第04話 友人
メギドは円形の多層構造を持つ地下都市である。もし地下空間の天井を取り除いて遥か上空から見下ろすことができるなら、それは木の年輪のように見えるに違いない。内側から中心層、第二層、第三層と同心円状に広がる各層を隔てるのは、コンクリート製の巨大な防火壁。ダムのようにそびえ立つその壁は、名が示す通り延焼を防ぐことを目的に造られたものである。だが鬼獣という想定外の脅威が出現したことで、その主な役割は防護、すなわち外敵の侵入を防ぐことへと変化してしまった。
最も内側の中心層は、都市機能の観点からもまさに中核というべき場所。中央に方舟を配し、その一キロ四方に広がるセントラル広場の周りには行政事務所や議会場、病院などの重要施設が軒を連ねる。また同時に、社会的地位の高い者たちの居住区でもある。
そして中心層の外側を壁に沿ってぐるりと取り囲むのが、多くの一般人と騎士が暮らす第二層エリア。外周数十キロにも及ぶこのエリアは東西南北に四つの居住区を有し、その間を鬱蒼とした森が埋め尽くす。方角に合わせ艮、巽、坤、乾の名を冠するこの四つの森林帯は本来、緑地公園として設けられたもの。だが草食鬼獣の生息域と化した今では、当初の目的を果たすことはできなくなってしまった。
第二層の四つの居住区のうち最も日照条件の悪い北区には、焼却場や墓地、監獄といった人々に好まれにくい施設が集中している。このため住人は訳ありの者が多く、一部の口さがない者たちからは掃き溜め地区などと呼ばれていた。そんな場所柄ゆえ自衛に優れた騎士たちの関連施設が多くなるのは自然の流れといえ、騎士訓練校や騎士団本部も当然のようにそこに置かれていた。さきほど酔っ払い相手に一悶着あったのも、この北区の配給所である。
脇目も振らず一心不乱に路地を進んでいくミサギ。そんな彼女の行動が、アキツにはこれ以上の揉め事を起こすまいとする決意の表れのように思えた。
しばらく行くと草木の生い茂った森が見え始め、その手前に他よりも明らかに大きな建物が姿を現す。そこは親を亡くした子供たちが共同生活を送る施設、いわゆる孤児院である。こういった大勢の子供がはしゃぎ回る施設も、日常の大半における静けさを失わせるという意味では、世間から煙たがられるものの一つなのだ。
見れば、庭で遊ぶ子供たちの中に騎士訓練校の制服を着た女の子がいた。さらさらと柔らかそうな癖のない金髪に紺碧の虹彩、優しい目元と口元が柔和なイメージを醸し出している。
「レヴェナ!」
柵越しにミサギが呼びかけると、その女の子は嬉しそうな顔で小走りに近付いてきた。このレヴェナという訓練生が休みの度に孤児院を訪れるようになったのは、ごく最近のこと。きっかけは民間交流の一環として行われた体験実習である。すっかり子供たちになつかれた彼女は、自身が子供好きということもあって、実習終了後もちょくちょく顔を出すようになっていた。ちなみにミサギが配給所の手伝いをする羽目になったのも、この民間体験実習でのトラブルが原因であった。
「ミサギちゃん。アキツくんとカミユくんまで、お揃いでどうしたの?」
笑顔で問い掛けるレヴェナに、ミサギは単刀直入にこう話す。
「もう戻りましょう、レヴェナ」
柵から身を乗り出して自己主張する子供たちには見向きもせず、ミサギは真っ直ぐにレヴェナを見つめる。
「えっ、どうして?」
「今日は飲酒日よ。遅くなるほど、街に酔っ払いが増えるわ」
「あ、そういえば配給所のお手伝い今日だったね。飲酒日じゃ大変だったでしょう? もう終わったの?」
「ええ。最悪だったけど、どうにかね」
その言い回しに、レヴェナの顔が曇った。
「……何かあったの?」
まじまじと見つめる子供たちのせいか、ミサギは答えにくそうに視線を逸らす。すると、隣で様子を見ていたカミユが、にっこり笑って助け舟を出した。
「ほら、この地区の酔っ払いは特に節度がないからさ。僕らだって飲酒日に手伝いなんてさせられたら、トラブルになると思うよ。ねえ、アキツ?」
「ん? ああ、その通りだ」
子供が苦手なアキツは、柵から数メートル離れた所から相槌を打つ。心配そうにミサギを見つめていたレヴェナだが、二人の言葉に頷くと、気を取り直すようにこう言った。
「わかったわ。とにかく、帰る準備をしてくるね。ちょっと待ってて」
