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大きな音


________***


その後クラークへの対策として化学の成績を上げるべく、エキドナは真面目に勉強した。

フィンレーもリアムも二人共口を揃えて


『『とにかくイオン化合物は周期表、有機化合物は官能基を全て覚えればいい』』


と言うのだけれどその全てを暗記するのにとても苦戦した。

何で二人は暗号みたいなマークを間違えずに覚えられるのだろうか。混ざる。

……というか、結局全部覚え切れないまま小テストを迎えたのだった。

『小テスト』という名のクラークが作った試験内容は実質中間テストばりのクオリティーで私だけでなく他の生徒達も(心の中で)悲鳴を上げていた。



結果は84点。

これまで平均前後の60〜70辺りをフラフラしていた私にとってかなり良い得点だった。



そしてその日のうちに、何故かクラークに一人彼の研究室まで呼び出されたのだった。





「はっ…なんだ、叩けばマシな成績が取れるじゃないか」


椅子に座りながらクラークは手に持っている薄めのファイルをパンっと机に軽く叩き付けた。

立ったまま話を聞くエキドナの肩が僅かに跳ねる。


「今迄どれだけ怠けていたかが目に見えるな」


「……」


言い方あれだが今迄の成績を考えれば一理ある発言なので理解出来る。

でもちょっと…いやだいぶイラっとした。


「次は90点以上だな」


何故さらにハードルを上げようとする。


(落ち着け私ポジティブに考えろ。きっとクラーク先生なりに何か考えがあって…ハッ!! まさか!!!)


「あの、お尋ねしたい事が…」


「何だ」


「まっまさかクラーク先生は…男性が恋愛対sy「馬鹿なのか貴様は」


即行で否定された。

しかも二人称が『お前』から『貴様』にレベルアップしている。

私を見る目がめちゃくちゃ冷たくて真顔だ。



「……どこからそんなふざけた妄想が出たかは知らんが、俺の好みは上品で淑やかな "女性" だ。女は一歩引いて男について行くべきだからな」


(うっっわ、またイラッとする事言うなぁ。いや待てもしかしたらアレかもしれないぞ。『未来の王妃(建前)だから勉学に励め』的な…)


そう思ったので努めてにこやかに、出来る限りオブラートに包んでやんわり尋ねる。


「では、クラーク先生は私がリアム様の婚約者だからより上を目指してほしい…と思われているのですか?」


「あぁなるほどそういう発想になるのか。だが違う。自惚れるな」


言いながらクラークが立ち上がってエキドナを冷笑し見下ろすのだった。


「俺はお前も含めて女子生徒がこの学園に通う事自体そもそも疑問だった。どうせ婚姻すれば相手の男が働くのだからな。教師の立場として授業を受ける時間が無駄にならないよう男子生徒と平等に指導してやっているが、実際多数の女子生徒はお前も含めて放課後や空いている時間は勉学以外の事に熱中している」


「……」



確かにここ聖サーアリット学園は貴族の子息達がレベルの高い授業を受ける事が出来るが、一方で前世の世界とは違って貴族社会には『外で働くのは男性・家の中を取り仕切るのが女性』という暗黙のルールである。

過去に下町へ遊びに行った際、平民の方は生活費の関係が大きいだろうが…働いている女性が多い印象だった。

しかし貴族の中ではまだその概念が定着していないらしく爵位を継ぎ主体となって政治や経済を動かす女性はほぼいないのが現状だ。


そしてこのような社会背景があるからこそ、将来一人で自立するために勉学よりも武術を優先するエキドナを含めて大半の女子生徒達は空いている時間を勉学とは違う事に使っている。

婚約者が居ない者は将来の相手を探すのに必死だ。

またある者はこまめに茶会を開いては派閥を広げようとしている。

或いは趣味に徹する者も。



そんな風に過ごす女子生徒達にクラークは不満があるらしい。


(ん? でもさっき『女子生徒が学校に来る意味あるのか』的な発言してたよね? 思いっ切り矛盾してない?? …いやその不満を飲み込んだ上で授業してるのに熱意が足りないのが余計腹立つって意味か)


