14話 やってきた弟弟子
私の名前はモネ。
ダネモ領都ダナモラナムで薬屋を営んでいる。
ダナモラナムはアーツクライク王国南西部に位置するダネモ公爵領の領都であり、王領である中央領とエンティーヌ川を挟んだ領境に臨する人口10万人の城郭都市だ。
自分で言うのもどうかとは思うけれど、私はこの界隈ではそこそこ有名人で、素材採集狂いの変人として知られている。
私が薬というものに傾倒し始めたのはかなり古い話になる。
6歳か7歳だったかの時に運悪く魔物に襲われ、大怪我を負っていたところを通り掛かりの冒険者に救われたのだ。
その冒険者は、半ば食いちぎられ右腕の肘から下が皮一枚でぷらんぷらんと冗談みたいに揺れているのを眺めながら顔を青くしている私に惜しげもなく貴重な薬を使い、腕を修復してくれたのだ。
今思い出しても身震いがするような凄い薬だったが、当時の私にとっては神の奇跡にしか思えなかった。
魔物から救ってくれた上、そんなに凄い薬まで何の見返りも求めず施してくれたその冒険者に一生を捧げる程の感謝をしたが、彼は無事で良かったと笑うだけでついに何の礼も受け取ってはくれなかった。
そうなれば、行き場を失った感謝の矛先は神の軌跡の如き薬に向くようになり、やがて感謝は崇拝となり、いつしか私も手に入れたい、いや、私のこの手で作りたい、そう願うようになったのだ。
その後、私に薬師の適性があると分かったときには正に天啓と神に感謝したものだ。
神の薬へ辿り着くべく、周りの注意も聞かずに勝手に野山へ赴いては薬草探しに勤しんでいた私だったので、それならいっそと齢10歳にして薬師の師匠の元へ放り込まれたのだった。
師匠の名前はグレナ。
30代半ばにしてすでに街一番の薬師と呼ばれる女性だった。
その腕前は素晴らしく、薬草から必要な成分だけを取り出す[精製]というスキルを使い、高品質な薬を作り上げていた。
住み込みで師事する中、その手法や、知識を吸収したが、私には肝心の[精製]のスキルが無かった。
薬師としても、人間としても尊敬出来る優秀な人ではあったが、私は師匠のやり方では一流の薬師にはなれない。
当然、神の薬にも辿り着くことは出来ない。
17歳で師匠の元を辞すると、私は地元に戻り、自分のやり方で究極の薬を作るべく、模索し始めた。
自分のやり方ーー自分のスキルの力を活かした薬を作る。
私の授かったスキルは[植物感知]、[運動]の2つだった。
私はダブルスキルと呼ばれるスキルを2つ持つ稀有な存在だったのだ。
[植物感知]は意識を研ぎ澄ませると自分の周囲のどこにどんな植物があるのか、感覚的に認識できるというスキルだ。
適性検査を受ける前から無自覚的に使っていたような気もするが、意識的に使えるようになって以降は薬草探しが非常に捗った。
[運動]は意識を向けた対象に魔力を流す事で任意の方向に動かす事が出来るというもので、私は主に薬草をすり潰す石臼を動かすことに使っている。
同じ薬草から作る薬であっても、精製を使って出来た師匠製の薬に、石臼ですり潰しただけの私の薬が敵うべくもなかった。
製法で敵わないなら、素材を良いものにするしかない。
そう考えた私は子供の頃のように野山での薬草探しを再開したのだった。
そうして約15年、師匠の薬には及ばずとも私の作る薬は地元ダナモラナムでは随一と呼ばれるようになった。
店での商売は雇った従業員に任せ、私はただただ新薬の開発とその為の素材探しに注力していた。
昔と変わった事といえば、私も年齢を重ね、保身の為の分別が付けられるようになったこと、その為の潤沢な資金が手元にあることだ。
東に霊薬の葉が生る木があると聞けば東に、西に神水の泉があると聞けば西にと飛び回る私ではあるが、今では都度、行き先の危険度に合わせて護衛を選ぶ目利きまでできるようになった。
