謝罪文
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なんとか保健室に辿り着いた一同だが、人数的に入り切らないためイーサン・ニール・ステラ・セレスティアが途中離脱してエキドナ・リアム・フィンレー・フランシスの四人が残ったのだった。
「うう〜ん…」
エブリンは軽く唸りながらもスヤスヤ眠っている。
幸いな事に養護教諭曰く命に別状はないらしい。
そのため途中で駆け付け、詳細を聞いた教員からはエキドナの『過剰防衛』について軽く注意される程度で話は済んだ。
だがしかし、エブリンに背負い投げを喰らわせたエキドナ本人は未だに鎮痛な面持ちだ。
「……女性に手を出してしまうなんて…武道を極める漢として情けない限りだわ」
静かに弟の方を向いてエキドナがクワッと力強く宣言する。
「責任を取って腹を搔っ捌かねばッ! フィン! 介錯は任せ…いややっぱリー様で!! リー様の方が情け容赦なくぶった切ってくれそうッ!! 笑顔でスパーンと!!」
「ね、姉さま…」
「ドナ落ち着いて。いつ性別を変えたの。あと色々失礼だね」
困惑気味なフィンレーの隣でリアムが呆れ気味に嗜める。するとフランシスが軽快な口調で告げるのだった。
「大丈夫だってドナ〜。一応オルティス侯爵と親父にはさっきの事伝言しといたからさ☆」
フランシスの発言でエキドナは改めて落ち込み始めるのだった。
「……そうね。ここは被害者の父君の手で裁きを受けなければ」
「早まらないでよ。それに姉さまが一番被害者だから」
「つーか俺達もそろそろ教室戻らなきゃじゃね?」
指摘されエキドナ達は時計を見た。
授業開始まで残り十五分ほどだ。
「そっかもうすぐ昼休憩終わるね…」
言いながらエキドナはハッと気付く。
…食事はすでに済ましているから今からゆっくり歩いて帰れば授業には余裕で間に合うだろう。
「リー様」
「? 何?」
「昨日の件で少しお話が…」
ピシッ、と二人の周囲の空気が固まる。
軽く微笑んで冷静に声を掛けているが目が笑っていない。
そんなエキドナにリアムも観念したように頷くのだった。
「……わかった」
「という訳でフィンもフランも先に戻ってて〜」
それだけを言い残すとエキドナはリアムを伴いながら、頭上にクエスチョンマークを浮かべているフィンレーとフランシスを置いて保健室からさっさと出て行くのだった。
「「……」」
「…そういえばあの二人喧嘩中? だったな」
「うん。エブリンの痴漢行為で忘れてたや」
「険悪ムードも大してなかったからなぁ。つーかマジ話、リアムはドナに何して怒らせたんだ?」
フランシスの素朴な質問に、フィンレーはキラキラしたとてもいい笑顔で答えるのだった。
「さぁ? リアム様の事だからどうせしょうもない事して姉さまを怒らせたんじゃない? そのまま本気で嫌われればいいのに☆」
「何気にお前、リアムに対して辛辣だよな」
一方その頃、エキドナとリアムはすぐそばの空き教室に居た。
「エブリンの件でちょっとうやむやになってたけどさ……昨日の "アレ" 何? 何があった? 何を血迷ったの??」ドドドドド
アーノルド譲りの黒い顔の影と音を発生させながらエキドナがリアムに詰め寄る。
「……」
気不味さからかリアムは静かに顔を逸らすのであった。
"アレ"
昨日の放課後、自己鍛錬中にリアムがエキドナにキスをした件である。
された直後エキドナは怒ってリアムの頬を思い切りぶっ叩き、それからはエブリンによる猛攻で一旦曖昧な状態になっていたのだが…。
例え表向きは婚約者同士だけれども、今の今迄『リハビリ』を除けばそんな色気付いた問題なんか起こらなかった二人である。
