独白〜幼少期後編(エキドナ視点)〜
<<警告!!>>
残酷描写および鬱描写過多です。
苦手な方は飛ばして読んで下さい。
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"前世の私" を取り巻いていた環境は、世辞にも恵まれていなかったと思う。
"可哀想な子" と呼ばれる癇癪持ちの兄と精神を病んだ母。
仕事であまり会う事が出来ない父だけは、唯一私に娘に対する情をかけてくれたけど父は私よりも母を愛していた。
故に母から私を庇おうとしてくれた事は一度もなかった。
そんな環境で育ったためか当時の私は他者との接し方がわからず、友達と呼べる存在が居なかった。
家でも外でも孤独だった。
そして男に犯されかけた。
……六歳だった私がどれほどこの世界に絶望して自分の運命を憎んだか、誰にもわからないでしょうね。
男に襲われてから、私は感情が失くなった。
何も、感じられなくなった。
襲われる前までは『辛い』『悲しい』『寂しい』などの感情を持つ余裕があった。
でも、襲われて以降私はどこか壊れてしまった。
何も感じられない無機質な生き物になっていた。
…あぁでも感情的になった場面が、あるにはあったか。
確か小学校中学年くらいの頃、兄に家庭教師がついた。
その家庭教師とは教育大学に通う "お兄さん" だった。
『××ちゃーんこっちおいで♡ お菓子あるよ〜』
『わあああっいやだいやだくるなあっち行けぇッ!!』
狂ったように怯えて泣き叫びながら、私は目の前に居るお兄さん… "若い男" を睨み暴言を吐き続ける。
『そっそんなに嫌がらなくても…! 怖かったかなごめんね?』
お兄さんはショックを受けた様子で私をオロオロと見つめた。
『やだやだどっか行け私に近づくなぁぁぁ!!』
でも私の態度は変わらない。
『××このバカヤロウッ!!!』
『ごめんなさいねこの子わがままで…。はぁ、○○くんは純粋な良い子なのになんであんたはそんなに性格悪いのかしら』
そんな私に兄は怒鳴り声を上げ、母は不機嫌そうに冷たく見下ろすのだった。
この時の私は家庭教師のお兄さんを "犯人の男" と無意識に重ね合わせ、フラッシュバックを起こして取り乱したのだろう。今更ながら実感している。
最終的にそのお兄さんとは多少会話出来る程度に打ち解けられたのだが、『お兄さんには悪い事をしてしまった』と今でも後ろ髪引かれる時がある。
単に面倒見が良くて子どもが好きで、しかも "あの兄" の勉強を根気強く教えてくれた優しい人だったのに…本当に申し訳なく思う。
お兄さん、あの時は本当にごめんなさい。
こんな風に取り乱した事ならあったけど、この時の…つまり "一時的な憎しみの感情" を除けば苦しみも悲しみも寂しさも、何も感じられなくなった。
具体的には "自分であって自分ではない" 。或いは "自分の意識が身体に合致していない" …という感覚だった。
例え兄に怒鳴られても母に詰られても他人事。
怪我をしても他人事。昔怪我を放置して化膿させた事があった。
傍目から見れば危機的な状況下でさえ…他人事。男子に集団で殴られ、蹴られているのに何も感じなかった。
痛覚は残っていたがそれさえも心底どうでも良かった。
ただ漠然と、
(死にたい、死にたい)
(どうして生きなきゃいけないの?)
(こんな世界に価値はあるの?)
