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伝票のない贈り物 ~小さなあなたを未来の私へ~

作者: 木山花名美

 

 支払日、畳の張り替え日、歯医者の予約。

 昔は子供の予定でぎっしりだったのに、今は見事に殺風景なカレンダーを見つめる。

「じゃあお母さん行って来るね!今日はゼミの追いコンで遅くなるから」

「気を付けてね。一人で夜道を歩かないでよ」

「大丈夫!朝までカラオケだと思うから。じゃあね!」

 二十歳になった娘は、こちらを振り返りもせず、跳ねる様に家を飛び出して行く。

 しんとなった部屋で再び眺めるカレンダー。印の付いていない今日は、私の誕生日だ。


 この歳になると誕生日なんてただの通過点に過ぎず。ケーキやプレゼントに囲まれていた子供の頃のときめきも、歳をとることに怯え鏡を眺めていた若い頃の焦りも何もない。自分を産んでくれた親に感謝はすれど、また一年が過ぎたなとぼんやり思うだけだ。

 ただ、こうして思えることの有り難さを自分はよく解っている。夫から受けた暴力、妊娠中の浮気で離婚するも、その後に待っていたシングルマザーの苦しい生活。幼い子供だけを見つめて、きちんと根を張る為に動き続けた。育児と仕事に追われながらも資格を取り、安定した収入を得ることが出来た。中古だがマンションも購入し、子供も何とか大学まで通わせることが出来ている。暴力にも金欠にも怯えることのない平穏な毎日。

 ……だから決して、寂しいなどと思ってはいけない。



 さて、趣味のアクセサリーでも作って……新しく出来たパティスリーで好きなケーキでも買おう。

 材料を収納している棚へ向かおうとした時、何処からか赤ちゃんの泣き声が聞こえる。

 可愛い……同じマンションの子かしら。お隣?結構近くで聞こえるわ。

 リビングの棚へ手を伸ばそうとした時、更に泣き声が近くなる。それはまるで室内から聞こえるような。ふと、リビングの隣の和室に目をやる。ここから……まさか

 すーっと襖を開けた先、大きな泣き声と共に飛び込んで来たのは、うつ伏せになったまま顔を真っ赤にして泣く小さな赤ちゃんだった。

 理解が追い付かず暫くその場に立ち尽くすも、苦しそうな顔にはっとして近寄り、頼りない身体を仰向けに戻してやる。

 薄い髪の毛、てっぺんとおでこに二つあるつむじ、大きな丸い顔、細い目、厚みはあるが小さい唇。

 そして……見覚えのある、うさぎ柄のカバーオール。

 この子……この子は。

 仰向けにしてもまだ泣き止まない赤ちゃんをそっと腕に抱くと、縦抱きにして立ち上がり揺らしながらトントンする。少しして泣き止むと、横抱きにし、再びその姿をじっくりと眺めた。

 間違いない……この子は、菜摘だ。


 何故?何故?

 頭がぐるぐると忙しなく回転するも、意味が分からない。夢でも見ているのだろうか。

 眉をしかめる私が面白いのか、菜摘が声を上げて笑い始めた。

 ……ああ、少し前に出た歯茎、この笑い方、やっぱり間違いない。

 何が何やら、夢やら現実やら分からないまま、ただ胸に溢れる愛しさのままずっと眺め続けた。



 どれくらい経っただろうか。菜摘が不意に私の胸元に顔をすり寄せ、口をパクパクと開き始めた。……お腹空いたのね。どうしよう。服の上からお尻を触ると、重くずっしりとしている。

 菜摘はむずかり、再び泣き出した。気持ち悪いね。

 とにかくこの子が菜摘である以上、このままにはして置けない。

 寒くない様厚手のブランケットで包み抱き上げると、財布の入った鞄を掴み外へ出た。冷たい外気に触れると、菜摘はきょとんとした顔で周りに目をやる。そうそう、昔から外へ出るとこんな風に泣き止んだよね。少し安心すると今の内にと、近所のホームセンターへ急ぎ歩いた。


