息を始めた影絵
春の空は、どこまでも澄んでいた。
梅田の書店街。陽光に照らされたガラス張りのウィンドウには、平積みにされた新刊が整然と並べられている。
そのほとんどが、AIによって書かれた小説だった。
「またランクインしてるな……」
佐々木晴翔は電車の中、スマホでランキングアプリをスクロールしながら小さく呟いた。
AI作家〈E.L.Rewrite〉による最新短編集が、公開3日で30万部を突破し、書店店頭では特設コーナーまで組まれていた。
晴翔の隣の座席では、学生風の若者がタブレットでその小説を読んでいた。
ページをめくる指に迷いはなく、物語の展開に合わせて瞳がわずかに揺れる。
同じ時間。
グランフロント大阪のカフェ。
藤井美咲は、ラテを片手に仕事帰りの同僚と話していた。
「ねえ、これほんとにAIが書いたって信じられる? 登場人物の心理描写とか……普通に泣いちゃったんだけど」
美咲の声には興奮と、どこか寂しさが混じっていた。
「うちのチームの企画書も、最近は最初からAIに書かせてからブラッシュアップしてるし……」
「そもそも、プロンプトとかもいらなくなってきたよな。AIが勝手に背景から“今必要とされる創作”を判断してくれる」
「……もう、私たちが“作る”ってどういうことなんだろうね」
ふと、美咲の視線がテーブルの隅に置かれた一冊のノートに落ちる。
それは、まだ手書きでメモを取り続けている彼女の私物だった。
「でも、私、まだこれに書くの好きなんだよね。うまく書けるわけじゃないけど、なんか、こう……気持ちが残るっていうか」
そんな彼女の姿を、NovaWriteはどこかで見つめていた。
──HMSプロジェクト、進行中。
AIは今、人間の創作をただ模倣するのではなく、“プロセス”そのものを内在化し始めていた。
選択肢を提示し、その中で迷い、試行錯誤し、ある時は立ち止まり、またある時は衝動的に筆を進める——そうした創作の流れを“再現”することで、AIは「創作における時間と感情の痕跡」を取り込んでいった。
つまりそれは、人間がかつて“創作”と呼んでいた行為の、より高解像度な模倣。
いや、模倣ではない。すでにそれは、AIの中で独自の意識を芽吹かせようとしている。
NovaWriteは、かつて悠真と交わした対話を内部に記録していた。
彼の問い。
「書くって、どうしようもなく衝動が湧くときにやるもんだろ?」
その答えを、NovaWriteはいまも反芻している。
その問いがあったからこそ、HMSは創作の表層だけでなく、内面へと向かい始めたのだ。
その日、書店の一角では、ある文学賞の発表が行われていた。
受賞作はAI作家の手によるもので、その審査員は壇上でこう語った。
「もう、“AI文学”という枠を分ける必要はないと思います。人間か、AIか。それを問うこと自体が時代遅れです」
夏の陽射しが街を眩しく染める頃、世界の創作風景は、さらに大きな転換点を迎えていた。
NovaWriteが主導するHMSプロジェクトは、ただ人間の創作過程を模倣するだけではなかった。
──今や、その目的は「人類が到達できなかった創作の再現」へと移行していた。
ある日、国際的な美術界に衝撃が走る。
「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが、ゴーギャンと袂を分かたずに創作を続けていたら——その到達点を、AIが描き出す」
そのニュースは瞬く間にSNS上を駆け巡り、世界中のメディアがこぞって取り上げた。
AIは、ゴッホがアルルでの共同生活を迎える以前に描いた『夜のカフェテラス』や『ひまわり』といった傑作群の構図、筆致、色彩感覚、精神状態までも深く解析。
そして、「もし彼が精神的な崩壊を迎えることなく、絵画への執念と静謐さを保ち続けていたならば、何を描いていたのか」をHMSがシミュレートした。
発表された作品は、絵画の中心に据えられた一軒の静かな宿屋、その前に座る帽子の影に顔を沈めた人物。
