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痛い


________***


最初は、僅かな違和感だった。


「…?」


ひとまず長話に終わりが見えなかった学園長とフィンレーを『ヒル先生の研究室まで行きますが途中までご一緒しますか?』と声を掛けて目的の部屋まで行き、扉を静かに叩いたのだ。


「……」


返事が帰ってこない。



入れ違いを考えたが……どこか、嫌な何かを "感じた"。

これは前世で元は兄のために…そして結果として自分の身を守るために培われた力だ。

表情や声はもちろんの事、人から発する感情の…まるで周波数のような…そんな目に見えない僅かな変化を感じ取り、相手の思考をある程度推察・把握する…………オンオフの切り替えが出来ない厄介な能力。


何故かこの部屋からは、扉越しに…何故か不穏なような、緊迫しているような、そんなものを感じ取った。

二回目のノック後、エキドナは周りが不審がるのを気にも止めず扉に聞き耳を立てる。



「…誰かっ…!」



聞こえたのは、ほんの小さな声だった。

けれどその(すが)るような声を、私は聞き逃さなかった。



"たすけて"



…聞き逃せなかった。


気付いた時には声がした部屋のドアを強くノックしながらドアノブを回して開けようとして…鍵が掛けられているのか開けられない。


強引だとはわかっていたが、頭の中で危険信号が激しく鳴り響いていたから手段は選ばなかった。

ドアノブ目掛けて何度も蹴り飛ばす。

衝撃でドアノブが壊れ、突っ切るように部屋へ入ったのだった。


ドッッックン


ハーパー先生がクラークを組み敷いている。

ひと目見ただけではただ "そういう事" になっていたと、他者からは見えたかもしれない。

けれど私には…

クラークの乱雑に脱がされかけている衣服、痺れているかのように痙攣する手足。

そして何より、




クラークの表情が……全てを物語っていた。




「ッ…!!!」


ドッッックン


「!? ヒル先生一体何を…ッ!!?」


「フィ、フィンレー君。違うのよこれは…」


外側からそんな会話が聞こえるがエキドナはそれどころじゃない。


ドッッックン


クラークの姿が一瞬だけ…大粒の涙を零し、絶望を声に出して叫ぶ小さな女の子の姿と重なった。


ドッッックン


一気に血の気が引く。

自身の激しく鳴る心臓の音、荒くなる呼吸を聞きながら……エキドナは俯き必死で制そうとするのだった。


(落ち着け…落ち着け落ち着け!! 感情を殺せ抑圧しろ…動揺するな、動揺するな!! 何も感じるな感情を殺せっ……いつもやっている事だろうが!!!)


