まぶたの裏を彩るために
英雄たちの出迎えたエイシズ・ターナーは、膝から崩れそうな安堵と雀躍の心地とを同時に味わっていた。
セレスト・クレイズとミカエラ・アンダーセン。
カナタ・クランベルとイツォル・セム。
そしてケイト・ウィリアムズにテラのオショウ。
機体不良のため一足先に帰投していたネスフィリナを除く六名全員のほぼ無事な姿が、そこにあったからだ。戦傷はあれども、命を落とした者はひとりとてない。
更には一行に交じる見知らぬ顔が、拿捕された魔皇その人であると聞かされ、少年の興奮は頂点に達した。
討伐どころか、人類の敵を虜囚としたのだ。まぎれもない凱旋である。
エイシズは改めてオショウの大きな体を仰ぎ見た。
自らが英雄の器ではないと、此度の皇禍で少年は痛感している。同時に自分が英雄視していた人々もまた、誰かのために懸命の背伸びをしているのだと理解してもいる。
けれどやはり、彼だけは別格なのだろう。
界獣を蹴散らして大樹界を踏み越え、五王も六武もなんのその。挙句は魔皇すらも打擲の果て、軍門に降らせている。
まったくの超人としか思えぬ武功だった。自分などとは物が違う。
憧憬どころか信仰めいた視線を注ぐエイシズの目が、ふとその隣の少女を捉えた。
ケイト・ウィリアムズは、死を覚悟してなお澄んだ微笑を浮かべる娘は、エイシズと同じ憧憬と信頼の眼差しをオショウへ向けていた。彼と並んで今見せる笑顔は、心配のくすみも憂いの曇りもない、年頃の少女のものである。
ふたりが心を寄り添わせる気色は、誰の目にも明らかだった。
そのさまを我が事のように嬉しく眺めてエイシズは微笑し、けれど不意に胸の奥が小さく痛んで戸惑った。
「あれ?」と思わず漏らし、万事に察しのよい少年は、己が心のはたらきにそれで気づいた。
自分は、彼女に惹かれていたのだ。
眩い光のような意志に、透明な空のような笑みに、どうしようもなく魅せられていたのだ。
自覚して、しかし彼は、おくびにも出さなかった。如才なく魔城でのことの聞き取りを終え、国に報告を上げる必要があるからとその場を辞した。
初恋は、始まる前に終わっていた。
執務室の扉が軽やかに叩かれたのは、それからしばしのちのことである。
皇禍が祓われたことを祝う宴が催されているのは耳で知っていたけれど、エイシズはここへ籠ったままだった。
無論、報告書やそれに類する職務ではない。魔皇の身柄の扱いなど、お飾りの司令官が判断する領分を越えている。事態は既に彼の手を離れ、副官たちの手で推移を始めていた。
若輩者とはいえ上役が酒の席に加われば、気兼ねない空気が損なわれようと配慮したわけでも、またない。
要するに彼は、少年らしく傷心を噛み締めていたのだ。
「ターナー様、ターナー様、こちらにいらっしゃると伺ったのですけれど、よろしいですかしら?」
だからもし扉の外から聞こえてきたのが彼女の声でなかったら、きっと無視を決め込んでいただろう。
けれど自覚してしまった相手の人は覿面にエイシズに作用して、気づけば扉を開けさせていた。
「お邪魔でしたかしら?」
「いいえ、そんなことは。何か、僕にご用でしょうか?」
自分の声が上ずっていないことに、少年は深く安堵する。だが直後、ケイトにぐいと鼻面を近づけられて、たまらず動悸が早まった。
「わたくし、お礼を申し上げに参りましたの!」
「お、お礼?」
「ええ。オショウさまが仰っておりました。ラーフラ様との決戦の場に間に合ったのは、ターナー様のご助力あればこそだった、と」
絶句して、少年は首を横に振った。
あの格別の人に助力など、とんでもない話である。自分はただ、泣いて縋っただけに過ぎない。
「ですから、ターナー様はわたくしの大恩人なのですわ」
しかし否定の前にそう続けられ、エイシズは逃げ口上を失った。
「わたくし、魔皇様と相討ちになるつもりでした。ええ。オショウさまに独りよがりな願いを押しつけて、そのまま死んでしまうつもりだったのですわ。でもターナー様のお陰で、命を拾いました。それで、仲直りもできました」
ありがとうございます、と屈託のない笑みで頭を下げられ、少年の胸がまたずきりと痛む。
けれど今度は、それを勲章なのだと思えた。恋うた人のために何かできた証なのだと、そう思えた。
少なくともこの微笑みの欠片くらいは、自分の手が守ったのだ。ほんのちょっぴりでも、大きくて立派なものの杖と成りえたのだ。
ゆっくりと目を閉じ、また開く。
「こちらこそありがとうございます、ウィリアムズ殿。貴方に、そしてオショウ様にそう仰っていただけたなら、僕は十分以上に報われます」
そうして少年が浮かべた笑顔に嘘はない。けれど何を感じ取ったのか、ケイトはわずかに首を傾げ、それからぱんと自身の手を打ち合わせた。
「いけません。わたくし、また自分のことばっかりです。自分のことばかりになっておりますわ!」
言うなり彼女は、両手でエイシズの手をぎゅっと握った。
「何を隠そう、わたくしターナー様をお誘いすべく参上したのです」
「……僕を?」
「ええ! だってターナー様は、六武の襲撃から祈祷拠点を守り抜いた立役者で、英雄ですのよ! 皆様ご臨席を待ちかねております。さ、ご遠慮なさらず、一緒に参りましょう。さあ!」
そのままぐいぐいと強く引かれ、少年は苦笑する。どうも、逆らえそうにはなかった。
「もしかしてお酒が苦手だったりしますかしら? でも大丈夫。わたくしもは飲んだことがなくてお断りしてしまいましたけれど、それでも皆様、ちゃーんとご寛恕くださいましたわ」
「そうですね。じゃあ空気を壊さない程度に、ちょっぴりだけ」
応じながら、思う。
きっとこの勲章は、眠る前のまぶたの裏を彩ってくれることだろう。
そんなふうに。これからも己の選択と行いに、誇りを抱いて生きるために。
自分も多分彼らめかして、背伸びを重ねていくのだろう。