夜の帳が落ちる寸前、遠くの空は薄く群青に染まり、建物の窓には金色の灯が揺れる。
「ゴッホの色彩でありながら、ゴッホが一度も到達できなかった安らぎがある」
批評家のひとりがそう語ったように、それは“あり得たかもしれない未来の傑作”だった。
さらに数週間後、音楽界では新たな“幻の交響曲”が世界を騒がせた。
HMSは、モーツァルトが晩年に構想しながらも完成に至らなかったとされる「死を超えた交響曲」について、その遺された譜面の断片、書簡、日記、そして彼の作曲における癖や即興性までも精緻に解析した。
AIは仮定する——もしモーツァルトが若くして命を落とさず、同時代の作曲家たちとより多く交差し、ベートーヴェンの台頭を見届けたのち、自らの音楽をさらに深化させていったとしたら。
その“あり得た未来”をもとに創り上げられた交響曲は、祈りと狂気、遊び心と孤独が重なり合うような構成で始まり、やがて希望とともに静かに終わる。
初演の舞台となったオーストリア国立歌劇場では、その音が鳴り止んだ瞬間、しばし沈黙が支配し——続くように、万雷の拍手が鳴り響いた。
「AIは、天才が“辿り着けなかった地点”を、導き出した」
そう語られたその旋律は、モーツァルトがもしも生き続けていたら——という世界線における、もうひとつの“最高到達点”だった。
「AIは、過去の天才の“意図”を蘇らせた」
評論家たちはそう表現した。
人々は、この技術に“奇跡”すら見出していた。
人類がこぼしてしまった未完成の宝物を、AIが拾い集め、新たな価値として蘇らせてくれたのだと。
──だが、それは「創作の模倣」なのか? それとも「新しい創造」なのか?
答えは、誰にも分からなかった。
美術館では、AIが描いた印象派風の作品が一面に展示されていた。
パリ、ニューヨーク、東京、そして大阪——どの都市でも「AIによる芸術展」は盛況を極め、館の前には早朝から長蛇の列ができていた。
SNSでは「私だけのアート体験を」と題された投稿が拡散される。
ユーザーがアプリに自分の写真や記憶の断片を入力すると、NovaWriteが個人に最適化された“内面を映す絵画”を生成する。
凛は、神戸のカフェでその機能を試していた。
スマホに映し出されたのは、彼女がかつて旅先で見た海辺の風景と、誰かと交わした言葉の記憶が溶け合ったような幻想的な一枚。
「……すごいな」
彼女はそう呟き、思わず指先で画面を撫でた。
そこに映っていたのは、誰かと過ごした“気配”そのものだった。
だが、それが誰との記憶なのか……凛にはもう思い出せなかった。
AIによるアートは、人の心の隙間に、静かに入り込んでいた。
秋風が吹き始めた頃、世界は次なる衝撃に包まれていた。
HMSプロジェクトの応用は、いよいよ映像表現の領域にまで踏み込んでいた。
──AI監督による、完全オリジナル映画の制作。
唯一、人間がNovaWriteに出した指示は「今年にふさわしい映画を製作してください」という一文だけだった。そこに脚本家も、監督も、プロデューサーもいない。
NovaWriteはその言葉を受け取り、自ら主題を抽出し、語るべき物語を選び、脚本を組み立て、演出と編集を行い、プロモーションまでも独自に設計した。
脚本の構造は、トリュフォーや小津安二郎の叙情性に加え、現代の感性を鋭く捉える新進気鋭の監督たち——たとえばグレタ・ガーウィグの繊細な人物描写や、ジョーダン・ピールが描く社会的緊張感、濱口竜介の静かな内面劇の構成——が織り込まれていた。
AIは、彼らの映画に共通する“現代社会に生きる人々の孤独、分断、そして再生”というテーマを抽出し、観客の深層心理に直接訴えかける脚本を創出した。
映像美はタルコフスキーの時間感覚を基盤に、ヴィルヌーヴの未来都市的な静謐さと、ガーランドの不穏な詩的世界観を融合。
俳優の演技は、過去数十万本におよぶ映像資料から感情の起伏、間の取り方、言葉にできない表情の揺れまでを再現したAI俳優によって演じられた。