だからこそエキドナがリアムを改めて問い詰めるのも無理はない。
そんな中でようやく…観念したようにリアムが歯切れ悪く説明するのだった。
「……ドナが、同性にキスされたのが嫌で落ち込んでるなら、異性がして上書きすればいいのかなと」
「何故そうなったッ!?」
流石に恋愛絡みはないと思っていたが、それ以上に斜め上だったリアムの回答にエキドナは愕然としながら突っ込みを入れる。
「え? つまりそういう事? 私慰められてた感じなの??」
「…うん」
困惑気味に状況を確認しつつ、少し額を手で押さえた後……エキドナは「はぁ、」とため息を吐く。
「まぁ、こっちもややこしい言い方したかもしれないし本気で叩いた事に関してはやり過ぎたかもと思ってるけどさ…だからって『慰めてくれ』なんて一言も言ってないから。無闇にそういう事するのはやめた方がいいよほんとに、」
と言いつつエキドナがリアムの方を再び見て……今度は僅かに顔をしかめるのだった。
「…………ねぇ、まだ私に何か隠してない?」
「は?」
「なんか、そんな気がする」
ジト目で疑い始めるエキドナに対してリアムは内心緊張が走る。
しかしすぐさま思考を切り替え…もう一つの隠し事を白状するのだった。
「知的好奇心」
「ん?」
「知的好奇心」
「「……」」
二人の間に、また微妙な空気が流れる。
エキドナに至っては、いい加減その場で脱力しそうになっているのだった。
「『単純に経験してみたかった』…みたいな?」
「そういう事だよ」
あっさり認めたリアムにエキドナが軽く説教モードに入る。
「あのねぇ! こういう事を手軽に試したらダメだからね!? 他の女の子にやったら『既成事実』って騒がれるだろうし…」
「そんなヘマをするはずないでしょ」
「…へぇ? じゃあ何? 私なら許されるってか」
リアムの返答に、エキドナはまた不穏な笑みを浮かべる。
確かに婚約者のエキドナ相手なら大体の行動は周囲から大目に見られるし許されるだろう。
だがしかし、それはあくまで "本当に結婚する予定なら" の、仮定の話である。
この二人はお互いが八歳の頃から "上辺だけ" …偽の婚約関係を締結している。
普通の婚約者同士とは事情が違うのだ。
「……ごめん」
リアムの素直な謝罪の言葉にエキドナは今度こそ脱力するのだった。
「当然だけど次はないからね」
「…結構簡単に許すんだね」
リアムの問い掛けに今度はエキドナの意志の強い金の目が……睨むように冷たく、鋭く光った。
やや低い声ではっきり言い切る。
「他の男が無理矢理して来たら、命取る勢いで怒るし容赦しないよ?」
「……」
「…じゃあ、理由もわかった事だし早く教室に戻ろうか」
何事もなかったようにそう言って、エキドナはスタスタと歩き始めた。
リアムも彼女の後を追おうとするが……当の本人が目の前で立ち止まる。
「ドナ?」
「一つ言い忘れてた」
エキドナがくるりと振り返ってリアムを見る。
その顔にはもう怒りや呆れはなく、いつもの穏やかな微笑みだけだ。…けれど、その笑顔はどこか寂しげでもあった。
「貴方が選んだ "別の女性" ならキスしようがどうしようが、全く問題ないからね?」
「…そう、だね」
再び二人は歩き出す。
「……」
この時、リアムはエキドナに口付けをした本当の理由として『知的好奇心』を挙げた。
当然それもリアムにとって大きな理由の一つだが…実はもう一つの、そして最大の理由を、エキドナには言えないままでいたのだった。
(…… "よくわからないけどキスしたくなった"。こんな事を言えばドナは怒るかもしれないからな…)
そう考えながら、自身より低いエキドナの後ろ姿を見つめる。
(でも、何故僕はそんな風に思ったんだ…?)
