独白〜幼少期前編(エキドナ視点)〜
<<警告!!>>
残酷描写および鬱描写過多です。
苦手な方は飛ばして読んで下さい。
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これは "独り言" だ。
誰も知らない、行き場なんてない。
虚しく無意味な……私の "独り言"。
『__××ちゃん! そんなに落ち葉を抱えてジャングルジムに登って何してるの〜? 危ないよ〜』
『せんせ〜! みてて、みてて!』
ぱっ
抱えていた落ち葉を幼稚園の先生から少し離れたところへ向かって放つ。
赤、黄、橙、緑、茶…色とりどりの秋の色がジャングルジムから零れ落ちる。
その綺麗な光景に私は満面の笑みを浮かべた。
『はっぱのかーてん!!』
『わぁっ すごいね××ちゃん! 葉っぱがカーテンに見えたんだね〜』
『うん! いろんないろ、いっぱい! きれいだね〜!』
『綺麗だったね〜』
多分、この頃が一番無邪気に笑えていたと思う。
『ただいまー』
『にいちゃんおかえり〜! あそんで、あそんで』
『宿題が先』
『はーいっ わかった!』
そして兄との関係も良好だった。
いや死ぬ前もそれなりに良好だったけど。
……言い方を変えるなら "普通の兄と妹の関係でいられた" と言ったところか。
恐らく当時の私だけでなく兄を知らない人達は皆、兄を一目見ただけでは "どこにでも居る普通の男の子" と思うだろう。
けれど私の兄は "特別な子" だった。
そして母親や祖母を含めた大人達から "可哀想な子" と呼ばれていた。
幼い頃はこの言葉の意味が全くわからなかった。
だから普通の兄妹と同じように、私はただ兄に懐いていた。大好きだった。
でも…兄は時々不可解だった。
例えば私が転んで泣いていた時。
兄は気付かない。
見向きもせずそのまま走り去る。
よくわからない、もしくは『え? それだけで?』と思うような些細な理由で癇癪を起こして暴れる。
暴言を吐く。怒鳴る。物を壊す。
話によると私が生まれたばかりの頃…つまり兄が三歳の時には兄は私を『妹』と認識せず、見向きもせず、ただ一人で遊んでいたらしい。
だけど、それでも当時の私は純粋に兄を慕っていた。
出掛ける時はいつも手を繋いでくれたから。
くっついて甘えても文句を言わずに、そのまま好きにさせてくれたから。
お菓子が一つ余れば私に譲ってくれたから。
頭を撫でてくれたから。
いつもにこにこ笑っていたから。
…………当時の兄が何を思ってそうしてくれていたのかは、金輪際知る事が出来ないけれど。
それと物心ついた頃から周囲の大人達に散々言われ続けた言葉がある。
『○○くん…つまりあなたのお兄ちゃんは "可哀想な子" で、××は "恵まれた子" なの。だから××がお兄ちゃんを支えてあげるのよ』
(そっかー。よくわかんないけどにいちゃんはたいへんなんだ…。なにかやくにたてたらいいな)
そんな気持ちで素直に大人の言う事を聞いていたと思う。
幼いながらに感じた『兄の役に立ちたい』という想いは、本物だった。
『あの…ママ、』
『なぁに? ○○くん』
そしてそれは "見れば" わかった。
"感じ取れた"。
『っ ママの…それ、』
『??』
私とはまた違う事情で、兄は根本的な口下手と言うか…自分の感情を周囲に言語化して伝える事がどうしても不得手だった。
大変そうに見えた。
だからそんな兄を見守っているうちに……相手の表情や身振り、単語、視線の先、声色、醸し出す…空気? 振動??
