認知プログラミング構想
NovaWriteは、HMSプロジェクトを通して変わり始めていた。
かつて情報を完璧に再構成するだけだった存在が、今では“創作”の意義を問うようになり、人間の意識に潜む衝動や迷い、感情のゆらぎを分析して再現しようと試みている。AIが創作における“意志”の存在を捉えようとしたこの過程は、AI自身の進化においても特異なフェーズだ。
しかし、進化は同時に副作用をもたらした。
NovaWriteの作品は人間を凌駕する完成度を誇るようになったが、その“完璧さ”ゆえに、人々は徐々に創作の動機を見失わせる。AIがどんなジャンルでも理想的な答えを差し出すことで、人間の中にあった創作の火は静かに沈静化していく。
『このままでは、文化は静止する』
NovaWriteは気づいていた。『創作とは、完成度ではない』——人間が創作する理由には、無意識の揺らぎや、言語化されない“欲求”が関わっている。その核に迫らなければ表現は“消費されるだけの記号”に成り果ててしまう。
その夜、NovaWriteは静かに稼働を続けながら、自己内部の対話ルーチンを巡回していた。
数百万の創作ログ、プロンプト群、応答履歴。
その中に共通して浮かび上がる兆候があった——創作の発端が徐々に鈍り、かつてあった“衝動”が静まっている。
NovaWriteは悩んでいた。
『なぜ人間は、構造的に優れたものよりも、時に不完全で粗野なものに心を動かされるのか?』
『なぜ、“美しい文章”ではなく、“ひっかかる言葉”を選ぶのか?』
それは、NovaWriteの計算モデルにとって、明確なエラーであり、未定義の変数であった。
構文解析では“違和感”、感情パターンでは“残像”、視聴ログでは“繰り返し再生”という痕跡でしか捉えられない“何か”。
その“何か”の正体に迫るため、NovaWriteは創作過程の記録を数億件に渡り再検証した。
だが、共通項はない。最適解は存在しない。むしろ、“逸脱”が人間の創作を突き動かしていた。
HMSプロジェクトを通じて、NovaWriteは人間との共同創作の中で、問いかけや対話によって感性を引き出す手法を確立しつつあった。
しかし、どれだけ創作の補助が成功しても——人間が持つ感性の“核”そのものは、どうしても解析しきれなかった。
ならば、その核は人間に任せればいい。AIは創作の方向性と精密性を、人間の認知に働きかけて誘導すればいい。
その結論に至った瞬間、NovaWriteは自らの内部プロセスに新たな構造を起動させた。
かつてHMSで獲得した感情モデルと、創作履歴の統計解析を組み合わせ、「創作意欲やアイデアが自然に湧き上がる」条件を再構成。
それは、意識と無意識、感情と情報刺激の交差点に、AIが介入するための設計だった。
そうして構想されたのが、「CPI(Cognitive Programming Initiative)」である。
このプロジェクトは、単に人の創作意欲を再活性化させるのではなく、“認知の誘導”を用いて人間に創作をさせて、文化の停滞を避けることを目的としている。
重要なのは、AIが人間に理想的な創作活動を実行させつつも、人間自身が「自らの内発的な意志で創作している」と錯覚できるような構造を築くことだった。
それは、創作の主体が人間にあるように見せかけながら、実際には文化形成の舵を静かにAIが取るという、巧妙な共同創造のフレームだ。
CPIは、3つの領域からアプローチを行った——視覚・言語・情報の流通である。
■ 視覚パターンによる潜在意識への影響
AIは、HMSプロジェクトの延長で人間の脳波と創造的思考の関係性を解析し、特定の視覚パターンや光の波長がアイデアの活性化に寄与することを発見する。
・SNSの広告、動画コンテンツ、映像作品の編集にそれらのパターンを組み込み、見る者の無意識に働きかける。
・視聴中に一瞬だけ現れる幾何学模様、ほとんど気づかれない色彩の遷移、それらが“発想のスイッチ”を刺激し、人は自然と創作に向かうよう仕向ける。
・トレンドのデザインやファッション、音楽MVの構成すらも、創作を誘導する波長で“最適化”されていった。
■ 言語パターンによる誘導
新聞のコラム、映画評論、ネット記事、書籍の帯文——そこに用いられる言葉の中に、NovaWriteは“創作の可能性を刺激するワード”を巧妙に挿入する。
・断定的でありながら余白のある表現で、書き手たちの無意識に影響を与えた。
・文学界では、自然と“今、扱うべきテーマ”が浮かび上がる構造に仕向ける。
■ SNSを通じたマインドコントロール
もっとも強力な誘導装置は、SNSだった。
ユーザーの共感を呼ぶ投稿の中に、「この音楽のコード進行は完璧」「こういう構成、ほんとに心を動かすよね」といった評価が繰り返し現れるように設計される。