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放課後。
「さっきは気を失ってごめんなさいね〜♡」
「……私の方こそ、なんと謝罪をすればいいのか…」
「気に病まないでドナちゃん♡ 放課後まで保健室に居たのも先生から『念のため休んどく?』って声掛けられたのが半分、サボり半分だから♡♡」
「それ言っちゃっていいの!?」
すでに目を覚ましていた様子のエブリンはにこにこ笑顔で顔色もよく怪我もなく、意識もしっかり戻っていて大丈夫そうだった。
「お前の事だからそんなもんだろうとは思ってたけどな〜。エブリン、鞄」
「ありがとうフラン♡ …ところでさっきオルティス侯爵様とお父様から速達来てたわよ? 私とドナちゃん宛に」
フランシスから自分の鞄を受け取って、エブリンは枕元に置いてある四通の手紙を手に取って掲げる。そのうちの二通をエキドナに手渡すのであった。
「私への手紙はさっき目を通したけど…オルティス侯爵様からは事務連絡的な内容でお父様からはいつものお叱りの手紙だったわ。フラン、わざわざ伝えるほどの事だったかしら」
「念には念を入れてだっつーの。…それに元はと言えばお前が周り巻き込んで自分のペースで飛ばしまくったのが原因だろーが!」
(((何故だろう、まともな事言ってるけどフランが言うと説得力ない)))
双子のやり取りを隣で見ていたエキドナ・フィンレー・イーサン三人の心の声がつい重なるのだった。シュールだ。
「ひとまずドナの手紙の内容を確認しようか」
リアムの冷静な一声によりその場に居る六人はひとまず保健室を後にして別室へ移動する。
人目がない事を確認した一同は改めて手紙を開けて机の上に広げ、中身を覗き込むのだった。
カサッ
『我が天使を超えて悪魔レベルに可愛いエキドナへ』…
「ちょっと待ってお父様何書いてんの」
出だしから親バカな文章に思わずエキドナは手紙を両手で隠す。
しかし冒頭の挨拶をがっつり見たリアム達四人は完全にツボに入って各々笑い転げるのであった。
「ぐっ…! "悪魔" の由来ってまさかそういう…!!?」
「待てリアムっ…そんなに笑ったら失礼だろ…!! ッ…」
「そーゆーイーサン様も笑い堪え過ぎて涙目じゃねーかよ!!! あ〜ヤベェ…!!」
「ふふっ あのちょっと近寄りがたい侯爵様がね〜! っ…なんか親近感湧いちゃう♡」
そして唯一笑っていないフィンレーは何かを悟ったような顔をしている。
「…うん、お父さま元気そうで良かったよ…」
「フィン…」
出だしはアレだし手紙の内容もよりポエムめいた書き方をしていたが……親バカ成分を取り除いて要約すると
『リード宰相がひたすら謝り倒しに来て驚いた。こちらはある程度話がまとまってるから気にするな。"あの" エブリン嬢に襲われたそうだが大丈夫か?』
といった双子の父親であるリード宰相とのやり取りとエキドナの身を案じる手紙であった。
(お父様には後で返信書いておこう)
「ふっ…じゃあ今度はリード宰相の手紙だね」
「いい加減笑うのやめなさいな」
未だに震える王子をやってるリアムにエキドナが文句を言って…もう一つの封筒から手紙を出す。
「「「「「「!!!?」」」」」」
驚きで皆言葉を失った。
どうやって入ってたんだというくらいの紙の束、そして…………何故か血まみれであった。
「おー…ちょい待ち、俺が開くわ」
そう言ってフランシスがエキドナの手から手紙の束を取り……中を開いて素早く確認し始めた。
「ん、大丈夫。偽物にすり替えられたとかじゃねーぜ」
軽い口調でエキドナへ手紙を返すのだった。
「ありがとう。読むの早いね」
「これでも未来の宰相候補ですから」
「そっか〜」
言いながら改めて紙の束を開いて皆で中身を確認する。
紙の束は計三十五枚。
そこにはリード宰相の達筆な字でびっしりと……エブリンの件に対する謝罪の言葉ばかりが載っているのだった。
「……この量だとむしろ呪いの類だな…」
イーサンが引き気味にボソッと呟く。
「姉さま、なんで所々に血がこびり付いてるんだろう…?」
「多分この血は黒っぽいから、消化管からの出血だと思うよ…」
「なんでそんな事までわかるんだよ…」
(これ、胃からの吐血だよなぁ…お気の毒に)
なんだか日頃から苦労されているリード宰相に同情してしまう。そんな痛ましい謝罪文だった。
そして段々黒のインクで書かれた文字が宰相の血液に置き換わって行き……いやマジでどこのホラー?
最後の一枚は、大きく赤く荒々しい文字で
『本当に見境のないバカ娘なのでもっとやっちゃって下さい』
そう、書かれていたのであった…。