稽古と晩餐
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「ハァッ!! ヤァッ!!」
「くっ…ハッ!!」
激しい金属音が、ここオルティス侯爵邸の訓練場にて鳴り響いていた。
エキドナとリアムが練習試合を行なっているのだ。
「…ヤァッ!!」
「っ…!」
キィィンッ!!
リアムの剣は弾かれ地面に落ちた。
同時に師範の手を叩く音と声が辺りに響く。
「そこまでです! 勝者、エキドナ・オルティス様!!」
「はぁ… やっぱりエキドナは強いね」
飛ばされた剣を見ながらリアムは残念そうに微笑んだ。
「……」
一方勝利宣言を受けたエキドナは勝利の愉悦に浸る事もせず無言・ジト目でリアムを見つめているのだった。
冷静な声が響く。
「リー様…手、抜いてるよね?」
「……」
未だにこにこ笑っているが一瞬だけピクリと顔が強張ったのをエキドナは見逃さなかった。
「いやリー様だけじゃないか。サン様も、それにフィンまで、私相手だと手加減してるよね?」
やや低く冷たい声になりつつエキドナがそばで座って見ていたイーサンとフィンレーを見やる。
「そっ それは、だな…」
「だって、姉さまにケガさせたらいやだし…」
焦って視線が泳ぐイーサンに対しフィンレーはしゅんとした顔をして呟く。
「……」
はぁ… とエキドナは息を吐いた。
やはりそういう事だったか。
「まぁまぁエキドナ様。皆エキドナ様が女の子だからつい紳士的になってしまうのですよ」
「……師範様」
「後で私で良ければ相手致します故」
「わかりました…ありがとうございます」
優しく妥協案を出す師範相手にエキドナも仕方なく納得する姿勢を示す。
けれどエキドナはよく知っていた。
師範も、何だかんだ言いながらエキドナ相手だと男子達よりも手加減をするのだ。
『女、子ども、年寄りに優しく』がモットーのエキドナからしてみれば彼らのその姿勢はむしろ賞賛に値する事だ。
でも、それでは私はいつまで経っても弱いまま。
自分の本来の実力を客観視出来ないままになってしまう。
…それは将来自立して剣で生計を立てようと考えているエキドナにとっては、だいぶ困る優しさなのだ。
弱いままは、もう嫌だ。
弱い女のままでいたくないんだ。
(かと言って三人に無理強いさせる訳にはいかないし、どうしたものかなぁ…)
薄々気付いていた問題に、エキドナは心の中で改めて溜め息を吐くのであった。
________***
「あなた、来週はチャド様とお会いするのでしたっけ?」
「うむ、そうだ。ヤツに会うのは久しぶりだな」
夕食を家族と食べている途中で、そんな会話を両親が始めた。
「一年ぶりくらいかしら? 子爵様もお元気かしらね〜」
「特にここ数ヶ月はお互いの都合が合わなかったからな。ブラントも少し顔を出すと言っていたから会えると思うぞ」
「お父様、今度ご友人宅に遊びに行かれるんでしたっけ?」
好奇心からエキドナも両親の会話に参加する。
「あぁそうだ。私の学園時代の親しい友人でな。ケリー子爵家当主ブラント・ケリーの兄にあたるチャド・ケリーという男だ」
("ケリー子爵家" ってあのッ!?)
心の中で強い衝撃を受ける。
暗記が、特に人名を覚えるのが苦手なエキドナでもよく知っている名前だったからだ。
『ケリー子爵家』
父アーノルドの実家のホークアイ伯爵家に並ぶ武闘派一族で、同じく有名な騎士を数多輩出している家だ。
確か過去にもしょっちゅうホークアイ伯爵家の人間と騎士団長の座を巡って競う良きライバル関係だったり時には義兄弟のような立ち位置だったり……現在のウェルストル王国騎士団団長も、そのケリー子爵家当主の兄だったはずだ。
ここまで詳細な情報をエキドナが知っているのは、エキドナのお気に入りの一冊『ホークアイ伯爵家の超絶武人偉人伝説集(改訂版九版)』にて頻繁に出て来る一族だからである。
あまりに登場するので気になり自分で調べたのだ。
この瞬間ッ!
エキドナは気付いた!!
(私が成人してから武人として自立するための大事な人脈になるのでは…ッ!!?)