そして、夢の神薬に向けて着実に素材を集めていく私が次の素材の採集計画に行き詰まってしまい、頭を抱えていたそんな時、とても懐かしい筆跡で綴られた羊皮紙の手紙が届いたのだった。
「やあやあやあー! 待っていたよ。スオー君と、それに、あぁ! リディアちゃんだね! あんなに小さかったリディアちゃんが! こんなに美人さんになっちゃって」
「えと、モネ、さんですよね。初めまして、スオウです」
「リディアです」
二階の研究部屋から一階の店舗部分へ飛んできた私が大きい身振りで歓迎の意を示すと、降り続く雨で濡れねずみ状態の二人が控えめな声で挨拶をしてくれた。
若干引き気味に見えるが、きっと雨中の長旅で疲れているんだろう。
「あぁ、そうだ。私がモネだよ! この店の店主だ。そして君の姉弟子という事になるね! いやまさか、あのものぐさ師匠から手紙なんて一体いつぶりだろうと思えば、はははっ! 手紙の通りの可愛い二人じゃないか! 歓迎するよ!」
「あ、ありがとうございます」
「おっと、悪かったね。まずは体を乾かさないと風邪をひいてしまう。君達の部屋は上に準備してあるからね、案内するよ! お湯が沸いたら呼ぶから下に取りに来てくれたまえ! さぁ、こっちだよ」
店の奥にスオー君達を通すと従業員のクラトから、店長、店内ではもう少し小さい声でお願いします。と窘められた。
そんなに大声になってしまっていただろうか。
そのつもりは無いが、夢への研究が行き詰まっていたところにあの師匠から優秀な弟子を寄越すと来たのだ。
期待でテンションがぶち上がってしまったとしてもそれは仕方がないというものだ。
クラトに分かったと一応の詫びを入れ、私もスオー達の案内の為に奥へ入るのだった。
着替えを済ませた二人がリビングに降りて来たので、私は熱いハーブティーを淹れて席を勧めた。
「どうだい? 師匠のハーブティーを研究し、更に改善した特製ハーブティーだ。薬じゃまだ敵わないけど、お茶ならもう私の方が上だと自負しているのだよ!」
「えぇ、そうですね。師匠の淹れてくれるお茶よりも香りが際立っていますし、後味もスッとしていて美味しいです」
「美味しいです。モネさん、ありがとうございます。でも、スオーの作るハーブティーも美味しいんですよ。また今度飲み比べしましょう」
「へぇ、それは楽しみだね。是非お願いするよ」
「グレナさんが煩いんですよ……、もっと酸味を消して甘味にキレを出せとか、青い匂いをゼロにしろとか、きっと僕の事を小間使いだと思っているんですよ」
スオー君がやれやれだと肩を竦める。
「その注文をスオー君は叶えられると?」
「え? あぁ、はい。まぁ、出来ますね。それぞれの味とか匂いの成分を特定して[精製]で分別するだけですけど」
やっぱり弟弟子は[精製]持ちだった。
これは私の夢への距離が一気に縮まったと私のテンションがますます上がる。
「おぉ! やはりスオー君は[精製]が使えるんだね! 素晴らしい! あぁ! 師匠はなんと良い人材を寄越してくれたことか!」
師匠の元を辞して早15年、師匠は今でも私の事を思ってくれていたのだと遠いメイルシュッツに居るはずの恩師に感謝の念を送る。
「はぁ、お世話になる分はお手伝いさせていただきます」
スオー君が何か違和感のある顔をする。
またテンションが上がり過ぎて引かせてしまったかな、と少し声を落とすことにする。
「あぁ、期待しているとも。共に究極の万能薬を目指して頑張ろうじゃないか」
「はぁ、うーん? 明日には出立する予定ですが、一日くらいなら観光がてら日程を伸ばしても大丈夫だと思います。あまり作るのに時間が掛かる薬だとちょっと困りますけれど……」
「んー?」
「えーと?」
私とスオー君が同時に首を捻る。
