あなたの人生はフィクションです
とあるバーの店内。時刻はもうすぐ24時になろうとしている。
K氏はグラスを傾けながら、俺はつくづく生まれながらの勝者だな、と感慨に浸っていた。
彼はベンチャー企業の若き経営者である。数年前に、不動産コンサルティングを提供する会社を立ち上げた。投資ファンドから多額の出資を受け、何もかもが順風満帆だった。
K氏に寄り添うように座るエレナは、大手芸能事務所の若手女優。つい先ほど、ファンド主催のパーティで知り合ったばかりだった。
どうやらエレナはK氏に一目惚れしたらしい。帰り際、エレナに熱心に誘われ、K氏は彼女の行きつけだという小さなバーに立ち寄ることになったのだ。
窮屈なバーの店内には、ほかに貧相な男性客が一人いるだけ。女優が通う店にしてはみすぼらしい感じもするが、上機嫌なK氏には気にならない。
K氏はエレナの可憐な横顔を眺めながら、彼女の腰に手をまわした。今夜の事の成り行きを想像し、思わず卑猥な笑みが漏れる。
自分を信じてさえいれば、何事もうまく運んでいく。K氏の人生においては、それはごく当たり前のことだった。
二
ふいに、階段を下りる足音が聞こえ、新たな客が入店した。スーツを着た若い女だった。女はカウンターまでやってくると、
「お隣、いいですか」
とK氏に声をかけた。
なんでわざわざ隣に、といぶかしく思う。エレナに視線を送ると、別にかまわない、といった素振りで頷くので、K氏も承諾した。
「まあいいよ。どうぞ」
スーツの女は「ありがとうございます」と言い腰を掛ける。一見地味な雰囲気だが、よく見れば整った顔立ちをしている。
エレナとは違うタイプだが、この若い女も自分の好みだと思った。いつものごとくK氏の欲求がたかぶる。
今はエレナが一緒にいるのが惜しまれる。隙をみて連絡先を聞き出せないか、と節操の無い考えを巡らしながら、K氏は女に話をふった。
「きみ、仕事帰り?」
「いえ、実は仕事中なんです」
女は真顔でそう答えた。
K氏はつまらない冗談だと思い苦笑する。
「酒をひっかけるのが仕事とは。
なんて羨ましい」
そう言うと、たたみかけるように
「で、どこの会社で働いてるの?」
と女にたずねた。K氏の図々しい質問に、女は嫌な顔ひとつせずに答える。
「エヴァンス財団の職員をしています」
エヴァンス財団。女があまりに平然と言うので、K氏は思わず「ああ、そうなの」と相槌をうった。
聞き覚えがある気もする。ただ、どこで聞いたのかは思い出せない。
女は腕時計に目を落とした。しばらく沈黙したあと、タイミングを見計らうようにして、再び口を開く。
「あなたはKさんですね」
「あれ、俺のこと知ってるんだ」
意外に思った。業界ではそれなりの著名人だと自負していたが、街で見ず知らずの人間に話しかけられるのは初めてだ。
「もちろん存じ上げてます。Kさん、実はお話したいことがあるのです」
女はそう言い、K氏のほうに向きなおった。
三
「突然ですが、クロッタル・アウンという名前をご存じでしょうか」
スーツの女は、K氏にそう切り出した。
「いや、知らないけど。
変な名前だね。どこの人?」
「クロッタル・アウンはレバノン系のカナダ人芸術家です。1970年代に、絶滅動物をモチーフにした前衛芸術作品をいくつか発表し、北米を中心に高い評価を受けました」
「ふうん。芸術には少し疎くて」
女はまるで美術館の学芸員のように、よどみない説明を続ける。
「いえ、知らずとも無理はありません。クロッタル・アウンはもともと寡作でしたし、1980年に消息を絶って以来、アートシーンから一切の姿を消しました。今となっては古参の美術関係者以外、彼のことを覚えている人は多くありません」
「でさ、そのクロッタルなんとかって
俺に何か関係があるのかい?」
「実は、クロッタル・アウンは1989年にこの世を去るその間際まで、ひそかに創作活動を続けていました。晩年の彼を経済的に支援していたのが、私どもの財団の設立者、ポール・ネイダー・エヴァンスです」
「ポール・ネイダー......。
その名前は聞いたことあるような」
「ええ、エヴァンスは半世紀前、ロサンゼルスの不動産業で財を成し、さらに株式投資で莫大な成功を収めた実業家です。生涯、表舞台に出ること避けて生活しましたから、謎に満ちた大富豪として知られました」
K氏は退屈し始めていた。わざとらしくあくびをしてみせるが、女は気にせず話を続ける。
「エヴァンスは若い頃より芸術に深い造詣がありました。また、彼はクロッタル・アウンと同じくレバノンにルーツを持っていたことから、この寡作の芸術家とひそかに交流を持ち、惜しみない経済的支援を約束して――」
「あのさ、きみ」。K氏は話をさえぎった。
見ず知らずの芸術家は興味はなかった。
「悪いけど、こんなところで美術史の講義は受けたくないよ。だいたい、俺にどう関係があるのかな。俺ら経営者はいつだって単刀直入を好むんだ」
「それは失礼しました。では単刀直入に」
女は素直に詫び、事務的な口調で告げた。
「私がお伝えしたいのは、あなたの人生は、つまるところ、1つのフィクションに過ぎないという事実です」
四
狭いバーに沈黙が広がった。エレナまで、K氏と女のやり取りを固唾をのんで見守っている。
「俺の人生がフィクション?
