+α閑話 〜婚約解消を申し込まれました(リアム視点)〜
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パーティでの出来事から一週間も立たない内に再び婚約者に会う事となった。
結局、王城を訪れた彼女は今迄と違ったままだった。そもそも『話がしたい』と言ってきた事自体初めてなのだ。
彼女の急激な変化に内心驚きつつ相変わらずの無表情ながら以前より堂々としたエキドナに僕はひとまず様子を伺う事にした。
「本日はこのような場を設けて頂き、ありがとうございます」
そう言ってお辞儀をする。
心なしか表情も以前より理知的だ。
やはりいつもの彼女ではないらしい。
「…なんだか以前の貴女と随分印象が違う気がします」
あえて指摘してみると、
「少々、心境の変化がありまして」
…それは心境の域なのか。
もはや別人格が憑依した次元の変わり様ではないのか。
「このような場を設けて頂いたのは王子との今後についてお話ししたい事があったからです」
「お話ししたい事ですか?」
「はい。私との婚約を解消して頂きたいのです」
……あまりにも予想外な展開に言葉を失った。
(は? この子は今何て言った? 婚約を解消?)
いつも周りの女の子達は皆こぞって僕と結婚したがる。
仕方がないと思う。
僕は "王子" で "未来の国王" だから。
だからこそ彼女は今迄何も言わなかったけれど "王子" との結婚を望んでいるものだとばかり思っていた。
(それを拒絶する人間がいるなんて)
ここまで数秒経ち正気に戻る。
色々聞きたいところを抑えてなんとか
「随分とストレートに言いましたね」
と言う事が出来たのだった。
「…駆け引きとか頭を使う会話が苦手なので」
随分正直だ。
でもよく見ると彼女の表情は心苦しそうで嘘をついてるようには見えない。本当に嘘や駆け引きが苦手なのかもしれない。
「理由をお聞きしても?」
まずは彼女が今何を考えているか知る必要がある。
そう考え尋ねると、
「私との婚約を続けていても王子にメリットがないからです!」
「メリットですか」
「はい。私は侯爵家の娘なので家格は良いのでしょうが正直それだけです。あまり気の利いた声かけや会話は出来ません。ご存知かも知れませんが愛想笑いも不得手です。また記憶力が良くないので今後必要になる知識を覚え切れず王子に恥をかかせるかもしれません。つまり私を婚約者のままにすると私の能力不足で王子に負担や恥をかけてしまう可能性が高いのです。そもそも見た目も特別良い訳でもないですしもっと見目の良くて王子のために頑張れるような、健気で優秀な女の子をお嫁に迎えて下さいませっ!」
再び言葉を失いかけ、なんとか
「そうですか…」
という言葉だけを絞り出すことに成功した。
なかなか…様々な意味で衝撃的だった。
まず第一に今迄ほとんど無口で言葉を発さなかった彼女がここまで長い文章を発言をした事がない。
…そんなに喋る事が出来たのか。
内容にも驚かされた。
確かに彼女のコミュニケーション能力について『未来の王妃として不味いのでは』と一部の臣下達から言われた事はある。
しかしそれを自ら辞退の理由にするとは思わなかった。
他にも驚いた点はいくつかあるが…何より彼女が僕の予想を遥かに超えて強く婚約解消を望んでいる事実が一番印象に残った。
…現実的な話、婚約解消自体は簡単に出来るだろう。
"両親" はオルティス侯爵家を名指ししたものの僕が他の令嬢と会っても何も言わなかった。
つまり、"親" として形だけの義務を行っただけ。こちらが勝手に婚約者を変えても余程問題のある相手でなければ放置するだろう。
(……それでも)
それでも、大人しく無害で都合の良い彼女を簡単に手放すのは惜しいと思った。
何より最近の彼女には何か変化が起きている。
そんな彼女をそばで観察してみたいという興味がほんの少し生じていた。
「…一つ、思った事を尋ねても?」
「何でしょう?」
「そこまではっきりと自分の事を貶めて悲しくならないのですか?」
思わず少しだけ微笑む。
最初聞いた時は驚いたけれど、思い返すと一般的に実力に伴っていないくらいにはプライドの塊のであろう…それも高位貴族の令嬢がここまで自己批判をするのも珍しくて新鮮だ。
「いやまぁ…、少々凹むというか落ち込みますが…。現実では……あるの、で……」
彼女は僅かに苦い顔をして言いながら徐々に顔と身体が下がって行き…最後は『カクン』と音がしそうなくらいに項垂れたのだった。
わかり易すぎる反応に思わずフッと吹き出してしまう。
そんな自分に驚き僅かに疑問を抱きながらも、必死に内側から出てくる衝動を堪えるのだった。
(自分で言った言葉に凹んでる? あまり考えずに言っていたのか?)