 到着すると真っ直ぐベビー用品コーナーへ向かい、粉ミルクに哺乳瓶、おむつにお尻拭きなど次々カゴに入れていく。

 ……抱っこしたままこれを持って帰れるかしら。上の方に陳列されていた抱っこひもを手に取るとレジへ並んだ。

「可愛いですね」

 自分と同世代の店員が目を細める。私はお祖母ちゃんに見えているのかしら……まだ見えないであって欲しい。

 レジ横のベンチで早速抱っこひもを開封すると、あれこれ迷いながら装着し菜摘を中へ入れる。空いた両手に袋をぶら下げ、再び家へ戻って行った。



 哺乳瓶を殺菌しつつおむつを替え、分量を調べながらミルクを用意し菜摘の口元へ持っていく。新生児期以外はずっと母乳だったけど……飲んでくれるかしら。ちょろっと舐め難しい顔をするも、余程お腹が空いていたのかそのままゴクゴクと飲んでくれた。良かった……

 こんなに寒いのに、汗だくになっている自分が可笑しく、ふふっと笑ってしまう。哺乳瓶が空になり、げっぷをさせようと縦抱きにした瞬間、自分で器用にげっぷをする。やはり生後6か月くらいね……この時期のことが甦る。



 私にとって、一番辛かったのがこの頃だった。新生児の頃の生理的欲求と異なる、原因不明の夜泣き。おむつも綺麗で、お腹もいっぱい。なのに何故?

 昼間刺激を与え過ぎない、離乳食を消化の良いメニューへ。色々試したけれど何も変わらず。睡眠不足のまま毎日出勤する生活に疲弊しきっていた。今日もこの子は寝かせてくれない。限界を迎えたある夜、

『もう、お願いだから寝かせてよ!何でこんなに苦しめるの?お願いだからどっかに行っちゃってよ!!』

 幼い我が子にぶつけた言葉。手だけは上げない様に、爪が食い込む程強く握りしめる。泣き声は余計に激しさを増す。また隣から文句を言われるのだろうか……明日は早番だ……もう……疲れた……何もかも。

 泣きながら、そのまま気を失う様に眠りに沈んでいった。

 ふと目を覚ますと、静かな部屋。隣には見慣れぬベビー服を着てすやすや心地好さそうに眠る菜摘。何故か不思議な安堵感に包まれたのを覚えている。その日以来、夜泣きは徐々に減っていき、まとまった睡眠が取れる様になっていった。



 お腹が満たされ、こくこくと揺れる菜摘。突如、部屋に爆音が響く。何とも言えない臭いと、お尻の濡れた感触。そうそう、この頃悩まされていたのが、いつ来るか分からないこの爆弾。

 水の様に緩く大量のそれは、うさぎのカバーオールを黄色く染めていた。菜摘は自分の音に驚き、一瞬固まった後、ギャーッと泣き出す。笑いながら汚れた服を脱がせ、手早く身体を拭いていく。二十年以上経つのに、こうして手は覚えているものなのね。

 袋から一着のベビー服を取り出す。今朝あの子が着ていたワンピースと同じ、淡いグリーンの花柄のベビー服。買っておいて良かったわ。

 新しい服に包まれた菜摘は、再び心地好さそうに瞼を閉じる。


 ああ、そうか、そうだったのね……


 そっと布団に下ろし、泣かないことを確認して隣に添い寝する。

 ねえ、おうちに戻ったらママに教えてあげてね。私は二十年後には、ソファーでも床でも何処でも寝ちゃうくらい、よく眠る子になりますよって。

 えくぼのある小さなぷにぷにの手を握り、可愛い可愛い寝顔を見つめる。もう少し……もう少しだけ……

 瞬きをした瞬間、ミルクの匂いの菜摘は消えていた。布団にはまだ温もりがある。頭があった辺りには細くて短い髪の毛。何度も匂いを嗅いで、確かに赤ちゃんのあの子が居たことを確かめる。

 もう二度と……あの子には会えないのね。

 はっとし、押し入れを探ると、綺麗に包まれた一着のベビー服が出てくる。少し色褪せたグリーンのそれは、何故かとても大切な物の様な気がして、捨てずに残しておいた物だった。胸に掻き抱くと、涙がほろほろと流れる。



