稽古と約束と
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ビュッ! ビュッ!
剣を振る。勢いだけでなく身体の軸や重心の移動を意識して腕だけで振らないように注意しながら。
「いやはや流石はアーノルド様の娘だけあって筋が良いですな」
「! ありがとうございます!」
やはり褒められるのはいくつになっても嬉しいものなのでエキドナの顔がパァッと明るくなる。
「…姉さま本当すごいよ。重いからふるだけでもしんどいのに」
「いやいや。結構重いから明日筋肉痛だよ〜」
フィンレーは既に力尽きたようで剣を地面に突き立てそれで支えるように立っていた。
確かに練習用且つ子ども向けの模造刀だから本物より軽いがそれでも七歳と八歳の子どもにはキツイものがある。両腕が軽くプルプル震えている。
だけど、前世から好きだった武術。割と剣術も興味があったので本格的に学べるのは嬉しい。次は何を修得出来るんだろうと考えるだけでワクワクする。
剣を学びたいと言ったあの日から父の迅速な手腕により父方の実家ホークアイ伯爵家から特別講師として幼少期のアーノルドにも指導しており騎士団長だった経歴をもつ師範を招いて剣術を学んでいる。基本的にはこの師範に剣術を学び、時間がある時だけ父が見てくれる方針だ。今日は剣の基本動作をメインに練習していた。
「お二方共お疲れのようですし今日はこれでお開きにしましょうか」
「え!? 弟はともかく私だけでももう少しだけご指導頂けないでしょうか?」
「本当にエキドナ様はアーノルド様によく似て熱心ですなぁ。…ですが本日は午後から大事なご予定があるのでは? レディは支度が大変でしょうしまた明日伺います故」
楽しげに笑いながら言う講師の言葉にエキドナはハッと思い出す。
今日はリアム王子との定期的なお茶会の日なのだ。
王子に婚約解消を直談判して却下された後『表面上だけでも仲良く見せておいた方が後々やり易くなるから』と言う彼からの提案で月に二、三回ほど会う約束を取り決めた。今日はその最初のお茶会なのである。
お茶会とは言っても他の貴族が参加する訳ではなくただ二人でのんびりお茶するだけなのだが。
「…では、また明日もよろしくお願い致します。本日はありがとうございました」
若干渋々ではあるが弟と一緒に講師にお辞儀して本日の稽古は終了となった。
その後そばで待機していたエミリーの手により手早く湯浴みと着替えが行われ、昼食を食べて王城へ移動する準備を全て済ませたのであった。
ちなみに最初の頃はエミリーに湯浴み等の手伝いを受けるのは抵抗があったが、自分もかつて前世では看護師として患者さんの入浴介助や寝衣交換を行う…つまりお世話する側の人間だった。その所為か自然と『いかに手伝わせないか』より『いかに手伝う側がやり易く出来るよう動くか』になっていた。
また自分より明らかに手際が良いので任せまくった結果今ではすっかりエミリーがいないと何も出来なさそうである。
(慣れって怖い)
そう思いながらぼんやりしているとエミリーから馬車の用意が出来たと知らされる。
「では行って参ります」
「はぁい行ってらっしゃい」
「おねえさまいってらっしゃ〜い!」
「…姉さま!」
母と妹に送られながら玄関を出ようとするとフィンレーに呼び止められた。
(…そういえば今日まだアレをやってなかったな)
「はいはい行ってきますよー」
言いながらギュッとフィンレーを抱き締める。フィンレーも抱き締め返す事で答えた。
『一日一回以上はハグをする』これは私とフィンレーとの間に出来た約束なのだ。
〜〜〜〜〜〜
…それは数日前のこと。
フィンレーにリアム王子との偽造婚約と私の男嫌いについて話した夜から次の日の夜、フィンレーに不安そうな顔で言われてしまったのだ。
「ねぇ姉さま…。姉さまが大人の男の人がダメってことは……僕のこともいつかはきらいになるの?」
言葉を失ってしまった。
弟だ子どもだと言っても私もこの子もいずれは大人なる。
