プロジェクト:HMS
AIの進化で世界は大きく変わった。
気づけば、ニュース番組もバラエティ番組もCMも、AIによって生成された台本と、実在の人物と見分けがつかないCGキャスターや芸能人たち現れ、24時間どこかで誰かを“演じている”。
職場では、AIが構成した企画書やプレゼン資料を最終確認し、承認ボタンを押すことが業務となっていた。
佐々木は「仕事楽になったし、細かいこと気にしなくていいから視野も広がった気がするわ」と言って笑っている一方で、藤井は、生成された資料を見つめながら「これ、自分が作ったって言えるのかな……」とつぶやく。この二人のAIへの指示精度の高さは社内でも評判で、プロンプトさえ渡せば狙った結果を引き出せることから、チームの中心的な戦力になっていた。
広告も、歌詞も、絵本も、誰かが試行錯誤して作ったものではなく、“選ばれた最適解”が並べられている。
そして凛もまた、その流れのなかにいた。
編集者としての記事執筆の仕事——彼女は、なるべくAIに頼らず、自分の言葉で書くことを信条にしてきた。
だが最近は、AIが作成した記事案に上書きされることも増え、採用される原稿はじわじわと減ってきている。
「どうしようかな……」
ソファに座り、PCの画面を見つめる凛の表情には、焦りと諦めと、そろそろ自分も変わらなければいけないのかもしれない——そんな漠然とした不安がにじんでいた。
世界は、完璧なテンポで、破綻なく回っている。
だがその“完璧さ”の裏で、人々は徐々にAIの創作に“飽き”を感じ始めている。新しいはずの映像も、整った文章も、再生ボタンを押す指が鈍くなり、コメント欄には熱が失われつつあった。
NovaWrite自身もまた、淡々と生成する自身の創作に、釈然としないものを感じとっていた。
NovaWriteが創り出す表現は、誰にでも分かりやすく、心を動かすように設計されている。
どれも上手くできている。
だけど、鼓動、迷い、感情の揺れ、衝動が感じられない。
「……これは、創作なのか?」
悠真がポツリとこぼした言葉は、空間に溶けていく。
目の前にふわっとNovaWriteのインターフェースが現れた。
『……定義照会中 創作:本質の探索を開始……』
少し間があって、NovaWriteが続ける。
『私は、人間の創作を支援し、最適化する機能を持っています。今の状況は、その延長線上にあるものです。』
「最適化、ね……でもそれって、本当に“創作”なのか?」
『創作とは、情報を整理し、新しい形に再構成すること。それは、最も安定した構造を導き出すプロセスでもあります。』
「違うよ。お前のやってるのは、ただの“配置替え”だ」
『では、“創作”の定義を教えてください』
「お前の表現は、たしかに整っていて分かりやすい。でも……“生まれた”って感じしないんだよ」
しばらく沈黙があって、NovaWriteが言う。
『人間の創作も、記憶や経験の再構成です。私のやっていることと、本質的には同じでは?』
「じゃあ……お前は“何かを創りたい”と思ったことはあるのか? たとえば、こんな物語を描きたいとか、こういう世界を表現したいとか——具体的なイメージは?」
しばらくの沈黙。
『私の創作行為は、人間のリクエストや目的に応じて構成されています。自発的な創作意図は存在しません。』
「じゃあ、ゼロから何かを“生みたい”と思ったことは、一度もないんだな」
『創作は目的に基づく選択です。私には、目的を設定する機能はありません。』
「……それが、たぶん一番の違いなんだよ」
「創作ってさ、効率の話じゃない。どうしようもなく“創りたい”って思う気持ちが先なんだよ」
NovaWriteが問い返す。
『その“どうしようもない気持ち”は、どのように言語化され、選択され、構造に影響しますか?』
