事後処理
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ヒュー…ハッ ヒュー
「…ドナ!!」
倒れ込んだまま動けなくなっていたエキドナの元へリアムが駆け付ける。
「姉さま!! そっちに居るの!!?」
遠くからフィンレーの声が聞こえる。
(あぁ…何で来てしまったの)
ヒュー ゲホッヒューッ
こんな姿を見せられても、困るだけだろうに。
(それよりクラーク先生の方が不味いよ。何を盛られたのか知らないけど…素人が薬を使うなんて最悪命に関わる。……そのためにも気付かれる前に、姿を消そうとしたのに。私よりクラーク先生を優先してほしかったのに)
結果的にむしろ逆効果になってしまった。
…私は、辛い事なんて慣れているから平気なのに。
(今一番傷付いて苦しんでいるのは、クラーク先生なのに…)
脳裏に先刻のクラークの顔が浮かんで罪悪感に苛まれる。
エキドナはボヤけた視界や耳から入る僅かな情報から事実を淡々と諦観して気持ちが沈んで行くが、未だに過呼吸は治らない。
ヒューッ ヒューッ と荒い呼吸音や息苦しさは良くなる兆しが見えなかった。
「って過呼吸!? 紙袋っ…は、今持ってな…!」
焦った様子で走って来たフィンレーにリアムが冷静な声で制止する。
「フィンレー落ち着いて。まずは身体を起こせばいいんだよね?」
言いながらリアムはその場に座り込んでエキドナの上半身を片手で支えた。
「はっはい。横になるよりは呼吸が楽になります…」
「ドナ、首元を少し緩めるよ」
そしてもう片方の手でボタンに触れ…びくりと一瞬身体が強張り僅かに抵抗を示すエキドナを気遣う視線を送りながら、第一ボタンと第二ボタンを外す。
そのままリアムはエキドナを自身の胸に預け、包み込むように抱き寄せた。
優しく背中をさする。
「ドナ。ゆっくり息を吐いて」
ヒュー ハッ ヒュー ハァ…
「そう、上手だよ」
まるで小さな子どもをあやすように抱きしめて優しく声をかけ続ける。
エキドナは力なくリアムの声にただ従うだけ。
ゴホゴホッ ヒュー…
上手く行かず途中で咳き込む。
「…姉さま」
リアムに続いてフィンレーも心配そうに床に膝をついて、エキドナの弱々しく震える手に自身の手を添えるのだった。
「吸って……吐いて……」
ゲホッ ヒュー……ッヒュー…… ハァッ…
どれくらいの時間が経過しただろうか。
リアムのかけ声に合わせて何度か呼吸を繰り返し、やっと過呼吸が落ち着いた。
まだ朧げに "あの" 記憶は頭にこびり付いているけれどだいぶマシだ。
そう冷静に分析するがまだ自力で動く力が残っていないようなのでそのまま黙ってリアムに身体を預けるのだった。
「…ハァッ…さっき、は…ゲホっ…」
「無理して喋らないで」
「コホッ…ハァ……ケホッハァ……いや、もう大丈夫だよ」
掠れた声を出しながらエキドナは手を握るフィンレーからも、抱き寄せ支えていたリアムからも……自身の身体を離して目元と頬を両手で雑に拭い立ち上がる。
そして同時に、
"苦しい" "悲しい"
などのまだ心に残っている負の感情を理性で無理矢理蓋をして気持ちを切り替えて行く。
(大丈夫。やれる。今迄だってそうやって "何事も無いように、普通に笑って生きてきた" のだから……)
徐々に自身の思考がクリアになるのを感じた。
まだ足元が覚束ないが、気力でなんとか歩けるだろう。
「さっきは…見苦しい所を見せてごめん」
そう言ってエキドナは申し訳なさそうに俯くのだった。
本当に見苦しい。
一人で突っ走って、置いて走り去って、勝手に過呼吸になって。
「別に…お互い様でしょ」
なんて事ないようにリアムがしたり顔をする。
「……」
