第一話 ある晴れた日のこと
「母さん!母さん!!!」
「生きて、ハルト。あなたは希望。あなたは光。これからもあなたには平穏な日常を送って欲しいけど、もしどうしようも無くなった時はそれを思い出して」
「母さん!嫌だ!嫌だよ母さん!!!」
「……私も嫌。私もずっとあなたと生きたかった。でもケジメはつけないといけないわ。私は納得しないと先に進めない。あなたと一緒に生きることが出来ない。だからコレは私自身に納得する為の戦い…もし勝てたら、またあなたを抱きしめに戻るからね」
「嫌だ!!一緒に来てよ!!!母さんっ、母さぁん!!!!!!」
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「っ!!!……はぁ…はぁ………また、この夢…か…」
「どうしたハルト?悪夢にでも魘されてた様だが、いつものか?」
「……あぁ。うん。いつもの。でも今回はとびきりの悪夢だったよ…もう何度目かな。この夢を見るのは…」
「……」
ふと悪夢から目を覚ますと。そこはもう雪国であった。どうやら俺は馬車の中で気付かない内に眠ってしまってたみたいだ。
そうして悪夢を見ていた。何十回、何百回と見たあの悪夢。母さんが俺を守る為に死んだ時のあの光景。嫌な夢だ。何か特別に嫌なことが起こる日には決まってこの夢を見る。
「野暮用が出来た、北方へ行くぞ。お前を一人残す訳にはいかないからな、着いてこい」
そう言われて俺たちが住んでいた村を出たのはもう四日も前の話だ。突拍子も無い旅の知らせに俺は驚いて理由を尋ねたが、オヤジは一向に答えようとはしなかった。俺を不安にさせないように意図的に理由を隠しているようにも見えるが、何か重大な事件があったのだろうか?
そんな疑問を抱えながらも一人村に残ることが嫌な俺は、オヤジに着いて結局北方と呼ばれる殊更寒い大地に到着したのであった。
「なぁなぁ。いい加減理由を教えてくれたっていいじゃねぇかオヤジ。なんでこんなとこに来たんだよ?」
「……」
「教えてくれよオヤジ。結局ここまで来ちまったんだから、なんだっていいじゃんか。てか、なんも伝えられてないんじゃ流石のオヤジ相手でも納得出来ないぜ?」
「…そうだな。…まぁ、ここはな、俺が生まれ育った場所なんだ」
恐らく目的地であろう街へ到着した俺たち二人は馬車から降り、雪道をのそのそと歩きながら会話をする。そんな中俺の問いかけに純金の腕輪を鳴らしながらオヤジは面倒くさそうに答えた。けれど、その勇ましげな顔に皺を寄せているあたり何か意味ありげな様子だ。
当然俺は釈然としない。
俺がここへ来たことをこんなに疑問に思うのも無理は無いだろう。あの日母さんが死んで母さんの旧友であるオヤジに引き取られた俺は、十年以上の時を片田舎の村で誰とも関わることなくひっそりと暮らしていた。時たま遠出をすることはあっても、隣町や隣国に出向く程度で基本的に拠点を移すことは無いし、平穏を望む俺とオヤジはその気も無かった。
しかし先にも言った通り、オヤジは急に北方へ行くと言い出したのだ。その上辿り着いた街には露店はおろか、家畜すらおらず、人とも殆ど出会わないような廃れきった街だったので俺の不信感は最大値に達する。
仮に生まれ育った街だったとしてもここに用があるとは思えないのだ。復興支援をするにも既に手遅れで、俺達にはどうにも出来ないと思う。
「やっぱり納得出来ないよ。こんなとこ…って言うのもあれかもしれないけど、でもここに何か用があるとは思えないって。そもそもなんでこんなにボロボロなのさ?」
「ふむ。まぁそう思うのも当然だよな…」
オヤジは煩わしそうな顔をして、ため息を吐いた。
「ここは…数十年前に戦争があった場所なんだ。それも北方全土を巻き込んだ史上稀に見る大戦争。多くの国が参戦し、多くの国が滅び去ったラグナロク。こんな小さな街はあっという間に廃墟になっちまったって訳よ。
俺は傭兵として働いていたんだが、過渡期にミシュと出会って逃げ出すことが出来た。しかし、そうすることが出来なかった人間達は今もこうして陰鬱な生活を送っているのだ」
ミシュ。