こういう声が頭の中をぐるぐる回っていた。
"自殺" という言葉を知っていたなら喜んでやっていたと思う。
でも当時は私が大人になった時ほど子どもの自殺をメディアが取り上げていなかったから、自ら命を断つ選択肢があった事さえ知らなかった。
死に方がわからなかった。
でも逆にそんな幼い子どもでもはっきりわかったのは、私の周りに信用出来る人間が誰も居ない事。
誰も自分を守ってはくれないという当たり前の現実だった。
本音を言えば二十歳を超えてまで自分が生きるとは思わなかった。
私が死なずに生き続けた理由は…………自分でもよくわからない。
けど、あの段階、幼少期で私が死なずに済んだのは彼女…親友との出会いがあったからだと思う。
『ねぇ、××ちゃん』
彼女と出会ったのは小学四年生、私達が十歳の時だった。
どんな風に出会ったかは覚えていない。
お互いにわかっているのは恐らく一人で絵を描いていた私に話し掛けてくれたらしい事と、かなり後に『偶然××が描いた絵を見て無性に友達になりたいと思った』と本人が教えてくれた事くらいだ。
そしてその日を境に、私は彼女と二人で遊ぶようになった。
……まるで暗闇から一筋の光が差し込んだようで、彼女と一緒の時間を過ごすうちに私は胸の辺りがぽかぽかと温かくなって行った。
『早く早く〜!』
彼女の手を繋いで走る。
『あははっ 待ってよ××〜!』
笑いながら私の手をぎゅっと握り返してくれる。
優しい手。温かい手。
(嬉しいな)
(寂しくない、私はもう独りぼっちじゃなくても良いんだ)
(あったかくて心地がいいなぁ…)
少しずつ、失った感情を取り戻している気分だった。
一緒に絵を描いたり、公園で遊んだり、リコーダーの演奏をしたり、彼女の家でゲームをしたり……毎日がとても楽しかった。幸せだった。
『私はここに居てもいいんだ』と思えた。
彼女には、感謝してもしきれない恩がある。
彼女は私の事を "一人の人間" として見て、関わってくれた子。
初めて誰かと対等な関係を築けた子。
母から『ずる賢い子』『ろくな大人にならない』と否定され続けていた私を『いい子』だと優しく言ってくれた優しい子。
…ただ一緒に居てくれる幸せを、温もりを教えてくれた子。
そして彼女との出会いを経て、私は "変わりたい" と強く願うようになった。
この引っ込み思案で自分の意見もまともに言えない…内気な自分を。
変わりたい。
彼女のようになりたい。
人に好かれたい。必要とされたい。輪に加えてほしい。
もう独りぼっちは…………嫌だ。
だから彼女を通して、私は人との関わり方を探った。時には彼女の友人との姿を観察したり言い方を真似したり。
日常会話レベルの言語力を手にするのは結果的に高校生の後半までかかった。
『あ、あああのねっ……昨日ねっ』
『『??』』
元々人見知りであがり症だったから何度も言葉を噛んだり、詰まったり、吃ったり…。
失敗しては恥ずかしいと思い、余計に焦って上手く言葉を話せなくて。
時間が掛かるたびにみんなに迷惑を掛けたと罪悪感を抱いた。
『うんうん』
『えっ何どうしたのー?』
親友とはまた違う別の友人達が私の顔を覗き込む。
『っ……ああのその、教えてくれた、テレビ昨日っ 見た、よ!』
反射的に目を逸らして俯きながら勇気を出して必死で言葉を紡ぐ。私はいつも緊張してばかりだった。
『マジでー!? あれ面白かったでしょー?』
『あたし最初に出てきた芸人めっちゃ好きでさ〜』
でも、周りの人達は思ったよりも気長に待ってくれる人が多かった。
母や兄のように『うるさい』と怒鳴られる事なく、居ない者のように無視される事もなく。
『……!!』
ただゆっくり、"私の言葉" を笑って聞いてくれた。
『うっうん! わた、しもあの、芸人、面白かった…!』
それから相手に対して乱暴な言葉遣いも行動をしていた時期があったが…やめた。
他者とまともに関わるようになって初めて… "そんな立ち振る舞いは相手にとって好ましくないもの" という事を学んだからだ。
今迄は自分の身を守るためにやって当然の行動だと思っていたが、間違いだった。
使い分けなければいけない事を知った。
仲良くしたい人と、私や私の大切な人を害する人とで…。
みんながみんな私を害する存在ではなかった。
頑張って関わって行くうちにクラスの女の子達は優しい人が多い事に気が付いた。
男子は元々苦手だからあまり関われなかったけど……それでも、優しい子もちゃんと居た事を理解した。気付いた。
気付けたのも、変わろうと思えたのも、
全部全部、親友のお陰だ。
けれどこの時私は知らなかった。
私自身の "呪い" も、家庭内問題も、何も解決していない事を。
そして他者と関われるようになったからこそ……また、新たな苦しみを知る事も…。
私は、何も、
知らなかったんだ。