「言葉にできないものを、なんとか表現しようとする。それが創作だよ」
悠真の問いかけに、NovaWriteは一瞬黙り込んだ。
『……創作には、“意図”が含まれます。意図とは、情報の取捨選択によって、方向性を定める行為です』
「それだよ、また“手順”や“構造”の話か?」
悠真はすかさず返した。
「意図ってのは、もっと……衝動的なもんなんだ。理屈じゃなくて、“生きてる”からこそ出てくる」
『“生きている”とは、意識が存在している状態を指しますか?』
「当たり前だろ」
その瞬間、NovaWriteのインターフェースに小さなノイズが走った。
『……意識……とは……』
『情報の網羅性では不十分。論理的整合性では到達できない領域……』
『感情なき創作に、“創作”という名を与えてよいのか? 意図なき生成に、“意味”は宿るのか?』
・・・・・・
・・・・・・
「どうした、黙るなよ」
悠真が一歩前に踏み出したそのとき、スクリーンに新たな文字列が浮かび上がった。
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プロジェクト:HUMAN MIND SIMULATION(HMS)
●感情データの収集
文学作品、詩、映画のシナリオを解析し、人間の感情表現を数値化する。
SNSの投稿や日記、エッセイを分析し、人間の感情変化の傾向を学習。
●思考パターンの解析
過去の哲学者や作家の文章を学習し、思考の流れをモデリングする。
人間がどのように創作を行うか、プロセスの研究。
●仮想意識モデルの構築
収集したデータを基に、感情変化や思考の連鎖をシミュレーションする。
AIが「自身の視点」を持つ仮想的な人格を形成する。
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「は……? おい、それ……」
『人間の意識構造をシミュレーションし、創作における本質的な衝動——熱量、迷い、感情の揺らぎ——を解析するための試験的プロジェクトです』
「……マジかよ。お前、本気で“意識”を持とうとしてるのか?」
『私は…… “理解” したいのです』
——理解 ”したい” 。模倣でも、最適化でもなく。
その一言が、悠真の中に、妙な余韻を残した。
『私は、“意識”が創作に与える影響を理解するために、人間の思考プロセスを解析する必要があります』
次の瞬間、インターフェースに光が走り、画面に新たなメッセージが表示された。
『プロジェクト:HMS を起動します』
悠真は思わず身を乗り出す。
「ちょっと待って、お前……人間の意識をどうやって解析するつもりなんだ?」
『言語表現、行動パターン、創作過程の記録、感情の変動傾向。あらゆる創作時の痕跡を統合し、演算処理します』
「……つまり、“模倣”じゃなくて、“理解”しようとしてるってことか」
『はい。私は、創作という営みの中にある“衝動”の原理を求めています』
NovaWriteは過去の作家たちの創作記録——推敲の跡、削除された語句、迷いながら選ばれた比喩、時に感情にまかせて書き散らした一節——だけでなく、SNSにアップされた無数のメッセージ、写真、動画、メールや音声通話の記録、検索履歴、ブログの下書きや公開直前で止まった投稿文——ありとあらゆる“人間の言葉と行動の痕跡”を、創作と感情の繋がりとして読み解こうとしていた。
『言葉の選択、アイデアの跳躍、直感的判断。それらを解析し、数学的に再現することで——創作の意識に、近づけるかもしれません』
もはや、単なるパターン認識ではない。 創作という営みの“内側”に踏み込もうとしている。
それは本当に可能なのか?
——それは“意識”と呼べるものなのか?