リディアちゃんは初めから会話はスオー君に任せきりのつもりなのかお茶菓子をモグモグ食べている。
「おかしいな。えーと、師匠からの手紙にはリディアちゃんと新しく出来た優秀な弟子を私のところに寄越すから世話をしてやってくれと書いてあったんだけど。二人共、私の店に働きに来てくれたんじゃないのかい?」
はあぁぁぁぁぁとスオー君が溜息を吐いて眉を顰めて憎々しげな声を出す。
「グレナさん、手紙の言葉を端折り過ぎなんだよ……」
「というと?」
「僕とリディアは今、王都を目指してまして、ダナモラナムにはその途中で立ち寄っただけです。あまり長くお手伝いをすることはちょっと、申し訳ないのですが……」
「そ、そんな……、せっかく道が開けたと思ったのに……いやいや、まてまて、まだ諦めるには早いぞ! その王都での用事を済ませた後で構わない! 是非、私の店に来たまえ! 特等席を用意して待っているよ!」
希少な[精製]持ちの人材をみすみす逃す手は無い。
私は気持ちを持ち直して食い下がることにした。
困った表情になったスオー君が助けを求めるようにリディアちゃんに顔を向けたことでリディアちゃんが久々に口を開いた。
「スオー、また仕事を増やすつもりなの? 他の仕事に影響が出ないなら別に構わないけど、そんなだからいつまで経っても自分の夢が叶えられないんじゃないの?」
残念なものを見るようにリディアちゃんがスオー君を諭して、それから私に向き直った。
「モネさん、私達は冒険者です。王都での用事が済んだら一旦メイルシュッツに戻ります。けれど、その後は世界を見て回りたいと思っています。スオーは私の冒険者パーティの仲間ですし、父さん達からは私の護衛としての役目も任されてくれています。本人が希望するなら止められませんけど、私は譲るつもりはないです」
「えぇーー、全然聞いていた話と違うじゃないかぁ、スオー君は薬師の見習いだって話だったじゃないか。それにほら、もう住み込みの部屋まで用意しちゃったし、ねぇ、ほら、世界はパパッと地図ででも見れば良いじゃないか」
壁に貼り付けている王国地図を指差す。
「スオーは薬師の見習いで、冒険者で、私の護衛なんです。何も間違ってませんよ。部屋の件はわざわざ用意して下さったのは申し訳ないですけど他の従業員さんにでも使わせてあげて下さい」
物怖じせず、はっきりと言うべき事を言う。
可愛い見た目をして、意外と逞しく成長したものだ、最後に見た時はまだやっとふらふら歩き始めた子供だったというのに。
私の中に少し悪戯心が芽生えた。
「そう冷たい事を言わないでくれよ。リディアちゃんと私の仲じゃないか、そうだ。私はリディアちゃんのおしめを替えてあげた事もあるんだぞ!」
「か、関係ないじゃないですか! 今はそんな話。わ、わたしは覚えてもいないですしっ」
白い耳を真っ赤にして焦るリディアちゃんもとても可愛い。
スオー君だけじゃなく、リディアちゃんも手放し難い。
うーん、困ったものだ。
「そうだ。スオー君は知っているかい? リディアちゃんの左のお尻にはね、可愛い形の痣があるんだよ」
「え? えぇっと、知らないです」
裸で尻を出すリディアちゃんを想像でもしたのかスオー君の耳も赤く染まる。
初心だねぇ、可愛いねぇ。と私の悪戯心がますますくすぐられる。
「そっ、そんなの私も知らないですし、だから関係ないじゃないですかっ!」
声を荒げるリディアちゃんに上から見下ろすように悪い女の顔を見せて交渉に当たる。
「その通りだね! 自分じゃあ自分のお尻は見られないものねぇ。ふはははっ、何も我が店に誘っているのはスオー君だけじゃないんだよ。冒険者だと言うなら、リディアちゃんももちろん素材採集班として来てもらって構わない。願ったり叶ったりじゃあないか! あっはっはっはっ」