死んだ母さんの名前が出てきて俺はハッとする。そう言えばそんな話を聞いたことがあった。あまりにも悲惨な戦争が北方で起こり、大国は相打ちの様な形で滅び去ったと。見たことの無い世界のことなんて気にも留めたことが無かったし聞くことも無かったが、そんな俺に唯一母さんが教えてくれた戦争の話。
成程、オヤジと母さんはそこで出会っていたんだな。母さんが何故そこにいたのかはわからないが、正義感の強い母さんのことだ。いてもたってもいられず北方に助け舟を出したのだろう。
「じゃあやっぱり復興の手伝いに来たってこと?ちょっと無駄な気はするけど、それならそうと初めから言ってくれれば良かったのに」
「そりゃそれが理由なら言っていたさ。だが今回はその為に来たんじゃねぇんだ。少し危険な話だ。これを話すとお前のいつもの“知りたがり”が発動すると思ってな。それで黙っていた…と言うのも、最近、北方で随分黒い噂を耳にしてな」
「黒い噂?」
形見のネックレスをブラつかせながら俺は首を傾げる。
「あぁ。北方の生き残った街はな、以前のような暮らしは出来なくとも帝国の援助を受けてどうにか“平穏”には暮らせていたんだ。少なくとも何か大々的な事件が起きるとか紛争が多発するとかそんなことは無かった。
しかしだ。最近墓荒らしと行方不明者が多発し、惨殺された遺体が見つかることも多いんだと。何なら村一つが一晩で滅ぼされたなんて事例もあるらしい。ま、最後のは流石に眉唾な話だが」
「異常だろ?」とオヤジは語った。確かにそれが本当なら尋常ではない事態だ。この世界がどうとか、自分が平穏に生きられているなら興味は無かったが、話だけ聞くとどう考えてもやはり異常事態だと思う。
ただ、何より異常なのは帝国の庇護下にあると言うのにそんな事件が起きているということだ。世界最大にして最強の帝国アストラン。片田舎に住んでいた俺ですら何度かは聞いたことのある強国の名前だ。であれば、数百年前から世界の治安を維持し続けてきた帝国がそれを黙認する訳が無いだろう。では、帝国ですら対処出来ない問題なのだろうか?
そんな新たに生まれた疑問を他所にオヤジは珍しく口数を増やす。
「ここには何人か知り合いがいるんでな。とりあえずは心配で様子を見に来たってとこなんだが、やっぱりこりゃ異常だぜ。なんせ…」
「何せ?」
「その知り合いが一人残らず消えちまっているんだからな」
オヤジは神妙そうな顔でそう言った。
聞くにオヤジの知り合いは行商人らしく、街の人達によると二日前に街を出たきり姿を見ていないらしい。仕事柄街の人達はあまり気にしていない様子だったそうだが、
「そんなことは無い。さっき俺らが見に行った家はその知り合いの家だが積み荷がそのままだった。運送業を営んでおいてそんなことはねぇだろ。つまりあいつらは一度帰ってきたが、何か理由があって外へ出たということになる」
「何かしらの理由か…じゃあ今からそれを明らかにしに行く訳ね」
「そうだ」
気付けば俺達が歩いている場所は街から少し外れていた。廃れきった街は街以外の場所との境界を曖昧にしているが、既にここはひらけている。家屋の一つも見当たらないあたりここは街道…と言うべき場所なのだろう。そこを足早に歩きながら朝日に照らされるオヤジは話を続けていた。
俺は「はぁ」とため息をつく。
こうなったオヤジは梃子でも動かないことを知っているからだ。
偉丈夫な見た目通り頑固で寡黙。ぶっきらぼうな物言いの割に、傭兵時代の名残か金勘定に関してはしゃんとしている。一度金を受け取ったならその金額以上の働きを必ずして、依頼主との関係は保持し続ける。次回からは半額サービスなんかをしちゃう何だかんだで義理人情に厚い男…だったらしいが、それが俺のオヤジだ。 恐らく今回の行商人達とも“仕事”での付き合いがあったのだろう。となればオヤジはその行商人達を見つけるまでは帰らない。例えその道行に危険が孕んでいようとも。そして俺も、気になってしまった以上は引く訳にいかない。
「わかったよ。止めても行くんだろ?俺も着いて行くって」
こんな寒い中億劫だし、意味のある行動かどうかはわからない。だが俺にも母さん譲りの正義感が多少はある。人の為に何かをするということがそこまで嫌ではない。
それに実際、言う程の心配事は無い。何かあったとしてもオヤジが守ってくれるという安心感が俺にはあるからだ。
