13話 娘を託す彼
私の名前はアリア。
港湾都市メイルシュッツで夫のラウエルと2人組の冒険者をしています。
冒険者なんて危険な仕事をしてはいますが、これでも一児の母なのです。
その一人娘のリディアが約1年と半年ほど前に自分も冒険者になりたいと言い出しました。
いえ、本当はもうずっと前からその思いを抱えている事は分かってはいました。
ですが、リディアはこんな危険な仕事ではなくもっと安全な仕事に就いてほしいという私達両親の気持ちを汲んでくれていたのだと思います。
私達の前では心配をさせまいと振る舞う優しい娘なのです。
ですが、親の思いと自分の気持ちの狭間で思い悩む姿はいくら隠しても母親である私には隠し切れるものではありませんでした。
私も内心ではいつかこうなる事は分かっていたのかもしれません。
きっかけはある日娘から紹介された男の子でした。
仕事で月の半分程は家に居られない私達に代わり、リディアを見てくれているグレナさんの新しいお弟子さんということでした。
そのスオーという不思議な雰囲気の男の子はリディアと同歳ということもあってか、家を空けていたたった数日の間だけでとても仲良くなっていたようでした。
その様子にリディアへの溺愛が過ぎるラウエルがスオー君を殴り飛ばしてしまうというハプニングもありましたが、リディアはその同歳とは思えない大人びた雰囲気の男の子から影響を受けたのか、私達の反対を押してでも冒険者になるという決意を伝えてきたのでした。
「世界中を旅して、自分の行きたい時に行きたい場所に行って、やりたいことをする。その為に冒険者になる。」
涙を溜めながら必死に私達に語りかけるリディアの瞳には憧れと希望、それに揺るぎない決意が見てとれました。
リディアの決意を見せられた私達はその決意を尊重することに決め、それからはその夢に協力していく事になりました。
優しいリディアが冒険者になるなんて心配で心配で、今でもやっぱり止めて、と引き留めたくなる気持ちはあります。
ですが、きっとこれもリディアが成長したということ。
自分の道は自分で決めると意思表示をしたあの瞳を思い出すと今でも胸が熱くなって、娘の成長を見られた喜びのような感情が湧き上がってきます。
私はその成長を促してくれたスオー君には感謝こそすれど、悪い感情はどこにもありませんでした。
ただ、父親としてはそうもいかないらしく、ラウエルはスオー君のことをリディアに余計な事を吹き込んだ邪魔者扱いしているようでした。
2人はいつも微妙な雰囲気でしたが、スオー君もラウエルもリディアの事を大切に思ってくれている似た者同士ですから、そのうち仲良くなるでしょうと暖かく見守る事にしました。
今では2人とも息ピッタリの仲良しです。
それからリディアの冒険者としての訓練が始まりました。
様子見のはずの初日にオークの群れに襲われたもののスオー君が撃退してくれたらしく、私はその強さを見込んでリディアの護衛をお願いしました。
ラウレルはリディアを危険な道に引き込んだ責任を取らせて道連れにさせると言っていましたが、この人は照れ屋で素直じゃないけれど、きっとリディアを任せられる相手が見つかって嬉しかったんだと思います。
スオー君は快く引き受けてくれました。
それからリディアとスオー君は正式に冒険者としてパーティを組み、私達の指導の元、メキメキと力を付け、頭角を現し始めました。
スオー君のスキルのおかげでリディアはどんどん新しい魔法を使えるようになっていくし、スオー君はスオー君で見た事も無い武器を自分で作って何の苦労も無く魔物を倒していきます。
ある時、せっかく新しく見つかったというマレド村のミスリル坑道がゴブリンキング率いる魔物の群れに占拠され、その討伐依頼がギルドから発表されました。