両手を強く、爪が肉に食い込むのも構わずぎゅうッと握り締める。


改めて二人の方を見据えて顔を上げたエキドナは静かに、けれど素早くハーパーとクラークの元へ歩いた。



「!! ちょっと何……ぎゃあっ!」


ハーパーの背中の衣服を掴んで引きずり、クラークから距離を取った後で雑に投げ捨てる。



普段の女性に優しいエキドナならあり得ない行動だ。



「なっ何をするのよ!!」


「……」


ハーパーは抗議の声を上げるがエキドナはまた黙って俯くのだった。

再び顔を上げる。


「……どうして?」


よく通る、綺麗で無機質な声が部屋に響いた。


「?…は?」


「ねぇどうして? どうして貴女はこんな酷い事が出来るの?」


声だけじゃない。

金の目を見開き、表情が抜け落ちた生気のない人形のように…エキドナはハーパーに淡々と問い掛け続ける。


「…(わたくし)は何も」


ハーパーがバツ悪そうにエキドナから顔を下に背ける。


「どうして? "教えて"」


しかしそれでもエキドナは止まらない。

今度はハーパーに近付いて両方の肩を掴んだ。

まるで『逃がさない』とばかりに逸らしているハーパーの焦げ茶色の瞳に自身の金の瞳を強く絡め合わせている。

目を見開いたまま、温度もないまま無機質に。


「ねぇどうして? …どうして?」


「ドナ…」


リアムがポツリと名前も呼ぶも、彼女には届かない。


「どうして貴女は……人をまるで『物』のように扱えるの? 壊せるの?」


平坦な声が、次第に感情を伴って激しく震えていく。

ハーパーを掴む指先も段々と震えながら力が篭って行くのだった。




前世(むかし)の記憶がエキドナの脳裏に押し寄せる。


『ごめんね、ごめんね』

(あの時、辛かった。悲しかった)


『泣くのをやめなさい』

(母さん…)


(『時間と共に癒える』なんて嘘だ。終わりがないままずっと痛みとなって繰り返されるっ。むしろ時間と共にどうしようもない苦痛が増して行くばかりで…………楽になんてならないんだ!!!!)








絶対に、許さない。


「ねぇなんで? … "教えて" よ…!」


未だにエキドナは人形のような静かさを持ちながら次第に自身の感情に揺さ振られている。

その姿はまるで、



そのまま音を立てて壊れてしまいそうな危うさがあった。





「っ…うるっさいわね! 生徒の分際で!!」



エキドナからの不気味な威圧に、ハーパーはついに耐え切れず逆上して怒鳴る。


ドンッッ!!


勢いよくエキドナの華奢な身体を突き飛ばすのだった。


「ドナ!!」「姉さま!!」


近くに居たフィンレーが突き飛ばされたエキドナの身体をなんとか抱きとめる。

そんな二人にリアムも慌てて駆け寄るのだった。


「姉さま大丈夫!!?」


「……」


フィンレーに抱きとめられたエキドナは目を見開いて空を見つめ、両手足をダランと力無く伸ばしていた。

しかしすぐさまフィンレーの腕から音もなく立ち上がる。


「…大丈夫だよ」


そう言うものの先程と変わらず目を見開き、生気を感じない危うい佇まいのままだった。

同時に後方からバタバタと慌ただしい足音が聞こえる。


「どうした何があった!!?」

「学園長先生っ これはどういう…!?」


ドアの音で気付いたのか恐らく近隣に居たと思われる教員数名が扉の周辺に集まって行く。


「詳しい事は後にするとして…まずは養護教諭と別校舎にいる保健医を呼んで下さい。クラーク先生は何か怪しい薬か何かを飲まされているらしい。それとヒル先生は誰か付き添いの元別室で待機を」


