貸し借り
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コンコンコン、
(来たか…)
放課後。
ノック音からエキドナ・オルティスが訪ねて来た事を察したクラークは、座ったまま身体ごと扉の方へ方向転換する。
「入れ」
ガチャ
「失礼します…」
クラークの予想通り、扉を開けて控えめな声で入って来たのはエキドナだった。
その金の目は真剣にクラークを見据えており、気品と凛々しさが増す。
ザッ…
その手に持つのは…何故か長剣。
「……」
予想外の状況にクラークはしかめ面で言葉を失う。
「先生、ここではアレですから移動しましょう。場所は事前に押さえ「待て」
真顔で話を進めようとするエキドナの声を遮る。
思わず目を瞑り片手で額を押さえるのだった。
「…状況を説明しろ。あと何故貴方がたも一緒なんですか?」
「「「「「「「付き添いです」」」」」」」
そう。
エキドナの背後には婚約者のリアム、弟のフィンレー、イーサン、フランシス、ステラ、エブリン、セレスティア…と生徒会メンバーほぼ全員がゾロゾロと付いて来ていたのだ。
それなりにスペースがあるはずのクラークの研究室も、すっかり密になりひしめき合っている。
「だってクラーク先生、前に姉さまと二人きりになった時は怒鳴ったり壁ドンしたりやりたい放題だったんですよね? なら弟の僕がついて行くのは当たり前です!」シスコォォン!
「先生、いくらドナが気に入らないとは言え女子生徒に決闘を申し込むのはやり過ぎかと…」
「は? 決闘?」
イーサンの言葉をクラークが反芻する。鳩が豆鉄砲を食らったような顔を一瞬したと思えば……その場で呆れが込もった深い溜め息を吐くのだった。
「女子生徒相手にそんな愚行をするほど俺も落ちぶれてはいませんよ。…お…オルティス嬢、大体なんだその格好は」
クラークの指摘通り、現在のエキドナはいつもと違う装いをしていた。
金の長い髪はポニーテールにまとめており、服装だって僅かにフリルが施された膝上ぐらいの丈の白のシャツはともかく下がいつも着用しているシンプルな紺無地スカートではない。細身の黒ズボンを履いているのだ。
正しく決闘向けの動きやすい格好である。
「スカートの下はいつもこれですけど?」
「嘘だろエキドナ!」
平然と答えたエキドナの新事実に思わず食い付くのは女好きチャラ男のフランシスだ。
「どんだけ男の夢崩せば気が済むんだよッ! そこは黒ストッキングとガーターベルトでエロく…待て待てすんませんでしたジョークだからフィン落ち着…! 待てって顔は止めろせめて身体にして下さっ…ぎゃぁぁぁ!!!」
「「……」」
「昨日学園長から頂いたアレは果たし状ではないのですか?」
「何故今のやり取りを見たのにいつも通りの態度で話せるんだ」
フィンレーによるフランシスの制裁場面を間近で目撃しても動じないエキドナにクラークが突っ込む。
なおエキドナは普段スカートの下にズボンを常時着用し、さらに小刀サイズの双剣を隠し持っているのはここでは言えない話だ。
双剣は現在リアムが預かっている。
「…はぁ、逆におま…オルティス嬢は何故俺が果たし状を送ったと解釈したんだ。良家の令嬢とは思えないくらい好戦的過ぎる」
「果たし状じゃない事はわかりましたけど、あの書き方は紛らわしいですよ。みんなに見せたら全会一致で果たし状扱いでしたし…」
「はーいっ ちなみに私とリアム様とフランは最初から違うって気付いていたけど敢えてスルーしてました〜♡」
「えっ!? そうだったのエブリン!!」
「だって果たし状の方が面白いじゃないドナちゃん♡♡」
「え〜何それ」
エブリンの楽しげなカミングアウトにエキドナが反応しながらカチャンッと剣を鞘に戻す。
「先生、その…体調はもう大丈夫なんですか…?」
未だエキドナ達がやり取りをする最中、今度はフィンレーが周囲の目を気にしてクラークに近付き小声で尋ねる。
優しい気遣いのはずなのに、その中性的で綺麗な顔に返り血が点々と付いているからだいぶ猟奇的に見えるのであった。