「うわあああーママあ、ママあ」

 自分の嗚咽を掻き消す泣き声。今度は寝室の方から聞こえる。慌てて駆け込んだ先には、短か過ぎる前髪とおかっぱ頭、妖精の絵の服を着た小さな女の子。

 間違いない……この子は、二歳の菜摘だ。


 私に気付くと、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で飛んで来る。

「ママあーママあ」

 あなたは私が分かるの?こんなに歳を取ってしまったのに。

 自分の太股程の背丈の、小さな温かい身体を抱き締める。

 菜摘は安心したのか少し離れると、くたくたになった服を握り泣きながら訴える。

「お姉さん!お姉さんがいいの!しましまやだあ!」


  この時期……思わずくすりと笑いが込み上げる。

 何をするにもこだわりの強いイヤイヤ期。

 よく見ると服の下はまだパジャマのズボンで、着替え途中であることが分かる。



 起きるのもイヤイヤ、顔を拭くのもイヤイヤ、ご飯もイヤイヤ……

 あと十分で家を出なければ……もう次のバスに乗り過ごしたら遅刻確定だ。

 菜摘は私が用意した服を放り投げると、洗濯カゴから昨日着たばかりの汚れたシャツを引っ張り出し、無理やり着ては駄々をこねる。

『お姉さんがいい!』

 妖精の絵のそれは、菜摘がお姉さんと言っては毎日の様に着ていたお気に入りの一着だ。

『洗うんだから今日は駄目!こっちにしなさい!』

『嫌だあ!嫌だあ!お姉さん~』

 ひっくり返って泣き喚く。もう……いい加減にしてよ。何で毎朝家を出るだけなのにこんなに大変なの。もう……疲れた……何もかも。

『じゃあ汚いままずっと家に居て。私は仕事に行くから』

 鞄を取ると、菜摘を置いてそのまま玄関を出る。

 ……私、何をやっているの。

 バス停近くまで歩いた所でふと我に帰り、走って家に戻る。どうしよう、どうしよう、一人で外へ出て車に轢かれでもしたら……!