嫌でも、男女の違いが明確になる時が来る。
「…嫌いにならないよなる訳ない。…………ただ、今みたいに触ることは出来なくなると思う」
これは前世の経験からだ。
私には兄がいた。
…色々とどうしようもないヤツだったけど、幼い頃は仲が良かったからこそ情があるし家族としてとても大切にしていた。
それに、私が男性をダメになった原因をある程度知っている唯一の男性だったから…当時は自覚出来なかったが男性の中では一番信頼出来た存在だったかもしれない。
それでも、そんな兄を私は触れる事さえ強い恐怖と嫌悪感を感じた。頭ではよくわかっているはずなのに……どうしようも出来なかった。
「…そっか」
寂しげに俯く弟にギュッと心臓を握られたような苦しい気持ちになる。
辛いのは、傷付いてるのは、フィンレーの方なのに…。
泣く資格なんか…私にはない。
思わず両手を握りしめてギュッと目を瞑る。
(ごめん本当ごめん。…私だって、治せるものなら治したいよ! だけどっ…)
辛い記憶が、悲しい記憶が頭をよぎる。
…まさか前世でも散々苦しめられたコレに、今世でも苦しめられるとは思わなかった。
(…だけど、いつまでもこんな亡霊に振り回されるのもおかしいよね!!)
「ねぇフィン、これはフィンさえ嫌じゃなければ何だけど…」
〜〜〜〜〜〜
こうして今のハグに繋がる。
現時点で平気なフィンレーを毎日抱き締める……つまりスキンシップを日頃から取り続ける事で徐々に男性への耐性をつけていく作戦だ。
少なくともこれでフィンレーにだけは大人になっても抵抗なく触れられる可能性が上がるし彼に悲しい思いをさせなくて済むかもしれない。
彼の協力なしには出来ないリハビリだが傍目から見れば姉弟仲良くしているだけ。
だから「いいな〜アンジェもぎゅってして〜」とそんな二人に小さな妹がくっついてきた。
フィンレーとお互い目を見合わせて……笑う。
こうして弟、妹…そして羨ましがった母とも抱き締め合った後城へ向かうためエミリーと共に馬車に乗ったのだった。
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「ようこそ。お元気でしたかエキドナ」
リアム王子に笑顔で迎えられ、前回と同様に庭園側のテラスにてお茶会が行われた。
出されたケーキを(気持ち)笑顔で美味しく頬張る。
(甘党だから王家御用達ケーキとか嬉し〜ぜいたく〜)
「ところで、最近オルティス侯爵からさりげなく涙目で睨まれているのですが」
ギクゥッ!
弾みで肩が上がった。
「…その様子だと何か心当たりがあるみたいですね」
にっっこり、と音がしそうなくらいに王子が微笑む。
『言え』って事か。
心当たりは……ある。ありまくりだ。
「私もこの婚約を少々利用させて頂いただけですよ」
おほほほーと笑って誤魔化す。
が、にこにことリアム王子の笑顔圧がより強くなっただけだった。
ちなみに『笑顔圧』は今エキドナが名付けた。
…話を戻して、王子から発する圧から早々に白旗を上げて、エキドナは事の次第を説明したのであった。
〜〜〜〜〜〜
オルティス侯爵家恒例行事『アーノルドによるハグ&キス』。
前世の記憶を取り戻してからは不審がられる事への心配と、今世の父親に対して申し訳ないという遠慮の気持ちからエキドナは我慢し続けた。
しかし、純粋な家族愛から出た行事は男嫌いのエキドナを徐々に追い詰めていたのだった。
そんな日々を過ごす中で、エキドナはエキドナはストレスからか失神してしまったのだ。アーノルドにキスされた直後に。
失神後心底心配された両親にこれ以上誤魔化せない事を悟り『ハグ&キス』が辛くなってきた旨を正直に伝えた。
その時「リアム王子と比べたら確かに嫌かもしれないわね〜」と父の前でにこにこ微笑んで天然発言をする母ルーシーの言葉に、考える事をやめたエキドナはひたすら頷いたのである。
そんな二人のやり取りを見たアーノルドは、
「そうだよね…。エキドナももうそんな歳だよね…」