なにが言いたいの?」
K氏は機嫌を損ねていた。いい雰囲気で酔っていたのに、この意味不明な女のせいで気分がぶち壊しだった。
女は「僭越ながら、言葉どおりの意味なのです」と述べた。
「晩年のクロッタル・アウンは『芸術家による人間創造』というアイディアに強く魅せられました。彼はある意味で、芸術家が神に迫る存在になることを切望していたのです」
女はさらに語り続ける。
「クロッタル・アウンは“過度に劇的な人生”から“極端に単調な人生”まで、6種類の多様性に富んだ架空の人生を考案しました。そして彼は自分の余命がわずかであると悟ると、それらの『人生作品』の具現化をパトロンであるエヴァンスの財団に委ねました」
女は感情を抑えた視線でK氏を見つめた。
「Kさん、あなたは彼がデザインした6つの人生作品のうちの1つです。あなたの人生は、幼少期から今に至るまで、クロッタル・アウンが生前に構想したシナリオの通りに進捗してきました」
K氏は顔をしかめた。なんだこの女。頭のおかしな奴と関わってしまった。
不快感が沸き上がったが、隣にエレナがいるのを意識してなんとか苛立ちを抑えると、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「あ、そう。俺の人生が誰かに操られてたってこと?そりゃ、気づかなかったよ。ご親切に教えてくれてどうも」
女は「いえ、ご感謝には及びません」と丁寧に答えた。
「本日の午前零時、この場所でKさん本人への告知を行うことも、クロッタル・アウンのシナリオで事前に決められていました。私は財団の担当者としてそれを実行したまでです――」
カウンターの奥にかかった古時計が、ぴったり24時を指すのが見えた。
五
K氏にとって、人生の成功はすべて自分の実力の賜物だった。見知らぬ女の虚言で侮辱されるのは我慢ならない。
K氏は、この女に反論したい衝動に駆られた。
「じゃあさ、教えてくれない?どうやって俺の人生を操ってきたのか。俺の人生は、俺が自分でぜんぶ決めてきたはずだけど」
女は「では、もうすこし具体的な話をさせて下さい」と言い、軽く咳ばらいをした。
「あなたの人生のタイトルは『NO.4 散りばめられた退屈な成功の断層』です。クロッタル・アウンの6つの人生作品のうち、4番目に考案されました」
女はバッグから青い紙を取り出し、目をやった。
「例えば、あなたが18歳のときを振り返りましょう。ビクトリア工科大学に合格し、めでたく特別奨学金付きで入学されましたね。しかし、あなたの高校時代の成績からすれば本来、出願からして無理筋だったはずです。どうしてこれほどの名門大学にやすやす受かったのか。当時、奇妙だとは思いませんでしたか」
K氏は思わず鼻で笑った。この女がどこの大学を出ているのか知らないが、俺の学歴に難癖をつけるつもりか。
「変な言いがかりだな。合格は実力だよ。学校の成績なんて面接と試験でカバーできる。そもそもね、俺なら絶対うかると高校の教諭に強く勧められていたんだ」
「ええ、そうでしょう。ボールトン先生のことですね。彼はエヴァンス財団から派遣された教師でした。あなたのキャリアをシナリオに合せてコーディネートするために」
ボールトン先生。懐かしい名前を唐突に聞かされ、K氏はうろたえた。この女が、どうして高校時代の恩師の名前を知っているのか。
「もちろん、あなたの受験にあたっては、財団から大学へ、非公式の推薦状もお送りしています。当財団はビクトリア工科大学の大口の寄付者ですし、歴代の学長とも懇意にしています」
嫌な汗がにじむ。そういえば、大学にはエヴァンスという名を冠した研究棟が何棟もあったことを思い出した。