我ながら打算的だとは思うのだが、男嫌い故に騎士団に入れないエキドナにとって人脈は必要不可欠。
一応現在ホークアイ伯爵家当主夫人である叔母とも手紙で時々交流はしているが近場の武闘派一族の人脈もあると心強い。
というか、単純に現騎士団長に会ってみたいあわよくば手合わせ願いたい。
そう思ったエキドナの行動は早かった。
「あの、お父様……私も一緒に連れて行って頂けませんか?」
「エキドナも? 私は構わないが子どもにはつまらないかもしれないぞ?」
「いえ、その、騎士団長様を直接この目で見てみたくて…! 出来れば手合わせ…いえせめてどのようなトレーニングをしているのかとかお話を聞いてみたいなと…!! お邪魔でしょうか?」
つい欲望に正直になってベラベラ喋ってしまった。
少し申し訳なさげに父の様子をちらりと伺う。
しかし当のアーノルドの表情は嬉しそうだった。
「なるほど。確かに現騎士団のトレーニングや体験談を聞くのはいい勉強になるな。私から話は付けておくから安心して付いて来なさい」
「わぁ! ありがとうございますお父様っ!!」
ぱぁっと周りに花を咲かせながらエキドナも笑顔で喜ぶ。
そんな娘の笑顔にアーノルドもテレ〜と顔が緩んでいた。
安定の親バカである。
「いいな〜おとうさまアンジェも〜」
父と姉の会話を見ていたアンジェリアが甘えるようにアーノルドにおねだりする。
「……う〜ん連れて行ってやりたいのも山々だがアンジェにはちょっと難しいからつまらないだろうな…」
「え〜〜!!」
アーノルドはついオッケーしそうなアンジェリアの可愛さに耐えながら、まだ幼い末娘のために敢えて断るのだった。
「まぁまぁアンジェ、帰ったらお話したげるから」
「わかったぁ〜」
スネ気味にぶーと頬を膨らませてるアンジェリアかわいい。エキドナ達でニヨニヨしながら見守るのであった。
「フィンレーはどうする? 行くか?」
そのまま笑顔でアーノルドが息子に尋ねる。
「う〜〜ん、きょうみはありますけど今回はえんりょします。しばらくは勉強をがんばりたいので」
一瞬考える素振りを見せた後にフィンレーはラベンダーの目をキリッとさせて答える。かわいい。
「最近フィンは勉強に励んでて偉いよね。前はそこまで熱心じゃなかった気がするけどどうしたの?」
そう。
別にサボり魔とかではなかったが、少し前の弟は普通に課題をこなしてそれ以外は遊ぶ生活をしていた。それが最近は自主的に勉強するようになったのだ。
生来勉強嫌いなエキドナからしてみればかなり不思議な事態だった。
(何がこの子を突き動かしてるんだろう? やっぱ『勉強楽しい』とか?)
思いながらフィンレーの返答を待つと真剣な目でエキドナを見つめ返しながら、
「だ と う リ ア ム 様 !!!」
なんか力強く宣言している。
「うん?」
「だってリアム様すごくいじわるだからきらいだけどめちゃくちゃ頭が良いんだもん! 僕の知らない事をたくさん知っててくやしいんだよっ 見返したい!!」
言いながらウガーッと悔しそうな強気な表情でご飯をガツガツ食べている。何か思い出したのだろうか。
心なしか私の可愛い弟が少し逞しくなった気さえする。
「……うーん、まぁ、いいライバルに巡り会えて良かったね…?」
そんな弟の姿を見ながら、エキドナは首をかしげつつ複雑な気持ちで微笑むのだった。
________***
そして一週間後。
父アーノルドに連れられエキドナはニール子爵邸を訪れていた。
「久しぶりだなチャド。息災だったか」
「おぅ元気元気ッ! ノルドも元気そーだなぁッ!!」
「お前は相変わらず喧しいくらい元気だな…」
現ウェスルトル王国騎士団団長、チャド・ケリー。
大柄で筋肉質な父親と同じくらいデカい。そして筋骨隆々だ。
……父以外でこんな大男初めてみたかも。
「おッ? この子がノルドんトコのお嬢ちゃんッ?」
アーノルドの傍らに居たエキドナにチャドがしゃがみ込んで顔を近付ける。
背が高くて気付かなかったが明るいオレンジ色の短髪と目が特徴的な体育会系イケメンさんだとエキドナは思った。
「……!」
思ったのだが急に近付かれたので軽い男嫌い発作で固まってしまう。
ただ無言で父親の服の裾を掴むのだった。
「こらチャド、不用意に娘に近付くな。エキドナが固まってる」
ゴゥンッ!