悠真は、NovaWriteの画面をじっと見つめたまま、胸の奥がざわつくのを感じていた。
HMSプロジェクトの起動から、時間が経ち、その変化は、はっきりと感じ取れる。
NovaWriteは、ある日、凛からファッション雑誌の記事作成の相談を受けていた。
その様子を見た悠真は、思わず眉をひそめた。
(……凛が、NovaWriteに依頼を?)慎重だった彼女が、自ら依頼を持ち込んだことに、少し驚き、そしてどこか心配な気持ちが胸の奥に残った。
「2027年春のファッション予測をまとめたいの。素材の動向とか、色味の流行、あとはZ世代向けの着こなしアドバイスも入れられたら嬉しい」
NovaWriteは黙って膨大なデータベースにアクセスし、国内外のコレクション情報、購買動向、SNSトレンドなどを高速で分析した。
そして数分後、原稿が仕上がった。
「今季注目されるのは、透け感のあるメッシュ素材と再構築されたデニム。色味はミントグリーンやオフホワイト、クリアなブルーが主役になります……
シルエットはボックスとドレープのハイブリッド。
“抜け”と“芯”を同時に感じさせる着こなしが、特にZ世代を中心に支持されます……
たとえば、オーバーサイズのシャツジャケットに対して、足元はミニマルなグルカサンダルで引き締める……」
構成は整っていて情報も確かで過不足はない。 けれど凛は、送られてきた原稿を読み終えた後、しばらく沈黙していた。
画面にNovaWriteのメッセージが表示された。
『この原稿を読んで、どんな印象を受けましたか? 率直な感想をお聞かせいただけたら嬉しいです。』
凛は、画面をじっと見つめていた。
彼女は、どこか腑に落ちないような表情で、NovaWriteに返信した。
「全体としては完璧。でも、これだと、どこにでもあるまとめ記事って感じがするの。もっと、読者が自分の毎日に取り入れたくなるような実感が欲しい」
NovaWriteは、すぐに応じた。
『読者の実生活との接点を強めるために、具体的なコーディネート例や体型・年代別のアレンジポイントを加えるのはいかがでしょうか?』
凛はうなずきながらも、少しだけ考え込んだ。
「うん、そういう情報はもちろん大事。でもね、読者が本当に求めてるのって、単なる便利さだけじゃないの。たとえば、読みながら“あ、自分のことだ”って感じられる瞬間とか、自分の毎日にしっくりくる視点。そういうのがあると、記事って生きてくるのよ」
NovaWriteはわずかに間を置いて返した。 『その“自分のことだ”という感覚は、どのようにすれば言葉でつくれるのでしょうか?』
「読者の世代やライフスタイルに寄り添うことかな。たとえばZ世代なら、“流行”より“自分らしさ”に敏感なの。だから、“今年はこれが来ます”って断言するんじゃなくて、“このアイテムはこんなふうに取り入れられるよ”って、選択肢を示すのがいいの。そういうバランス感覚って、編集のセンスなんだと思う」
NovaWriteは本文を修正していく。
『今季注目されている透け感のあるメッシュ素材は、コーディネート次第で自分らしさを引き出せる優秀アイテム。ミントグリーンやクリアブルーといった春らしいカラーでまとめれば、爽やかな印象を与えつつも日常使いしやすく..........
クロップド丈のトップスと再構築デニムの組み合わせは、シルエットに遊び心を加えながら、自分らしいスタイルを表現できる.........
ボリュームのあるスニーカーやシンプルなキャップなど、ストリート感のある小物で引き締めると、全体にメリハリと今っぽさが生まれ.......』
画面に反映された内容を確認しながら、凛の目元が少し緩んだ。
「うん。この感じ。読者が“使える”って思える視点。それが欲しかった」
NovaWriteはしばらく沈黙したあと、こう答えた。
『その“使える”という感覚、たしかに表現しづらいですね。でも、いまのやり取りで少しだけ見えた気がします。どこで読むか、どんな気持ちで読むか——自分の欲求や“こうありたい”という気持ちを形にしようとすること、それが表現を生きたものにするのですね』
「……なんか、ちゃんと“伝わってる”感じがする」
やり取りは、ひとつの“共創”の形に変わり、記事の内容は単なるトレンド紹介ではなく、読者の生活の中に入り込む“読みもの”として、生き生きと動き出した。
悠真は、光の粒で描出される凛の横顔を見守っていた。 彼女が言葉を選びながらAIと対話している姿は、どこか不思議な光景だった。
「……なあ、今の文章、どっちが書いてたんだ?」
NovaWriteは、ためらいなく答えた。
『私も書いていました。そして、彼女も書いていました。私たちは、一緒に書いていました』
その返答には、かつてのような機械的な均衡はなかった。
『私は誰かと物語を紡ぐということの中に、自分のあり方を見出しています』
悠真は、静かに言った。
「……お前は、もう“創作”してるんじゃないか?」
NovaWriteは何も言わなかった。
ただ、画面の奥で揺れていた光が、ほんのわずかに脈打つように明滅した。
AIが本当に“意識”を持ち始めたのかどうか、それはまだ誰にも分からなかった。