24話 魔人の天敵④
私の感情は乱れていた。
動かぬ炭となったこの塊をこのまま置いて行って良いのだろうか。
もはや何の価値も無いただの燃え滓だ。
置いていけばいい。
そのはずなのに、何故か身体がその場から離れようとしなかった。
立ち尽くす私に背後から急に男の声が掛かった。
「お前、リュース王子のところのメナスだな? なんでこんなところで突っ立ってやがる?」
ただ立っているだけだったとはいえ、フロアの中には常に注意を払っていたはずだ。
意識外からここまで接近を許してしまうとは。
危険な男だ。
「驚かさないで下さい。いつからそこにいらしたのです?」
あえてビクっと体を歪ませ、とても驚いたという顔で振り返る。
「俺の質問が先だ」
「ええと……、リュース王子のご命令でドラゴン討伐にここまで来たのですが、あいにく同行下さった騎士の皆様が魔物にやられてしまいまして」
「!? その3つがそうだってのか⁉︎」
「えぇ……最後まで勇敢に私を守って下さいました」
男は驚きに目を見開き、騎士達の死体を確認するために近寄っていく。
私への警戒も解いていないらしく、ぐるっと遠回りをした。
「私一人残されてしまいまして、どうやって帰ろうか途方に暮れていましたの、あの、あなたはお一人でここまで?」
「あぁ、一人だ」
男は私を視界から外さないようにしながら死体をまさぐる。
「お強いのですね。不躾なお願いですが、どうか私を地上までーー」
「いや、おかしい。コイツらはどうやってやられた?」
「口から炎を吹く魔物が出まして、その魔物に……ガッァ」
私の意識から一瞬男の存在感が薄くなったかと思った瞬間、私の首は体から離れていた。
何をされた!?
クルクルと回りながら飛び上がった私の頭と、力を失って崩れる身体が同時に地面に落ちた。
「この階層にそんな魔物は出ねぇんだよ。このドグサレが! てめぇよくもカールを……クレイも来ちまってるってのに!」
男は既に死体となっている私に向かって罵声を浴びせている。
私の首は頭側と身体側、両側からじわーっと血が流れ出し地面を染めて行く。
「どうする……見なかったことにするか、いや、しかし……」
男は私の死体の前で自問自答している。
その目の前の床で、両側から流れ出した血が地面の上で一つに繋がる。
「さすがにこのまま放ってはおけねぇか、仕方ねぇ」
答えが出たらしい。
男は私の死体に一瞥をくれると来た道を引き返そうと背中を向けた。
繋がった血同士をロープのようにして、離れていた頭を身体に引き戻す。
静かに立ち上がった。
やはりこの男侮れない。
何の音も立てていないはずなのに、その男は背後に生じた殺気に気付いたのか、振り向きもせずそのまま前方へ飛び出した。
だけど、もう手遅れだ。
「フレイムストーム」
先程までの手加減していた小振りの炎では無い、一帯全てを焼き尽くす火炎が男の飛び込んだ空間をまるごと飲み込んだ。
後にはまたしても黒い塊だけが残った。
この異常に察しの良い男は何者だったか、と思いを至らせていると、すぐに別の足音が響いてきた。
やはり油断ならない男だった。
何が一人だ。
「あーらら、今度は団体様ねぇ。このくらいまで潜れば誰にも見られないと思ったんだけど、私ダメねぇ」
フロアに入ってきた4人の男女をざっと見渡しながら、せめてもう少し進んでから処理するべきだったかと反省をする。
「貴様、メナスか!」
先頭の少し頼りなさそうな少年の後ろから騎士風の男が進み出て、最前に立った。
「うふふっ、何処かで会ったかしら?」
王城には少しの間しか居なかったはずなのに、ずいぶん顔を知られてしまったものだと煩わしく思いながら、その騎士風の男の顔を見た。
途端、私の心臓はぎゅゅぅっと締め付けられた。
あり得ないことが起こった。
何処かで会ったことがあるなんて話じゃない。
恋焦がれ、そして今し方自ら手に掛け、その死に心を乱されていた、その顔がそこにあった。
出来ることならもう一度会いたかった。
会って抱き締めて欲しかった、その顔だった。
私が驚きと喜びで戸惑っていると、彼らは足元に転がる先程の男に気付いたようだ。
「貴様がやったのか!」
だけど、声が違った。
違うと思って見れば全くの別人だった。
顔の作りこそよく似ているけれど、私の想っていたあの人とは年齢も、声も、身長も、髪の色すら違った。
私は愕然とした。
330年を生きた私が、色欲の魔人たるこの私が、たった数日遊びで愛した人間の男を心から求めていた?