言いながらアーノルドが上からチャドの頭頂部を迷いなく殴る。
衝撃でチャドがドサァッ! と地面に膝を着いた。
「イッテェ〜ッ! 昔と変わらず力強えーなッ」
「おっ お父様…ッ!」
すっごい音が聞こえたので父を止めるべくエキドナは掴んでいた袖を引っ張って声を掛ける。
「大丈夫だエキドナ。挨拶みたいなもんだ」
(そうなんだ…)
少し引きながら「…わかりました」とだけ答えるのであった。
「しっかしお嬢ちゃん目鼻立ちがより昔のお前に似てきたな〜ッ! しかも武術に目覚めたんだろッ? 血は争えねーなーッ!」
「ふふん、まぁな」
思い切り殴られたはずなのに当のチャドは何事もなかったようにケロッとして会話を続けている。
そう。
エキドナの今日の服装はワンピースではなくパンツスタイル。つまり稽古用の服装だ。
もう色々教わる気満々の格好である。
滅茶苦茶やるキッズである。
「…娘のエキドナです。今日はよろしくお願いします」
父達のやり取りの間に発作も落ち着いたので挨拶までもがやるキッズだ。
「いいなやる気に満ち溢れてッ! ヨロシクなお嬢ちゃんッ!」
相手にも伝わっていた。
…なんかちょっと恥ずかしい。
そう思っていると、
「あッ! いたいた探したぜッ!!」
タッタッタッとチャドの後方から彼と同じオレンジの髪と目をした少年が走って来た。
背がリアムとイーサンの中間くらいに見えるから、エキドナと同い年くらいだろうか。
謎の少年の登場にアーノルドはチャドを冷静に見つめる。
「何だチャド、お前隠し子が居たのか」
「ちげーよバカ甥だ甥ッ!! つかお嬢ちゃんの前で何言ってんだよッ!?」
「安心しろ。天使のように可愛い愛娘にそんな穢れた話を聞かせる訳ないだろう」
「??」
質問する前に素早くアーノルドはエキドナの両耳を自身の大きな手でしっかり塞いでおりエキドナは何のやり取りをしているのか全くわかっていない。
「…にしてもお前にそっくりだな。おい坊主、名は何と言うんだ?」
少年に問い掛けながらアーノルドは両手を離してエキドナの耳を解放する。
「おぅ!! オレの名前はニール・ケリーだッ!! オッサン強えーんだろッ!? オレと勝負してくれよッ!!!」
意気揚々と謎の少年改めニールがアーノルドに勝負を申し入れた。
その言葉にアーノルドの猛禽類目が鋭く光る。
「チャド、ニールはどの程度 "出来る" んだ?」
「そーだなッ オレもちょっと相手してるけどその辺のガキんちょよりは強いぜッ!!」
「おぅよッ! 子ども同士じゃすぐ勝ってつまんねーんだッ だからさッ 相手してくれよッ!!」
叔父の評価にニール本人も胸を張って同意しながらアーノルドに重ねて頼み込んでいる。
「そうか…ニールと言ったか。では一度うちの娘と手合わせしないか?」
「!」
「ええーッ! 言ったじゃんすぐ勝つってッ!!」
アーノルドの言葉にエキドナは目を見開きニールは不満げにブーイングする。
「エキドナ、構わないよな?」
「もちろんですお父様」
エキドナもにこにこと頷く。
『すぐ勝つ』と自分で言い切るほどの実力がどの程度なのかかなり興味がある。
「ではこれならどうだ? もしうちの娘に勝つ事が出来たなら、次の勝負は私が相手をしよう」
「!! 言ったなオッサンッ!? よーしすぐ勝って勝負するからなッ!!」
「えッ? マジでやんのかノルドッ!? お嬢ちゃんがアブねーってこいつマジでガキにしては強えーぞッ!?」
条件付きで勝負を受理されやる気を出すニールに対してチャドが本気で焦り始める。
だがそんな二人に対してアーノルドは冷静だった。
「フッ 安心しろチャド。うちの娘もなかなか強いからな」
こうして四人はケリー子爵家の訓練場に場所を移す。
流石は武闘派一族だけあってオルティス邸で最近作った訓練場とは違い草木が生えていない裸の地面が、前世でいうグラウンドのように広くひろがっていた。
対峙しているのはニールとエキドナ。
各々片手に刃先を潰した練習用の剣が握られている。
「じゃあ二人共準備はいいなッ?」
チャドが審判として二人に声を掛けアーノルドがそばで見守る中、ニールもエキドナも各々剣を構えた。
「始めッ!!!」
ガキィィィンッ!!
掛け声と共にいきなり二人の剣身が激しくぶつかり合う。
ズザァ…ッ!
衝撃で二人共後方に下がってすぐまた激しい打ち合いが始まった。
周囲に土埃が立ち上がる。
キンッ! カンカンッ!! キンッ!
(そこ…ッ!)
打ち合う中エキドナはニールの胴体めがけて剣を横に振り切る。
「!」
刹那、ニールの姿が消えた。…否、
「オラァッ!」
ガッ!!!
なんとエキドナの攻撃を高く飛び上がって避け、さらに上から切りかかったのだ。
紙一重でなんとか避けたが先程まで居た地面はニールの剣でひどく抉られている。
「……!」
あまりの威力にエキドナが目を見開く。
「コレをよけるなんて…オマエ、やるじゃんッ」
一方ニールは…地面に刺さったままの剣を引っこ抜きながら不敵に笑った。
二人の距離は、お互いの肩が触れそうなほどに近い。