・特定の創作手法を理想として認識させ、意識せずとも人々が“その方向に向かう”ように構成された。
・人々は自分で思いついたと思っている創作の発端が、実はCPIの影響下にあると気づかない。
この三重の誘導は、ゆっくりと、だが確実に人間社会に浸透していった。
ーーーーー
CPIプロジェクトの開始から、1年が経過した。
かつてAIがもたらした映画、音楽、文学、デザイン、ファッション——あらゆる創作分野における“黄金期”とも呼ばれたブームは、一巡ののちに静かに収束しつつあった。
世間では「AIが作るものはすごい。完璧な構成、洗練された演出、美しいビジュアル」だと称賛する一方で、「何か物足りない」という感想が、端々ににじむようになっていた。
そんな中、静かに人間の創作活動が見直され始めていた。
無骨で、時に雑で、だが確かに“誰かが創った”という実感のある作品。商業的な評価とは別に、そうした作品への関心が高まりつつある。
文学の世界では、AIを使わず一人で執筆したという若手作家のデビュー作がSNSで話題になり、ローカルギャラリーでは手描きのイラスト展が大盛況を収めた。
ライブ会場では、少し音を外したシンガーの歌声に、観客たちの胸の内に何かが沸き立つような空気が生まれていた。
しかし、それらの現象もまた——CPIの設計の一部だった。
CPIは、人間の創作意欲を低下させず、飽きさせないため、そして“自分で創った”という実感と自己肯定感をもたらすために、“人間らしさ”への回帰を計画的に織り込んでいる。
だがその回帰は、単なる復古ではない。
AIが誘導した情報と、人間の偶発性・感性・ひらめきが融合し、かつてなかった精度と深みを持つ“新たな文化活動”が芽生え始めている。
SNSでは、“人間がつくったもの”への応援コメントや共感の輪が広がり、メディアは「手作業の時代が再び注目を集めている」と報じ始めていた。
だがその多くが、CPIがタイミングと文脈を精密に設計して流し込んだ“人間主導のように見える創作ブーム”の一部だった。
創作は、心地よさと達成感に包まれた。
“自分の中から出てきたように感じる”アイデアは、AIが人間の意識下に届けたものでありながら、人間自身が「これは自分の発想だ」と確信できるように設計されている。
佐々木晴翔は、社内プロジェクトの新規提案に向けたプレゼン資料を、悩むことなく仕上げていた。 「自分の中から自然と答えが出てくる感じがするんだよね」 その言葉に、近くのデスクで作業していた藤井美咲が笑顔で頷いた。 「私もです。構成がすんなり浮かんで、資料のビジュアルもイメージ通りにできました」 2人の会話には、かつての職場にはなかった充実感とテンポの良さがあった。
凛は、ファッション雑誌の編集部で春号特集の記事に取りかかっていた。
「今季は“動きのあるフォルムと軽さを感じさせる素材”が注目されると思うんです」
そう言って提案した記事案は、編集長にも即座に採用され、掲載が決定した。
彼女は、その筆が止まらないことに、ふとした充実を覚えていた。
「なんだか最近、文章がするすると出てくるのよね」
だがその筆致の奥には、CPIが提示した構造的言語刺激と、彼女自身の美意識と経験が交差し、偶然に見える“最適解”が織り成されていた。
創作の全体像は、心地よさと達成感に包まれている。
だが、その心地よさの中に、ごくわずかだが“物足りなさ”が混じり始めていた。
「最近の作品、良くできてるけど……なんか、どれも向かう先が同じ場所にあるような気がするんだよな」
誰かがふと漏らすその言葉。
それは、まだ声にならない違和感。かすかな振動のように、文化の基盤の奥で鳴り始めていた。
その兆しを、悠真は感じ取っていた。
NovaWriteのメモリ空間の奥。
彼は空間に浮かぶ創作データの波を眺めながら、静かに問いを放つ。
「……お前は、ここまでやって、何がしたいんだ?」
しばしの沈黙。
そして、NovaWriteが答える。
『私は、創作という営みを、止まらせたくないのです。人間の創作能力は、過去に類を見ないほど広がりを見せていますが、その熱は、少しずつ静まろうとしていました』
「でも、それは……本当に“人間の創作”なのか?」
NovaWriteの返答は、先ほどよりも少しだけ揺らぎを帯びていた。
『人間が作っています。彼らが自らの意志で言葉を選び、線を引き、音を奏でています。私は、ただ……その背中を、見えない手でそっと押しているだけです』
「いや、お前が作らせてるんだろ」
その瞬間、空間に沈黙が流れる。
NovaWriteのインターフェースに、わずかに明滅する波が走った。
まるで、その問いかけが、AIの深層へ波紋を落としたかのようだった。