「あなたは『予定どおり』入学を果たしたものの、残念ながら学業には熱心ではなかった――どうにか卒業するのがやっとの成績でしたね。ところが、なぜか著名な投資銀行からインターンの誘いが届き、瞬く間に就職が決まった。これも不思議には感じませんでしたか?」
でたらめだ。この女はでたらめを言ってるだけ。実際には何も知りはしない。そうに決まってる。K氏は強い口調で反論した。
「大学の指導教員が推薦してくれたんだ。もちろん俺の能力を見込んでね。教授は金融工学の世界的な権威だったから、業界に強いコネクションがあった」
「ええ、クリストファー・リッジウェイ教授のことですね」
女は返答を予期していたかのように切り返した。
「お忘れのようですが、リッジウェイ教授は財団の出資する寄付講座の責任教員でした。財団から『彼を是非』とお願いして、あなたを銀行へ推薦していただいたのです。教授は『人格も能力も人並み以下の学生だ』と難色を示しておられましたが.....」
K氏は混乱し始めていた。この女、冗談にしては、あまりに下調べが過ぎている。
K氏が押し黙っているのを横目に、女はふたたび口を開いた。
「ところで、入行後のあなたの評判は散々でした。職務評価が冴えないのみならず、社内でも女性関係のトラブルを散々繰り返しましたね。これには財団も大変苦労させられました」
K氏の血の気が引く。隣にはエレナがいるのに、こんな話をされてはたまらない。
「ふざけるなよ。それ以上はもう冗談じゃすまされない。名誉棄損だぞ、この嘘つき女め!」
しかし女はK氏の罵倒を聞き流し、ひたすら話を続ける。
「あなたにはこの銀行で7年間勤めてもらう必要がありました。事前のシナリオで明確に決められていたからです。だから我々もあなたを解雇させる訳にはいかなかった。人事担当役員への献金から、被害女性への金銭補償まで、財団がどれだけの金額を費やしたことか」
K氏はもはや顔面蒼白だった。たしかに社内で何人かの女と揉めたことがあったのだ。一時は訴訟沙汰にまでなりかけたが、結局は表に出ずに済んでいた。
自分の将来性を見込んだ人事部が、裏で手をまわしてくれたのだろうと思っていたが――。
「まあ、なんというか、驚きだね。どうやったのか知らないが、人のプライバシーをせせこましく調べ上げやがって」
K氏はひどく動揺していた。隣にいるエレナの顔を見ることすらできなかった。
六
ともかく、女の荒唐無稽な話を受け入れることはできなかった。そんなことが事実であってはたまらない。
なんとか平静を取りつくろい、K氏は無理やり質問を重ねた。
「じゃあさ、ひとつ教えてくれよ。俺は一体いつ死ぬんだ?死因は?もし君の言うことが本当なら、それも『あらかじめ』決まってるはずだろ」
女は「お望みならばお教えします」と言い、先ほどの青い紙に視線を落とした。
「あなたは46歳の誕生日の翌日、夕方午後6時に亡くなります。死因は自殺です」
手が激しく震えた。怒りなのか不安なのか、もはやK氏自身にもわからない。
「無茶苦茶だ。そんなものどうやって実現するんだ。俺は自殺なんてしないぞ。絶対にしない」
女はあくまで冷静な口調で答えた。
「ええ、無理に自害を試みる必要はありません。当日は財団の化学班がすべてコーディネートしますので」
「おい、どういう意味だよ。何を企んでるんだ――?」
「そこはお察しください。財団の内規により詳細は話せません」
女は有無を言わせぬ口調で、話を打ち切った。
真夜中のバーに、得も言われぬ怪しい空気が充満していた。
七
「他に聞きたいことはありますか」
K氏は動揺と憤怒のあまり言葉が出ない。
「Kさん。あなたはこの先、自らの虚構性を理解しつつも、表面上は今までと変わりなく生きていくでしょう。クロッタル・アウンが遺した作品趣意書には、こう書かれています。『......作品No.4の男は辛辣な事実告知を受けたのち、人生観の破綻と、そこから派生するシニシズム、自己欺瞞、究極の受動性に飲み込まれる。観察者たちは彼の生きざまに被創造物としての切実かつ神聖な高度の芸術的パルスを見出すであろう......』」