ダ〜ッと辺りに小池が左右一つずつ出来そうなくらいに涙を流してエキドナ限定で『ハグ&キス』卒業を認めたのだった。
〜〜〜〜〜〜
「…という事は僕が父君の役割を受け継いで」
「いらないです立たないで下さい」
笑顔でガタッと音を立てながら席を立つリアムに両手を前に出し真顔でストップをかける。
『ハウス!!』と言うのを我慢しただけ褒めてほしい。そんな事をしたら不敬というレベルじゃなさ過ぎる。
「…本当に貴女は面白い」
そう言いながら王子は椅子に座った。下を向いてくつくつ笑っている。
(なんかこの人だいぶ素が出てきたなぁ。ていうか、多分Sだよなぁ…。なんと厄介な婚約者が出来た事か。上辺だけだけれども)
「…あの、誤解しないで頂きたいのですが貴方自体が嫌とかではなく男が嫌なだけですからね?」
念のためフォローしておく。
私側にどんな事情があったとしても誰だって即拒絶は傷つくと思うし。
…今更かもしれないが。
「もちろんわかっていますよ」
王子が楽しそうに笑って返す。
「そう、ですか…」
王子のあまりにあっさりした反応にエキドナは少しだけ動揺するのだった。
…反応がとてもあっさりしているので、多分この人は私がどう思っているのかそのものにあまり興味がないような気がする。
(なんというか、観察対象として私を見てるのかな? 実害さえなければ気にしないけど)
そう思う私も結構ドライかもしれない。
私と王子、色々違うと思うけどこういう人より冷めてる面があるところは似た者同士かもしれない。
お互いに特別好きとか嫌いとかいう感情そのものが少ない…ある意味で相手の人自体に関心がない感じが。
(というか、元大人兼自称苦労人だった私はともかくまだ八歳のリアム王子はその状態ヤバくないか? 精神面とか色々心配になってくるなぁ…)
「エキドナ? また考え事ですか?」
ハッ
王子の言葉で意識が浮上する。
「…当たりです。お話中にすみません」
「いいのですよ。今更ですし」
「……」
今サラッと毒吐かれたような。
まぁ確かに今迄も散々思考飛ばしてぼんやりしてたからなぁ……いかん、罪悪感出てきた。話題変えよ。
「リアム王子って苦手な事はありますか?」
…変え方無理矢理過ぎたか。
しかも自分が前から気になっていた案件だし。
「…また突然ですね。どうしてそう思ったのか聞いても?」
一瞬だけ面食らって…けれど瞬時に立ち直るリアム王子も相変わらず流石だ。
「単純な疑問です。リアム王子は何でも卒なくこなしているイメージがあったので…」
そして今後の対策にも関係してくる大事な話題だ。
前世の記憶を取り戻してからここが乙女ゲームの世界かは未だに謎。
でももしそうだったとしたら…。更にもし私が悪役令嬢だとしたら…。
そう考えると今から対策を立てて置かないと精神的にやってられない。
最悪死ぬかもしれないし『良くて国外追放』というのは聞こえは良いけれど、訳あり状態で知らない土地を生きて行く事は生易しいものではないだろう。
だから今は情報収集と対策立案に徹底した方がいいと思うのだ。
思い返しながら王子の様子を伺う。
少し考えた素振りを見せた後、にこりと笑いながら「無いですね」と言った。
いやいやいや。
「本当ですか? 実は爬虫類が苦手とかは?」
「確かに毒を持つ種類は厄介ですが普段接触する可能性は低いですから」
「高い所や暗い所が苦手とかは?」
「ここは王城ですし高い所は慣れてます。暗い所は…見え難くて不自由、といった程度でしょうか」
「甘い物が苦手とか…」
「今僕達ケーキを食べてますよね」
「…」
回答の内容も話してる時の様子も普通だから本当に平気なのだろう。
(え? この王子マジで弱点ない感じなの? ええーもしも断罪された時どうすれば…)
「エキドナは?」
「はい?」
「無いのですか? 苦手なもの。当然男性以外で」
衝撃の事実から内心焦るエキドナを余所に王子がにこにこと尋ねてくる。
(くっ、こっちの弱点教えるだけになってしまったぁ…!)
