+α閑話(婚約成立前の…〜バージル視点〜)
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(そういえば……リアムとエキドナ嬢の婚約はもう三年経ったのか…。早いものだな)
自分の浅はかさで誤解し…傷付けてきた息子と無事和解する事が出来たバージルは、ふと政務室にてやり終えた大量の書類を見つめながら感慨深く思い出していた。
三年前……リアムとエキドナの婚約成立前の事を。
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エキドナ・オルティス侯爵令嬢。
数多いるリアムの婚約者候補のうち、王国内での家柄や立場、家の過去の功績、王家への忠誠心…など厳しい条件をクリアして数名に絞られた有力候補の一人だった。
当時の、ここだけの話だが……本当の最有力候補は宰相の娘だった。
しかし当の娘の性格と素行に問題大アリとの事で、ビクトリアの判断で除外されたのだ。
正直そこに関してはビクトリアの英断だったと今でも思う。
家格や父親である宰相の人柄、そして彼女自身の能力は申し分ないのだが……万一彼女を王子妃にしたら国が荒れかねない。
更にビクトリア主導(というか極秘の偵察)により他の令嬢も様々な理由で除外され……消去法で辛うじて残っていた唯一の令嬢がエキドナだったのだ。
けれども、娘の父親であるオルティス侯爵は臣下として、一人の親として…限界ギリギリまで婚約を渋っていた。
『酷く内気で人見知りの激しい娘なので、とても王子妃には向いておりません』
意志の強い金の眼で、はっきりと拒否し続けていたのだ。
そんな中で迎えた婚約成立前の…俺とビクトリアによる最終審査及び事実上の両家顔合わせの日。
エキドナは淡いラベンダー色のドレスを身に纏っていた。
『ラベンダー』……オルティス侯爵家特有の瞳の色であり象徴カラーだ。
そしてその胸元に輝くのはあまりにも小粒なサファイアのネックレスのみ。
もしオルティス侯爵家がエキドナをリアムの婚約者にと望んでいるのなら…リアムや正妃ビクトリアの瞳を連想させるサファイアブルーのドレスや大きなサファイアをあしらった装飾品を身に付けるはずだ。
現にリアムの婚約者の座を求め、気に入られようとした令嬢達は皆そのような格好をしていた。
それが申し訳程度の小粒のネックレスのみという事は……一応配慮はしているが、やはり『リアムの婚約者になる意思はない』と暗に示しているのも同じ。
そして当のエキドナ・オルティス令嬢。
「……は、はじめま…」
深々と礼をとった後はボソボソ挨拶し、最後は声が小さ過ぎて聞こえない状態だった。
「エキドナ嬢、良ければ庭園を案内して頂けますか?」
「…っ……、…」
「? …あの、今何と?」
「! ……っ」
声が聞き取れずリアムが顔を近付けると、エキドナはビクッと驚き何か言いながらぺこりと頭を下げ急いでオルティス侯爵に隠れてしまった。
「エキドナ嬢…」
母親に似て何でもソツなくこなすリアムも、流石に困惑し対応に手こずっているようだった。
一方エキドナの方は、
「っ……」
大きな金の目に涙を溜めて父親の足にしがみつき震えている。
「…エキドナ」
そんな娘を父親であるオルティス侯爵が心配そうな顔で声を掛けるのだった。
(完全に、王族相手に萎縮して怯えているな…)
この一連のやり取りを見たバージルはそう感じていた。
(話には聞いていたがここまでとは…。確かに、王子妃にするにはいささか可哀想なくらい内気な娘だな…)
ここまで相手方の家が拒絶の意を表明し娘本人にも王子妃の意欲がカケラもないとなると、この婚約は成立しないだろう。そう思っていた。
しかし、なんとビクトリアはエキドナをリアムの婚約者に充がおうと本格的に動き出したのだ。
「相手の反応はわかっているだろう? 何故オルティス家の娘にこだわる。…気弱そうな娘だったし可哀想じゃないか」
「いいえ陛下。むしろあれぐらいが都合がいいのですわ」
バージルの方を見向きもせずビクトリアは書類の準備を事務的にこなしている。
「家格も釣り合っておりますし…何よりあの娘は怯えてはいますが王族の立場を無意識に理解し敬意を払っているように見受けられます。当然至らぬ点が多々見られますわ。しかしながら……少なくともどこぞの自分の立場も弁えない、身の程知らずな頭の悪い娘よりは遥かにマシです。あれだけ大人しい性格なら出しゃばってリアムの足を引っ張る事もないでしょう」
あまりにも淡々と…当事者達の意思を無視した、そして側室のサマンサに対する侮辱も入った皮肉を言われバージルは怒りを露わにした。
「…相変わらず、傲慢な人間だな…君は。リアムやエキドナ嬢、オルティス侯爵家の意思を考えようとは思わないのか…ッ!!」
ビクトリアがやっとバージルの方を向く。
そのサファイアの瞳はバージルの憤怒さえ気にもとめずただ冷たい光を放っていた。
「リアムは私に似て賢い子なのですぐに狙いを理解するでしょう。他の方々は……ただ、然るべき人間の命令に従っていれば宜しいかと思います」
冷え切った声でさも当たり前の事のように…ビクトリアは抑揚なく言ってのけるのだった。
「それとも何でしょうか? 陛下は他に妥当な娘がいらっしゃると?」
「……っ」
そのあまりの冷たい圧にバージルが怯む。
「……」
何も言わなくなったバージルを一瞥した後、ビクトリアはそのまま何事もなかったように書類の方に向き直し淡々と作業を再開するのであった。
……エキドナ嬢をリアムの婚約者に指名したという文書を仕上げるために。
王妃直筆の文書なら、もうオルティス侯爵は拒否する事が出来ない。
(……すまない、オルティス侯爵…エキドナ嬢……ッ!!)
