21話 魔人の天敵①
私の名前はメナスティニエ。
魔王ファニムディート様より色欲の名を賜った魔人だ。
魔王様より名を受けた者はその名と共に特別な力を授かる。
私が授かった力は[生呪]。
それは私の願いを叶え、私の想いを現実に呼び起こす呪いを創り出せる力。
私は生来の色狂いだった。
魔人も人間も子供の作り方は同じだ。
私が物心付いたころにはもう既に交尾のことで頭がいっぱいだった。
周りの魔人達は私の事を気持ち悪がった。
だけど、自分がどうやって生まれたのか、それを知りたがる事がそんなにおかしい事だろうか?
そして、その方法を知り、それに至る過程を知り、その根源の感情を知り、それらを尊く思い、憧れる事がそんなに穢らわしいことだろうか?
私は交尾と、愛と、恋が大好きだ。
それなりの身体付きになった頃には自分自身でもって、恋を、愛を、交尾を体験した。
しまくった。
最高だった。
自分で体験する事でもっと好きなものが増えた。
胸のときめきを好きになった。
愛の告白を好きになった。
誓いの口付けを好きになった。
愛し合う交尾を好きになった。
失恋の痛みも好きになった。
一方的な片思いも好きになった。
心の籠らない口付けも好きになった。
無理矢理の強姦も好きになった。
何もかもが素晴らしかった。
飽きるほど恋をして、飽きるほど愛し合って、飽きるほど犯して、犯された。
そして私は思い至った。
こんなに素晴らしいのに、何故人はもっと愛し合わないのだろう?
何故、所構わず睦み合い、いつでも盛り合わないのだろう?
こんなに素晴らしい事に気付けないなんて、なんて可哀想なんだろう。
そうだ。
私が教えてあげなきゃいけない。
全ての魔人に、人間に、全ての感情ある生物に愛を教えてあげなければいけないと。
それからの私は皆に説いて回った。
愛の素晴らしさを、口付けの素晴らしさを、強姦の素晴らしさを。
時には優しく、時には厳しく、実践を織り交ぜて説き続けた。
全ての生物にこの世界の素晴らしさを知って欲しくて私は魔大陸すらも飛び出していた。
数え切れない程の人に私の愛を伝えたが、本当の意味で私を理解してくれたのは唯一人だけだった。
それが魔王ファニムディート様だった。
彼は私を理解し、尊重してくれた。
そして、私の思いを叶える為に力を下さった。
それが色欲の名、そして[生呪]の力だった。
私はその力を使って、更に精力的に愛を伝えていった。
ファニムディート様の意向に沿って、人間達を中心に愛の呪いを振り撒き続けた。
特殊な力やスキルなんて無くても私には恋の匂いが分かるし、愛し合っている者同士なんて見れば分かる。
足りない者には、恋を叶え、愛を溢れさせてあげるのだ。
足りている者には、愛を引き裂き、そこから生まれる激情を教えてあげるのだ。
ある者は欲望に忠実になって、思い人と一つになれた。
ある者達は身も心も恋人と一つに溶け合う事ができた。
ある者は目に付く者全てに交尾を求める恋の奴隷となった。
ある者は自らの身体全てを愛を受け止める為の穴に変えた。
愛にも恋にも興味を示さない下らない奴は豚に変えてやった。
火だるまにしてやった。
醜い化け物にしてやった。
身体から全てを奪ってやった。
素晴らしい力を授けて下さったファニムディート様に感謝した。
感謝の気持ちは行動で示した。
たくさん、たくさん愛して呪った。
このまま世界全てを愛で満たせると思った。
だけど、そんな幸せは長くは続かなかった。
魔王であるファニムディート様が人間の勇者によって殺されてしまったのだ。
私が大陸を渡り、人間達に愛を振り撒いている間の出来事だった。
唯一の理解者を失い、失意の私は勇者への報復を誓ったけれど、ファニムディート様との戦いに全ての力を注いだ勇者は同じく報復を狙った同胞に殺されたらしい。
互いに最大戦力を失った人類と魔人達は大陸を繋ぐゲートを破壊し、移動が出来なくなった。
私もまた人間側の大陸に、数名の同胞と共に取り残される事になってしまった。
それでも、ファニムディート様が存命の時の私達ならば残った人類を滅ぼすくらいはできただろう。
