わからない
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朝。
ザァァァと雨音は激しく降り続けて止む気配がない中……ほとんど一睡も出来ないままエキドナとフィンレーはベッドから出たのだった。
ベッドに残されたアンジェリアはまだすやすやと気持ち良さそうに眠っている。
ひとまずフィンレーを彼の部屋まで送るため扉を開けると、既にアーノルドとルーシーが普段着で部屋の前に立っていた。
驚きで思わず目を見開いて固まる。
「おはよう、二人共」
「…おはようございます」
「…」
「おはよう。朝からごめんなさいね二人共。いきなりで悪いのだけど…すぐ着替えて、お母様のお部屋に来てくれるかしら?」
遠慮気味にルーシーが言うのだった。
フィンレーは何も言わず俯き怯えている。
咄嗟にエキドナは彼の手を握った。
「あの…お父様、アンジェは?」
「アンジェリアはまだ眠っているのだろう? 他の者に任せるから安心しなさい」
エキドナの質問にアーノルドが優しく答える。
しかしそれでも…四人の間に流れる不穏な空気が薄れる事はなかった。
フィンレーと別れてすぐ訪ねて来たエミリーに身だしなみを整えてもらった後、母ルーシーの…と言っても事実上両親の部屋へと向かう。
両親の部屋には昔から何度も訪れているが、ここまで不安な気持ちで訪ねた事は無かった。
扉を軽く叩き「どうぞ」と返事が返って来たのでドアノブを手にかける。
「失礼します」
言いながら部屋に入ると既に両親とフィンレー、カルロスまで室内で待っていた。
フィンレーは相変わらず俯きがちで不安そうだ。
これから、嫌でもこの子の真実とやらに向き合わなければいけない。
(……向き合った後私は、この子と今迄のような "姉弟" として居続けられるだろうか。)
昨夜から密かに抑え込んでいた不安が…エキドナの胸中で大きく渦巻いたのだった。
母ルーシーから聞いた内容は以下の通りである。
かつてルーシーには『オズワルド』という二つ年下の弟がいた。
彼は厳格な父親…つまりエキドナとフィンレーにとって祖父に当たる先代オルティス侯爵の元で次期当主として育てられていた。
姉の欲目から見ても、見目麗しく優秀で心優しい自慢の弟だった。
そんな彼が見聞を広げる目的でたまたま王都の市街地に視察で訪れた時の事、ある喫茶店で『ハンナ』という名のウェイトレスの女性に出会った。
当時ルーシーも一度だけお忍びで彼女に会った事があるそうだが、ハンナは優しい栗毛色の髪と水色の瞳を持つ穏やかで善良な娘だったらしい。
二人は初めて出会ったにも関わらずお互い強く惹かれ会い…恋仲になるのも時間はかからなかった。
しかし、家柄や歴史を重んじる父親は次期侯爵家当主の息子とただの平民の女という身分差が大き過ぎる二人の恋を強く反対し続けた。
そして激しい口論の末、オズワルドはオルティス侯爵家から出て行き父親も息子に対して事実上の勘当を言い渡したのだ。
その時オズワルドは、まだ十六歳だった。
それから年月が経ち…父親はまるで息子への当て付けのようにアーノルドをルーシーと結婚させ婿養子にする事で跡継ぎ問題を解決させた。
そして翌年、ルーシーはエキドナを出産する。
しかし勘当されてからの期間もずっと、父親の目を盗んでルーシー達姉弟は隠れて文通を続けていた。
手紙の内容から二人は事実上結婚して細々ながら幸せに暮らしている事、ハンナのお腹に子どもがいる事がわかっていた。
そして弟からの……事故で亡くなる前の最期の手紙で、自分によく似た息子が産まれ "フィンレー" と名付けた事を知ったのだった。
「『姉上や僕と同じ髪と目をした可愛い息子の "フィンレー" 。一度でも良いから会わせてあげたいな。きっと一目で気付くと思うよ』…。そう書かれていたわ。まさか、この手紙がオズからの最期の手紙になるなんて……あの時は考えもしなかった」