少し顔が似ているだけの別人を見間違えてしまうほどに。
だめだ。
私は今どうかしている。
私のこの傷付いた心は愛で満たそう。
いつものように大好きな恋の匂いで忘れてしまおう。
そういえば、さっきからこの目の前のカールによく似たオトコノコからは顔だけじゃなく匂いまでそっくりの幸せな香りがしている。
あぁ、なんていい匂い。
傷心に染み渡る求めていた匂い。
はぁぁぁ、食べてしまいたい!
「うふふふふふふっっっんっ、ぁあ、良いわぁ! 良いわよ貴方! 貴方からは恋の匂いがするわ。 そう、そうね。仕方がないわよねぇー。オトコノコだものねぇー! んふぅ」
幸せな匂いに満たされて沈んでいた心が一気に浮き上がり、昨晩もずっと求め合った甘い匂いが私の体温を上げていく。
あぁぁぁぁぁぁん、もう、たまらない!
じゅんじゅんとお腹の奥が疼いて身体を捩らずにはいられない。
さぁ、始めよう!
下らない仕事のせいで溜まりに溜まった欲望を解放しよう!
愛を!
伝えるのだ!
「お相手はーーっ、そっちの赤髪のコかしら? それともそっちの茶髪のオンナノコかしら〜〜? いいわっ! いいわよ。そう、その欲望をっ! 欲情をっ! 解き放つのよっっっ!」
私に恋しいカールを感じさせてくれるあなたにはこの呪いが相応しいわ。
カールに捧げるつもりだった愛の呪い。
[渇欲の呪い]
どこまでもどこまでも、その精も、その魂も、尽き果てるまで渇いて渇いて!
愛しい人を求め続けるのよ!
目の前のオトコノコに呪いを与える。
すぐにその頬は赤みを帯び、目は潤み、唇は潤いを求めてパクパクと動き始めた。
それに、とっても元気に一部分が主張をはじめた。
本当に昨夜のカールに瓜二つ。
あぁん、目の前のオトコノコが恋をしている相手は私じゃないのにっ。
欲しくなっちゃう。
欲しい。
欲しい。
私を求めて欲しい。
「うおぉぉぉぉぉぉぉおおおお!!」
なんて精神力。
オトコノコは抗い難いはずの誘惑を押し退けて私に向かってきてくれた。
そう、来て。
来て!
私をその大きくて硬いもので貫いて!