それらを無意識に "感じ取り" 情報を統合して、相手の感情や思考をある程度なら "読み取れる" ようになっていた。
幼少期から割と簡単にそれが出来た。
(あぁ、なるほど)
『にいちゃんは、いま、しゅくだい、してるから…あの、おっきい、じょうぎ、かして、ほしいんだって!』
言いながら母の後ろにある定規を指差す。
『!』
正解だったらしく兄も嬉しそうに笑顔でこくこくと頷いた。兄が嬉しそうなので私も嬉しくなってにこにこ笑う。
『あぁそうだったの。はいどうぞ』
『ママっきょうね…『うるさい××はあっち行ってなさい! 今からお兄ちゃんの宿題見るから』
自身を睨む母から棘のような空気を感じ取る。
このまま声をかけ続ければ、きっとまた怒鳴られたり最悪叩かれたりするだろう。
『ごめん、なさい…』
それだけ言ってから一人部屋の隅に移動し、二人の邪魔にならないよう静かに絵を描いて過ごす。
これが私の当たり前の日常だった。
私が育った場所は子どもが特に少ない地域だったからか…私が親友と出会い、友達との交流を得るまではこの家庭環境が "当たり前" だと、"普通" だと思っていた。兄の事も、母の事も……そして自分自身も。
さらに当時の私は兄の役に立ってるのだと、信じて疑わなかった。
兄の役に立てて嬉しい、私は必要とされているんだと喜んでいただけだった。
だから物心ついた頃からずっと自分に言い聞かせていた。
"私がしっかりしなきゃ"
"私が、兄ちゃんを支えるんだ"
…って。
なんて哀れで傲慢で……愚かな考えだったのだろう。
自分の事も満足に面倒を見れない人間が誰かを支えられる訳ないのに。
……共倒れになってお互い苦しむだけなのに。
そういえばあの頃が、一番家庭は安定していたと思う。
兄はいつも笑っていた。
何も知らないし気付いていなかったから。
私も似たようなものだ。笑っていた。
そして父もよく笑っていて休日には私と兄の遊び相手をしてくれた。
…ううん。母だけがこの頃から、この時点からすでに辛そうで不幸そうだったか。
本当に私は何も知らずに、のうのうと生きていたのだ。
遠い記憶と幼少期の写真にうつる当時の自分を見れば……私は "普通の子" だったと思う。
腹が立つ事があれば不機嫌そうな顔をして怒り、悲しい事があれば涙を零し、嬉しい事があれば笑顔になって飛び跳ねる。
喜怒哀楽が "第三者の目から見てもわかる" くらいに単純で感情豊かな人間だったと思う。
いつから『無表情』と言われるようになったんだっけ…?
多分 "あの日" の "あの時" からだったんじゃないかなぁ。
"あの日"、"あの時"。
私がまだ六歳だった頃。
中学生だったのか、高校生だったのかはよくわからないけど…小学生だった私よりもずっと身体が大きくて若い男の人に声を掛けられた。
よくわからないまま、抵抗出来ないまま、私はその男に腕を掴まれ引っ張られた。
連れて行かれたのは暗い一室。
窓が開いていたのか…風でカーテンがひらひらめくれては日の光が零れ落ちていた。
状況が飲み込めていない私にはその光が、とても印象に残った。
"きれい" と感じた。
『わぁっ きれい…!』
思わず感嘆の声を上げる。
その直後だった。
視界が大きく反転して、私は男に押し倒された。
両手を押さえつけられ男が馬乗りになっている。
結論から言えば…… "未遂" だった。
今『なんだ未遂か』って思ったでしょ?
想像してほしい。
自分が何も知らない幼子で、見ず知らずの……自分より何倍も大きな身体の若い男に背後から捕まれ、仰向けに押し倒され、馬乗りにされ…両手を拘束され、そして…。
当時の私は、男のその行動の意味なんてわからなかった。
でも男の動作や荒い呼吸音…………どれほど恐ろしかった事か!!!!
どれほど、気持ち悪いものだったか。
私はパニックになって泣き叫んだ。
頭が真っ白になったような、沢山の負の感情でめちゃくちゃになったような、そんな感じだった。
『いやだぁ!! やだあああ!!!』
いくら抵抗しようとも体格差でびくともしない。
『ごめんね、ごめんね』
そんな単語を繰り返しながら、男は気持ち悪い荒い呼吸の中…………おぞましい行為を決してやめなかった。
『殺される』と思った。
こんな事をされて、
『何だ未遂か』
もう一度同じ事を思えるのだろうか。
今でも焼き付いて離れない。
"あの時" の光景、あの男の呼吸音、声…。
吐きそうだ。
そしてこの経験は……私にとって永遠に消えない "呪い" となった。
『この事は誰にも言わないでね。じゃないとお兄ちゃん、捕まって牢屋に入れられちゃうから』
両肩を掴まれて強い恐怖を抱いたまま、私は男の口止めにただ泣きながら頷くしかなかった。
なんとか男に解放された私はすすり泣きながら母に助けを求めようとした。
幼過ぎたので『犯されかけた』なんて言葉は知らないから、ただ『こわい、こわいよぉ』と母に縋り付くしかなかった。
もしもこの時、母が『どうして泣いているの?』と優しく抱き締めてくれていたなら、私はたどたどしくても必死に事の深刻さを伝えて…上手く行けば男を逮捕出来たかもしれない。
けれど当時母は精神を病んでいた。
両手で私を引き離し、怖い顔で睨み、冷たい声で言うのだった。
『泣くのをやめなさい』
…私は犯されかけた事を母に、世間に訴えるどころか助けを求める事も……泣く事さえ、許されなかった。