どちらにせよ、彼の別の狙いが見えて来た。

クラークがエキドナ個人を嫌っている事に変わりはないだろうが、それを理由に絡んでいると言うより…



「……お前は女子生徒の中でも、あのリアム王子や未来のオルティス侯爵であるフィンレーに近い存在で目立つからな。見せしめに都合がいい」


ご丁寧に自己申告してくれた。


(つまり、他の女子生徒達が勉強に精を出させるために私の立場を利用していたって事か)


きちんと勉強しなければ対応がよりキツくなるという周囲への見せしめ、つまり警告。

言われてみれば最近の生徒達は化学の授業を特に恐れ…いや熱心になった気がする。


わかりやすく効率的な手段ではあるだろう。

人としてどうかとは思うけど。


エキドナの顔が僅かに引きつりため息を出したくなるのを堪える。

少々呆れているのだ。


(私が "侯爵家の娘" で "王子(リアム)の婚約者" って立場がなければ秒でいじめ問題に発展しかねない案件だぞこれは)


万一クラークが低位貴族の人間にこの "見せしめ" をしていたらと思うとゾッとする。

教師が特定の生徒一人のみを蔑ろにする事で、それを近くで見た一部の生徒までが安易に加担していじめの切っ掛けに…或いは度を越した加害行為に発展する危険性がある。

その辺りを目の前に居るこの教師はわかっているのだろうか。


「……丁寧な説明、ありがとうございました」


形だけでもと思いエキドナはクラークに謝辞を述べて頭を下げた。

クラークはそんな彼女を見下ろしたまま言葉を続ける。


「わかれば宜しい。今後も精進するように」


クラークの言葉に対してエキドナは頭を戻しニコリと笑うのだった。


「それは何とも」


「…なに?」


声色が低く、威圧的なものに変わるがエキドナは一切動じない。


「お話は以上でしょうか? 生徒会の業務に戻らなければいけないので失礼します」


淡々と言ってまたお辞儀し、迅速に退出しようと歩き出す。


はっきり言ってクラークの持論もやり方もくだらないと思った。

教育熱心ではあるのだろうが物事の見方が偏見的で独善的だ。

これ以上、クラークの『見せしめ』に付き合う必要もないと判断した瞬間だった。


「待てっ!!」


後ろからクラークがエキドナの手首を掴む。


ドッックン


バッ!!!


咄嗟にクラークの手を勢いよく振り払った。


「「……」」


二人の間に気不味い空気が流れる。


「…やはり、気に入らない」


苦々しく口を開いたのはクラークだった。

深緑色の瞳でエキドナを睨む。


「お前の対応は俺の神経を逆撫でする。大人しく従っている風に見せかけて(かわ)し、薄笑いで誤魔化し欺いている。何故言う事を聞かない…!」


「……」


「大体なんだその汚い手は!!」


「!! ッ…」


言いながらクラークが再びエキドナの手のひらを上に向けるように掴んだ。

その手は剣だこが複数あり所々固くなっている。

世辞にも令嬢らしい上品な手とは言えないだろう。

けれどもエキドナは内側から徐々に迫っている恐怖の感情を制御するのに必死だった。


「まさか女の癖に剣を習っているとは言わないだろうな!? 身の程を弁えろ!」


バッ!!


何とかクラークの拘束から抜け出して数歩後退する。掴まれた手をもう片方の手で庇うように触れながら、冷静に言葉を紡ぐのだった。


「……流石にプライベートまで貴方に指図される謂れはないので。では失礼します」


そのままドアノブに手を回そうとした次の瞬間、


「待て逃げるな!! 話はまだ終わっていないぞ!!」




ダァンッ!!!




勢いあまったのだろう。大きな音が研究室に響く。

クラークが扉を背にしたエキドナの横に手を強く突いて自身と挟み覆い込んだのだ。

一気に物理的な距離が縮まった。



「……!!」


声なき悲鳴を上げ……その間エキドナは前世の記憶が、走馬灯のように蘇るのだった。








ガターーンッ!!!!


『兄ちゃんっ もうやめてよぉ!』


『うるせぇッ!!!!』


泣きそうになりながら必死に呼びかけるが兄は怒鳴りながら床を強く踏みつけ壁を殴って穴を開ける。


バンバンッガンッ!!!!


