僕が英雄でないことのいくつかの証明
「あいつは特別だから」
「選ばれた人間だから」
同窓が自らを指してそう言うたびに、カナタ・クランベルは不思議な心持ちになる。カナタにしてみれば、才能に恵まれた人間とは彼らだからだ。
自分の背丈は、この歳の男子としては一般的なものだ。以前は気にする程度に低かったけれど、幸いなことに伸びてくれた。
しかし彼らは違う。カナタよりも頭ひとつ、或いはふたつほども上背がある。
手足の長さは懐の深さ、攻撃範囲の広さに直結するし、何より骨柄以上の筋肉は人体につかぬのだ。つまるところ、彼らは身体能力の面で自分などよりはるかに恵まれている。
聖剣の担い手として選出され、国の育成機関で暮らすようになった時、カナタはまだ十にもなっていなかった。実家では書ばかりを好んだ文弱である。
そんな彼からすると、年嵩の訓練生たちは驚くべき使い手だった。いくら背を追っても追いつけない高みにいると見えた。それでも、少しでも近づけるようにと鍛錬を重ねた。
するとどうしたことか。ほんの数年で、遠ざかるばかりと思えた姿は手の届く距離となっていた。
「お前は卑怯だ。生まれ持った才能が違うんだ。」
そのことに気づいた彼らは口々に言い立ててカナタから目を逸らし、前進をやめてこれまでの鍛錬をただ繰り返すばかりとなってしまった。
不可解なことだった。
素人だったカナタの上達が早いのは当然である。実力が近づき抜きつ抜かれつになったかに見えても、そこには武に携わってきた時間の差が歴然と横たわるはずだった。
それにもし実際に伯仲となっていたなら、これも喜ぶべきことだろう。
ラーガムの軍は著しく集団戦に長ける。均一化された兵を効果的に用いる術も、秀でた個を支援して戦果を挙げる法も知り尽くしている。
だから頼れる味方の増加は心強いことなのだ。少なくとも自分なら、背を任せられる後生が現れたことを嬉しく思う。
だのにどうして、敵を見るように睨めつけるのか。身内の強弱でいがみ合い、足を止めてしまうのか。
カナタには、そこがまるでわからない。
「気にしなくていい」
訓練の休憩中に吐露を聞き、イツォル・セムは結い上げ髪を揺らして言い切った。カナタより小柄で、カナタより長く武術を学び、それでいてカナタと切磋琢磨を続けてくれる稀有な娘だった。
「それはカナタをやらない理由にしてるだけ。言い訳して、今まで通りでいるのは楽だもの」
「そういうものかな?」
カナタは小首を傾げる。「できない」が「できる」に変わるのは、嬉しいことではないだろうか。
最初は無理だと思った訓練についていけるようになった時。
ただ基礎だからと覚えこんでいた歩法の意味を実感した時。
今まで少しも正体が掴めなかった相手の技が見えてきた時。
自分の成長を実感できたそれらの瞬間を、カナタはよく覚えている。
そうして、もしかしたら、と思い至った。もしかしたら彼らの才気が、本来は踏むべきそれらの段階を駆け上らせてしまったのかもしれない。
呼吸ができることを当たり前と思わぬ者がないように。カナタの経てきたものは、彼らにとってできて当然の領域であったのかもしれない。ならば更に先へと至る長い過程は、成長の喜びを知らぬ身にはひたすらに苦しいものだろう。
劣等であり凡庸であるからこそ、自分はここまで歩けたのかもしれない。だとするならば、才能とは随分皮肉な代物だ。
「そんなものなの。カナタは、自分が変人なのを自覚すべき」
「えっ」
「自分ができることなら当然他人にもできる。そう思うのは謙遜を通り越した何かだから。わたしでも時々腹が立つから」
「ええっ!?」
駄目出しに動揺するカナタを眺め、イツォルは小さく笑う。
「きみは、わりと特別。嫉妬や羨望は必要経費と割り切って」
「いやでも僕は、」
言いよどんで、前髪を弄った。
自分が特別視される理由なら、まず聖剣で間違いない。
対獣戦のみならず魔皇討伐に際しても働きがあり、尚且つクランベルの血を継ぐ者にしか扱えない家伝術式である。選ばれた人間の象徴と見る向きは少なくない。
しかしながら、これは所詮剣である。
上位魔族の干渉拒絶すら貫く絶大な斬撃能力には目を瞠るものがあるが、人間の体格や技量差と同じく、大型の界獣魔獣を相手取るなら特筆すべくもない長所だ。魔皇に有効とされるのも、それが常に人の似姿をとるからに過ぎない。
ゆえに聖剣といえども、殊更のものではないとカナタ自身は考えている。
クランベル家が讃えられるのは、これまでに築き上げてきた戦歴が、初代から積み重ねられた精神と行動が評価されただけのことだ。聖剣はほんの一助である。
「僕は、英雄じゃあないし」
対して、自分は選ばれただけだ。敬されるほどの何事を為したでもない。
「甘くて正義感で理想主義で、実にらしいと思うけど。もしわたしたちの代に皇禍が起きたら、きみは迷わず魔皇に挑む。違う?」
答えを決めてかかるイツォルの問いに、カナタは曖昧な笑顔を返した。
誰のためになら死ねるか。きっと答えは千差万別だ。
そこで万人のためを思えるのが、おそらく英雄の条件だろう。顔も知らない誰かのために、身を擲てるのが英雄なのだろう。
――なら、僕は違う。
ちらりと、イツォルの横顔を盗み見る。
勿論彼女の言葉の通り、一朝事あらば魔皇の首だって獲りにいく。でもそれは、決して世界のためなんかじゃない。
男が命を張る理由なら、いつだって簡単だ。好きな子の前で見栄を張りたいし、格好をつけたい。それだけだ。
だから僕は英雄じゃない。君と対等になりたくて、いつか特別になりたくて、背伸びするだけの人間だ。
胸中での独白の中途で、ふとイツォルが目を上げた。カナタが慌てて他所を向く。
今はまだ、互いの心を知らぬまま。ふたりの影だけが寄り添っている。