当時の、弟が姉に送った手紙を大切そうに抱き締めながら…彼女は目を伏せ悲しげに言う。
そして最期の手紙からたった数ヶ月後…ルーシー達はオズワルドと思わぬ形で再会する事になる。
それは、今日のようなよく雨が降る日だった。
突然オルティス侯爵邸に騎士団がやって来て『オズワルドと思われる人物の遺体を発見したので来てほしい』と言ったのだ。
もちろんルーシーも最初何かの間違いだと思った。
しかし、確認のため遺体を見た瞬間……その場で崩れ落ちて泣き叫んだ。
昔より大人びたけれど面影のある顔、自分と同じ金髪。
間違いなく弟だった。
そして彼の隣には優しい栗毛色の髪をした女性の遺体が一緒に横たわっていた…。
王都付近の山道で起こった落石事故だった。
何故オズワルドとハンナが悪天候の中そんな場所に居たのかなんて今となってはわからない。
けれど、二人がその事故で亡くなった事は紛れもない事実だ。
そんな二人に、まだ赤子だったフィンレーはまるで守られるかのように両親の間に挟まれて無傷だった。
騎士に抱きかかえられたフィンレーと初めて対面した時、ルーシーは一目でオズワルドとハンナの子どもだと気付いたのだった。
…一度は祖父の元へ養子に出されかけたもののあの厳格な……実の息子をも切り捨てた非情な父親が今度はフィンレーに何をするかわからない。
だからこそ、まだ娘が乳飲み子だったにも関わらずルーシーとアーノルドはフィンレーを息子として育てる事に決めたのだ。
「…だからね、フィンレー。私達は」
「もういいです!」
続けようとするルーシーに俯き両手を強く握り締めながらフィンレーが叫んだ。
「もうっ …いいです……」
今度は消え入りそうな声で先程と同じ言葉を呟くと、そのままフラフラと覚束ない足取りで部屋を出ようとする。
「フィン、待っ…」
パシンッ
乾いた音が部屋に響く。
直後、右手からのヒリヒリとした痛みでエキドナはフィンレーに手で弾かれた事を知った。
「フィ、フィン…」
「…姉さまは、知ってたの?」
冷たい声が部屋に響く。
俯いているので表情が見えない。
「? 何が」
「僕が、お父さまとお母さまの子じゃないってこと」
何故そうなった。
「え、初耳だけど…」
「……じゃあっなんでそんなに落ち着いてるの!?」
キッとエキドナの方を睨む。
喧嘩以外で睨まれたのは初めてだ。
落ち着いているというか…衝撃でフリーズしてるだけです。
「…驚き過ぎて固まってる」
「……」
馬鹿正直に言ってみたものの、逆効果だったらしい。
どんどんフィンレーの表情が険しくなっていく。
「フィン、」
「もう僕にかかわらないでよ! 本当の姉じゃないくせに!! 僕の気持ちなんてっ …あなたにはわからないよ!!!」
「! フィンレー!!」
アーノルドが呼び止める。
「お父さまもお母さまもっ…みんなうそつきだ!! 」
アーノルドの制止を無視し今度こそフィンレーは部屋から飛び出して走り去ったのだった。
『追いかけた方が良いのでは?』
そう本能が呼びかける。
…けれど、
"本当の姉じゃないくせに!!"
"僕の気持ちなんてっ …あなたにはわからないよ!!!"
彼が放った言葉は、エキドナの追いかけようとする気力を潰すほどの破壊力があった。
今迄は…… "姉弟" だからこそお互いの事をあれこれ言い合えたし些細な事も話し合えた。
でも、実の姉弟ではない以上…これからの彼との関わり方がわからない。
わからないから彼に関わる事が出来ない。
けれどそもそも、もう関わる事自体出来なくなってしまったのか。
だって……フィンレー自身から強く拒絶されたのだから。
次から次へとやって来る思考の波に混乱する中……その事実だけは理解出来た。
まだ降り止まない強い雨音だけが、部屋に残された人達の間に響いている。