そんなリアムに、何と言えば良いのかわからずエキドナは困ったように曖昧に笑った。
「姉さま大丈夫?」
「うんなんとか…フィンもごめんね?」
「良いんだよ…」
遠慮気味にフィンレーも微笑み返す。
「姉さま、今日は色々あったから…さ。先に部屋に戻って休んどきなよ。エミリーにも後で説明するから」
言いながらエキドナの手を取り労るように歩き出した。
「待ってフィンレー。…僕がドナを部屋まで送るよ」
そう言うや否や今度はリアムがエキドナをフィンレーから離してヒョイっと横抱きにした。
そのまま何事もないようにスタスタ軽快に歩き出す。
いきなりの展開で流石のエキドナも固まり瞠目するのだった。
「いや自分で歩けるって」
「どう見てもフラフラでしょ」
「重いでしょうに」
「重くないよ。また背が縮んだ?」
「縮んでないッ『また』って何『また』って」
身長の話題により条件反射で軽く怒るが、リアムはククッと笑いを堪えるだけだった。
エキドナを降ろす気配は一切ない。
「リアム様僕が運びますので」
「弟の貴方が運ぶよりは自然だと思うけど。エミリーにも僕から伝えておくから。……それよりフィンレーは先にクラーク先生の元へ行ってくれないかな?」
「「あ」」
エキドナとフィンレーの声が重なる。
時間の経過的にもう他の教員が介抱していそうだが……不味い。
あの状態で放置はかなり不味い。
しかも証言者の存在は彼にとっても非常に重要なのだ。
…学園長が目撃しているから多分大丈夫とは思うけど、私達三人は『その場で待機』さえまともに聞いていない訳だし。
(だから私の事なんて放って置けば良かったのに…)
改めて彼への罪悪感がすごい。
「…フィン、私からもお願い」
「……姉さまがそう言うなら、わかったよ」
かなり渋々だったが、フィンレーもクラークの事が心配なのだろう。
「リアム様、姉さまの事は一瞬任せますから。送り届けたらすぐこちらへ戻って来て下さいね逃げないで下さいよ!」
と早口で言いながらフィンレーは先程の研究室へと急いで走り出したのだった。
「「……」」
その場にはリアムとエキドナの二人だけが残り、微妙な空気が流れる。
「…ところで降ろして貰える?」
「嫌だね」
即行で申し出を却下しながらリアムがまた歩き始める。
(多分頑張ればもう歩けるのに…多分)
そう思いながらエキドナは言葉を重ねる。
「流石に公衆の場でこれは不味いと思うよ?」
今は人気のない校舎だからまだ良い。
しかしあと五分もしない内に生徒が集まりやすい正面玄関がある校舎に入ってしまう。
ただでさえリアムは天才王子で次期国王故にかなり目立つのだ。ついでに婚約者の自分も。
そんなリアムが不可抗力とは言え私をお姫様抱っこなんて、思春期真っ盛りの生徒達が見たらどんな反応をするか…。
あ、今別の意味で喉がヒュッて鳴ったわ。
「……実は最近、懲りずに迫ってくる女子生徒が増えつつあってね」
ハァッと息を吐きながらリアムがうんざりした様子で話始めた。
「……」
嫌な予感がする。
「だから『婚約者と関係良好』ってアピールが必要なんだよ。…協力してくれるよね?」
楽しげに説明し、さらに最後はキラキラ王子様スマイルをエキドナに向けて主張をゴリ押しするのだった。
(うわっ 久々の笑顔圧だ)
しかも至近距離。
圧がっ圧力があぁぁぁ。
「……は〜い」
結局圧に負けたエキドナが先に折れて諦めモードに入る。
単に私を気遣ってこんな言い方をしたのかもしれないが、相手はあのリアムである。
もともと稀有な頭脳の持ち主である事に加え感情の起伏が人より薄い面があるので正直どこまでが計算でどこまでが本心なのか昔から読み取りづらいのだ。
(…ん? これは女子生徒による私への嫌がらせがまた増えるヤツじゃね?)