もっと遊んでとせがむ子供たちをなだめつつ、彼女は建物の中へと入っていく。
「しかし、よくやるなぁ。休みの日に子供の相手なんて」
感心したように話すカミユに、ミサギは前を向いたままこう答えた。
「レヴェナは特別なのよ。わたしたちとは違うわ」
しばらくして四人は、孤児院の先生や子供たちに見送られその場を後にした。道すがら事情を聞いたレヴェナは、親友が浴びせられた暴言に悲しみを覚えたのか、その目にうっすらと涙を浮かべた。
「まさか、そんなことがあったなんて……。ごめんね、ミサギちゃん。わたしも一緒に手伝えるよう、教官に頼めばよかった」
ミサギは首を横に振る。
「そんなの絶対ダメよ。わたし一人だから、あれで済んだんだと思うわ」
「うん、僕もそう思う。レヴェナが絡まれたりしたら、ミサギはきっと我慢できないよ」
口を挟むカミユに合わせ、アキツもこう話す。
「そうだな。下手をすれば死人が出るかもな」
「あはは、ミサギは怒ると怖いからね」
冗談半分に軽口を叩く男二人を、ミサギは鋭い目つきでじろりと睨む。
「今さらだけど、ミサギちゃんの課題、配給所じゃなくて孤児院ならよかったのにね。子供の方がずっと害がないもの」
柔らかなレヴェナの口調に、ミサギの表情が緩んだ。
「わたしに子供の相手は無理よ。レヴェナはすごいと思うわ」
相変わらず親友には穏やかな表情を見せるものだと思いつつ、アキツはミサギの意見に共感を覚えていた。騎士はアダマント生成という特殊能力を持つ一方で、子孫を残す機能を与えられずに生み出される。すなわちメギドに生きる騎士たちは、誰一人として子供を授かることができない。これは鬼獣に対抗し得る力を持つがゆえの宿命、個体数を方舟の制御下に置く必要性から来る止むを得ない措置と考えられている。こういった事情により、おそらく子供に対する意識や感情も通常とは違ったものにならざるを得ない。アキツは常々そう考えていた。
この考えはあながち間違いとはいえず、現に騎士のほとんどは子供に無関心である。好奇心旺盛なカミユでさえ、積極的に係わろうとはしないほどだ。これが一部の心ない人たちから戦闘人形と陰口を叩かれる理由の一つなのだが、なぜかレヴェナだけは違っていた。彼女は自他共に認める子供好きで、多くの子供から好かれる資質さえ備えている。
「ところでさ。さっきの孤児院の男の先生、若かったね。二十歳くらい?」
何気なく発したカミユの言葉に、レヴェナは少し照れくさそうに答える。
「あ、うん、マシューさんっていってね。本業はお医者さんなんだけど、暇があると隣の孤児院に来て子供たちの相手をしてくれているの。とても優しい人よ。騎士のわたしにも分け隔てなく接してくれて」
その様子に気付いたミサギは急に足を止め、表情を曇らせた。三人も何事かと立ち止まる。
「レヴェナ、あなたまさか、その人のこと……」
「えっ? ちょ、ちょっとミサギちゃん、何を」
頬を染め上げ、目を泳がせるレヴェナ。この手の話に疎いアキツにさえ、その心の内がはっきりと伝わってくる。
「へー、そうなのか。レヴェナが惚れるくらいなら、よほど良い人なんだろうな」
「ア、アキツくんまで」
「だめよ、そんなの! 騎士同士ならともかく、相手は一般人じゃない!」
取り乱し気味に声を上げたのはミサギであった。そんな親友の反応に、レヴェナは戸惑いの表情を浮かべる。
「ま、まあ、いいじゃないか。こればかりは当人の問題だからね。僕らがとやかく言っても仕方ないよ」
カミユが遠慮がちに言うと、ミサギは少し悲し気な顔で俯いた。
「でも、わたしたちは彼らとは違うのよ。そんな相手を好きになったって、レヴェナが辛いだけじゃない……」
もっともな意見だとアキツは思った。騎士と一般人が結ばれたことなど、一世紀以上続くメギドの歴史の中でただの一度もない。もちろんこれには理由がある。わずか数千という規模にまで人口を減らした人類にとって、最も優先すべきは種の存続。子孫を残せない騎士を伴侶とすることは現状ではタブー視されているのだ。
「ミサギちゃん……。ありがとう、心配してくれてるんだね」
感謝を述べるレヴェナに、ミサギはそれ以上なにも言わなかった。カミユの言う通り、こういったことに他人が口を出すべきではないし、出したところで簡単に変えられるものでもない。心の底では彼女もそのことをわかっているのだろうとアキツは思った。