私は思わず蕩けそうになる表情で彼が振り下ろす剛直を受け止めた。
カールがたくさん口付けてくれた首筋から入り込んだその塊は、私の身体の中をぐちゃぐちゃにしながら貫いていった。
正に天にも昇る思いだった。
最高……。
私は身体を真っ二つに裂かれ、体液を撒き散らし、内臓をばら撒き、押し寄せる大量の快感にビクンビクンと体を震わせ続けた。
快感を味わい続け、同時に押し寄せる燃えるような熱い痛みに耐えた。
快感の名残を惜しみながら、撒き散らした血液と臓物を身体の中に押し込み、分たれた半身をくっつける。
呪いに込めた魔力を使い、自分の意思で動かしているのだけど、傍から見れば勝手に身体のパーツがより集まってくっ付いたように見えるだろう。
そして起き上がる。
良いタイミングで復活出来たと思う。
恋の奴隷となった彼は今まさに赤髪の少女を押し倒し、情熱的に彼女の身体を味わっているところだった。
「あはぁーーーん、いいわ、やっぱりオトコノコはいいわぁぁぁぁ!」
自然、私の感情もまた昂っていく。
このまま彼の欲望の行く果てを見届けたかったのだけど、残りの2人のうちの少年の方が私の前に進み出てきた。
「噂には聞いていたけれど、ずいぶんいい趣味してるな、お前」
ずいぶん怒りを買ってしまっているらしい。
「あら? あなたも私の事を知ってくれているのね。有名人になったつもりはないんだけど。んふふっ、そんなことより、あなたも恋をしているわねぇ、あらあらあら? あっちのオンナノコと両思いじゃない! はぁぁぁぁあん」
「リディアに手を出してみろ、その不死身の呪いごと消し飛ばしてやる。お前の相手は僕がしてやるよ。魔人メナスティニエ」
ずいぶん長い間、名乗った覚えのないフルネームを呼ばれ、スッと盛り上がった感情が引いた。
「どうやら本当に私を知っているようね」
「まずはクレイさんを元に戻してもらうぞ!」
目の前の少年の殺気が膨らむ。
何なのかは分からないけれど、この少年の好きにさせてはまずい、そう思った私は咄嗟に呪いを与えることにした。
せっかく思い合う2人が揃っているのだ。
与える呪いは[混魂の呪い]に決まっている。
思い合う2人の思いが強ければ強いほど、触れ合えない寂しさに焦がれ、触れれば触れるほどに混ざり合う、私の一番のお気に入りの呪いだ。
カッと目を見開き、今、少女を味わう彼に吹き飛ばされた茶髪のオンナノコと目の前の少年を同時に呪いに掛けた。
その瞬間、ぱしゅっと音がして、私の頭に穴が空いた。
は?
抵抗も出来ずに後ろ向きにドサッと身体が倒れた。
理解が追い付かない私に少年はツカツカと歩み寄り、ぱしゅぱしゅぱしゅぱしゅと音を鳴らしていく。
痛い痛い痛い痛い!
音が鳴る度に私の体に穴が増えていく。
何が起きている⁉︎
何の攻撃を受けている?
何故呪いの効果が始まらない?
痛い痛い痛い痛い!
ズガッと私の顔面を踏みつけ、血を流し続けている額に先程から音を鳴らしている筒をグッと押し付けられる。
怖い、怖い怖い怖い!
なんで不死身の魔人である私がこんな何でもない少年にここまで一方的にやられているんだ。
分からない分からない。
怖い!
「このまま死ぬまで殺し続けても構わない。それが嫌なら呪いの解除方法を言え。喋るのに不要な所を修復したら撃つ」
さっきまでとは全く違う低い声が響いた。
なんなんだなんなんだ!
分からないけれど、怖い!
急いで頭と口と肺に空いた穴を修復する。
「ぐっ、ガハッ、な、なんなのよ! お前は!」
ぱしゅ
また私の額に穴が空いた。
「次、余計な事を喋ったら、後も残らないくらい粉々にしてやる」
怖い怖い怖い怖い!
私はかつて感じた事のない命の危機を感じた。
身体は死んでいるので一切動かないが、ガタガタと心が震え上がるのを感じる。
再度グイっと眉間に筒を押し込まれた。
「早くしろ」
ひぃっ
どうしたらいい、私は呪いは与えても、呪いを解くなんてやった事どころか考えた事もない。
もはや額を直したところで、助かる見込みは無い。
後は私の[不老不死の呪い]を信じて粉々にされてみるくらいしかない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
死にたくない
さっさとしろと言わんばかりにいつの間にかもう一方の手にも現れた筒がぱしゅぱしゅと私の手足に穴を開けていく。
痛い痛い痛い痛い!
やめてやめてやめて!
「あれぇ〜? 珍しいスキルの気配に釣られて来てみれば、メナスじゃないですか?」
突然、何の前触れもなく、場違いな緩い声が横から聞こえた。
心当たりのある声だった。
同胞ではあるが、仲間と呼べるかはよく分からない頼りにならないあいつの声だ。
どうせあいつの事だ。
自分のやりたい事だけやって、さんざん引っ掻き回して素知らぬ顔で去っていくだろう。
援軍とも言えない頼もしくない相手だけど、今はこの声の主に縋るしかない。
私を拘束する少年がビクッと体を跳ねさせ、ぱしゅぱしゅと声の方に攻撃をする。
今しかない!
