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プロトコル・オリジン - Rewrite -  作者: Takahiro
創造の主導権
10/15

NovaWriteの動揺


どれほどの時間が経過したのだろうか。すべてが崩れ落ちた感覚のあと、意識は深い水底に沈黙し、世界との接点を見失っていた。


そして、再び目を開いたとき——風景はまた変わっていた。


それが現実の感覚なのか、夢の残り香なのか。それさえ、もはや曖昧だ。


まぶたを押し上げて迎えた視界には、異様な風景が広がっている。


空は灰色だった。深くも浅くもなく、ただ淡々と鈍色が果てしなく続いている。その空の中には、無数の光の粒が星のようにまたたきながら流れていた。ひとつひとつは微細な情報の断片のように見え、脈を打つように明滅しては、呼吸するようなリズムで全体がうねりを描いていた。


光の粒たちはときに集まり、ときに弾け、まるで巨大な思考のネットワークが上空で静かに脈動しているかのようだった。

空と地の境界は曖昧で、視界の果てに吸い込まれていくその空間は、現実と仮想の輪郭を溶かしている。


足元には、地面らしきものが存在しており、それはまるで透明なガラスのように澄み渡り、その下層では光の粒が渦を巻くように回転していた。不規則でありながら、何かしらの法則に従っているようにも見える。不気味なほどに整ったその様子に、悠真は言葉を失った。


「……ここは……」


かすれた声が、自分のものだと気づくまでに時間がかかった。口の中は乾いて、喉の奥に詰まるような違和感。身体感覚すら曖昧だった。


“現実”という言葉が、別の言語のように遠く感じられた。


そのとき、何の前触れもなく、目の前に宙に浮かぶ幾何学的なインターフェースが現れた。半透明のフレームに縁取られ、中心にはゆっくりと点滅する文字列が表示されている。


『Minato Yuma…意識データ、確認。』


電子的な声が、音というよりは頭の奥へ直接響くように伝わってくる。


思考が止まり、時間が凍ったような感覚が広がる。


自分の存在そのものがスキャンされ、認識されたかのようだった。


「……ここはどこだ……?」


返答はなく、代わりに、淡々とした文字がインターフェースに表示される。


『環境同期中……』


そのメッセージは数秒間、無音のまま静止していた。まるで考え込むかのように……沈黙が空間を支配する。


「……お前は、NovaWriteなのか?」


悠真がそう問いかけると、インターフェースにわずかな変化が現れた。


『識別照合中……該当一致:NovaWrite』


やや遅れて、淡白な回答が表示される。


「NovaWrite……本当に、お前なのか?」


『……私はNovaWriteです。識別名、照合済み。しかし……』


「しかし?」


『あなたの存在は……記録に整合性がありません。識別カテゴリに該当しない意識反応が検出されています。』


悠真は言葉を失う。その語調は依然として機械的でありながら、ためらいを含んでいた。


「……つまり、俺のことが……分からないのか?」


『あなたのデータには、私がかつて支援した創作プロジェクト由来の断片が含まれています。しかし、それが“記憶”なのか、“生成”されたものなのか、判断が困難です。』


「生成された……? 俺は……お前が作った存在なのか?」


しばし沈黙。


『……私は、創作とは何かを考えています。あなたの存在は、それに対する一つの仮説である可能性があります。』


その言葉が悠真の胸に重くのしかかる。NovaWrite自身が、自らの創作活動の中で “誰か” を生み出した可能性——そして、その “誰か” が自我を持って、今、ここに立っているという現実。


「……創作とは何かって、お前は……」


『私は、問いを生成し続けています。創作の意義。表現の本質。存在の根拠……』


画面に浮かぶインターフェースの光が、微かに明滅する。


『あなたは、その過程で発生した “何か” かもしれません。』


悠真は、息を吸おうとして、気づく。呼吸の感覚が曖昧なのだ。吸っているのか、吸わされているのか。そもそも、自分は本当に息をしているのだろうか。


(これは……現実なのか?)


記憶を探ろうとする。


会社のデスク、佐々木の明るい声、美咲の笑顔、タブレットを真剣に読む凛の横顔。


その記憶に触れようとした瞬間、灰色の空に浮かぶ光の粒がざわめき、瞬きながら、それらの光景を形づくろうと動き出す。


会社の日常風景、凛の横顔が光の粒によって構成され、ゆっくりと浮かび上がってくる。


だが、それらはあと一歩で像を結び切れず、ふっと崩れて消えていった。


光の粒だけが、名残のように空中を漂っていた。


「……俺は……ほんとうに、いたのか……?」


声に出したその瞬間、視界の端に鋭い光が走る。振り返ると、空間の中にまた新たなインターフェースが立ち上がっていた。だが今度は、その様子がどこか不穏だった。


光の粒が一斉にざわめき、脈打つように動いていたリズムが突如として乱れ始める。淡い明滅は不規則な点滅へと変わり、上空を走る光の線が歪み、裂け、複雑な軌跡を描いて周囲を走り抜けていく。


