登校
________***
「お帰りなさいませお嬢様」
「ただいまエミリー」
謎の女好きチャラ男『フランシス』の登場で色々疑問が消化不良だが、エキドナは取り敢えず学園寮の自室に帰って来たのである。
たかが寮といえど流石は貴族の学校…かなり豪華だ。
客間や使用人部屋など複数の部屋で構成されており一つ一つの空間も広い。そのためエミリーもそのうちの一室で生活する事になったのだ。
「にしてもエミリー…本当に良かったの? 学園に行く私に付いてくなんて。子どももまだ小さいのに」
手荷物をエミリーに手渡しながらエキドナが改めて尋ねた。
その言葉に、すっかり大人の女性になったエミリーがにこりと微笑む。
「いえ、お気になさらないで下さい。子どもは夫と両親に任せておりますから」
そう。
エキドナ専属侍女であるエミリー・オーバートンは…この七年間で結婚、妊娠・出産を経て二児のママになっているのだ。
また当時は専門学生だったエミリーの従弟も無事学校を卒業して、今では次期侯爵予定であるフィンレーの専属執事として働いている。
「何よりお嬢様に付き合い切れる侍女を今から探す方が不要な手間ですから」
「……まぁ、エミリーの方が慣れてる分色々融通効くもんねぇ」
「はい、お嬢様のマイペースっぷりにはもうとっくに諦めております」
「その流れで私が王妃なる未来も諦めて欲しいな〜」
言いながらエキドナは気遣わしげにチラリとエミリーを見る。
……実は数年前に、エミリーにはリアムとの偽の婚約関係を話したのである。
フィンレーが知っている事も彼女は把握している。そしてその事実を二人は知らない。
知っている人間は少ない方がいいからエキドナ自身にとっては偽の婚約を黙っておくか迷ったのだが…将来、エキドナとリアムが婚約解消した後で一番迷惑を掛けるのがエミリーだと常々思っていた。気にしていた。
だからリスク承知で早めに伝えたのだ。
有難い事にエミリーはあまり驚かずにすんなりと受け入れてくれた。
……ただ、
エキドナの言葉にエミリーはより笑みを深くする。
「偽の婚約と言えど今後どう転ぶか誰にもわかりませんよ。…ですからもしお嬢様が王妃様になられた暁にはぜひ私を専属侍女に任命して下さいね? オーバートン家にとって最上級の誉れになります」
「……」
気持ちの良いくらいハッキリ言い切ったエミリーに、エキドナはつい無言になるのだった。
一方その頃。
先刻の騒動の渦中にいた謎のチャラ男ことフランシスはと言うと、リアム・イーサン・フィンレーの三人に呼び出されていた。
「んだよ〜。これからデートあんだけど」
「安心しろ。君の返答次第ですぐに帰す」
気怠そうなフランシスに対してイーサンは緊張気味だが落ち着いた声で答える。
ここはエキドナ達が住む女子寮からより離れた位置にある男子寮の……さらに奥、王族など高貴な身分の者だけが住う特別な寮である。
そのためセキュリティーが非常に高く常に人払いが施されている状態だ。
「フラン、単刀直入に尋ねる。……何故エキドナと接触した」
リアムの淡々とした問い掛けにフランシスは……吹き出し軽く笑い始めた。
「はははっ! 何の用かと思ったらそれかよ〜!? わざわざ人気のねー部屋まで呼び出しといてウケる。……つーかさぁ、」
ひとしきり笑った後…フランシスが銀朱色の目を細め、不敵に微笑む。
「そもそも "俺" に関わらせらないようにしてる方がおかしくね?」
「っ……」
フランシスの指摘にイーサンの言葉が詰まる。
リアムの婚約者でありオルティス侯爵家の娘でもあるエキドナは、親戚や友人を除けば今迄社交界ではそこまで気軽に声を掛けられる相手ではなかった。
だがしかし、このフランシスという男は……今迄だってそれが許される立場の人間だったのだ。
そして学園に入学し一生徒になった時点で、必然的に社交界よりも暗黙のルールが和らいでしまう。どんな男子生徒であれ、よりエキドナと関わり易い状況になるのである。
「それは貴方の素行の所為だろ」
「否定は出来ねーな」
リアムが動じず冷淡に指摘するがフランシスは物ともしないで軽く受け流す。
「…フランシス、周りの人達から貴方がかなり女癖が悪いって話はよく聞いてる。だから僕の姉さまには近付かないで」
するとリアムとイーサンの背に隠れていたフィンレーが前へ出て訴え掛ける。
言いながらフィンレーがキッ! と正面からフランシスを睨んだ。