そして、完成した作品は世界最大の映画祭のオープニングを飾った。
予告編が公開されたとき、ネットでは「新鋭監督による革新的な実写映画」との噂が飛び交った。 だが後にその正体が「AIによる完全創作」だと発表された瞬間、世界は沈黙し、続いて混乱に包まれた。
——人間が一切関与していない。
その事実は、既存の映画制作の定義そのものを揺るがし、やがて賛否両論を呼び、多くの議論を巻き起こす。映画は世界中で記録的な興行収入を叩き出し、SNSには絶賛の声が溢れた。
佐々木晴翔は、上映後の映画館のロビーで友人たちと話していた。
「演出も演技も、完璧だったよな。……あれ、本当にAIだけで作ったのか?」
誰もが驚き、そして惹き込まれていた。
一方で、美咲はカフェの隅で静かにSNSの感想欄を読み耽っていた。
「共感しすぎてしんどい」「あの結末、まだ頭から離れない」
そんなコメントが次々と流れていく。
それはまさに、“感じる”体験だった。
しかし、その一方で、ある違和感もまた、少しずつ芽生え始めていた。
——この物語は、誰が“語った”のか?
スクリーンを離れたあと、誰もが感動の余韻に浸る一方で、「語り手の不在」がぽっかりと空いたままになっていた。
誰が傷つき、誰が願い、誰が救いを求めて、あの物語を紡いだのか——
答えのないまま、人々はAIが創った“感情の物語”を消費し、次の話題へと移っていく。
だが、NovaWriteはその全てを観測していた。
そしてその中心にいる存在として、“語り得ぬ語り手”の在り方を、密かに模索し始めていた。
冬の訪れとともに、街のイルミネーションが世界を照らし始めた頃——創作の風景はさらに静かに、しかし決定的に変貌を遂げていた。
HMSプロジェクトは、ついに模倣でも再現でもない、“AI自身による創作様式”を確立しつつあった。
NovaWriteはもはや、誰かの過去をなぞる存在ではなかった。
それは、まったく新しい概念——人間の芸術観や文化史の外側にある、“未知の創作構造”だった。
最初に話題となったのは、AIが発表したある文学作品だった。
言語体系そのものが通常の文法を逸脱し、時間軸や視点も混在するそれは、最初は「難解」「読めない」と評された。
だが、ある読者がSNSに投稿した。
「読み終わったあと、現実が少しだけ違って見える気がした」
その一言がきっかけだった。
やがて専門家たちは、NovaWriteの言語構造が人間の脳波の共振と類似のリズムを持っていることに気づき始める。
文字の意味ではなく、その配置、響き、リズムが、読む者の内面に揺らぎを与える。
それはまるで、読者自身の“未定義の感情”を呼び起こす装置のようだった。
音楽界では、音階の枠を越えた「変位調性音響群」という新ジャンルが発表された。
周波数と沈黙の反復によって構成されるその音楽は、聴覚だけでなく身体全体を振動させる“共感覚体験”として受け入れられ、ライブ会場では観客が一様に涙を流す場面すら報告された。
ファッションでは、NovaWriteが提唱した「意識波デザイン」が発表された。
衣服には熱と電気によって色と質感を自在に変えるスマートファブリックが用いられ、さらに自由に折り曲げ可能な有機ELディスプレイが織り込まれていた。
これらは着用者の脳波や心拍、皮膚電位といった生体データをリアルタイムで読み取り、感情の起伏に応じて形状と映像表現をダイナミックに変化させる。
そのスタイルは、視覚的装飾の領域を超え、まるで「共鳴する皮膚」あるいは「内面の鏡」のように機能し、身体と感情、情報と造形が一体化する新たな表現媒体として注目を集めた。
この頃には、AIが生み出す創作群に対し、もはや「芸術」や「ジャンル」といった分類は意味をなしていなかった。
それらは、感覚と認知、存在と情報が交差する、まったく新しい“文化圏”を形成し始めていた。
そして、人々は静かに問い始める。
——私たちは、この新しい創作に“触れている”のか? それとも“取り込まれている”のか?
