逃げ切れば
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ゆっくり、深呼吸を努める。
でも中々難しい。逆に咽せて咳き込んだり、呼吸が浅くなったり。
少々強引にみんなから離れたエキドナは、誰も居ない校舎の裏側で隠れるように休んでいた。
建物の壁にぐったりと身を預けて、落ち着くまで無闇に動かず大人しくする。
「ふー……」
やや落ち着いて来たので深呼吸を止めてゆっくりと歩き出した。
身体はマシになったが精神がまだマシではないのだ。
今の状態をステラ達に見せるのは不味い。
…心配させてしまう。
漠然とそんな事を考えながら、ふと視界にベンチが入ったので近付き腰掛けて再び休憩する。
……しばらく座り続けていると、手すりや脚が所々錆びれているのに気付いた。
この辺りはあまり人の手が加わっていない、つまり人の通りが少ないという事なのだろう。
ひらり、
「……」
エキドナの足元に淡い桃色の花びらが落ちて来た。
そっと顔を上げて後ろを向いたら、丁度自身の後ろに満開の桜の木が一本だけあったようだ。
気付かなかった。
また一枚、二枚…
風に揺られてエキドナの元へ花びらが静かに落ちて来る。
そんな光景を、ぼんやりとした…けれど悲しみを含む瞳でエキドナは眺めるのだった。
(………… "きれい" …)
「…驚いた。桜の妖精…もしくは春の女神が地上に舞い降りて来たかと思ったぜ」
「!!?」
人が居た衝撃で立ち上がり声が聞こえた方へ顔を向ける。
いつの間に居たのだろうか、そこには肩下くらいまで伸ばした…跳ねた赤毛と赤い目が特徴の青年が立っていた。
イケメンではあるがわざとらしい表情や仕草・口調から、良く言えばフレンドリー……悪く言えば軽薄そうな印象を与える。
「……」
エキドナは一瞬彼を見て、そのまま無言で視線を戻した。
先程までの気持ちを即座に切り替え警戒態勢に入る。
昔なら初対面でも同年代の男の子に声を掛けられたらちゃんと返事をした。対応していた。
相手が少年、子どもだから柔らかい対応をしていたのだ。
でも今は違う。
相手は青年…… "男" だ。
「おいおい声掛けてるのに睨んで無視とは冷てーな。まっそんな所も映えちまうから魅力的なんだけど」
それほど気に留めていないのか、言葉の割に男の口調は明るく軽快である。
「……」
「これも無視か」
エキドナは相手の声に反応せず踵を返して元来た道へ早歩きで戻ろうとする。
「…流石はリアムの "お気に入り" だな。物怖じせず凛として美しい」
「!」
聞き慣れた名前が聞こえてつい足を止めてしまった。
僅かな反応に気付いたらしい男が少し嬉しそうな声で続ける。
「やっと俺の話聞く気になった? 俺はリアムの幼馴染でフランシスって言うんだ。あんたがエキドナ・オルティス侯爵令嬢様だろう?」
「……そうですが」
エキドナは顔だけ振り返り軽く睨んだまま冷たい声で答える。
この程度で警戒を解くはずもない。
あと結果的にとはいえ、よく知らない男が私の背後に立たれる状況はかなり不愉快だ。
(……リー様の幼馴染? でも『フランシス』なんて単語、今迄会話で出た事ないと思うけど)
「ついに返事もしてくれたな。俺さぁ、前からアンタにずっと会ってみたかったんだよなぁ。…リアムの "お気に入り" に」
言いながら赤毛の青年…フランシスがエキドナの方へ、何か企んでいるような含んだ笑みを浮かべながらゆっくりと歩み寄って来る。
「あ、」
「? 何? え、なんもないじゃん…って逃げ足速 ッ!!!」
危機感を感じたエキドナは遠くで何か見つけた振りをしてフランシスの注意を一瞬逸らし、その間に全力疾走で逃げたのだ。
父アーノルドによる武術の手ほどきの元、身軽さとスピードがメンバー随一のエキドナである。
フランシスが気付いた時にはすでに校舎裏から脱出していたのであった。
逃げ切ればよかろうなのだァァァァッ!!
