淑女
________***
思い当たる節は……ある。
エキドナが目の前に居るこの教師、クラーク・アイビンに嫌われている理由は恐らく二つ。
一つ目は先述したクラークの担当教科だ。
化学……すなわちエキドナの弟、フィンレーの得意科目であるためクラークは化学の成績が優秀なフィンレーと万能なリアムを気に入っていた。
(注:化学の成績 同率一位の二人)
だからそんな二人と一番関わりが深い存在であるはずのエキドナが、化学が不得手で成績が良くない事に対してかなり不満があるらしい。
(注:純粋な暗記が苦手な人)
そして二つ目の理由として…乙女ゲームらしく攻略キャラは皆タイプは違えど顔面偏差値が高いのに本性が斜め上なこの世界において。
硬派に見えるクラークのキャラ設定が……『亭主関白男』なのだ。
要するに『女性万歳! 男知らんっ!』なエキドナと男尊女卑気味で『女は黙って大人しくしてろ』なクラークは物凄く相性が悪いのである。
価値観がめちゃくちゃ一致していないから敵視され嫌われていたのだった。
何ならまだクラークが攻略キャラであるのを知らなかった頃、お互い一目見た瞬間に
『『あ、こいつとは絶対価値観合わねぇ』』
と各々顔を歪ませて奇妙に共鳴し合ったレベルである。
…にしても目の前に居るリアム達はまともだから除外するとして、キラキラで甘い恋愛モノなイメージの乙女ゲームの攻略キャラ達が
①サイコパス
②ヤンデレ
③ヘタレ構ってちゃん
④お馬鹿フラグクラッシャー
⑤女好きチャラ男
⑥亭主関白男
⑦?? (隠しキャラ)
…………。
ロクな男が居ねぇ。
制作スタッフ達はマジで何がしたかったのだろうか?
下手したら男に対して夢と希望が持てなくなって男性不信になるプレイヤーが出て来そうなくらいにキャラ設定が最悪である。
(ティア氏曰く『刺さる人には刺さる!!』らしいけど…。ダメだ全くわからん)
「ここ、違うんじゃないか?」
「えっ…?」
クラークの冷めた声と目の前に突き出された一枚の用紙を手に取って、エキドナは思考を一旦中断して集中する。
(これは確か、サン様が取り扱ってた書類かな?)
受け取ったのは一般生徒からの学園内にある多目的室の使用許可願いの用紙である。
名前や使用目的、日付、人数、そして生徒会長の印鑑。
見たところ不備らしい不備はなくエキドナは首を軽くかしげるのだった。
すぐ横に居たフィンレーにも両手を上げて用紙を見せるが、同じ意見らしく首をかしげる。
「すみません、具体的にどこがおかしいのかご教授願えますか?」
「自分で考えろ」
問題を指摘したクラークに尋ねるも即答で拒否される。
「…わかりました」
軽いイラッと感を内心抑えつつ、ひとまず了承して再度項目を確認するがやはり不備は見当たらない。
「僕にも見せて、ドナ」
するとリアムはエキドナが手にしている用紙を屈んで覗き込んだ。
エキドナもリアムに見えやすいよう再度両手を掲げる。
上から下へと視線を動かして……リアムが口を開いた。
「もしかして項目の書体ですか? 僅かな差ですがこの用紙は前年度の、今新しく使われている物よりも前の様式になっています。こちらの様式でも事務は受理してくれると思いますけど」
「ご名答ですリアム王子」
リアムの回答でクラークはご満悦のようだ。
表情が先程より柔らかくなった。
「確かにこの程度の書類なら様式が旧式の物でも受理されるでしょうが、重要書類だと話が変わりますから」
「そういう事ですか。こちらでもその辺りは注意しておきます」
「流石はこの国の未来を担う王子だけあって話が早くて助かります。……それにしても、気の利かない女が婚約者だなんて貴方も苦労してますね」
ピシッ
クラークの発言でその場の空気が固まる。
そんな自身を見下すように鼻で笑っている教師に対してエキドナは冷めた目で見つめ返していた。
(…あーあ、この人てっきりリー様達の前では言わないと思っていたんだけどな…)
そう。
実は以前から…………エキドナは顔を合わせる度にクラークからこのような嫌味を言われていた。
もちろんそれなりに傷付くが、実は前世からもエキドナには似たような経験があったのでむしろ慣れていた。極力何も感じないようにしている。
前世でも原理は謎だが一部の人からファン宣言されるくらい好いて貰える反面、大体中学・高校・大学それぞれの学校生活につき一人ほどの割合でめちゃくちゃ…それはもうゴ○ブリの如く自身を毛嫌いする子が居た。
キツい対応をしたり、目の前で他の子に『××気持ち悪い』『マジ無理』と陰口?? を叩いたり(注:幸い彼女に話を振られた女の子は優しい人達ばかりだったので目の前で肯定せずその子を宥めてくれていた)嫌がらせをしたりするのだ。
(…………。う〜ん、改めて思い出すと結構キツかったなぁ…)
もちろんエキドナ自身は過去を改めて振り返っても、彼女達に対して周囲と同じように普段通りに接していたと思われるので特に何もしていないはずなのだが。
そしてセレスティア曰くゲームのヒロインなら当然最初からクラークに好印象である。
間違っても邪険にされてなどいない。
「例えクラーク先生と言えど…」
「ストープっ」
不穏な空気を出しながらフィンレーがクラークへと足を進めようとしたのでエキドナが慌てて小声で言いながら弟の腕を掴む。
「僕の婚約者を貶すのはやめて頂きませんか」
そばで二人のやり取りを見ていたリアムが今度は冷静な声でクラークに申し立てるのだった。
けれどもクラークは動じていない。
「…それは過ぎた事を申しました」
と軽く謝罪をして頭を僅かに下げるが、
「しかし随分甘やかしておいでですね。女は大して実力もないから男を当てにしないと生きていけない生物の癖に口だけは達者で煩いし、出しゃばる女が多くて困るんですよ。お二人にも身に覚えがあるのでは?」
すぐその深緑色の頭を上げて流暢に堂々と話を展開するのだった。
「「……」」
……先程よりフィンレーから発する空気にヤバさを感じるのは気の所為じゃないと思う。
あとリアムもちょっと? 不穏になって来た。
(ヤバい!! この空気をどうやって変えれば…ッ!?)