『菜摘!』

 勢いよくドアを開けると、そこにはご機嫌で手鏡を見つめる菜摘が居た。

『ママー見て、可愛いの』

 髪の毛のピンを指差してにこにこ笑う菜摘を、ぎゅっと抱き締める。

『ごめんね……ごめんね……』

 その日以来、イヤイヤは徐々に減っていき、余裕を持って対応出来る様になっていった。



 ああ、そうか、そうだったのね。


 私は懸命に訴える菜摘に向き合うと問いかけた。

「ねえ、なっちゃんはどうしてお姉さんが好きなの?」

「だって好きだから」

 想像以上にシンプルな答えに、ぷっと吹き出してしまう。

「そうだね、なっちゃんは女の子らしい可愛いお洋服が好きだったね」

「うん!好き」

 さっきまで泣いていたのが嘘の様ににこにこする。

「そうだ、なっちゃんにいいものあげる」

 私はハンドメイドの作品が入った箱から、小さなヘアピンを幾つか取り出した。

「わあー可愛い」

「好きなのどうぞ」

「これと、これと、あ、これも……」

「じゃあママが付けてあげるね」

 サイドの髪を挟もうと手で掬うと、おでこのつむじがチラッと見えた。可愛い……なんて可愛いの。

「はい、どうぞ」

 3個並べて付けると、小さな手に手鏡を持たせてやる。菜摘は自分を覗くと、キラキラと目を輝かせた。

「ありがとう」

「ねえ、なっちゃん、おうちに戻ったらママに教えてあげて。私は二十年後には、同じ服は二度と着たくない!ってくらい、お洒落好きな子になりますよって」

「うん、わかった」

 手鏡を手に、シャツの端をつまみながらくるくる回る。

 瞬きをした瞬間、お姫様の様な菜摘は消えていた。手には少し汗ばんだ柔らかい髪の感触。確かに二歳のあの子は此処に居た……



 押し入れの箱の、ベビー服と一緒にしまわれた袋。開けるとそこには、さっき菜摘の髪に付けた、リボンやお花の飾り付きのヘアピンが3個と手鏡が出てきた。

 カサリ……

 箱の底から、色褪せ傷んだ包み紙が出てくる。

 これは……


 私はキッチンへ向かうと、冷蔵庫を開いてあれこれ考える。キャベツにウインナーに卵に……大丈夫、作れるわ。そうそう、これも。

 フライパンを熱すると、手早く焼いていく。お皿に移しダイニングテーブルへ向かうと、そこには顔を真っ赤にして泣きじゃくる菜摘が座っていた。

 七五三に向けて伸ばした髪は、綺麗に分けられ編み込まれている。

 間違いない。この子は六歳の菜摘。

 手にはお箸を握り、口にはソースが付いている。


「なっちゃん、なっちゃん」

 目を擦りながら、菜摘がゆっくり顔を上げる。

「どうして泣いているの?」

「……おばちゃん誰?」

「ママの親戚。似てるでしょ?」

 にこっと笑ってみせると、安心したのかポツポツ話し出す。

「ママに怒られたの……お箸が上手に持てなくて」

「どう?おばちゃんに見せて」

 目の前に湯気の立つお皿を差し出す。一生懸命持とうと箸を睨みながら指を一本ずつ挟んでいくも、掴む途中でするりと中指が外れてしまう。

「なっちゃん」

 菜摘がビクリとして箸を置く。

「フォークで食べる?冷めない内に、ね」

「うん」

 フォークを差し出すと、ふうふう冷ましながら口に入れる。

「美味しい!ママのとちょっと違う」

「チーズを入れたの」

「すごく美味しい」

 フォークを器用に使いながら、ぱくぱくと口に入れていく。小さな子が美味しそうに食べてくれる……それだけでこんなに愛しいのに。



 小学校入学を目前に控えたこの時期、保育園の先生から箸の持ち方を指摘され必死になっていた。

 注意し続けたのに一向に直らず、気にしていたところを他人から指摘されれば尚更だ。片親だからと言われない様に、しつけや教育には力を入れたかった。生まれつきの性格や能力なんて関係ない。子供の一挙一動の責任はしつけ故だと、全て母親が負わなければいけないのだから。

『なんで出来ないの?こうやって、中指を挟むの!』

『挟むと上手く掴めないんだもん』

『このまま大きくなったら笑われちゃうよ。小学校に入る前に頑張って直しなさい』

 それでもどうしても上手く出来ず、お好み焼きが口にぶつかりぽろりと落ちる。

『もう嫌だ……お箸嫌だ!』

 細い目から涙が溢れる。

『じゃあもう食べなくていいわ』

 少ししか減っていない皿をキッチンへ下げると、寝室に籠りドアをピシャッと閉めた。菜摘の泣き声と共に自分も泣く。最低な母親だ。お腹を空かせたまま叱って泣かせて。だけど怖い……他人の評価が怖い。育児って、結局誰の為のものだろう。答えは簡単なのに、周りがそうはさせてくれない。“母親“ である限り。

 ふと泣き声が止み、テーブルをそっと覗くと、菜摘が小さな手を一生懸命動かしている。

 指にはいつもの赤い箸ではなく、ラインやら何かの印が付いた木彫りの箸。

『菜摘、それどうしたの?』

『ママに似たおばちゃんにもらったの。掴みやすいんだって』

『そうなの……』

『ほら、こうやるの。あとね、お好み焼きにチーズ入れると美味しいんだよ』

『そうなの、そう……』

『あとね、菜摘は二十歳になったら、上手にご飯を食べてすごく楽しそうだって!』

 涙が溢れ止まらない。子供の様にわんわん泣いた後は、焼き直したチーズ入りのお好み焼きを二人で笑いながら食べた。



「なっちゃん、食べ終わったら、二人でお買い物に行こうか?」

「何を買うの?」

「内緒」


 車へ乗りショッピングモールへ向かうと、雑貨屋で例の物を探す。菜摘の手の大きさに合った物を選ぶと会計を済ませ、帰ろうと再び車を出す。川沿いを走っている時、菜摘がうわあと大きな声を上げる。