「しっかりしろフラン!」
「この程度で人は死なないよフラン」シレっ
「ひっど! リアムひっっど!! こっちは致命傷避けるのに必死で…!」
なお血の持ち主たるフランシスは現在イーサンとリアムのイグレシアス兄弟に救助されていた。
見た目血まみれの割に元気そうである。
「あ、あぁ…心配ない。一晩休めば回復したし先日は学園長達から事情聴取を受けていただけだからな」
対するクラークはこの状況に軽く動揺してはいるもののいつもの堂々とした大人の男性らしい態度を貫いていた。
嘘や虚勢ではなく、本当に普段の体調に戻ったようだ。
「コホン…時にエキドナ・オルティス」
軽く咳払いをしながら立ち上がり、クラークは未だエブリン達と賑やかにやり取りをするエキドナに近付いて改めて声を掛ける。
「はい?」
不思議そうな顔でエキドナは返事をしてクラークの方を向くのだった。
……クラークの背後にメラメラと燃えているような怒っているような威圧的なオーラを感じるのは私の被害妄想だろうか。
「クラーク先生がまた姉さまに…!」
「落ち着いてフィンレー。まずその返り血を拭いたら?」
「怖いですわ〜」
「おいたわしやドナ氏ぃ」
背後からヒソヒソとそんな声が聞こえるので被害妄想じゃなく現実らしい。
「俺はお前が嫌いだ」
「でしょうね」
キッパリ宣言するクラークにエキドナもつい真顔で即答する。
今迄の彼の言動から自身に好意があるなんて思えるはずがない。
しかし、エキドナの冷めた反応を物ともせずクラークは凄みながら言葉を続ける。
「そして、そんな嫌いな人間に貸しを作られたのはかなり屈辱的だ」
「ええぇ…」
クラークからのまさかのクレームにエキドナも戸惑いの声を上げた。
『貸し』とは恐らくハーパー・ヒルに襲われた時の事を指しているのだろうが、エキドナとしては実質本能のまま身体が勝手に動いたようなものである。
被害者がクラークだろうが別の人物だろうが同じ事をしていたとエキドナは確信している。
だからこそ、そんな文句を言われても切実に困るのだ。
そんなエキドナの様子に気付いているのかいないのか、不機嫌そうな顔のままクラークが再び口を開いた。
「だから、やる」
「はい?」
ズイッと押し付けられるように渡されたのは……一冊の化学の参考書。
「他にも数冊渡したいところだが、どうせ読まないのだろう? だから『暗記が苦手だ』とほざく鳥頭でも読みやすい物を選んでおいた。読んで勉強しろ」
「……はぁ」
クラークの言葉を飲み込めないまま、エキドナは生返事をした。
この人私に喧嘩売ってる?
「これで、貸し借りなしだ」
「左様ですか…そもそも『貸し借り』とは?」
素朴な疑問を口にしただけなのだが、そんなエキドナの質問をクラークは大袈裟なくらいに大きな溜め息を吐いて天を仰いだ。
うん明らかに喧嘩売ってるな。いくらだ買うぞ?
「…本当に鳥頭だな。だが勘違いするなよ、俺はお前が……エキドナ・オルティス嬢が嫌いだ」
「存じてます」
二回も言わんでよろしい。
「しかし、その、」
するとずっと高圧的な態度を貫いていたクラークが下を向いてゴニョゴニョと言いづらそうにし始める。
「けど…な、えぇっと…」
「?? …はい?」
怪訝に思いながらひとまず見守っているとクラークはもどかしそうに顔を背けるのだった。
「……………………感謝、している」
「はい? 今なんて??」
「ハッ、頭だけでなく耳まで悪いのか呆れを通り越して哀れだな!!」
「いや先生が最後小声で呟くからでしょう。私の聴力はむしろ良い方です」
「屁理屈を言うな本当に生意気だな」
「何なんですか一体」
リズム良く口論に発展する中、クラークがまたエキドナを忌々しそうに睨み再度宣言するのだった。
「とにかく!! その本はおま…オルティス嬢にやる! だが自惚れるなよ!!」
「だから何が!!?」
「用件は以上だ!! 皆速やかに退出するようにっ 以上!!!」
言いながらクラークはエキドナ達全員をほぼ勢いで研究室から追い出すのだった。
バタン!!!!
