飴玉のような彼女の記憶
魔獣の群れへ単騎で突撃したのは、それが最も効率のいいやり方だと思ったからです。
今回出現した魔獣は、群れを率いる肉食四足獣型のものでした。統率者が人食いをしてこれ以上に力を増せば、頭数はますます増えて手に負えなくなるでしょう。この先の村へ行かせるわけにも、他へ逃がすわけにもいきません。
だからわたしが足止めをするのが、一番の策だと考えたのです。
幸いにしてわたしは、封入式霊動甲冑の繰り手です。扱いはまだ不慣れですが、大人の背丈の倍を優に超えるこの兵器を用いれば、増援の到着まで持ちこたえられるはずでした。
けれど不安がないといえば、やっぱり嘘です。
わたしは初陣でした。魔獣が想定をはるかに超えて増殖していなければ、その顎門が兵士たちの大部分を食い散らかしてしまわなければ、後方で一軍の動きを眺めているだけのはずでした。
けれどこのようになってしまった今、戦力はもうわたしだけです。なんとかしてくれる人なんていません。わたしがなんとかするしかないのです。
心臓がばくばくと音を立てるのがわかりました。緊張で視界は狭く、呼吸は切迫します。
頭を振って弱気を払い、わたしは甲冑を浮き上がらせました。加速をつけて群れに打ち当たり、できるだけ多くを戦闘不能に追い込む算段です。
ですが群れはわたしに気づくなり広く散開しました。獣とは思えない、戦い慣れた動きでした。最大戦速は長く維持できません。盾篭手の矛先を決めなければなのですが、どこへ進路を取っても狙えるのは数匹だけ。そして彼らはそれだけの犠牲で、速度を失ったわたしを包囲してしまえるのです。
無数の殺意に取り囲まれるのは、恐ろしいことでした。
後背から装甲の薄い関節に牙を立てられれば、如何に霊動甲冑といえども動けなくなってしまうでしょう。解体された具足から引きずり出され、噛み裂かれる自分の姿が脳裏に浮かびます。
いけない、と思った時には手遅れでした。臆した心を反映して、甲冑は減速してしまったのです。相手の思惑に自分から嵌り込んでしまった形でした。
拡大された視覚に、嘲笑うような魔獣たちの目が映ります。
ですがきつく唇を噛んだその瞬間、世界が紅に染まりました。耳を劈く轟音と共に、見渡す限りへ炎が炸裂したのです。
球体の形で出現したいくつもの火は、地に落ちるなり渦を巻いて魔獣たちを飲み込みました。
火霊術の執行なのは確かでした。けれどこれほどにも大規模で、こんなにも強力で、ここまで制御されたものは初めて見ます。
まばたきの時間で、あれほどの群れをまるごと焼き払ってしまったのもさることながら、魔獣以外は草の葉ひとつ焦げていないのです。尋常の術とは思えません。
「!!??」
呆然とする頭上から声がしました。慌てて振り仰げば、そこにはひとりの男性が浮いていました。更に驚くべきことに、火炎と浮遊、ふたつの霊術式の同時執行でした。
考えるまでもなく、この方がわたしの救い手に違いありません。
封入式霊動甲冑との同調のための霊素許容量拡大手術を施された際、わたしは言葉を失くしています。読み書きには問題ないので、文字による意思疎通は可能です。けれど意味ある声を発そうとすると、編み上げたそれは喉を出る前に霧散してしまうのでした。
なので感謝を示すには、仕草を用いるよりありません。わたしは彼へ向き直り、途端、がちんと殴られました。
凶器は彼の霊杖です。浮遊高度を調整した彼が、遠慮会釈なくわたしの――甲冑の頭部を叩いたのです。
「阿呆か、このデカブツが」
頭ごなしに叱られるのは初めてだったので、ちょっぴり泣きそうになりました。
わたしと生き残りの兵たちは、後詰の隊に救われました。
甲冑を降りて幕舎で休息を取ったのですが、心がまるで休まりません。勿論、あの方の所為です。あの場は何の反抗もできずに退きさがったのですが、後になればなるほど腹が立ちます。あのような振る舞いは誰に対してであろうと無礼です。不敬です。
なので駆けつけて侍ってくれたミカエラを呼び、憤懣を主張しました。
読み終えた彼はため息をつき、「あの男ですか」と眉を押し揉むのです。どうやらふたりには繋がりがあるようでした。ですがそれを尋ねるより早く、
「おいこらミカ公、あのデカブツの中身を知らねェか」
何の前触れもなしにずかずかと入り込んできたのは例の彼でした。
どうやらわたしを探す様子です。もしかしてまだ怒り足りないのでしょうか。もしかして追加でがちんとするつもりでしょうか。わたしはミカエラの陰に隠れます。
「君を表現する言葉として、無礼以外を私は知らないな」
「そうかいそうかい、じゃあ無礼ついでにあいつに言伝を頼むぜ。オレが直接だと角が立つしな」
「なんだね?」
「お前は逃げていい。そう言っといてくれ。色々と抱え込みすぎる類だろ、ありゃ。気概は買うがそのうち潰れんるぞ。なんで、お前が背負い込む必要はねェとわからせとけ。アーダルにはオレがいる。だから放り投げて逃げていいんだ、ってな」
「すると何もかもをおっ被される君が潰れかねないが、それは構わないのかね?」
「オレはいいのさ。別格だからな」
「承った。一字一句違わず伝わることを約束しよう」
皮肉めかしてミカエラが微笑んだところで、彼の目がわたしを捉えました。
「なんだ、そのチビっこは。迷子か? もしかしてお前の隠し子か?」
「こちらは――」
紹介しようとするミカエラを「どうせ忘れるからいい」と遮ると、彼はわたしに手を伸べます。
「ガキがこんなとこいてもつまらんだろう。こいつをやるから、そら、あっち行って遊んでろ」
渡された小さな包み紙を解いてみると、それは不恰好でごつごつとした飴玉でした。教会が子供たちに配るような、手製のものです。
促されるまま口に入れると、とても優しく甘い味がしました。
なのでわたしは溜飲を下げ、寛大に彼を許すことにしたのです。