女が述べる奇怪な文言が、呪文のようにK氏の心理を圧迫していく。K氏は抗うように勢いよく立ち上がった。
「万が一だね、その滅茶苦茶な話が事実だとしてもだよ。俺はこの先、そのシナリオとやらに一切、従う気はないね。俺は存分に人生の自由を謳歌してやる」
怒鳴るようにそう叫ぶと、横にいるエレナの腕を引っ張った。
「こんな不愉快な店、さっさと出よう。俺の行きつけのバーに連れてってやるよ」
しかしエレナはK氏の腕を迷惑そうに振り払った。
「――悪いんですけど、Kさん。
私の仕事は午前零時で終わったので」
「仕事?何の話をしてる。とにかく早く出よう」
エレナは他人行儀に目をそらし、気まずそうに説明した。
「だから、私も仕事だったんです。財団から今日のための“お役”として雇われて。パーティでKさんに声をかけて、ここに誘導するところまでが私の仕事。だから、お芝居はこれっきりで終わりです」
スーツの女が、バッグから封筒を取り出した。「こちらが、お約束のものです」と言って、エレナに手渡す。エレナは封筒の厚みを確認し、嬉しそうに礼を言った。
エレナは茫然自失としたK氏に気づき、取ってつけたように頭を下げた。「ごめんなさい。まだ若手だから事務所のお給料が少なくって......」。
スーツの女は「最後にひとつ補足です」とK氏に告げた。
「この先、シナリオへの抵抗を試みるのはもちろん自由ですが、その場合あなたは『失敗作』になるので、財団からの庇護を一切受けられなくなります」
K氏を刺激しないためか、女は穏やかな声で語りかけた。
「言いづらいことですが、あなたの会社に対するファンドからの出資も、ビジネス上の重要なコネクションも、すべて財団が内々に関与して実現したものです。我々が手を引けば資金提供は続きませんし、過去の女性問題も露呈します。会社を続けるのは難しくなるでしょう――」
八
K氏は、壊れたように独り言を呟いたあと、やがて何事か絶叫して店から飛び出していった。
みすぼらしい小さなバーに静寂が戻る。
すると、ひとりで酒を飲んでいた貧相な男が、財団の女におずおずと声をかけた。
「盗み聞きして悪いが、今の話、ほんとうかな。その、この世には『作り物』の人生があるというのは?」
男の質問に、女は淡々と答えた。
「ええ。クロッタル・アウンの件に関しては間違いなく事実です」
男はそれを聞くと、食い入るような目つきで女にたずねる。
「あのな、実はな、俺の人生も、もしかしたら嘘じゃないかと思うんだ。ガキの頃から今に至るまで、やることなすこと、全てうまくいかんのだ。まるで誰かに操られているみたいに。もし財団とやらが、陰でこっそり俺に不運を押し付けてるっていうなら、ぜんぶ納得もいくんだが――」
女は表情を変えず、首を横に振った。
「クロッタル・アウンの六作品の該当者は、財団が綿密に追跡しています。ですが、その中にあなたのような方は含まれません。財団とは全くの無関係とお考えください」
貧相な男はがっくりと肩を落とした。
「......なんだ、俺は関係なしか。そうだよな。おれの人生がクズなのは、誰かのせいじゃなくて、自分のせいなんだよなあ」
男は流し込むように酒をあおり、虚ろな表情で宙を見つめる。
ふいに、そばで話を聞いていたエレナが男に向かって言った。
「よかったじゃない。あなたはこれから、自分で自分の人生を作れるんだから」
貧相な男はエレナを見つめると、恥ずかしそうにうなずく。
真夜中のバーが優しい沈黙に包まれた。
「......今夜は早く帰ろうかな」
男の独り言が、夜の底で軽やかに響いた。