ゴブリンキングの率いる群れともなると、総数200体以上でゴブリンナイトやメイジゴブリンなどの厄介なゴブリン達が連携を取り合う非常に危険な相手です。
銀級冒険者である私とラウエルであってもとても手には負えない案件で、引き請け手の無い依頼として王都に救援依頼が回るだろうと皆が考えていました。
何を思ったのかスオー君は鉄級の彼らパーティでは請けられないから、私達と共同受注でその依頼を請けてくれと言い出したのです。
当然、拒否して危険性を理解していない子供達にこの依頼の危険性を渾々と説いたのですが、のらりくらりとかわされ、気が付けば「マレド村の安全確認だけ」「坑道周りの状況確認だけ」「敵戦力の偵察だけ」とズルズル坑道まで行く事になっていました。
そこまで来てしまえば、こちらのものだと、子供達が飛び出してしまい、ゴブリンの群との戦闘になってしまいました。
なんとか隙を突いて子供達を回収し撤退しなければと焦っている間に、スオー君の筒状の武器からパンパンと音がして、音がする度に離れた場所にいるゴブリン達がバタバタと倒れていきました。
大人2人が口を開けて唖然としているうちにもゴブリン達の死体の山が積み上がっていき、最後に出てきたゴブリンキングもパンという音一つで倒れました。
オークの群れの時も凄かったとは聞いていましたが、何なんでしょうこの子は。
スオー君の非常識さに呆れ返っていると、リディアもトドメとばかりに坑道の中に魔法の火球を放り込みました。
それも私の全魔力を込めた渾身の魔法より3倍は大きな火球で、坑道の出口全てから火柱が立っていました。
知らない間に自分の娘も非常識になっていたみたいです。
その後は黒焦げになった坑道の中を一通り確認して、帰路に就きました。
帰宅するとスオー君が何処からともなくミスリルの鉱石を大量にゴロゴロと出しました。
何処から出したのか、どうやって運んだのか、いつ取ってきたのか、どれだけ沢山あるのか、許可は取ってあるのか、もう疑問が大渋滞で私にもラウエルにも着いていけませんでした。
リディアだけがすごいすごいと大はしゃぎしていました。
翌日、ミスリル鉱石は子供達の武器と防具に変わっていました。
ミスリルは非常に軽い割に鋼鉄よりも硬く、その上、触れている者の魔力をよく通し、放たれた魔法などの魔力には強く抵抗する神の金属と呼ばれています。
ですが、加工難度が高く、ミスリルを加工するには熟練の超一流と呼ばれる鍛治師が専用の設備を使って加工しなければならないらしいのですがスオー君はどうやって……、もう何も言わなくても良いでしょう。
また、とある別の日にはテミトルスの森で目撃されたというタイラントマーダーウルフ討伐の緊急依頼を、またしても銅級の自分達では請けられないから、一緒に請けてくれと言ってきました。
タイラントマーダーウルフは凶暴でとても強い魔物です。
メイルシュッツ中の腕利きの冒険者全員であたってもおそらく返り討ちにされるでしょう。
今度こそダメだと説得しましたが、今回も「森周辺の街道の警備だけ」「森の外周の偵察だけ」「王都からの討伐隊の露払いだけ」と言っている間に森中から魔物が一掃され、積み上がる魔物の死体の山の中にタイラントマーダーウルフが混ざっていました。
翌日、リディアの杖の先には一際大きな青い魔石が輝き、スオー君の装備のあちこちに魔石が埋め込まれていました。
そんな事が幾度かあり、リディアもスオー君もあっという間に銀級冒険者となり、王都からの金級昇格試験の招待状が届くまでになりました。
思えば、私達が子供達に教えてあげられたのはほんの最初のうちだけで、それも冒険者ギルドでの仕事の処理作業や、野営でのキャンプの張り方、あとは携帯食料の作り方くらいだったかもしれません。
こうして、リディア育成計画は大幅に短縮され、リディアの夢である自分の意思で世界を見る旅へと送り出す日が来てしまいました。