だとしても正直過ぎる。
考えている事が手に取るようにわかる。
「っ…、失礼しました。頭を上げて下さい」
この子、本当に面白いな。
呼吸をするように嘘を吐くのが当たり前の貴族社会。
僕の周りも皆保身や出世欲のために平気で騙して傷付け合うし血生臭い事も平然と実行する。
そうなるのが当たり前の世界に……こんな馬鹿正直な子がいたのか。
「あなたからの率直な意見、とても参考になりました」
「! では」
意見が通ると思ったのだろう。彼女の顔が少し明るくなった。
(だけどごめんね)
「ですが婚約解消は出来ません」
笑顔で放った僕の言葉で今度は彼女が固まったのだった。
「えっ…何故、」
「何故…ですか」
確かに僕さえ頷けば『能力的に王子妃の器に相応しくないから』との主張で婚約解消は可能だろう。
むしろどんな些細な理由だろうと解消して自分の娘を充てがおうとする貴族は多い。
(だけど僕はこの婚約を解消する気が一切ない)
「貴女の言う "欠点" はこれから頑張れば克服出来るものではないかと思いまして。必要時は僕が手伝えばいいのですから」
「……」
「ほら、僕達はまだ八歳ですし。これからでしょう?」
畳み掛けるように今思い付いた理由を述べて暗に『婚約解消は不可能だ』と伝えると彼女は静かになった。
少し気の毒だが流石にこれで諦めただろう。
今後何か問題が起これば…いや起こる前に、
僕が片付ければいいだけなんだから。
彼女の言葉を待っていると気の所為か僅かに彼女の眉が下がり明るい金の目に陰りが出始めた。
「…実はもう一つ、私が王子に相応しくない点がございまして…」
「? なんでしょう?」
促すと一瞬こちらを非難するような視線を向け、かと思えばまた僅かに悲しげな表情になる。
(今何を考えているかはわからないけど…どんな理由が出たとしてもただ言い包めるまでだ)
そう思いながら待っていると
「私は…、その、男性がダメなんです。男嫌いなんですよ。ですから、王子との結婚自体、不可能なんです」
彼女は俯き、震える両手を強く握りしめている。表情は先程よりも暗く悲しげだった。
「男嫌い……ですか。」
思わず女性相手にまじまじと顔を見てしまう。そんな女性が本当に実在したのかという驚きと珍しさ故だ。
そんな僕の視線を避けるように後ろを向いたが…彼女の目が潤んでいたのを僕は見逃さなかった。
「…ですが貴女は今もこうやって男と話していますよね?これはどういう事でしょう?」
嘘を吐いているようには見えないが決して納得もしていない。本当に男嫌いならば僕との会話自体が困難なのではないか?
