相互理解のための食卓
「さて!」と両頬を叩いて、ケイト・ウィリアムズは気合を入れた。
所は小型飛行船の個人船室。アプサラス王都を発ち、最初の日暮れを迎える頃合である。
彼女がどこへ赴くかといえば、それはオショウの船室だった。彼は先日ケイトが他世界より喚び寄せ、魔皇の下までへの同行を依頼した男性だ。言語翻訳と一般常識程度の知識感染を施しはしたが、自身の生まれ育った世界から引き離され、おそらくは不自由と心細い思いをしているはずである。ならば召喚者たる自分が助けになるべしと、ケイトは晩餐を共にする約定を取りつけていた。
豊富な話題と巧みな話術を以てして彼の胸襟を開かせ、友好的で円滑な信頼関係を築くのだと彼女は強く意気込んでいる。
が、そこでふと、オショウの巌のような佇まいを思い出し、足が止まった。感情の読みにくいあの面が、弱気を訴えるさまがとても想像できなかったからだ。
――もしかして、大きなお世話なのではないかしら。
ぶんぶんと頭を振り、ケイトはその思考を追い払った。どちらにしろ決めつけはよろしくない。そもそも住んでいた国どころか世界が異なるのだ。体感のない知識ばかりが備わっていても、某かの不便を感じているはずである。そういう小さな部分の解決から、こつこつと積み重ねていけばいいのだ。
オショウとの関係を良好にすることは、彼女にとっての急務であった。
彼が善性の人物だと理解はしている。だが召喚者という抑止力の消失後については、考慮しておかねばならぬ事柄だった。
オショウにこちらの人間を好いてもらう、信じてもらうこと。皇禍ののちに、客人が破滅的で悲劇的な結末を迎えた例は、残念ながらいくつかある。そうならぬためにこれは必須のことであり、自分が努めるべき役回りだと彼女は考えていた。
自室を出たその足で、ケイトは調理室へ向かい、配膳用のワゴンを受け取った。
この飛行船は小型なれど、軍用の特殊船舶である。貴人を護衛しての飛行も多い。ゆえに腕のよい調理師が常に乗船し、調理を担っている。食がもてなしと士気向上の基本であるのは、いずこの世も変わりない。
鼻歌混じりに娘が押すワゴンに乗るのは、そうした料理人の皿たちである。魔皇に挑む勇者たちに捧ぐべく、腕によりをかけた品々だった。
会食の場をオショウの個室としたのも、ケイト自身がこれを運ぶのも、彼に対する気遣いだ、他世界よりの来訪者と聞けば、軍務にある者とても好奇の念は抑えられまい。船員食堂であろうとオショウが出歩けば、無数の目が彼の姿を追うはずである。だが珍獣めいた視線は、受ける側にとっては苦痛であろう。
こうして湯気の立つ皿を届け、ケイトの予定通りに晩餐は始まった――まではよかったが、それはまるで思惑通りに運ばなかった。
日中、書きつけながら用意した話題の数々も、「うむ」のひと言で大抵が済まされてしまう。口数の多くない人物だとは思っていたが、多くないどころではなかった。ほぼ、ない。これでは会話の弾ませようもない。
「ええと、ではお互いについて確認いたしましょう」
窮したケイトは、初日では持ち出すまいと候補から外しておいた件を切り出した。
「今後、王都を襲撃した魔族のような存在との戦闘があります。その時にそれぞれ何ができるかを知らなくては、咄嗟の動きに支障を来たすと思いますの。ですから、それをお伝えしようかと。あ、ちなみにわたくしは剣と槍、それから盾の扱いを嗜んでおりますわ。霊術は家伝の他には治癒、身体能力と武具の強化、呪弾程度の簡単な攻撃術式といったところですかしら。何かございましたら、お気軽に頼ってくださいましね」
語ってにっこり微笑み、「オショウ様は?」と言外に問うてみせる。流石にこれは回答せざるをえまい。
「俺に為せる業となれば」
「はい!」
「殴る」
「はい」
「蹴る」
「はい」
「……」
「……」
「あ、えと、頭を使うのもお得意でしたわね!」
「……うむ」
反応が芳しくないのは、自身の技の隠匿ではないようだった。四苦八苦して、誠心誠意の回答を行おうとするさまが見て取れる。
そこでケイトはようやく、彼が単純に、他者とのやり取りが不慣れなのだと思い至った。またしても先走りである。こちらからあれこれと語りかけるのではなく、沈黙を恐れず、彼が言葉を吟味するのをゆっくりと待てばよかったのだ。
「失礼しました、オショウ様。まずはお食事、そうお食事をお楽しみくださいな。この船の方が腕を振るってくださいましたのよ。わたくしの舌で遮ってしまいましたけれど、どうぞご賞味くださいませ」
「うむ」
思い遣られたと察したオショウは、しばしの間ののち、感謝を示す代わりに皿へ手をつけた。若干の空隙は逡巡ではなく、こちらのマナーを思い出すための時間だろう。
体躯に比例して、彼の食欲は旺盛である。そのさまを、ケイトはにこにこと見守った。
大仰な反応を表すではない。だが彼にとって未知の食材を口にし、噛み締め、味わい、そうして示すごく僅かな目の動きが、十分にオショウという人物を教えてくれる。
無理に心を口にする必要などなかった。
山は何も語らぬけれど、その気色が伝わってくることがある。そのように触れあい、接すればよかったのだ。
「オショウ様、よろしければこちらもどうぞ」
空皿を引き取り、代わりに特に好むと見えたものを、彼の側へそっと押す。困惑するように見返す瞳へ頷くと、「……うむ」と気恥ずかしげに彼は受けた。ケイトの苦手な香草が、それに含まれていたのは誓って偶然である。
今度、故郷の茶を馳走しようと思った。
アプサラスの茶葉は特産品であり、ケイトの郷里はこの産地として知られる土地である。この船にもきっと備えがあるはずだった。降船の際に頼んで、幾許かを譲ってもらおうと決める。
あの風味を口にしたら、彼はどんな表情を浮かべるだろうか。
今から、楽しみでならなかった。