だけど、ファニムディート様の落命と共に私達の力も大きく失われてしまった。
それまでは無制限に使えていた[生呪]も制限が掛かるようになってしまった。
呪いは日に3度まで、同一人物にはその相手の一生に一回きりしか与えられなくなってしまった。
新たな種類の呪いを産み出す力については膨大な時間と魔力を集めなければ使えなくなってしまった。
愛を伝えるのだと意気込んで乗り込んだはずなのに、人間共が支配するこの土地で私は長い隠遁生活を余儀なくされてしまったのだった。
まずは身を守る為、いつか来る開放の時の為、生き永らえる為、私は自身に呪いをかけた。
ファニムディート様の健在であった頃から溜め込んでいた残りの魔力全てと、籠絡しておいた人間達の魂を贄にして生み出した最後の呪い。
[不老不死の呪い]だ。
老いることも死ぬこともない至高の呪いにして、老いることも死ぬことも出来ない最悪の呪いだ。
いつかまた再び、思う存分に愛を振り撒ける日を夢見て、私は300年の時を生き続けた。
△ ▼ △ ▼
「メナス! 召し上げて早々ではあるが、急がねばならなくなった」
豚のような匂いのする人間から声が掛かった。
確か人間達の国の一つで王子をしているリュースとかいう男だ。
愛には美しさが必要だ。
身の美しさと、心の美しさ、どちらもあれば愛は一瞬で熱く燃え上がる。
どちらかがあれば、愛の火は灯り、時間と共にその火を大きく育てる事が出来る。
けれど、どちらも持たない者は愛を語らせる価値も無い。
早々にその命脈と、血筋を絶やすべきだろう。
私の仮名を気安く呼び捨てたこの男にはそのどちらもが不足している。
可能ならば、一刻も早くその腑をぶち撒けてやりたいところだ。
「ルイスの剣客がワイバーンを仕留めたらしい。父上がどう判断されるかは分からぬがワイバーンも亜竜とはいえ一応は竜と名の付く魔物だ。時間が過ぎる事に臆病風を吹かされて合格を出される恐れもある」
相も変わらず人間達は下らない権力争いに執心しているらしい。
本来、ファニムディート様亡き後、誰からも指図される謂れの無い私だけれど、今はとある作戦に協力しなければならない立場にある。
今の私の仕事はこの下卑た豚に取り入り、人間の国を内側から籠絡することだ。
面倒な事この上無いが、仕方がない。
再び私の愛を返り咲かせる為の試練だ。
憂鬱な感情と顔面の表情を180度ひっくり返す。
「まぁっ、王国にはお強い方がいらっしゃるんですのね。うふふ、それでもワイバーンなど、ドラゴンに比べれば小蠅程度の魔物ですから、ご心配には及ばないでしょう」
齢330歳の女魔人の演技を見破れる人間なんているはずがない。
ゴミ豚が気持ち悪く頬を赤らめながら口を開く。
「あ、あぁ。もちろん父上がワイバーン如きで早計を下されるような事は無いとは思っているが、こちらもそれなりの実績を打ち立て、見比べる必要があると思わせなければならない」
「私はいきなりドラゴン狙いのご指示でもよろしくてよ? それともまだ私の力が信じられないかしら。ふふっ」
「い、いくら其方が良くても魔術師だけでドラゴンが倒せるはずも無かろう。それなりに使える前衛を揃える。それまでの時間稼ぎだ」
身と心が豚なだけでなく、頭の中まで豚らしい。
さっさと私にドラゴンを討伐させて王位に就けば良いものを。
はぁ、まどろっこしい。
どこかで息抜きでもしなければ私の忍耐が保たない。
「リュース様の御意のままに」
面倒になった私は勝手にしろと告げる。
「ああ、まずはダナモラナムだ。ここから4日程かかるが、アダマンタイトタートルの目撃報告が出ている。まだ救援依頼は出てはいないが、近場では一番強い獲物だ。まずはこれを討伐して参れ」
道中に何か楽しみでも無ければやっていられない。
そうだ。
私の監視役に付いたあのオトコノコで遊ぶ事にしよう。
そう思い付いた私は馬車を要求し、楽しい車中旅行を妄想しながら足早に部屋を出た。
一応まだ客人扱いである私の護衛と、アダマンタイトタートル戦での前衛役を兼任する、という形でゴミ豚から命令を受けた3名の騎士と共に私は王都を出た。