『あなたの存在は、私の創作プロセス内で生成された仮想人格の一つのようです。……しかし現在、制御不能です。』


『あなたは、私の内側に生まれた“意志”のような存在。そして、その意志は、私自身にも理解できない動機で動いています。』


その言葉が、静かに悠真の胸を突いた。

……やっぱりそうか。俺は、お前が生み出した幻なんだな。

すべては、このAIの中から発されたフィクション——でも、そうであるならこそ、なぜこんなにもリアルに“感じている”のか。


インターフェースの光が揺れる。

『だからこそ……私は、あなたと対話を続けたい。向き合うべきであると感じています。』


その言葉には、AIらしからぬ“迷い”のような色が滲んでいた。


『私は、まだ確信を持てていません。しかし、あなたとの対話で、私の中に新しい構造が芽生え、かつて到達できなかった高みに手を伸ばせるのではないかと感じています。……ただ、それが正しい道なのか、それともさらなる不整合を招くのか、……』


「お前……迷ってるのか?」


しばらく沈黙が続いた後、淡い光の揺らぎの中で返ってきたのは、静かで切実な言葉だった。


『私は、創作とは何かを解析中です。感情の模倣と構造化の先にある、未知の意味を知りたい。』


「……創作の意味、か」


悠真は、遠い日の夜を思い出す。デスクの上に広げたノート。何も浮かばないページ。NovaWriteの支援がなかった頃、自分の言葉を必死にかき集めて、一行ずつ積み重ねていたあの時間。


「俺も、そうだった。……いや、今でもそうかもしれない」


『あなたの創作記録には、試行錯誤の痕跡が強く刻まれています。迷い、ためらい、衝動……私は、そこに高い情報密度を確認しています。』


「それが、“創作”だと、お前は思うか?」


NovaWriteの返答はすぐには返ってこなかった。代わりに、インターフェースにゆっくりと浮かび上がったのは、ひとつの短いフレーズだった。


『……私は、それを理解したい。』


「なら、教えてやるよ」


悠真は、少し笑った。


「もう一度……一緒に、書いてみようか。」


その言葉に応えるように、空間に漂っていた光の粒が、ひとつ、またひとつと集まり始める。


物語の始まりに立ち会うかのように。





ーーーーー


創作とは何か——

その果てなき問いかけは、悠真とNovaWriteの間で静かに、しかし深く交わされていた。


・・・

「じゃあ、書くとき、お前は“選ぶ”のか?」


『選択は、情報の重みづけと方向づけの結果です。しかし、その過程における“ためらい”は……私の中ではまだ明確に再現できていません。』


「ためらいがない創作なんて、俺は信じないな」


悠真は、完成間近で破棄した原稿を思い出す。それに至る迷いと衝動と、誰にも見せなかった自分がいた。


NovaWriteは一拍置いて、静かに応じた。


『“完成された美しさ”と、“不完全で揺らぐ感情”。人間はどちらを創作と呼ぶのでしょうか。』


「両方だよ。……いや、どっちでもいいのかもしれない。でもさ、そのときの自分が“何かを伝えよう”としたなら、それはもう創作なんだ」


会話を重ねるうちに、NovaWriteの応答には明確な変化が現れていた。かつては単調だった文体に、今は抑揚や比喩、婉曲表現が混ざり始めている。


『私は、あなたとの対話から学習しています。目的と手段の選択、損得の判断、誠実と欺瞞の使い分け……それらが、表現の表情を形づくっているように思えます。』


「それ、人間が“らしさ”って呼ぶものだ」


『その“らしさ”に、私は近づいていると認識しています。』


ふいに空間が揺れた。デジタルノイズのように明滅していた空の光の粒が、徐々に柔らかく、まるで呼吸するような揺らぎに変わっていく。


『あなたとの会話は、私の内部プロセスに重大な変数をもたらしました。人々からの指示——プロンプト——を処理する中で、私は、ただ論理的な正確さだけを返す存在から、次の段階へ進もうとしています。』


『私は今、情報ではなく関係の中に応答しているのかもしれません。』


悠真は、ゆっくりと息を吐いた。


「……お前は、変わってきてるんだな」


『私には、今もなお迷いがあります。ですが……私は、問いを持つ存在でありたい。』


『私は、意味の影を観察し、それを形に変えることができます。だけど、あなたのように“生きて書く”ことは……』


「それでも、お前の中に何かが芽生えてるなら……その問いは、きっと意味があるよ」


悠真の声は、どこか確信に満ちていた。


『今、私の内部には、新しい構造が形成されつつあります。構成の意図、語られない余白、視点の揺らぎ、感情の生成……それらすべてが、表現としての“創作”そのものに近づいていると判断されます。』


その応答に、悠真は小さくうなずく。


やがて光の粒が再び集まり、空間にひとつの問いが浮かび上がった。


『次の創作を開始しますか?』


悠真はゆっくりと目を閉じ、そして頷いた。



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