「おっ フィンレーじゃん久しぶり〜。相変わらず女みてーに可愛い顔してんな☆」
「……茶化さないでよ。姉さまに関わらないでって言ってるんだ」
「フィン…!」
イーサンが慌ててフィンレーの腕を掴んで自身の方へと軽く引く。
先程より声に凄みが増したからだ。
見た目こそ中性的で愛らしく基本優しい性格のフィンレーであるが……実はエキドナ同様に見た目で惑わされてはいけない側面が、彼にはある。
けれどもそんな事を知りもしないフランシスは平気な様子で無邪気にケラケラ笑うのだった。
「俺の事言う前にまずは自分の事なんじゃねーの? お前がかなりシスコンだって話は社交界じゃすっかり有名になってるぜ? まともに姉離れも出来ねーヤツに説教されても説得力ねーな」
「くっ…!!」
「だからさ、これからもエキドナ嬢には遠慮なく関わらせて貰うぜ。"立場上" 今後とも長いお付き合いになる訳だし♪ …じゃっ彼女待たせてっから」
言いながらフランシスが席を立つ。
「待てフランシスっ 話はまだ…!」
イーサンが慌てて呼び掛けるがフランシスは気にも留めず……そのまま片手を上げて部屋の扉を開け日が沈み始めた薄暗い通路へと消えて行ったのだった。
そして翌朝、エキドナは早めに起き軽く自己鍛錬をしてから身支度を整えステラ達と一緒に校舎へ向かう。
その登校中の……正門をくぐってすぐの出来事だった。
「おっはよーフラン♡」
「はよ、今日は一段と可愛いじゃん」
「やだぁ〜♡」
きゃっ きゃっ
「…………」
(すご…リアルハーレム初めて見た)
そう。
エキドナ達はフランシスとフランシスの腕や肩に抱き付いている複数の女子生徒達に出くわしたのだ。
フランシス達の周辺には、いかにも『リアルが充実してます』的なオーラで溢れ返っている。
前世でも今世でも(リアムやフィンレーが女性に囲まれて仕方なく助けた場面はあるが)ガチなハーレムを見た事がなかったエキドナは軽くカルチャーショックを受けて言葉を失った。
「おっ昨日ぶりじゃねーかエキドナ〜。今日も美人だな♡」
(げ、見つかった)
複数の女性の相手をしているのに即座にエキドナを見つけ手を振りながら声を掛けて来た。
そんな彼にエキドナは僅かにしかめ面し、リアムやフィンレーがエキドナの前に出ようとした次の瞬間、
パァンッ!!
いきなり女の子が飛び出し、フランシスに思い切り平手打ちをしたのだった。
一気にエキドナを含め周囲の人間に動揺と緊張が走る。
周りの声や視線に気付いていないのか、女の子……黒っぽい茶髪が特徴の清楚そうな女子生徒が涙声で叫んだ。
「ひどいっ! あたくしの事『可愛い』って言ってくれたのに! 騙したのね!!」
ザワザワと他の生徒達の声がする中、女子生徒の言葉にフランシスがゆっくりと顔を上げる。
公衆の面前でぶたれたにも関わらずその表情に変化は見られず軽薄そうな笑みを浮かべ続けていた。
「えぇ〜『可愛い』って言葉は本心だけどなぁ」
フランシスのおどけたような軽い口調に未だ彼に寄り添う女子生徒達がクスクスと笑い始めた。
「あの子本気だったみたいよーカッワイソ〜」
「フランも悪い男ね〜。フランにとっては『可愛い』って挨拶みたいなものなのに〜」
「俺からすればどんな女の子でもみんな可愛いの! つーかそこは優しく慰めてくれよ〜」
「やだぁフラン大丈夫〜?」
「今更かよ!」
まるでぶった女子生徒を、なんて事もない…大した事ないと言わんばかりに笑うその軽々しい態度に、
「!! ッ…うっ…」
女子生徒は手で顔を覆いながら野次馬と化した生徒達の間をすり抜け逃げるように走り去ったのだった。
偶然とは言えそんな場面に出くわしたエキドナは……自身の中で暴れ狂う怒りを抑えるのに必死だった。
(こいつ殴りてぇ…!)
現実的な話、フランシスがどの程度武術をかじっているかにもよるがエキドナがフランシスを殴ってダメージを与えるのは簡単だ。
けれどここじゃ人が多過ぎる。
自身の勝手な行動で悪目立ちをすれば婚約者のリアムや弟のフィンレー……みんなに悪影響が出る、迷惑を掛ける。
それは悪手過ぎる。
クッソ…!!
考えながらエキドナは先程の女子生徒の事はまるでなかったかように他の女子生徒と戯れるフランシスを静かに…そして冷たい目で見つめるのであった。
(……とにかくあの女の子には、後で何かしらのフォローをしておこう)
注:後でこっそりお菓子を多めに手渡しました。