甘味を求める
「少し、いいですか?」
改まって呼びかけたのはイツォル・セムである。
所はカヌカ祈祷拠点の一角。ミカエラに割り当てられた一室の前で、彼女は弓使いの戻りを待ちわびていた様子だった。
「込み入った話かな?」
「ええと、はい」
突然の来訪を忌むふうもなくミカエラは尋ね、返答を得て頷いた。
「では、入りたまえ。腰を据えて拝聴するとしよう」
定めておいた合言葉で霊術的施錠を解き、ミカエラは部屋へと入る。後に続いたイツォルは卓を挟んで座るなり、
「補佐役としての心得を、教えて欲しい」
そう告げて、懇願の姿勢で頭を垂れた。
「魔皇と戦った時、アンダーセンさんはクレイズさんと阿吽の呼吸だった。わたしも、そうなりたい。秘訣を教えてください」
単刀直入の物言いに、ミカエラは「ふむ」と顎を撫でた。
「カナタ君と、何かあったのかな?」
「……ない。なんにも、ない」
目が泳いでいる。
ラーフラとの戦いののち、彼女とカナタの立ち位置が少しばかり縮まったのを、勿論弓使いの眼は見抜いていた。彼はこれだけの問答で、彼女の理由をおよそ察してもいる。
イツォルの唐突な行動は、不安に端を発するものだ。
カナタと親密の度合いを増し、彼女は願ったのだろう。彼にもっと必要とされたい、と。
そして同時に、思い出したに違いなかった。魔皇どころか五王六武に対してさえ戦力と成りえなかった自身のことを。
恋う人に不要と思われたくなくて、それで類似の位置を担う弓使いを頼ってきたのだ。
娘の感情を読み解いて、ミカエラは眉根を押し揉む。
明らかに、ラーガムの教育の弊害だった。
かの国は集団戦を能くする。共同で訓練を積ませ、連帯を刷り込み、ひとつの生き物のような軍を作り上げるメソッドを丹念に整えている。
見事な手法と思えるが、これは一種の洗脳だった。
義務感や責任感、使命感。そういったもので雁字搦めに搦め捕り、我から滅私奉公を行うように仕向ける業に他ならない。その成果は、カナタやイツォルの自己犠牲精神や自責の強さを見れば明らかであろう。
自軍の兵士に物理的な首輪をつけるのがアーダルならば、精神的にそうするのがラーガムだった。
「最初に、いくつか誤解を解いておこう」
期待の眼差しで見つめてくるイツォルを前に、何から説明したものかと、ミカエラは幾度か指を組み替える。
「君は私を、セレストの尻拭いに奔走する世話係と考えるようだ。が、まずこれが違う。本当に几帳面で苦労性なのは彼こそだ」
「えっ」
「とんだ暴れ者のようだが、あれは存外な律儀者でね。旅の道中でも、調理を担当するのは主として彼だ。私の舌が壊滅的なのもがあるが、ああ見えて調理法通り、手堅く丁寧に作業をするのだよ。また奇手奇策を好むが、決して暗黙の了解を逸脱した振る舞いはしない。……ああ、こう言えばわかりやすいだろうか。ウィリアムズ君やオショウ君のような、周囲の思考停止を招く傍若無人は行わない性質だ」
「なるほど……」
最後の言葉に、得心顔でイツォルが首肯する。
彼らが参戦した時点で意識を喪失していた彼女だが、その横暴ぶりは伝え聞いているのだろう。あるいは祈祷拠点で共に過ごした数日のうちに、そう思わせるだけの何かを経たものであるやもしれない。
「むしろ私の方こそが、彼の世評を隠れ蓑に楽とやりたい放題をさせてもらっている具合だよ。今も、乱麻を解くのに付き合ってもらっている。後天的に忘れっぽいので大雑把と思われがちだが、つまりセレストは、そうした観察眼と配慮を備えた男だということさ」
言ってミカエラは目を眇め、ここでないどこかを睨めた。だがすぐさま今に視線を戻し、
「そして戦いにおいてもそれは出る。ご存知の通り、私は眼がいい。だから我々はお互いの動きを読み合って、その上で行動できるのだよ。これが阿吽の呼吸の正体だ。ここまではいいかな?」
「はい」
こっくりと頷く彼女にミカエラは笑み、そして鋭く切り込んだ。
「ではイツォル君、これで君の問題点が知れたはずだ」
「……え?」
「君とカナタ君の付き合いは、私とセレストよりもずっと長いだろう。だが、深さはどうかな? 我々は悶着の度に話し合い、お互いに何ができるか、お互いが何を望むかを突き詰めている。時につかみ合いの喧嘩までしながらね。お陰で彼との友情には、尊敬と軽蔑が半分ずつ詰まっているよ」
大仰に肩を竦めつつ、弓使いの目はじっとイツォルを捉えて動かない。
「ここでもう一度尋ねよう。君たちはどうかな? 嫌われたくないばかりに踏み込まず傷つけず、遠慮と配慮で壁を作ってはいないかな? この相談もそうだ。カナタ君と十分に話し合う前に、私のところへ来てはいないだろうか」
「……」
「ならば君がすべきは、カナタ君と向き合って、まず話し合うことさ。独り決めに事を決するのは最悪手だよ。万人にぴたりと当てはまるやり方などないのだ。だから思うさま言葉を重ねて、君たちの形を探りたまえ」
思い当たる節が多過ぎたのだろう。イツォルはしゅんと俯き、「善処します」としょんぼり答えた。
面に浮かぶのは自責の影で、楔のように打ち込まれたラーガムの教育は、やはりなかなか抜き取れるものではないらしい。
それでもきちんと礼を述べ、消沈の気配で部屋を出んとするその背に向けて、ミカエラが囁いた。
「説教めいてしまった詫びに、ひとつ、いいことを教えておこう」
我ながら人の悪いことだと思いつつ、笑みを含んで先を続ける。
「実はカナタ君からも、今しがた同じ相談をもちかけられてね。彼も君を、君が彼を想うのと同じくらい、大切に考えるようだったよ」
閉じた扉の向こうで、逃げ去るような足音がした。
軽く肩を竦め、次にあのふたりから聞けるのが、ありふれて穏やかな恋の幸福であるようにとミカエラは祈る。そのような惚気なら、いっそ歓迎というものだ。
それから己の感慨が、お節介とも下世話とも呼ぶ類だと気づき、彼は微苦笑で顎を撫でた。
もう味覚のないこの舌は、存外、甘味に飢えているものらしい。