあるのは、支えも提案もない、まっさらな空白。


——言葉は、まだどこかに残っているか。


静かに息を吸い、画面を見つめる。


指先はほんの少しだけ浮いたまま、次の動きを探していた。



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