「メナス殿、お気遣いは有難いが私は護衛騎士です。馬車の外に居なければ仕事になりません」
「そうは仰いますが、外は酷い雨ですもの。護衛の皆様も交代でお休みにならないと目的地まではお身体が保ちませんわ」
眉を軽く八の字に曲げて、うるうると心配そうな目で見上げる。
今私が話しているのはカールという騎士のオトコノコだ。
20代前半で背は高く、やや芋臭いが引き締まった精悍な顔立ちをしている。
好みのタイプではないが、庇護欲を唆られる可愛らしいオトコノコだ。
それに彼はまだ恋をした事がないらしい。
何も知らない真っ白な匂いがする。
「い、いや、それが仕事ですし、皆、雨中行軍の訓練は受けていますので」
「そうですの? 皆様、逞しいんですのね」
ニッコリと柔らかく微笑んで続ける。
「ですが、私もまだこれから4日間も一人馬車の中で座っているのは気が滅入ってしまいますもの。お願いですから、少しだけお話し相手になって頂けませんか? カール様」
ふわりとカールの手に控え目に指を添える。
笑顔を悲しげな上目遣いに戻して脚をモジモジさせる。
カールのような初心なオトコノコにはこのくらいのあざとさで丁度良い。
「す、す、すまないがっ! これでも任務中なのです。話し相手なら、やっ、野営の時にでもお相手致しましょう」
耳まで真っ赤にして明後日を向きながら頑張っているその可愛い横顔に、私の口から熱い吐息が漏れ出た。
あぁ、いいわぁ……
お腹の奥に熱を感じてモジモジさせていた脚をさらに締め付けるようによじる。
「そうですか……、お仕事ですものね。残念ですが仕方がありません。ですが、私も建前が理解出来ない程の子供ではありません。お仕事と仰るなら、外からコソコソとせずに目の前で堂々と目を光らせて下さいませ」
「んっ、それはどういう……、いや、全てお見通しか。私と同じくらいの年頃に見えるというのに、大した方ですね。そうです。私は他の護衛騎士と違い、貴女の監視として同行させて頂いています」
「だと思いました。あんまり熱く見つめて下さるんですもの。もう少しで私、勘違いをしてしまうところでしたわ」
薄く頬を染めて恥ずかしそうに笑顔を送り出す。
「そっ、そんな、勘違いだなどとっっ、いや、申し訳ない。不快な思いをさせてしまった」
「不快だなんてとんでもありませんわ。それともそのまま勘違いしてしまってもよろしかったかしら?」
と、またうるうる上目遣い。
芸が無いと思われるかもしれないが、これで良いのだ。
何度も上目遣いと笑顔を交互に見せて私の表情をカールの心に刷り込んでいく。
「よ、よ、よ、よろしくはないです! いや、よいです? いや、よろしくないが正解です!」
ますます顔を真っ赤にして慌てるカールが可愛らしい。
からかい甲斐のあるオトコノコだ。
私の脚の付け根に籠る力もますます強くなる。
「うふふっ、カール様は面白い方ですね」
トドメの笑顔を見せつける。
あぁ、いい、良い香りがしてきた。
カールから私の大好きな香りが漂い始め、私の鼻腔をくすぐる。
鼻息荒く息を吸い込みたい気持ちを抑えて、再度心配そうに見つめる。
「その……カール様は目の前での監視ではお困りになられますか?」
「め、めっそうもない! もう察しが付かれてしまっているのなら、その方が好都合だ、です!」
「そうですか、良かったです」
笑顔を浮かべた後に、はあぁーーーと、緊張したーという形の息を吐き出し、それに紛れさせて鼻から大きく息を吸い込んだ。
はぁぁぁぁぁーーっ、いい! いいわ!
芳しくて、青くて、甘くって!
今すぐに食べてしまいたい!
初心な青い恋の香りに思わず目が蕩けてしまい、緩んだ顔をカールに見られてしまった。
「大丈夫ですか? メナス殿、そこまで気を張り詰められていたとは。やはりメナス殿も年相応の、かっ、可愛いところもあるのですね」
そう言って恥ずかしそうに笑うと、一度他の護衛達に声を掛けてから戻ると言って、雨の中へ出て行ってしまった。
ちょっと暇潰しがてらに遊ぶだけのつもりが、とても楽しい旅になりそうだと、私は馬車に残る香りを大きく吸い込んでビクビクと身体を震わせた。