自分の行動に若干後悔しつつ瞬時に考える。
男以外だと一番苦手なものは虫だ。
特に幼虫は大の苦手で見れば叫んで逃げてしまう。でかい虫も苦手だ。
怖い。なんか怖い。
虫ってある意味、地球外生命体と同じだと本気で思う。
そう思いながらとりあえず一番苦手なものは弱点として利用されかねないので内緒。という事は、
「幽霊ですね」
「幽霊…」
「やはり怖いのは人間、といったところでしょうか」
アハッと笑って誤魔化す。
嘘は吐いていない。
正確には前世で父と兄、更に幼馴染兼大親友(女性)が霊感体質だったため実際に見た・聞こえたという話を散々聞かされ『幽霊パネェ! 超コエェ!』と存在を信じているからである。
ちなみに聞いた話では幽霊は大体人型らしい。
顔だけが出てくる場合もあるとか。
(結局前世では遭わずに済んだけど、今世でも遭わずに平穏に過ごせたらいいなぁ…)
「王子は幽霊が怖くないのですか?」
念のため確認する。
「実際に見た事がない事象は信じないので」
キッパリ、と音が出そうなくらいに答えている。
そりゃ一般的にはそんなもんだよな。
「私も遭遇自体はないのですが…。話によると物理攻撃が効かなさそうなので」
「貴女が倒す前提なのですか」
むむむ…と片手で頭を押さえるエキドナに王子が思わずという風に突っ込んだ。
「あ、そういえば私最近剣を習い始めたんですよー」
ふと思い出して話題を切り替える。
弱点については他に暗記が苦手とか夜景が嫌とか色々あるが、これ以上私が不利になるのは宜しくないし丁度いい。
「あぁ…。この間オルティス侯爵から聞きました。なんでも僕を守るためだとか」
「口実として使わせて頂きました☆」
テヘッ☆ と誤魔化す。
この偽装婚約、思いの外役立ってるよなーと実感する。
「…なんだか貴女の方がこの婚約を有効活用しているようですね」
クスクス楽しげに笑いながら王子が言った。
やはり王子もそう思ったか。
「王子も剣を習っているのですか?」
「必要最低限なら。ですから貴女に守られる必要は正直ないんですよね」
「そもそも護衛の仕事ですから」と笑顔で王子はバッサリ言い切った。
…言い返したいのも山々だがリアム王子は生まれながらのチート。
最低限とか言いながら普通に強そうだ。悔しい。
(でもいつか絶対負かす)
エキドナは内心誓いながら思った。
「それはそうとエキドナ。いい加減『王子』呼びはやめて頂けませんか? ……ご存知だと思いますが "王子" は僕以外にも居ますし」
「はぁ…。あまり馴れ馴れしく呼んだら不敬なのではないかと?」
「僕達は "婚約者" 同士ですから問題ないですよ。それに名前で呼び合った方が関係良好のアピールになりますから」
そこまで言われたら断れない。いや別に嫌とかではないのだが。
「…わかりました。改めてよろしくお願いします。……リアム様」
「…うん。よろしく、エキドナ」
初めての名前呼びでむず痒い気持ちを隠し切れないエキドナ。
その様子を心なしか僅かに嬉しそうに見つめるリアム。
……結局リアムの弱点を見つける事は出来なかったものの仮初めの婚約者同士、お互いの距離をほんの少しだけ近付ける事が出来た気がするお茶会であった。