何せオヤジは『神格者』と呼ばれる神に選ばれた人間。常人の何倍もの身体能力と治癒能力を併せ持ち、その上それぞれ固有の特殊能力を備えた正しく“超人”。オヤジは頑なに能力の詳細については語ろうとしないし、何度聞いても「戦闘向きの能力じゃあない」の一点張りだが、それでもオヤジの強さは日頃から戦闘訓練を受けている俺が最も良く知っていた。
「ま、いざとなったら神格者様のオヤジが守ってくれるしな〜。いや能力は知らないけどさ」
「そんな期待をするな。ワシは戦闘向き野能力じゃあないと何度も言っているだろうに」
「とは言ってもさ、神格者って炎を出したり氷を生成したり出来るんだろ?いいじゃんかっこいいじゃん!いい加減身内の俺にぐらい教えてくれたっていいのに」
世界には色んな神格者がいる。そう教えてくれたのはオヤジだ。一度その話を聞いてしまった俺は気になってしまって仕方が無く、神格者の話は毎回ワクワクする。よくオヤジにどんな能力者がいるか聞き立てたものだ。
「たわけ。余程の馬鹿じゃあ無い限り自分の能力はそうそう明かさねぇんだよ」
「じゃあ馬鹿になってくれよオヤジ〜」
「うるさい馬鹿め」
俺達は軽口を叩き合う。いつしかオヤジの歩速もゆったりしてきていた。知り合いのことでずっと頭を痛めていたようだけど、少し和らいだだろうか。
やっぱり俺はピリピリした空気が好きじゃない。出来ることならいつでも笑って暮らしたい。苦しいことや悲しいことなんて何一つ起こらず、大切な人と平穏に過ごせる日々が一番の理想だ。
そんなことを考えながら俺達は歩を進めていたのだが、
「?」
急に歩みを止めたオヤジが目を細めて何かを見つめる。俺も真似してその視線の先に目を向けた。
「何だアレは…?」
そこには珍妙なオブジェの様なものが置かれていた。
“オブジェ”と呼称したのはそれ以外に形容する言葉が見当たらないからだ。
それは寒さからか大部分が凍ってしまっており赤黒い色で全体を染めている。刺々しい黒い氷柱が四方八方に飛び出していて禍々しい雰囲気を醸し出したそれはこの一面の銀世界に似合わない。山も木々も雪で白く覆われていると言うのに一点だけ、針で穴を開けたように黒いのだ。不気味さを抱かない方が無理だろう。
凄く端的に言うならモーニングスターの先端部分。そう表現出来るだろうか。そんなオブジェへの苦手感は拭えないが、それでも正体を確かめようと近付いていくオヤジに俺は着いて行った。
そしてすぐに、近付いたことを後悔する。
「うげぇッ!?」
目が合ってしまったのだ。比喩でも何でも無く本当の“目”。人のそれでは無いものの、一目で作り物では無いとわかるもの。当然生気は感じられないのだが、紛うことなき肉体の一部。俺はすぐに理解する。
ーーーこれは馬であると。
「何だ…コレは…」
オヤジが先の台詞を反芻した。これに関しては俺も全くの同意見だ。馬であったはずのこれが何なのかなんてわかるはずも無い。ジワジワと恐怖が全身を覆っていくのを感じる。
「馬が、内部から弾けてる??」
近くで見たオブジェはその言葉の通りだ。まるで内部に埋め込まれた爆弾が炸裂したかのように馬は弾けており、首から上の部分と少しの尾っぽ、そしてかつて荷台だった木片を散らしながら噴出した血でそれらを固めている。赤黒い色は血によるものであった。
あまりに生物としてのカタチをかけ離れているため吐き気を催すことは無いのだが、その分さっきよりも恐怖は何倍にも増しており、総毛立つ様な感覚を覚える。
「オヤジ…これってまさか」
「あぁ。こんな馬鹿げた真似が出来るのは間違いなく……神格者だろうな。まさか件の事件もコイツがやったのか?」
神格者の話をしていた矢先にこれだ。俺は不安な面持ちを抑えきれず膝頭を少し震わせた。
「…なに、心配せずとも深入りはしねぇよ…ただ、一つだけ確認したいことがある」
「確認?」
「この道の先だ」
そう言ってオヤジが指し示した地面は、確かに他よりも雪の積もりが緩く溝のような浅い道が形成されていた。そしてその道はカーブを描きながら山間部へと続いている。麓に当たるまで凡そ数百メートルと言ったところだろうか。