『ぅっ…』


大きな音に両手で耳を塞ぎ恐怖で身体を縮こませる。





私よりずっと体格が恵まれていた兄は……幼少期から酷い癇癪(かんしゃく)持ちだった。




妹の懸命な静止なんて効いた試しがない。

多分 "あの兄" は、私に対して妹としての家族愛が皆無ではないと思いたいがそれ以上に…………私を自分の "召使い" として利用し、見下さないと気が済まないようだった。

見下している相手のお願いなんて自分の欲求の前では無いのと同じなのだろう。



『なんでいつも急に怒るの!? 私何か気に障る事をしたかな…? なんで、怒鳴るのっ 叫んで暴れるの!!? っ…怖いよぉ…!!』







(…懐かしいな)


スゥッ……と静かに頭の温度が一気に下がる。

視線が、思考が全て冷ややかな物へと変化して行く。


前世の兄の癇癪は物心ついた頃からあったが、一番悪質で酷かったのは私が高校生の頃だった。

つまり今世(いま)の私と同じくらいの年齢だ。


玄関の扉のガラス、郵便受け、壁、食器棚。

どれも兄が癇癪を起こして暴力で破壊した。


よりによっていつも深夜早朝にかけて暴れるからご近所に迷惑が掛かると申し訳なさで一杯になった。警察沙汰にならなかったのが割と奇跡だ。

…まぁ当時の両親は "世間体" が何よりも……本当に何よりも "世間体" が一番大切らしかったから、そうなっていたんだろうな。

あと当たり前だが、当時の私はいつも兄の癇癪に怯えて中々眠れなかった。薄いふすまを開ければすぐ兄の部屋だったから。

と言っても、私が寝起きする部屋は世辞にも私の部屋とは言い難いものだったのだが。

『いつかあの拳が私に向かって…兄に殺されるのでは?』と怯え、出来る限り息を潜め、存在を消してやり過ごしていた。そんな日々だった。




前世(かこ)の事をドライに思い返しながら……気付いた時には、既に態度に出ていた。

今度はエキドナがクラークを不遜(ふそん)な態度で見上げて鼻で笑う。冷めた声が響いた。


「…… "その程度" で脅しているつもりですか?」


「何?」


「理論で武装して相手にマウントを取ろうとし、それが通じないとなれば大きな音や怒鳴り声で威嚇…………やっている事が人から猿に退化してますね」


「なっ! お前!!」


「私は "お前" という名前ではありません。… "教師の癖に"、生徒の名前もまともに覚えられないのですか?」


「っ……」


エキドナのめまぐるしい変化について行けないのだろう。

クラークが押され気味に、不気味な物を見るような目で後ずさる。

その様子を冷めた風に眺めながら…エキドナは改めてドアノブに手を掛けるのだった。


「では、失礼します」


「待てだから話は…「これ以上何を話すのです?」


次は能面のように表情を落として冷え切った威圧を放つ。無の領域の怒りだ。

……この威圧は、前世の精神を病んだ母親に幼少期からいつも受けていた圧力の模倣である。

まともな神経をしていればダメージがかなりでかい事は私がよく知っている。


(…と言っても、もうあの人達とは血の繋がりも無くなったはずなのにね)


心の中で自嘲して、静かに…腹から冷ややかな声を出した。

自然と下がっていた目線を再びクラークの方へ向ける。


「私と先生には、明らかに考え方や価値観の違いがあります。これ以上のやり取りは平行線…お互い時間の無駄でしょう?」


静かになったクラークを無視してそのまま研究室を後にするのだった。


…パタン


扉が閉まる小さな音だけが無駄に耳に残った気がした。










「……」


黙々と来た道を戻るエキドナの中でじわじわ押し寄せるのは…………後悔。



(あ"ぁ〜〜やってしまった…つい感情的になってしまった…)


相手教師なのに…。

こりゃ次に会う時面倒な事になりそうだわ…。




そんな事を考えながら、エキドナはとりあえず生徒会室へと足を進めるのだった。


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