締め出され扉が閉まる大きな音を背に一同は微妙な空気が流れるのだった。
「??…どういう事だったのでしょう?」
「さぁ?」
フィンレーとリアムは理解出来ないと言わんばかりに頭上にクエスチョンマークを浮かべ、
「へぇ〜超意外☆ もしかしてクラーク先生にも春が…?」
フランシスは状況を愉しんで顔をニヤつかせ、
「あの人、ほんとに何がしたかったんだろう…。真っ赤になるくらい怒ってるなら私に関わらなきゃいいのに。どんだけ私の事嫌いなの」
そしてエキドナは遠い目をして黄昏るのであった。
「あ、びっくりするくらい気付いてない☆」
「まぁ私も嫌いだから良いけど」
「わー現実って残酷(棒読み)」
________***
そしてまた翌日の放課後の事、
コンコンコン、
一室にノックの音が響き、クラークが書類を軽く片付けながら声を掛ける。
「どうぞ」
「「失礼します」」
扉を開けて入室するのは…………リアムとフィンレーだ。
二人の声にクラークも振り返り椅子から立ち上がる。
「再度訪問して頂きすみませんでした、リアム王子。フィンレー」
「いえお構いなく。…ところで "話" とは?」
「二人に改めて謝罪をしたく…。先日は私の至らなさで巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」
鎮痛な面持ちで言いながら、クラークが深々と二人に頭を下げる。
女性や女子生徒には手厳しい亭主関白男なので誤解されやすいが、男子生徒にはそれなりの協調性と常識を持っている人物なのだ。
「そっそんなクラーク先生っ 頭を上げて下さい!!」
クラークの行動にフィンレーが両手を前に出して動揺する。
そんな二人を見ながら…リアムは冷静に意見を述べるのだった。
「フィンレーの言う通りです。…ドナも言っていましたが、僕の目から見ても明らかに貴方は "悪くない"」
「!!」
リアムの言葉に頭を戻したクラークが深緑色の目を見開いた。その目は罪悪感と悲しみが混ざっていた。
「…ありがとうございます」
複雑そうな表情でクラークは俯き、それ以上言わなかった。
先日エキドナ達が訪ねた際は気丈に振る舞っていたようだが……男性とは言え、あの一件はクラークの心に大きな傷跡を付けていたのだ。
「「……」」
過去に何度か女性に迫られた事がある二人でもクラークほどの経験は流石にした事がないため、こんな時どんな言葉を掛ければ良いのかわからず無言になる。
「…オルティス嬢は、あれから大丈夫でしたか?」
無言の空気の中、クラークがポツリと呟いた。
恐らくあの現場に遭遇した後で体調を崩した事を人伝てに聞いていたのだろう。
「はっはい。あの時は具合を悪くしたみたいですけど、今は落ち着いて元気ですよ!」
「…………そうか」
フィンレーの言葉に安堵と、加えてまた別の感情を含んだ声でクラークは返事をする。
そんな彼の姿にリアムは疑問を抱き、尋ねるのだった。
「どうしてドナの様子を聞くのですか?」
「!! そ、それは…」
クラークの顔に動揺が走ったかと思えば……再び沈黙し、そしてまた重い口を開ける。
「彼女が部屋に入って私を見た直後。……物凄く辛くて悲しそうな…まるで、自分自身が深く傷付けられたような表情をしたから、ずっと気になっていたんです」