自身の存在はクラークにとって不快な対象でしかないだろうから迂闊に喋れない。ただの起爆剤だ。
そう焦りながら思案していると、コンコンっ…と控えめなノックの音が一室に響く。
「…どうぞ」
緊迫した空気の中「お忙しいところ失礼します」と研究室に入って来たのは意外な人物だった。
「!! ヒル先生」
思わずエキドナが声を掛ける。
「あら、エキドナさん? それにリアム王子様方も……なるほど、そういう事でしたの」
フワリと淑やかに微笑む焦げ茶色の目と髪を持つ女性の名は、ハーパー・ヒル。
ヒル伯爵夫人で、男性率が高いこの学園の教師の中では貴重な数少ない女性教師である。担当は音楽だ。
ちなみに彼女は『クラークルート』とは一切関係ない人物らしい。
(相変わらず綺麗で色気あるマダムって感じだな〜…。そっか、クラーク先生の上司として時々サポートしてるんだっけ)
なお、当の『クラークルート』における悪役令嬢は病弱設定らしく現在自宅にて療養中らしい。
どの病気かは知らないけどしんどいだろうな。
お気の毒に…。
「流石はクラーク先生。まだお若いのに自身の授業だけでなく生徒会の顧問のお仕事も両立しているなんて! 私も上司として鼻が高いですわ」
「いえ、アイビン子爵家の者として当然の事ですから」
先刻までエキドナに嫌味を言っていたのが嘘のように、そのまま明るくにこやかにクラークはヒル先生と会話のやり取りを始めた。
どうもクラークは年上の女性らしい落ち着いた態度や淑女の見本になりそうなくらい丁寧で洗練された所作・言葉遣いで男性を立てて上手く転が…違った上手く導く事が出来るヒル先生の事を、『理想の淑女たる女性教師』と仕事的な意味で尊敬しているらしかった。
「…あらいけませんわ。学園長から預からせて頂いたこちらの書類を渡しに来ただけですのに、クラーク先生のお仕事の邪魔してしまって…」
「お気遣いありがとうございます。では確かに受け取りました」
「ありがとうございます。では失礼致します」
パタン
「「「「……」」」」
また気不味沈黙が流れる中で、クラークは再びエキドナを不快そうに見やり口を開くのだった。
「見たか? 彼女はたった数分の時間の浪費さえ俺に気を配りにこやかに素早く職務をこなしたぞ。……ひとまずその無表情を治したらどうだ」
「!! あんたいい加減に…「はいはいフィン一旦落ち着こ〜。すみません急用を思い出したので失礼します」
クラークの発言でキレそうになったフィンレーの腕にエキドナはしがみ付くようにして引っ張り、無理やり退出するのであった。
その後二人は研究室から少し離れた通路沿いで待ち、顧問の印鑑付き書類を抱えたリアムが帰って来てから三人で書類を分担して運び生徒会室へ向かう。
「何なんでしょうかあの態度!!」
リアムが来る間も宥めていたがまだ怒りが治らないらしいフィンレーがムキーッと怒る。
「アイビン子爵家は男女の役割が特に厳しい家らしいからね…」
やや呆れ気味な表情で説明するのはリアムだ。
「そんな家が教育機関の官僚になったんですか!!」
「フィンレー、声が大きい。ここが学園内なのを忘れないで」
「……わかりました」
リアムの指摘によりフィンレーはぶすーとした顔のまま黙り始めるのだった。かわいい。
(私を見る目が完全に "花に集る毒虫" みたいな目だったな…まぁ、別にどうでもいいけど)
そもそも前世の学校生活以前に、理不尽に当られたり怒鳴られたりするのは日常で慣れていたし。
…この世界ではそういうのが全くなくて有り難い反面、逆に不気味に感じる時もあるけれど。
(それに、"性別" という垣根を超えて理解し合うのは簡単じゃないと思うから)
確か医学的にも男性と女性では脳の構造が違う。
正確には脳内の神経繊維の走行が違うのだ。
だからこちらが男性について理解出来ないのと同様に男性だって女性を理解するのは難しい。
思考回路や価値観が合致しないから不満が生まれるのである。
…あくまでエキドナ個人の持論だが。
(まぁとにかく、私も用紙の書式うんぬんには気をつけよう)
ガチャリ
「……あぁお帰り。遅かったな」
「まぁ色々ありましてね!」
イーサンの出迎えと共にフィンレーが書類をドサッと置く。
「 …あれ? ところでフランとエブリンは?」
「ん? そういえば居ないね」
フィンレーの言葉にエキドナ達も辺りを見回す。
「え? 君達会っていないのか? 『遅いから様子を見に行く』と行ったきり…ハッ」
イーサンがまさかと言わんばかりに紺色の目を見開いて片手で口元を覆った。
リアムが長いため息を吐く。
「……もう逃げたのか」
「よし、私の出番だな」
「待って姉さま僕も行きたい。…ストレス発散しに」
こうしてクラークからの嫌がらせを受けたものの新たに発生した脱走犯、フランシス&エブリン双子の捕獲をするべくエキドナ達はすぐさま生徒会室を後にするのだった。