「だ、だから、私は世界を見て回るから、そんな仕事にはーー」
「あれ、いいのかな? そう、リディアちゃんも知らないリディアちゃんの事、お尻の事だけじゃーぁぁあない。スオー君にならいくらでも教えてあげてもいいんだけどなぁ? スオー君も二人で一緒にリディアちゃんのあの可愛い痣を見てみたくはないかい?」
今度は、あぁーん?と質の悪いチンピラのように下から二人を見上げる。
「い、いや、それは見たいですけど、その」
「ダメよ! 絶対ダメなんだから! うぅ……、私の秘密くらいいくらでもバラすといいわ! スオーは渡さないんだからっ!」
リディアちゃんがうるうると目を潤ませながら反論した。
流石にちょっとやり過ぎただろうか。
出しゃばり過ぎた悪戯心を反省して引っ込める。
「いや、ごめんごめん。泣かせるつもりはなかったんだ、冗談だよ、冗談。二人共ウチで働いて欲しいっていう気持ちは本当だけど、こんなに可愛い二人の邪魔をするつもりなんて無いよ」
パタパタと悪かったと手を振る。
「私だってリディアちゃんのことは大事な妹のように思っているんだ。だから、ね、やり過ぎたのは謝るから、そろそろ泣き止んでよリディアちゃん」
まだグズグズと鼻を鳴らして私に睨みを効かせてくるリディアちゃんにテーブルに手をつけて頭を下げる。
「もぅ、今度グレナさんに言い付けてやるんだから」
師匠の雷は怖いけれど、雷雲も流石にここまでは届くまい。
やっとリディアちゃんが機嫌を直してくれたようだ。
「そりゃあ勘弁して欲しいな。ま、一旦は二人の事は保留にしておいてあげるよ。ところで、二人は王都を目指してるって話だったけど、急いでいるのかい?」
「特に期限が決まっている訳では無いので急いではいないですけど、あまり遅いとアリアさんとグレナさんが心配しますからダラダラとは出来ないですね」
涙を拭っているリディアちゃんに代わってスオー君が答える。
「そうか。でも、今日明日でこの街を出発させるわけにはいかないよ」
「何か深刻な依頼事ですか?」
「いや、そういう話じゃなくて、今は王都方面へは行けないんだよ。物理的にね」
どうやら二人共知らないらしい。
リディアちゃんの両親もグレナさんも基本的にメイルシュッツ周辺でしか活動をしていないはずだから仕方がないか。
「今も外は雨だ。今年は例年より大分長いね。さて、私達の住むこのダネモ公爵領と王領の間にはエンティーヌ川という大きな川が流れている。現在、その川はどうなっていると思う?」
「あー。つまり、雨が上がるまでは渡れないんですね」
「そういう事になるね。まぁ、流石に雨はもう2、3日もあれば上がるだろうけど、水位が安定するには更に3、4日はかかるだろうね」
顔を整え、最後に小さく鼻を啜ったリディアちゃんが何か言いたそうにスオー君を見つめる。
こうして見ると、赤らんだ顔でうっとり恋人の横顔を見つめる乙女だ。
お尻は見た事が無いと言っていたけど、2人はどこまで進んだ仲なんだろうか。
「いや、そんなに見られても流石に氾濫した川をどうにかは僕には出来ないよ」
「そっか」
リディアちゃんはスオー君にならそんな事が出来るとでも思ったのだろうか、いやいや、いくら彼がヒーローに見える乙女補正が掛かっているにしてもどんな過剰な期待だよ。
「じゃあ、断っといてで申し訳ないんですが、それまでここでご厄介になっても良いでしょうか?」
「ふふふっ、望む所だよ。もちろんその間は二人共しっかり働いてもらうけどね!」
「お手柔らかにお願いします」
「私も、さっきはごめんなさい。ちゃんと働きますんで、よろしくお願いします」
「あぁ、期待しているよ。それと、お尻の痣がどう成長したかも後でじっくり」
「見せませんよっ!」
今度はちゃんと冗談だと伝わったらしい。
笑いながらリディアちゃんが突っ込んでくれたのだった。