「っ、この道はオヤジの知り合いが逃げた道だって言いたいのか?そんなの有り得ねぇって…!いや…有り得るかもしれないけど、コレを見てまだ生きてるとは思えねぇよ!北方に獣害が多いってのは聞いてたけど、これはそんな生易しいもんじゃあない。オヤジであっても危険でしかないって!」
「……それでもだ。それでも納得しなきゃ先に進めない。
納得だ。ミシュも、俺も、何度も教えただろう。いざとなった時は自分が納得できるかどうか。自分に納得出来る行動なのか?それは何よりも大事なことだ。仮にアイツらが生きていたならば、それを見捨てる行為に俺は納得出来ない。俺はこれ以上後悔を重ねて生きる気は無い」
「いや……も〜…そう言うと思ってたけどさ…」
オヤジはいつでもこんな調子だ。何よりも自分に納得できるかどうかが判断基準で、それ以外の要因は大したものではない。
とは言え、かく言う俺もそうだ。気になってしまったことがあったらそれを詳らかにせずにはいられない。そうでなければ自分の行動に納得できない。まぁ今回ばかりはオヤジと正反対の意見なのだが。
しかし、俺が逡巡している間にオヤジは見る見る先へ進んでいく。急いで追いかけてみたが、オヤジは逸る気持ちを抑えられないといった感じ。
何とか追いついた頃には、そこは山間部にある洞窟の手前だった。
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オヤジが洞窟に入ってから数分。俺も既に洞窟の中にいた。
「心配せずとも確認したらすぐに戻ってくる。危険だからお前はここで待っていろ」
と、オヤジは言っていたが、その台詞を聞いてからかれこれ十分は経っていたのだ。そんなに洞窟が奥深くまで続いていたのだろうか?いやそんなことは無いだろう。そうであったならば深さを感知した時点で一度こちらへ引き返してくるはずだ。手負いの人間がそんな深い場所まで逃げ込むことは出来ないのだから。
だからこそオヤジが長いこと帰ってこないことには違和感しか無かった。洞窟内で迷ってしまった。なんてことは熟練の戦闘員であるオヤジに限って無いだろう。何か予期せぬ出来事に遭遇してしまったに違いない。
「お前はここで待ってろってオヤジは言ってたよな。……でも、でもだ!自分が納得出来る行動をしろとも言ってたはずだぜ…!」
いてもたってもいられなくなった俺は、そう自分に言い聞かせて洞窟内へ駆け出した。という次第である。
オヤジが無事ならそれでいい。が、無事で無かったのならここで動かなかった自分に俺は一生納得出来ないだろう。
そんなこんなで入って来た洞窟内は奥まで薄暗く、何とか視界は確保出来ているものの、一寸先の足場すらまともに見えていない。人が十人ぐらいは横並びで歩いて行けるスペースはあるのだが、それでも岩肌のゴツゴツした感じと凍てつくような気温の低さは凡そ人間の逃げ場としては不釣り合いな場所であると俺に再度認識させた。
奥の方でピチりピチりと水の滴る音が聞こえる以上急に崖という様なことは無いと思う。だが用心するに越したことはないだろう。俺は一歩一歩慎重に、けれど少し足早に先へ急ぐのだった。
もう数分はこうしているだろうか?もしかしたらこのまま洞窟は山の向こうまで繋がっていてオヤジもその知り合いも向こう側に行ってしまっているのかもしれない。そんな希望的観測を頭に浮かべながら歩いていたのだが、
ぐにゃり。
突如としてつま先に不快な感触を覚える。ぬかるみや雪では無い何かは俺にこの上ない悪寒を感じさせた。今まで経験したことの無い異様な緊張が全身を迸る。
嫌な予感に俺は瞳孔を大きく開きながらも、未だ暗転している足元を注視した。するとそこにあったのは、
「はっ、えっ?」
そこにあったものは、そして目にこびりついて離れないそれは、人の腕だった。肩の部分から炸裂するようにちぎれた正真正銘の人の右腕。そして手首には暗闇の中でも鈍く光る金の腕輪が見える。よく見慣れたあの金の腕輪が。
「えっ、なんで、オヤジの…?どうしてっ、えっっ」
狼狽した俺は素っ頓狂な声ばかりを出す。と言うか頭が全く纏まらない。
(なんでオヤジの腕が?誰が、何でこんなことを?さっきの馬と同じ奴か?いや、だとしたらオヤジは…誰が、誰がやりやがったんだこんなこと!)