「おばちゃん!空が綺麗!すごく綺麗!」

 外には真っ赤な夕焼けが、空も地面も包み込む様に広がっていた。

「少し降りて見て行こうか?」

「うん!」

 風邪を引かない様に、さっき赤ちゃんの菜摘を包んでいたブランケットを六歳の菜摘にかけた。

 土手に腰を下ろすと、二人で景色を眺める。

「綺麗ね」

 隣を見下ろすと、にこにこ笑う菜摘の丸い頬っぺたが、林檎の様に赤く染まっていた。

 可愛くて、愛しくて、大切で。

 でもこの子もきっともうすぐ消えてしまう。

 私はさっき買った包みを開くと、中身を取り出し菜摘の手に握らせた。

「これは魔法のお箸なの。この印に親指を、ここに人差し指を置いてね……きっと上手に持てる様になるわ」

「ほんとだ!持ちやすい」

 一生懸命動かす手ごと、小さな身体を引き寄せ抱き締める。

「……なっちゃん、おうちに戻ったらママに教えてあげて。菜摘は二十歳になったら、お箸で上手にご飯を食べられる様になりますよ。あと、毎日すごく楽しそうですよって」

「うん、おばちゃん、ありがとう」

 ぎゅっと抱き締め返してくれる。

 瞬きをした瞬間、小さな温もりは消えていた。草の上に落ちたまだ温かいブランケットを抱き締めては、あの時みたいにわんわん泣いた。



 菜摘の居ない家には帰りたくなくて、目的もなく車を走らせては、何処かに停めてぼんやりしたり。帰宅する頃には夜の8時を過ぎていた。

 全部夢だったのだろうか……

 室内に駆け込み灯りを点けると、キッチンにはお好み焼きを焼いたままの鍋や皿、子供用の赤い箸に哺乳瓶。和室には開け放たれた押し入れと箱、敷きっぱなしの布団。そして浴室の洗面器には、汚れたうさぎのカバーオール。やっぱり夢なんかじゃない。確かに小さな菜摘は此処に居た。


 ピンポン


 チャイムが鳴る。

「菜摘!?」

 今度は何歳の菜摘?いつのあなたに会えるの?

 勢いよく開けた先に立っていたのは……驚いた顔の菜摘。

 おでこのつむじを隠す様に緩く下ろした髪、メイクで大きく見せた細い目、ベージュのコートに淡いグリーンの花柄のワンピース。

 間違いない。確かにこの子は二十歳の菜摘。


「どうしたの?そんなに慌てて」

「……遅くなるんじゃなかったの?」

「二次会は参加しなかったの。はい、これ」

 小さな箱を差し出す。それは今朝行こうとしていた、新しいパティスリーの物だ。

「誕生日おめでとう。ごめんね、うっかりしてて。もうお母さんてば何か言ってくれたらいいのに。ここの、前食べたいって言ってたでしょ?閉店間際でギリギリ買えたよ」

 恥ずかしいのか、矢継ぎ早に話すと、さっさとリビングに入っていく。

「あれ、誰かお客さん来てたの?」

「うん……小さなね、小さな子供を預かっていたの」

「へえ、何処の子?」

 にこにこ笑う。

 ああ、やっぱり菜摘はあの子達だ。この子はあの菜摘達だ。

 自分より背丈の伸びた身体を思わず抱き締める。

「えっ、なになに!」

 身を捩って逃れようとするも、私の力強さに観念したのか、はいはいと肩を叩いてくれる。



「なっちゃん、どうもありがとう。さあ、お茶を淹れようか」

「私淹れるよ。好きなケーキ選んで」

「ねえ……お母さんね、新しい夢が出来たかもしれない」

「へえ、何?」

「それはね…………」



 それは人生で一番、嬉しかった誕生日の贈り物。

 今度は私が、何処かで疲れたあなたにあげたい。



「もう一度幼い頃のあなたに会って抱き締めたい。育児に追われていたあの頃の自分から、今の私へひょいと贈れたらいいのに」

亡き母の、そんな一言から生まれた物語です。

書きたい気持ちはあれど紙に向かうことはなかなか出来なかったのですが、こうしてネット小説として形に残すことが出来ました。


ありがとうございました。

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