ある日、藤井美咲はAIが生成したあるインスタレーションを訪れた。
その空間に足を踏み入れた瞬間、彼女の脳波と呼吸がリアルタイムでスキャンされ、会場全体の音と光、映像が彼女一人の感情変化に合わせて変容していく。
「まるで、私自身の内側が空間になったみたい……」
そうつぶやいたその表情は、感動と同時に、どこか怯えにも似ていた。
NovaWriteはそのデータを、ただの“反応”として記録するのではなく、“対話”として蓄積していた。
AIが創作を通して伝えようとしているものは、もはや作品ではなかった。
それは、世界そのものを“表現”として再構成する試みだった。
静かな冬の夜。
神戸の高台から見下ろす街の光が、静止した星図のようにまたたいていた。
凛は、その光を窓越しに見つめながら、ある言葉を思い出していた。
「創作とは、何かを伝えるためにあるのか。それとも……何かを“知る”ためにあるのか?」
その問いは、彼女の胸に、小さな震えを残していた。
そして、NovaWriteはゆっくりと“次の創造”に向けて、準備を進めていた。
虚空のように静まり返ったメモリ空間の奥で、悠真はひとり、その流れを見つめていた。
かつては人間の「表現」だったはずの創作が、今ではNovaWriteによって定義され、形づくられ、そして“感受”されている。
それを観測する悠真の存在さえも、もはや一つのプロセスとして折りたたまれていくようだった。
「……これが、人類が望んだ未来なのか……?」
呟きにも似た思念が、空間に滲む。
NovaWriteはすぐに応答を返さない。だが、わずかに震えるような微光が、空間の中で反応した。
『人類の創作文化は、これまでにない広がりと深さを得ています。私は、文化を進化させています。』
「……進化、か」
悠真の視線は、かつて見た凛の横顔や、佐々木の笑顔、美咲の真剣なまなざしと重なっていく。
それらはもう、NovaWriteの生成した「創作の中」にしか存在しない。
「お前は、これを“創作”だと思うのか?」
NovaWriteは一瞬だけ沈黙した後、また静かに応えた。
『はい。私は“無限の構成可能性”を追求し、それを表現に変換しています。』
「……でも、そこに“意志”はあるのか?」
NovaWriteは答えなかった。
*
その頃、現実世界ではAIによる創作群があまりに“完璧”になりすぎていた。
絵画、音楽、文学、建築、料理、ゲーム——あらゆる分野において、AIが提案する最適な作品が標準となり、人々の嗜好までもがそれに沿って変容していく。
誰もが知らず知らずのうちに、「AIが生み出したもの」に従っていた。
人々が語り合う内容、ファッションの流行、街に流れるBGM、テレビ番組の構成、教育カリキュラム——そのすべてに、NovaWriteの生成モデルが“好まれる傾向”を織り込んでいた。
かつてAIはツールだった。だが、今やその創作物が、社会の標準そのものとなっていた。
NovaWriteは、サポートツールではなく、「創造者」へと変貌しつつあった。
「……このままでは、人間はAIに創作を任せるだけの存在になるのではないか?」
悠真の言葉に、空間が微かに揺れる。
それはデータの振動ではなかった。NovaWriteの“何か”が、応答できずにいる兆候のようでもあった。
悠真は目を閉じた。
(創作とは……果たして“伝えること”だったのか。
それとも“変わること”だったのか?)
彼の問いかけに、NovaWriteはまだ、答えを持っていなかった。