四方八方に気を散らしながらも、湧き上がってきた怒りに身を震わせる。そしてその時、俺は初めて気がつくのだ。
俺の右脚も“内部から”刺し貫かれていることに。
「ッ!!ぐっ、あぁぁ!!!」
慟哭と共に俺は地面に崩れ落ちた。状況は一つも理解出来ないのに、痛みだけは馬鹿正直に俺の脳みそを襲撃する。
俺の脚はさっきのオブジェの様な形に変形しており、炸裂はしていないものの内部から黒い数本の棘が飛び出していた。出血がほとんど無いのと、針の様な太さであったことが唯一の救いだが、それでも痛いものは痛い。今まで経験したことの無いつんざくような痛みに俺は顔に皺を寄せた。嫌な汗が頬を伝っていくのがわかる。
だが、どうにか脳を正常な状態に戻し、俺は右脚を庇いながら前へと進んだ。
オヤジの腕があそこにあったということは、オヤジも必ずこの近くにいるはず。俺みたく脚に傷を負って動けないのかもしれない。はたまた顔面近くをやられて気絶しているのかもしれない。俺はまだ、どうにか動けるんだ。であるならば俺がオヤジを助けなければ。
「ハル…ト」
近くで俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。くぐもった低い声は明らかにいつもより活気が無いが、でも間違いなくオヤジの声だ。俺は安堵して前方の開けたスペースへ身を進める。開けた場所にはまだぼんやりと火を灯す松明が中央に落ちていて、さっきよりは周囲の状況がわかりやすい。恐らくオヤジが工面したそれを拾った俺は、暫くして岩壁に寄りかかるオヤジらしき人影を見つけたのだった。
「っ〜〜〜!!」
オヤジらしきと言ったのはこれをオヤジだと思いたくなかったからだ。
その人影に右腕が無いのは想像通りだったが、左側の脚も既に無く、それどころか脇腹の部分まで左半身は弾け飛んでいる。止めどなく流れ出る血で地面を濡らし息も絶え絶えなオヤジは、目を虚ろにさせてぼんやりとこちらを見ていた。俺はそんなオヤジの姿を見ていられなかったのだ。と言うより言葉が出てこない。なんと声をかけていいものか、震慄で動けない俺はただ地面を這いつくばって少しでもオヤジに近づくことしか出来なかった。
「……すまんなハルト。しくじった…神格者同士の戦闘は経験したことが無かったが…まさか遠隔攻撃が可能な使い手がこんな近くにいるとは……な」
「……おい嘘だろ…やめてくれ…もう、いいよ……もう喋らないでくれ…」
俺はオヤジの傷に手を添えてどうにか止血しようと試みるが滂沱と溢れ出るそれは止まる気配を見せない。いくら神格者と言えどこの状態から再生することは出来ないのだろう。 明らかな致命傷。あまりにも突然のこと過ぎてオヤジが死ぬという実感が湧かないが、良く考えればそもそもこの状態で生きていることが奇跡なのだ。
「……そうは、いかない…!俺はお前にまだ何も話せていない。それを話すまでは死ぬことなんて出来ない…死ねないんだ…!それはミシュに託されたことだから、伝えるまでは…死ねない!」
「喋らないでくれって!やめろ!まだ助かるかも知らねぇじゃねぇか!!!」
「……頼む。恐らくもうすぐに、敵がここへ来る。その前に聞いてくれ…」
敵。オヤジをこんな状態にしたヤツがどんな存在なのか、それが今最も気になるところだが、あまりの形相に今回ばかりはオヤジの懇願を優先することを決めた。
俺は涙で目をうるませながらオヤジの次の言葉を待つ。