「今王子とこうしてお話し出来るのは王子がまだ子どもだからです」
真正面から、それも同い年の女の子に子ども呼ばわりされたのは初めてで…そのまま何か言おうとしたら遮られた。
「私がダメなのは十代後半から三十代くらいの謂わゆる "結婚適齢期" にあたる男性が特にダメなんです。他にも例え高齢であっても『まだまだイケる!』という感じで女性に迫ってくるような方もダメです。吐き気がします」
思わずという風に自身の肩を抱いて身体を縮こませ身震いしている。心なしか顔色も悪い。
「…なるほど。その様子だと本当に男性が苦手のようですね」
「……」
「要約すると貴女は『男らしい青年や成人男性』や『女性として迫ってくる男性』に特別嫌悪感が強い…といった感じでしょうか?」
「はい。ですから今はこうして王子とお話し出来ますがいずれは関わる事さえ難しくなる危険性が高いんです」
暗い声色で言って彼女が俯く。
…先刻までの雰囲気が一気に変わった。
明るく堂々とした佇まいは消え失せてただ静かな暗さが彼女の周りを纏っているように見えた。
「よくわかりました。話して下さりありがとうございます」
彼女が安心したように息を吐く。
「ですがそれならなおさら婚約を続けた方が良いのでは?」
信じられないという風な表情で顔を上げて僕を見る。
まだ言葉の真意を汲み取れていないのだろう。
「王子、私は男性を受け入れられない。つまり王妃としても国母としても不能という事ですよ!?」
そう言った表情は酷く悲しげで、
誰よりも彼女自身が男嫌いである事を深く気にしている事のが明確に伝わった。
「落ち着いて下さい…。つまりですね、もし貴女と僕が婚約を解消したとしても貴女自身の根本的な問題解決にはならないという話です」
「どういう事ですか?」
今度はむっとした顔になっている。この子は意外と感情豊からしい。
「貴女が婚約解消すればすぐまた別の方を充てがわれる可能性が高いです。貴族社会なのですから」
「え"、」
「「……」」
二人の間に何度目かの沈黙が訪れた。
「…考えてなかったのですね」
いくらなんでも軽率すぎでは?
つい呆れてしまう。
「『王子と破談になったから』とむしろ縁談が来ないのでは…?」
顔を青ざめ小刻みに震えている。そんな反応も出来たのか。
「その逆です。過去とはいえ王家と繋がりがあったという点で婚姻関係を結びたがる家は多いでしょう」
「ならいっそ男嫌いをお父様に説明すれば、」
「『いずれ良くなるだろう』とか適当な事を言われてうやむやにされますよ」
「……じゃあもう実家出るか」
「エキドナ」
真顔で呟く彼女を止める。
今日中にでも家出しそうな勢いで危なっかしい。
……やっぱりこの子は色々面白そうだ。
「そんなに早まらないで下さい。今家を出てもあなたが一人で生きて行けるとは思えません」
「えー」
エキドナが不満気な声を出した。
先程までの大人びた雰囲気と全く違う子どもっぽい表情に驚く。
…意外と感情豊かで、よく見るとコロコロと表情が変わる。今迄知らなかった一面に思わずフッと笑ってしまった。
「こう考えれば良いのです。貴女と僕はこのまま婚約継続。でも将来結婚する訳ではない。貴女が成人して家を出るまでの時間稼ぎです」
「… "上辺だけ" ということですか?」
「そうです。実際結婚間近で破談になったケースも少なくないでしょうから不自然ではないはずです」
こうすればこの面白い彼女……エキドナを僕のそばに置いて観察する事が出来る。当分は退屈しなさそうだ。
「…そうする事で王子に何のメリットがあるのですか?」
素朴な疑問という風に彼女が僕に尋ねた。
僕は椅子から立ち上がり彼女の方へ歩み寄る。
『他の令嬢からの縁談除けと退屈しのぎ』……僕としてはメリットしかないのだが。
エキドナからして見れば『何故 "男嫌い" という厄介な事情を抱えた自分と婚約を続けるのだろうか?』とでも考えているのかな。
「…僕としても "今の状態を保ち続ける方が都合が良い"。そう思っただけですよ」
そう笑顔で言うと彼女は少し固まって…ようやく諦めたらしい。
「………………他に好きな女性が出来たら教えて下さいね?」
「わかりました。改めてよろしくエキドナ」
『……』が多いな。
僕との婚約を続けるのがそこまで不満なのか。
彼女が僕をどう思っているか自体は別段興味無いが。
我ながら冷めた事を考えていると思いながら彼女の小さな手をそっと掴み、強くない力で引き上げ立たせた。
契約成立の意味も込めて軽く握手をする。
晴れて上部だけの婚約者同士となった僕達。
自身の胸の奥からどこか心地よくざわつくような、明るい何かが跳ねるような感覚を…リアムは無意識に感じているのだった。