「リディア、自分で言い出した夢だ。思い切り頑張っておいで。スオーには伝えてあるけれど、王都に行くなら必ずダナモラナムを通るはずだ。まずはあそこで薬屋をやっているモネを頼りな。手紙は出しておいたから待っててくれるはずだよ。それじゃあ、気をつけて行くんだよ」
「うん。ありがとう。グレナさん、大丈夫だよ。すぐに帰ってくるからね」
「ほほほ、道中、悪い男に引っかからないように気を付けなさいな。都会は悪いのがいっぱい居るって話だからね。やっぱり帰れませんなんて手紙は嫌だからね」
「グレナさん、今回は初旅だから王都で試験を受けたらすぐ帰ってきますってば。心配要らないですよ」
「スオー、あんたがいつまでもフラフラ女々しい態度だから、態々わたしが心配してやってるんじゃないか。はぁ、まぁいいさ。あんたがしっかりリディアを守るんだよ」
「任されました!」
グレナさんが先にお別れの挨拶を済ませ、私達に場を譲ってくれました。
「おぉぉぉぉ、リディアぁぁぁ、俺を置いて行かないでくれぇぇぇ」
ラウエルがリディアの足元に縋りつきながら大声で泣いています。
「ちょっ、ちょっと父さん流石に街中で本気泣きは恥ずかしいから止めてよ。ほら、母さんも止めてよ」
「ふふっ、本当に可愛い人。昨日の夜は絶対泣いたりしないって言ってたのにね」
「もうっ、そういうのじゃなくてさ、あーんもう、父さんの涙で服がグチャグチャになるじゃない」
リディアが私に助けを求めてくるけれど、私にはもう助けてあげる事が出来ませんでした。
だって、私ももう涙でグシャグシャになってしまった顔を上げることが出来なかったから。
「もぅ、母さんまで泣いてるの? うぅ、笑顔で行ってきますするって決めてたのに、ダメになっちゃうじゃない、うぅぅぅ」
私ももう我慢の限界でした。
リディアを抱きしめると内から内から湧き上がる声を抑えられず、泣いてしまいました。
しばらく3人で抱き合って泣いて、泣いて、やがて涙は収まってきても、いつまでも離したくない思いでぎゅっと抱きしめ続けていると
「リディア、もう行かないと。今晩野宿になっちゃうよ」
終わりを告げる声が掛かりました。
「リディア、ごめんね、母さん、なんにもしてあげられなくて。 リディアが寂しい思いをしてたのも、我慢してたのも、こっそり泣いてたのも、全部知ってたのに! ちゃんとお母さんしてあげられなくて! ごめんね、ごめんね! でも、絶対、絶対ちゃんと母さん待ってるから! 絶対戻ってきてね!」
もう自分でも何を言ってるか分からなかったけれど、リディアはうんうんと頷いて背中をぽんぽんと叩いて身体を離しました。
「母さんはちゃんと母さんだよ。分かってるから。大丈夫。ちゃんと戻って来るから」
本当に子供というのはすぐに大きくなってしまうものなのですね。
少し前に急な成長に驚かされたと思ったら、すぐにまた成長を見せつけてきます。
これ以上、親が子供の足を引っ張るわけにはいかないでしょう。
「ありがとう。うん、待ってるね、風邪ひかないようにね、気をつけてね、スオー君の言う事ちゃんと聞くのよ」
「ふふふっ、分かってるってば。母さん達も私が居ないからって、呪いを進めちゃダメだからね」
そう言って未だにリディアの足に縋りついて涙と鼻水を擦り付けているラウエルをゲシっと蹴飛ばしました。
「ほら、母さん、捕まえて。もうっべちゃべちゃじゃない。まったくっ。…………。ふぅ。それじゃ、行って来るね! 父さんも元気でね!」
クルッと外套を翻して背中を向け、スオー君に一声掛けると、もう振り返る事もなく颯爽と歩いて行ってしまいました。
滲んだ視界でもその肩が小さく震えていることはハッキリ分かりました。
あぁ、私の最愛の娘の旅立ちにたくさんの幸せが待っていますように。