その後、
「あ! 姉さまいたーッ!もうどこ行ってたの姉さま!!」
寮付近まで走っていたエキドナをフィンレーが見つけて駆け寄る。それに気付いたリアム達もエキドナの元へ集まって来た。
「ゼェッ…ハァッ…ちょっと散歩をね…」
「いや今走ってたよね」
未だ肩で息をし額の汗を拭うエキドナにリアムが突っ込む。
「とにかく! どこまで散歩に行ってたの! ここは侯爵邸じゃないんだから一人で長時間は危ないよ!!」
「……うん、そうだね反省したわ」
「その言い方…。ドナ、既に何かやらかしたんだ?」
「そうなの姉さま?」
目敏くリアムに気付かれフィンレーにもジト目で疑われる。
「う〜〜ん、大した事じゃないんだけどさ…」
「あははっ☆」と一応軽い感じで前置きしておく。
「変質者? に絡まれたというか…」
「「それ大事!!」」
「まぁっ 大丈夫ですの!?」
「アンレマァッ!!」
「ドナなら倒せるだろッ!!」
顔を青ざめたフィンレーとイーサンがハモった。
ステラ達もそれに続く。
「……」
リアムだけは無言だが『何やってんだお前』的な冷ややかな視線をエキドナに向けている。
うっ ダメだ身が持たない。
「えっとね、なんか頭ポワポワした感じの言葉並べてただけだし大丈夫だったよ。すぐ走って逃げたから。……あ、そういえば『リー様の幼馴染』とか言ってたな」
その言葉にリアムと…何故かイーサンまでもがピクリと反応した。
「ドナまさか…その男は赤毛か? いや待て、まさか女性の方じゃないよな!?」
イーサンが何故か慌てて尋ねている。
「?? …えぇ赤毛の男性です。確か…フラ? フラ…ンス……?」(注:暗記が苦手な人)
「フランシスだね」
「そうそう、それだよ!」
エキドナが元気に返すとリアムとイーサンがその場で盛大に溜め息を吐き始める。
いやなんでやねん。
「いい加減限界ではあったからね…」
「同級生じゃ会わないようにするのは流石に無理だよな…」
「? …あの、」
何やら意味深な言葉をこぼす二人にエキドナが尋ねようとして、
「ふっ…『フランシス』!!?」
唐突にセレスティアが叫んだ。
一斉にみんなの視線がセレスティアに集中するが本人はそれどころではないようだ。
再び叫ぶ。
「『フランシス』とはっ あの『女好きチャラ男キャラ』でありますかぁ!!?」
その言葉にフィンレーが素早く反応した。
「『キャラ』ってどういう意味!? …じゃなくてええぇッ!!? 寄りによってあの "フランシス"!? 姉さま本当に大丈夫!? 変な事されてない!!?」
「ウ、ウン…」
珍しくフィンレーがかなり動揺している。
ラベンダー色の目を見開き姉の肩を両手で掴んでガクガク激しく揺らすのだった。
対するエキドナは弟のあまりの勢いに思わず身体が強張り固まる。
「あいつッ…もし姉さまに手を出したなら絶許…!」
そんな姉に気付いていないフィンレーは揺らすのを一旦やめて、かと思えば明後日の方向を見ながらギリギリと歯軋りし低い声で物騒な事を呟いた。
ついでに手に力が込められる。
(イテテテフィンちゃん肩痛い、握られてる肩が超痛い)
「マジでどうしてくれよう…!!」
「落ち着け過激派シスコン」
ズドン!!
「い"っ…!!」
「フィン!」
リアムに脳天を思い切り手刀打ちされ、フィンレーが頭を押さえながらその場でしゃがみ込んだ。
エキドナも慌てて屈んで様子を見る。
「さっき『声を掛けられたけどすぐ逃げた』って言ってたでしょ」
「痛ったいなぁ…! だからって頭狙わなくてもいいじゃないですか!!」
「今すぐにでもフランシスの元へ殴り込もうとしていたからだよ。あと僕からすれば背が低いフィンの頭部は狙い易いんだ。ドナにも言える事だけど」
言いながらハッ とリアムが黒い顔で二人を見下ろして嘲笑う。
「ここで身長イジリはやめて下さいッ!!」
「そうだよ! 身長イジリダメ絶対!!」
「いやいや気にする所そこなのかぁ!!?」
身長気にしてる姉弟が一致団結してリアムに食い付き、イーサンが突っ込む。
結局この後もみんなでぎゃーぎゃー言い合っていたのだけれども、フランシスについて詳しい情報はそれ以上聞けなかった。
『また明日話す』
リアム達男子ズにそう言われてしまい、今回は各々明日からの準備もあるからと寮への分かれ道で解散になったのだ。
ステラが居るため各々の部屋へ帰る途中、何か知っていそうなセレスティアに追求するのも叶わず…。
だがしかし、エキドナは彼らのやり取りを見て直感していた。
(取り敢えず『女癖が悪い』って事だけはよくわかったな。絶対私が生理的に受け付けないタイプじゃん)