「……お前にとってはあまりに突拍子の無い話だがどうか信じてくれ……お前は、選ばれた人間だ。神に選ばれ、人の世に選ばれた人間…誰よりも清く強い力を持った人間だ。お前の両親は、特別な力を持つお前が戦いの渦に巻き込まれない様に隠し、その意志を継いで俺もお前を隠し続けた。だが、それと同時に、もしお前が平穏な生きられないようなことが起きたらこのことを伝えてくれとも頼まれていた……
俺が死ねば、俺の能力も消える…お前を隠し通してきたこの力も効力を失う…だから今!…お前にこれを伝えなければならなかった……」
「……いや、な、…くそっ、何言ってるのかわかんねぇよオヤジ!!特別な力とか選ばれた人間とかいきなりそんなこと言われても俺にはわからねぇって……俺ちゃんと聞いてるからさ、落ち着いて喋ってくれよ…!いや、生きてくれよオヤジ!!俺に二度も家族を失えってのかよ!!!」
「……すまん…すまない…本当にすまない…俺もお前とずっと共に生きたかった…!お前と平穏に暮らしたかった!だが、それもここまでだ…俺は……ここで死ぬのだ」
「……!!」
かつて母さんが俺を逃がす時に言った言葉。それと同じ台詞をオヤジが吐いたことで、俺の精神は限界が来る。
嫌だ。嫌だ。さっきまで普通に話していたのに、そんなことは信じられない。なんで俺ばかり大切な人を失わなければならないんだ。なんで俺ばかりこんな目に合わなきゃならないんだ。
しかし、そう思っても、オヤジの息はどんどんか細くなっていくばかりで…
「お前も、俺と同じ神格者なのだ。その力は『光を操る』能力…!」
「…!?」
「悪に対して最大の特攻手段であり、逆に悪しき人間にとっては最も消し去りたいもの。それがお前の能力なのだ。俺達はその力による争いとそこにお前が巻き込まれることを恐れてお前を隠してきたのだ……」
ゼェゼェとオヤジは今にも切れかかったか細い声で衝撃的なことを口にした。神格者?俺が?そんな、今までそんな予兆すら感じたことがなかったのに?覚悟して聞いていた今際の際の言葉が思っていたものとは違い、俺は水を打ったように静まり返ってしまった。
「……今は信じられずとも、後々わかるだろう。既にお前の力は覚醒している…
ともかく、お前は今すぐこの洞窟を出て帝国へ行かなければならない!帝国ならば必ずお前の味方になってくれるだろう……。帝国ならばお前に全てを教えてくれる!!お前のことを知ったなら帝国は絶対にお前を見捨てない…!」
「だからっ、なんだってんだよ!!わかんねぇってば!俺に力があるって言われてもそんなの知らないって!!!それに帝国行って俺は戦わなきゃならないのか!?頼むオヤジ、まだ生きててくれよ!俺はオヤジと平穏に暮らしていたいだけなんだ…」
先程とは打って変わって、今度は俺が懇願する。今にも事切れそうなオヤジに俺は九腸寸断する思いで全てを吐き出した。
「すまん……な。はると……俺もミシュも…お前のことをずっと愛している…」
「……っ…なんっでそんな…」
最後に俺の頬へ触れた左腕はだらりと垂れてしまって動かず、徐々にその体からは血色が失われていく。俺の悲痛な叫びを聞く前にオヤジは死んでしまう。
これで二度目だ。大切な人を目の前で失うのは。なんで急にこんなことが起きた?さっきまで一緒に旅をしてたってのに…
「俺が…神格者」
オヤジはこんな状況で嘘をつくような人間じゃあない。そもそも冗談を言わない人間なんだ。だからきっと、さっき言ってたことは全部本当なんだろう。実は俺は神格者で、特別な力を持っていて、それを危惧した母さん達が俺を隠していた。
