第10話 失踪
「マシューさん、聞き取りの方はどうでしたか?」
「はい、ナナがルアンの行き先を知っているそうです」
マシューと呼ばれた男はそう言って、傍らに立つ小さな女の子に目をやる。レヴェナはしゃがみ込むと、その子の両肩に優しく手を添えながら尋ねた。
「ナナちゃん、お姉ちゃんに教えてくれる?」
女の子はこくんと頷く。
「あのね、男の子たちが話してるのを聞いたの。ルアンが騎士団ごっこにまぜてって言ったら、大きい子たちがダメって言って、それでもルアンがお願いしたら、度胸試しができたらまぜてやるって」
「度胸試し?」
「うん。お水が出る小さなお池からお守りを取ってくるの」
ナナは「これだよ」と言って、ポケットから小さな円盤状の物体を取り出す。それを覗き込むように、カミユが横から首を伸ばした。
「これは、古い硬貨だね。昔、地上で使われていたやつだよ」
「いいでしょ? ずっと前にトマスお兄ちゃんがナナにくれたの」
「ナナちゃん、その水が出る池ってどこにあるの?」
レヴェナの問い掛けに、ナナは「あそこ」と言って艮の森を指差す。
「え? まさか……」
アキツは驚愕した。第二層の森林帯は草食鬼獣の生息域である。もし一般人が縄張りに入れば、たとえ大人であっても命の危険に及ぶ。皆が青ざめる中、カミユだけが冷静な口調でナナに尋ねた。
「ねえ、ナナちゃん。そのお守りを持っている子ってたくさんいるの?」
ナナは指を折って数えると、両手で七の数を示しながら「このくらい」と答える。それを見たカミユは、レヴェナに顔を向け、安心した様子で言った。
「なら大丈夫かもしれないね。これまでに七回も度胸試しを成功させているのなら、池のある場所は縄張りから外れている可能性が高いはずだよ」
それでもレヴェナは、まだ不安を拭い切れないといった顔でこう話す。
「とにかく、男の子たちに確認してみるわ。マシューさん、行きましょう」
マシューは頷き、レヴェナと共に走り出す。するとなぜかナナまでもが、二人の後を追いかけていった。その場に残される形となった三人。アキツは柵に寄り掛かりながら、溜息まじりに言葉を漏らす。
「しかし、鬼獣の生息域と孤児院を隣接させるなんて感心しないな。いくら人口が収容限界を超えているとはいえ、もう少し何とかならないのか」
「うん、僕もそう思う。住居や施設の割り当ては方舟の指示だっていうけど、別に強制力があるわけじゃないからね。議会で話し合って決めればいいと思うんだ」
「ダメよ、そんなの。議会の構成メンバーって、騎士総長を除けば全て一般人じゃない。しかも世襲制よ。労せずして特権を手に入れた連中なんかに管理を任せたら、わたしたち騎士は住む場所を失いかねないわ」
ミサギは吐き捨てるように言った。カミユが「はは、それは言えてる」と同意する隣で、アキツはあることを思い付き、腕時計に目をやった。
「なあ、迷子のこと今のうちに盾の騎士団に知らせておかなくていいのか? この時間帯だとしばらくは見回りに来ないだろうし、詰所まで行くとなるとそれなりに時間がかかるぞ」
カミユは少し考えた後で、こう答えた。
「……いや、あまり騒ぎ立てない方がいいと思うよ。騎士団の活動報告は議会の連中も目を通すからね。今回の件が明るみに出れば、孤児院の先生だけでなく、レヴェナまで責任を問われかねない」
「そうね、わたしもそう思うわ。騎士への処分は一般人より厳しいから、レヴェナが関わっているなんて知れたら大変よ。とにかく今は待ちましょう」
ミサギはそう言って軽やかに門柱に飛び乗ると、森の方をじっと見つめる。きっとルアンという男の子が戻ってくるのを見張っているのだろうとアキツは思った。
「万が一の時は、俺たちで何とかするしかないということか」
「うん。そうならないことを祈るけど……」
だがそんなカミユの祈りも空しく、慌てて戻ってきたレヴェナの表情はすでに事態が急を要する段階であることを告げていた。それは、何かの鞄を抱えて戻ってきたマシューもまた同様であった。
「レヴェナ、どうだった?」
「池までは子供でも数分で往復できる距離だって。でもルアンがいなくなってもう二十分くらい経過してるの。男の子たちは、きっと道を間違えたんじゃないかって……」
ミサギの問い掛けに答えるレヴェナの顔は、ショックのあまり血の気を失っていた。アキツたちは顔を見合わせ、頷き合う。
「よし、探しに行くぞ」
「え?」
アキツの突然の号令に、レヴェナは驚く。すかさずカミユが説明をした。
「一般人の危険地帯への無許可立ち入りは重罪だからね。公になれば孤児院の先生だけでなく、君らの責任まで問われかねない。だから盾の騎士団には知らせず、僕らだけで解決しようってわけさ」
さらにミサギが言い添える。
「仮に遭遇したとしても、相手は危険レベル1の草食鬼獣よ。数にもよるけど、卒業間近の訓練生が四人もいれば問題ないはずだわ」
呆気に取られたような表情を見せていたレヴェナだが、友人を巻き添えにはできないという気持ちが湧き上がったのか、慌てて説得を試みる。
「で、でも、みんなを巻き込むわけには――」
「言っても無駄よ、レヴェナ。あんたが困っているのを、わたしたちが黙って見過ごすと思う?」
止めとばかりのミサギの一言で、レヴェナは出しかけた言葉を飲み込むかのように口を閉ざした。もし逆の立場なら、自分も同じ選択をする。彼女はそれに気付いたのだろうとアキツは思った。
「……うん、わかった。みんな、ありがとう。マシューさん、わたしたちでルアンを探してきます。夕方になっても戻らない場合は、盾の騎士団に知らせてください」
だが、彼の返答はアキツの予想に反したものだった。
「いや、私も同行します」
全員の視線がマシューに集まる。その言葉を聞いて、アキツはようやくマシューが商売道具らしき鞄を抱えていた訳を理解した。真っ先に抗議の声を上げたのはミサギであった。
「ちょっと、馬鹿言わないで! あんた、一般人でしょ? 足手まといだって、わからないの?」
「それはわかりますが、私は医者です。もしルアンが怪我を負っていた場合、助けられるかもしれません。皆さんが怪我をした場合も同じです」
「だからって……」
「マシューさん、危険過ぎるわ。鬼獣というのは、騎士だって一歩間違えれば命を落とす相手なんですよ」
そう心配するレヴェナに対し、カミユがあっけらかんと話す。
「まあいいじゃない、二人とも。マシューさんだって危険は承知の上だよ。それでも助かる確率が少しでも高い方法を選びたいのさ。ねえ、アキツ?」
「ん? ああ、そうだな。男には、ここぞという時が――」
「そんなの女だって同じよ、馬鹿!」
遮るようにミサギの罵声が飛ぶ。
「とにかく、ルアンがいなくなったのは私の不注意なのです。私には、彼を無事に連れ戻す責任がある。さあ、行きましょう。こうしている間にも、時間が……」
そう主張するマシューを後押しするかのように、アキツは声を発した。
「マシューさんの言う通りだ。言い争いをしている場合じゃない。すぐに出発するぞ」
走り出す男三人の後に、ミサギとレヴェナも追従する。
「まったく、どうなっても知らないから」
ミサギの文句にアキツが振り向くと、ふくれっ面の彼女の横で、レヴェナはなにか強い決意を抱いたかのように、強い眼差しで前方を見据えていた。