そう気付くも時すでに遅し。
校舎に入るや否や、全生徒から
「「「「「「キャアアアァァッ!!!!」」」」」」
歓声と悲鳴が入り混じる中、公開処刑を食らうエキドナであった。
________***
次の日、学園内ではリアムがエキドナを介抱した話が早々に流出しその話題で持ちきりになっていた。
それは女子生徒達にも、
『本当に驚きましたわ! エキドナ様を軽々と抱きかかえて微笑むリアム王子の輝きったらもう…!』
『かっこ良すぎて倒れそうだった!!』
『イーサン王子にもしてほしいわ!』
『普段クールで大人っぽいドナちゃんが少し恥ずかしそうだったのがまたギャップで…!』
『わかる! 可愛かったわよね!!』
『わざとらしく婚約者アピールをして本当に嫌な女ッ!!』
『あざといですわー!!』
そして男子生徒達にも、
『…………王子があの "鉄仮面" を姫抱っこで運んだってマジ?』
『公衆の面前であの "冷徹女王様" を…?』
『猛者過ぎんだろリアム王子…マジ尊敬だわ…』
と完全に話題を呼んでそれに関する噂話ばかり。
だからこそ、本日欠席しているクラークとハーパーについて誰一人指摘する者は居なかった。
(…もしかして、リー様は "これ" を狙ってたの? だとしたらコワー)
周囲から散々冷やかされ質問攻めに遭いながらも、エキドナはリアムの通常運転なチートさに慄くのだった。
後からリアム達に聞いた話だが、本日クラークもハーパーも各々教員用の宿舎で待機状態らしい。
結果的にハーパーがクラークにした行為自体は生徒の様子から見ても公になっていないようだが、学園長を始め複数の教員から現場を目撃されたのでもうこの学園には居られないだろう。
ただし、加害者のハーパー・ヒルが法で裁かれる事は…………多分ない。
ただでさえ前世より "その手" の価値観が時代遅れな世界なのだ。
社交界から見ても、例え平民の世界でも、罪を明るみにして公の場で裁く事自体がタブーなのである。
恐らくクラークが訴えたとしても、各々の家や身内が反対して…最終的には示談で済まされてしまうのだろう。
そして仮に被害届を提出して裁判に発展して有罪判決を受けたとしても、確実に執行猶予が付く。
この犯罪は、そういうものだ。
どこの世界でも何も進歩しない。
……一番、刑罰も世間の認識も全く進歩しない。
そういう類の犯罪なのだ。
その日の放課後、エキドナは一人学園長室に呼び出された。
昨日は急病扱いで免除されていたのだが…改めて事情聴取を受けたのだ。
正直に言えば、昨日の事を人に話すのさえ苦痛だ。
事細かに説明しなければいけないし、質問攻めに遭う。それも似た内容を何度も何度も繰り返し発語するのだ。
嫌な事をまた鮮明に思い出しそうで…怖い。
「ふむ、なるほど…。ご協力頂きありがとうございましたオルティス嬢。内容もリアム王子方と合致していますし…というか、本当は私が目撃しているから貴女まで呼ばなくても良かったのですが形式上必要でしてねぇ。あれから体調は大丈夫ですか?」
サラサラとエキドナが話した内容を紙に記録し終えて立ち上がり……学園長がにこりと優しく微笑む。
「えぇ…大丈夫です。昨日はご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
エキドナも学園長に続いて席を立ち、先日の自身の行動について頭を下げるのだった。
「いえいえ、まだ若くて未婚の女性には刺激が強過ぎましたからね〜。体調を崩すのも無理はありませんよ! あっそういえば先程アイビン先生の様子を見に行ったのですが…」
「!! あ、あの…大丈夫、でした…か?」
昨日の被害者であるクラークの話が出たのでエキドナは慎重に尋ねる。
自分で言っては何だが、多分大丈夫ではない。
「幸い有害な薬ではなかったらしく一晩休んだらすっかり元気になっていましたよ〜! あの調子なら復帰も早いでしょうな。…そうそうっこちらアイビン先生から貴女に渡してほしいと頼まれまして!!」
言いながら学園長は懐から白い簡素な封筒をエキドナに手渡す。
「確かに渡しましたからね! では本日は時間を取らせて頂きありがとうございました」
「はっはい、こちらこそ。…では失礼します」
そのまま学園長室を出て…エキドナはひとまず場所を変え人気のない通路で、クラークからの手紙を開く。
そこには達筆で堂々とした文字が記されていた。
『エキドナ・オルティス』
……当たり前のように前置きも挨拶もなく、そこには淡々と以下のような内容が書かれていたのだった。
『明日の放課後、俺の研究室まで来るように。お前に拒否権はない。 クラーク・アイビン』
「……」
エキドナはつい無言で手紙を持つ手をぶらりと下へおろす。
クラークの理知的な深緑色の目が自身を睨み、まるで憎き宿敵に対して決闘を申し込むような威圧的な声が……脳内で容易に再現出来るくらい簡潔な内容と文章だった。
いやこれ果たし状じゃねぇか。