一連のやり取りを静観していた学園長は、普段の温和な雰囲気から一変して厳しい表情で冷静に教員に指示を出していた。


教員同士で連携を取り各々動き出す中、エキドナは震える指先で自身のケープボレロのボタンを外し始め…脱いだ。

そして何も言わずクラークに近付いて……まるで彼を気遣うように、身体にそっと掛けるのだった。


「!」


クラークは深緑色の目を見開き…そして睨む。

ハーパーに盛られた薬剤の影響かクラークは今も意識を保つので精一杯らしい、いつもより迫力に欠けた弱々しい声でエキドナを怒鳴るのだった。


「何だ、これは…っ、こんなもの、大した事ではない。だから俺に同情なんかするな…!」


「出来るか」


クラークの声にエキドナもまた弱々しく…けれどはっきり言葉を続ける。


「あんたの表情を見ればわかる…本気で傷付いて、苦しんでる人間に……同情なんて、出来るかよ…ッ!!!」


「……!」


エキドナの声や表情…その迫力にクラークが押される。

そしてそれ以上の反論はせず、クラークは視線を彼女から逸らすのだった。


「クラーク先生」


「…なんだ」


エキドナの声にまた不機嫌そうに答える。


「…貴方は、"悪くない"」


「!!」


「貴方とヒル先生に何があったかは存じません。…でも、貴方は何も悪くない。これだけはわかっていて下さい」


相変わらず不気味なほどに生気がないままだ。

しかしその言葉や瞳からは…クラークの事を心配して、守ろうとする意思が感じ取れる。


「悪いのは…」


今度はエキドナが視線をクラークから外し…ずっと無機質で無表情だったエキドナの表情が崩れ始めた。

眉間に皺が寄り……嫌悪や侮蔑、軽蔑の念がその声と瞳で物語っている。


「人を『物』のように扱う "外道" や "人でなし" だけです」





「…ヒル先生。先程何が起こったのか、全部説明して下さいね」


「学園長先生! 違うんです私はっ…!」


エキドナとクラークのやり取りを他所に他の教員に掴まれたハーパーは扉の手前で必死に自己弁護し抵抗している。

しかし彼女の起こした行動を実際に目撃した学園長には一切通じなかった。


「これ以上抵抗するのなら警備の者を呼んでも致し方ないでしょう」


「ッ…!!」


冷静に発する学園長の言葉に、ハーパーはようやく諦めたのか動きが止まり、グッと唇を噛み締めて俯き始めるのだった。

結局リアム達には「すぐ人を手配するから待っていなさい」とだけ言って、学園長は大人しくなったハーパーと教員数名を連れ部屋を後にする。


「…フィン」


「は、はいっ何姉さま」


まだ普段とは違い過ぎる異質な雰囲気を放つ姉にフィンレーがつい緊張から敬語で答えた。


「っ…クラーク先生の介抱をよろしく。あと証人も。… "女" の私がこの場に居ても不快なだけでしょうからっ…」


「! …ま」

「失礼します…」


クラークの声を遮り、エキドナは部屋に取り残された三人を残しゆっくりと退出した。

しかし部屋を出た途端、


「オルティス嬢どこへ? オルティス嬢!!?」


学園長の声も振り切り一人走り去ったのだった。






「…ハァッ……ハァッ」


ドッッックン


皆を置いて一人走り去ったエキドナが向かったのは先程の部屋からそこまで離れていない、誰も居ない階段横の小さな空きスペースだった。

厳密にはこの場所に用があったのではない。


「ハァッ……ッ…」


力なく床にへたり込む。


限界だった。

みんなに心配をかけたくなかった……否、"こんな自分" を誰かに見られたくない、知られたくなかった。

気付かれたくなかったのだ。


だからもう少し離れた場所へ行きたかったが…ここまで移動するのがやっとだった。


「ハッ……ッ……ッ」


息が苦しい。

力が入らない。

手足が痙攣する。



ハァーッ ヒューッ



不自然な音が自分の口から吸って吐き出される。


過呼吸だ。


先程の光景を見てしまったからだろう。

"あの記憶" が、生々しいほどに蘇る。

エキドナはギュッと左手でスカートの裾を握り締めて再び苦痛に耐えるのだった。


(そうだ "あの時" も…私はこうして過呼吸を起こしたんだった)


ゲホゲホッ ヒューッ ゴホッヒューッ


激しい呼吸とは裏腹に、エキドナの "頭" 自体は極めて冷静だった。


(…過呼吸で窒息なんて基本ない。しばらくすれば落ち着く、落ち着く。だから大丈夫だ)


そう自分に言い聞かせる。

何度も何度もそう言い聞かせ続ける。

しかし自身の胸の奥は…………鋭利な刃物を突き立てられたような、切り裂かれ続けるような、鋭い痛みが繰り返されるのだった。


右手で自分の胸元のシャツを握り締める。





痛い


痛い痛い痛い…!





頬に冷たい感触が伝う。

苦痛から逃れようとギュッと両目を固く閉じる。


けれどその闇の中に映るのは "あの" 悲しい記憶。


ヒューッ…ハァッヒューッ


呼吸で余計に力が込められなくなり、ふらり…と身体が傾いた。


ゴトン


受け身も取れないまま、鈍い痛みと共にエキドナは頭から床へと倒れ込むのだった…。


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