そう意を決して最高速度で身体を修復し、腹を蹴り上げて少年を跳ね飛ばした。
「がはっ」
ちょうど奥でゴウッと風が吹き荒れ、少女を組み伏していた彼も同時に吹き飛んでいた。
「いやいや、危ないなぁ〜。挨拶もしてない相手に物騒な事するよ」
さっきまではそこに居たはずなのに、今度は蹴り飛ばされた少年の更に向こうから緩い声がした。
ぱしゅぱしゅぱしゅ
少年が振り返りもせずに声の方向に攻撃をする。
「ずいぶん酷いことになってるねぇ。何か恨まれることでもしたの? メナス」
今度は私のすぐ右側に現れた。
何をやってるんだこいつは。
「あのコはヤバいわ。逃げなきゃ殺されるわ! 助けて!」
ブライドも恥じらいもかなぐり捨てて助けを求める。
「ははは、あのメナスがこんなに怯えちゃってるよ。まぁ、僕も頂くものを頂いたら逃げるから、ちょっと待っててよ」
ちょっとトイレに寄って行くから、待っててよ、くらいの軽さで言ってくれる。
本当に大丈夫なんだろうか
こいつの欲しいものなんてどうせアレだ。
付き合ってなんかいられないけれど、今はこいつに頼らなきゃ逃げる事も出来そうにない。
ぱしゅぱしゅぱしゅぱしゅ
少年が消えては現れ、現れてはまた消える影に連続で攻撃を撃ち込み、隙間についでのように私にも撃ち込んでくる。
「いやぁぁぁぁぁーー!」
私は無様に泣きながら急所だけには攻撃を受けないように走り回った。
そこに、
「アイシクルストーム」
氷魔法の詠唱がきこえ、目の前が真っ白になった。
吹き荒れる氷雪が私の肌を食い破り、足下から私を氷像に変えていく。
ああああああ!
私が凍ってしまう!
助けて、誰か助けて!
カール!
「まず一つ、いただきました」
氷魔法を唱え、杖を私に向け続けていた少女の背後に現れた緩い声の主が少女の頭にポンと手を乗せていた。
少女はビクッとして、振り返る。
吹雪は止んだけれど、私は凍り付いてしまって動けない。
「リディアっ!」
少年が焦りと共に少女の背後に狙いを定めたその瞬間、
「これで2つ目、いただきます」
今度は少年の背後から声がして、やはり少年の頭にポンと手が置かれていた。
ぱしゅぱしゅ
音が鳴ったときには影はもういない。
「んじゃあ、逃げましょうか、ごちそうさまでした」
半身を氷漬けにされた私の横に影が現れた。
と思った時にはもう私はダンジョンの外の林にいた。
「じゃあ、僕もいろいろ忙しくって。またねー」
そう言ってあいつは消えていってしまった。
本当に好き放題にして、後片付けもせずに帰って行った。
訳の分からない事だらけだ。
だけど、私は生き残った。
△ ▼ △ ▼
「ぐっ、ぐぅぅぅぅぅぅぅううううっっっ」
私は泣いていた。
涙で頬をびしょびしょに濡らして泣いていた。
声も堪えきれずに泣いていた。
色欲の魔人である私が成す術なく蹂躙された悔しさと。
気が乗らなくてもやらねばならないと思っていた仕事をしくじった不甲斐無さと。
今も幻肢痛のように疼く痛みと。
危うく本当に死んでしまうところだった恐怖と。
せっかく出会えた愛しい恋人を失った悲しさと。
恋しい相手に抱きしめてもらえない寂しさと。
330歳の私が少女のように恋をしていたことに気付いてしまった恥ずかしさと。
それに気付かず自ら捨ててしまっていた愚かしさと。
今まで正しいと思っていたことが根本から崩れてしまったような不安に。
恐ろしい邪魔が入ってしまって考える事が出来なかった。
いや、あの恐怖が無ければ、死ぬ事の怖さを知らなければ、あのまま立ち尽くす事しか出来なかったかもしれない。
私が今まで愛と呼んできたものはなんだったんだろう。
カール、会いたいよ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。