バージルは自身の無力さに俯き、両の拳を固く握りながら立ち尽くすのであった。
…本来なら国王であるバージルの方が立場が上なのだからビクトリアを諌め、こんな強引な婚約を止めるべきだっただろう。
しかしバージルにはそれが出来なかった。
妻のビクトリアを……心底恐れていたから。
バージルは幼少の頃から、幼馴染で従妹のビクトリアに勝てた事が一度もなかった。
その事実が彼女に対する強い劣等感と恐怖心を植え込んでいたのだ。
そして『父親譲りの天才』と言われ続けていたビクトリアも、年齢を重ねるにつれ……冷酷さと周囲を蔑むような雰囲気がより強くなって行った。
表情だって微笑む時もあるがバージルは知っている。
……その笑みの実態は、必要最低限の作り笑い。
それ以外で微笑んだところはここ数年以上…見ていない。
周囲の目がない今のような状況なら仮面を付けたような無表情で…冷え切った目をしていた。
またその判断や思考も非常に冷徹無慈悲で……
『本当に自分と同じ人間なのか?』
そう思わざるを得ない場面が過去にも多々見られていた。
まるで感情のない、よく出来た精巧な人形のように……ビクトリアは有能で合理的で冷酷な王妃として君臨していたのである。
だからこそ、そんな彼女が急に自分に離縁を申し出て外国貴族と再婚した時は心底驚いたし…………正直、安心してしまったのだ。
『もう彼女の存在に怯えなくていいのだ』と。
…そしてそんなビクトリアによく似た彼女と俺の息子であるリアムを、俺はいつしか彼女に重ね合わせて恐れ、無意識に避けるようになってしまっていたのだった。
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過去の自身の失態を恥じながら……バージルはまだ最近の、新しい記憶を掘り起こす。
エキドナ嬢は成長によるものなのか何かがあったのかはわからないが、以前よりも堂々として明るくなったらしい。
何より前に比べてはっきりと喋るようになって声が聞き取りやすい。有難い成長だ。
一方で相変わらず無表情で思考が読み取り難い面があるものの、三年前の調査で内気だが家族想いの真面目で優しい性格であるのを知っていたのと……実際に彼女と対面する事で、更に素直で誠実な人柄だった事も知れた。
『私はリアム様の婚約者です。リアム様の事を大切にしとうございます。……ですから私は、リアム様の味方であり続けたいのです』
婚約が成り立つまでの間、様々な事があったけれど……正直今ではリアムの婚約者があの子で良かったと、心底思っている。
……極秘で伝えられた "剣の試合" の情報はかなり驚かされたが。
でもそんな幼い女の子に頼ってばかりじゃ駄目だ。今度はちゃんと…俺自身があいつと向き合わなければ。
「お疲れ様でした陛下」
「リード宰相。そなたもご苦労であった。もう下がって良いぞ」
「勿体無きお言葉でございます。…時に陛下、この後何かご予定でもあるのでしょうか? なんだか楽しそうなご様子で」
「う、うむ。息子との晩餐だ」
(そんなに顔に出ていたか!! 相手がリード宰相で良かった…)
万が一ジャクソン公爵やそれに連なる者達に見られて……ジャクソン公爵家にリアムとの仲が修復した事を勘付かれたら厄介だ。
リアム達とは今後について話し合った結果、当分表向きは今迄通り "国王" と "その跡継ぎ" としての関係を続ける方針になったのだから。
……でも、だからこそ。
「それは宜しいですな。……陛下もご多忙であられるのは存じますが、その時は仕事の事は忘れて、貴重な親子水入らずの時間をどうぞお楽しみ下さいませ…。では失礼致します」
「あぁ、ありがとう宰相。また明日も頼むぞ」
「はい陛下。仰せのままに」
にこやかに執務室を後にする宰相を見送り、バージルも部屋を出る準備をする。
今日は待ちに待ったリアムとの晩餐の日だ。
前回はひたすら避けられていたが、きっともう大丈夫。
だから今日こそは色々あいつとゆっくり話をしよう。親子としてのんびり過ごそう。
……また頭を撫でたら、嬉しそうに笑ってくれるだろうか。