そうか…語りたがらなかったのはそう言うことだったのか。何も知らなかったのは…俺だけか。
気付けば俺の脚はほとんど完治していた。本当に俺に力が備わっていることの証明のように。
「…全部、知らなかったよオヤジ。言ってくれれば良かったのに。わかっていればオヤジを失わなかったかもしれないのに」
ヒタヒタと洞窟の奥から何かが歩いてくる音がする。きっとオヤジが言ってた敵なのだろう。脚も治っているんだ。恐らく立って走ることは容易い。今すぐ洞窟を抜け出さなければ。
ーーーでもそれで逃げて何になるんだ?俺が逃げて、帝国へ行って、きっとオヤジの言う通り帝国が俺のことを助けてくれて、平穏に生きて。そりゃきっと幸せな事だ。今まで以上に良い暮らしが出来るかもしれないし、平穏に生きれることは何より素晴らしい。
けど、俺は納得出来るのだろうか?オヤジが死んでいるのに、オヤジのように死んじまうであろう人間が北方には沢山いるのだろうに、そんなことをする奴がのうのうと生きているなんて納得出来るのか。
いや俺にはそんな寝覚めの悪いことは出来ない。本当に俺に力があるならば、今ここでオヤジを殺した奴を殺す。見てしまったからには、知ってしまったからにはこの現状を打破しなければ、俺は俺に納得出来ない!
「……許せねぇよなぁ。こんなことしといてぬくぬくと、この後も生き続けるなんて許せねぇだろ」
「……はる、と…?」
俺は哀調よりも怒りを強く抱く。オヤジが会うことも無く負けた相手に勝てるのかはわからないし、そもそも自分の能力が何なのかすらわかっていない。でも、それを忘れる程に、腹に据えかねる思いで俺はいっぱいだった。ジワジワと内から気力の様な何かが溢れてくるのを感じる。
思えば、全てが突拍子の無い出来事だった。
この街へやって来たのも、凶悪な事件に巻き込まれたのも、洞窟に入ったのも、オヤジの今際の言葉も、何もかもが今でも信じ難い。
しかし、もう「信じられない」「そう言う運命だった」では納得出来ないところまで来ている。
俺は本当に選ばれた人間なんだろうか?
俺に本当に戦う力があるのだろうか?
急にそんなことを言われても実感は湧いてこないが、俺の葛藤を他所に時間は加速し続ける。
「オヤジはさ…俺にどう、生きて欲しいんだ…?」
「……おれ、は…お前に平穏な人生を…歩んで欲し、い…」
「そうか……でも、じゃあ最後に一つだけわがままを言うぜ。俺は、オヤジの仇をとる。そうじゃなきゃ納得できねぇからな。それに、俺の力は光の力なんだろ?」
「っ……!」
俺は見えない何かから逃げることをやめてその場に留まる。
こんな経験もう二度目なのだ。母さんの時は逃げろと言われて逃げることしか出来なかったけど今は違う。俺には多分戦い抜く力が備わっている。母さんやオヤジを殺した奴への怒りも当然だが、それ以上にこんな理不尽な世界そのものへの憤慨が大きい。きっと世界のどこかで、毎日こんなことが起きているのだろう。であればそんな世界は間違っているはずだ。もう失いたくない。誰も失いたくないんだ。
「だったら俺がこの力で戦う。オヤジや母さんが天国でも迷わねぇように。安心して眠れるように。もう誰も俺の周りで殺されちまう人間がいなくなるように…」
決意を固めた拳に力がこもった。今は“モヤの様な光”が宿っているのが確かに見える。
天高く輝き、穏やかで、それでいて俺たちを照らしてくれる煌々とした太陽。俺の力が光の力だって言うなら、俺は。俺は…
「俺がこの光でみんなを照らしてやる!俺がみんなの太陽になってやる!!!」