ピッチャーいっぱいのレモンサワー(黒ボールペン編)
「ところで、ようやく新しい取り寄せ機の準備ができました」
カラーボックスある方を見やる。汚い木箱があった場所に同じくらいの大きさの白い箱があった。
「新しいやつあるなら最初から置いときゃいいのに」
「前のものは以前の住人が生前大切にしていたものを模したものなのです。他の場所に移る際にはずなんですが…」
あれやこれや、ミス多過ぎである。しかしここにきた時点でほとんど全ての記憶が失われ、思い出したとしても1日経つと忘れてしまうのではなかったか。さっきの騎士は1日と言わず3秒くらいで忘れてしまいたいが、生前大切にしていたものとは。
「生前のことを覚えている人もいるものなの?」
「非常に強いこだわりがあるものであれば、覚えている方もいないことはないです。」
「こだわり…じゃああの騎士も…」
あの紅の騎士も、生前強いこだわりを持って覚えていたものなのか。それをあんな形で蹂躙されるとは。ここは地獄か。天国なのに。
「ただ、自然になんとなく思い出した記憶ならば、先ほども申し上げた通り大抵は床に就いて目覚めるまでには忘れてしまいます。」
「ふうん。」
私はどうなんだろう、と思った。ゲーム、結構好きだったような気がするんだよな…
「では取り寄せ機の説明をいたしましょう。カラーボックスの方にお越しください」
えっちらおっちら…という雰囲気で歩いていく。ベッドのある側とはちょうど反対側の壁ぎわ、先程までいたソファの裏手にあたる。
ここへ来て何となく、この部屋の全体像を見渡した。
ベッドの頭が向いていた側の壁はベッドの横幅より少し大きめの幅で途切れており、そこから薄暗い廊下が続いて、いくつかの扉があった。恐らくトイレと脱衣場だろう。
反対側にキッチンとシンクらしき鈍い光も見えたが、暗くてよく見えなかった。
「お越しいただけましたか?それでは説明を始めます。」
中の人が言った。
「まずカラーボックスの最上段をご覧ください」
最上段はフラットファイル入れになっているらしかった。注文書、メニュー、簡単レシピ、家電等保証書類…などと書かれた、日焼けした手書きの背表紙が並んでいる。
…妙に生活感あふれる天国だなと思った。
「注文書というタイトルのファイルがあれば開いてください。見つかりましたか?」
「うん」
「ではその中のから1組外してください。
複写式になっていますので2枚繋がって外れてくるはずです。
そちらに今欲しいものを書いていきます。
1枚を取り寄せ機に入れて、もう一枚が控えになります。
筆記具が見当たらない場合はカラーボックス2段目にある抽斗を探してください。何かしらあるはずです」
これまた年季の入ったような抽斗に、多種多様な棒状のものが入っていた。握りこぶし1.5個分くらいだろうか。その中からひとつを手に取った。
「筆記具ってこれ?」
「そうです。字を書くものです。黒い部分が蓋になっています。取り外してみてください」
蓋を取って、先端を先程の紙に押し付けてみる。黒い跡がついた。ひっくり返してよく見ると、先に小さい丸い玉のようなものが入っている。透明な軸の中には黒い液体が入っていた。この液体が少しずつ滲み出し、先の丸いものに付着、それが紙に跡を残していくシステムのようだった。小さい玉が転がる感覚が微妙に手に伝わるのが楽しくなって、しばらく紙の上をクルクルと滑らせていた。
「遊ぶのはそのくらいにして注文書を書きましょうね。〈品名〉と書いてある欄に食べたいものを書いてください」
諭すように話しかけられ、ムッとして手が止まった。そう言われても何も思いつかない。先程の文字が読めたので文字自体を忘れたわけではないようだが、一体何を書けばいいのか?
「…何を書けばいいか悩んでいますね?」
中の人が言った。にやにや北叟笑んでる感じが声色から溢れかえっていて腹立たしい。
「うるさい」
スピーカーを睨みつける。さっき無性に食べたかったものがあった気がする。りんごカードと一緒にコンビニで買った…そうだ「からあげ」だ!
ひらがなで「からあげ」と書いて気づくとまたスピーカーの方から「んっ…んっ…んっ…んっ…」という何か飲んでいる音が聞こえできて思い出す。さっきも何か飲みたかったはずなんだけど、名前がうまいこと思い出せない…
「欲しい品物の名前がどうしても思い出せない場合は、〈メニュー〉というファイルを参考にしてください。生前の好物や、愛用していた物の名前が掲載されています」
「メニュー」というファイルを手に取った。「食べ物」「飲み物」「嗜好品」「愛用品」といったインデックスが丁寧に貼られていた。天国というよりどこかの事務所のような雰囲気である。
「飲み物」の項を開いた。ソフトドリンクとアルコール類の2つの項目に分かれたリストがあり「バナジウム天然水」から「ロ万」まで掲載されている多種多様な飲み物を見ながら、先程飲みたかったのがどれだったのか思い出そうとしていた。
結局この章は2つに分けることにしました。
次回「ピンクの蛍光マーカー編」をお楽しみに!