+α閑話〜アーノルドと三人の少年達〜
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「ぜぇっ… はぁっ…」
「はーっ はーっ」
「……」
「まだ休憩には入っておりませんぞリアム様、イーサン様、フィンレー」
荒い呼吸音ばかりが訓練場に広がる中、『ドドドドドド』という独特な音とアーノルドの厳しい声が響く。
「「「……」」」
エキドナにステラという同性の友人が出来た事で遊ぶ約束などでオルティス侯爵邸を空ける頻度が増えつつある今日この頃。リアム、イーサン、フィンレーの三人は現在アーノルドに扱かれているのだ。
リアムでさえ荒い呼吸のまま両手を膝に置き身体を支えるような態勢だ。フィンレーも両手両膝を地面に付け四つん這いのまま呼吸を繰り返している。
そしてイーサンに至っては……地面に倒れて虫の息だ。
「リアム様? まだまだいけますよね? なにせ『天才』と呼ばれるお方ですから」
「くっ…」
「おやァ? 返事がありませんな。やはり貧弱でしたか。所詮、リアム様とてただの "餓鬼" だったと」
「〜〜!!」
リアムは怒りと悔しさが込み上げアーノルドを睨む。
以前、リアムによるエキドナを巻き込んだ嫌がらせを受けた事を根に持っているアーノルドが、大人気なくネチネチとやり返しているのだ。はたから見ると完全にシンデレラと意地悪な継母状態である。
(この男はっ…バケモノなのかッ!!!!)
リアムが心の中で罵るのも無理はない。
今迄アーノルドと三人の少年達は走り込みや筋トレ、素振りなど基礎的なトレーニングでみっちり身体を鍛え上げていた。
そしてアーノルドも三人と一緒に…更にどの訓練でも身体に大きな鉄の重りを付けリアム達以上の負荷を掛けて動いていたのだ。にも関わらず、アーノルドは呼吸も乱れず汗もかかずとても涼しい顔をしている。
「あぁそうそう。我が愛娘エキドナも同じ鍛錬をした時はまだ余力があって返事くらい出来ましたよ。貴方もまだまだですなぁ…ッ!」
フハハハハ…ッ!! とアーノルドの勝ち誇った笑い声が辺りに広がる。
「……」
(エキドナ、貴女は一体どこを目指してるんだ)
思わず遠い目をするリアムであった。
その後アーノルドの計らいで休憩が言い渡され、また鍛錬が始まり…その繰り返しを経てなんとかその日の稽古は終わった。現在何故か四人で綺麗な紅茶や可愛らしいお菓子の乗ったテーブルを囲み休憩している。
このカオスな状況下でただはっきりとわかる事は……エキドナが稽古不在になってからアーノルドによる稽古内容が間違いなくスパルタになっている事だ。
「俺死にそう…」
イーサンはテーブルに全身を預けて力尽きていた。ここ数日でげっそりとやつれて好きな茶菓子に手をつける余裕さえない。
そもそもイーサンの場合、今迄『運動』と言えば離宮内での剣術の授業…それもかなり基礎的なもののみだったから体力がないのだ。加えて性格的に外で走り回るよりも室内でのんびりお茶する方が好ましいインドア派だったのもダイレクトに響いている。
「だいじょうぶですよサン様! 前より上手になってますから!」
「…フィン」
弱気になるイーサンを二つ年下のフィンレーが両手を握って励ましている。この光景もなかなかにシュールだ。
「その通りですイーサン様。そして日々の鍛錬を積み重ね、己の肉体と心を磨き上げる……この過程こそが尊いのです」
「そ、そうなんですかオルティス侯爵…ッ!」
「いや何かが違うと思います」
また謎の影と音を繰り出しながら語るアーノルドに、イーサンが間に受けた顔でゴクリと生唾を飲みリアムが冷静にツッコむ。
リアムとてこれ以上理解しがたい脳筋が増えるのは切実に困るのだ。
「イーサンも単純過ぎるよ。簡単に飲み込まれないでくれ」
「えっ…でもなんかカッコよくないか?」
「そうですよ! お父さまはカッコいいんです!」
「うちの愛息子が天使…!!」
話がどんどん脱線している気がする。
思いながらリアムは一人溜め息を吐くのだった。
「そもそもけいこがいやならリアム様がやめればいいんですよ!」
「……前から思ってたけど、貴方は僕に対する態度が厳しくないかな?」
「あっ!? 当たり前じゃないですか!! あれこれ姉さまとなかよしみたいな自まんしますし! 『せが低い』って僕の頭ぽんぽんたたきますし!」
「待て待て二人共…!」
「仕方ないじゃないか。フィンレーの反応はなかなか新鮮で面白いから」
「なんですかそれ!!」
フィンレーがムキーッ と怒っているもののリアムの笑顔が崩れる事は無かった。
そう、エキドナ不在の稽古からそれなりに日数が経過しているのだが……事あるごとにリアムはフィンレーをからかっているのだ。
ただでさえ第一印象からリアムのイメージが宜しくなかったのに、彼の言動の所為でフィンレーの中では印象が日を追う事に悪くなっている。
「おい二人共……ほどほどに…な、」
そして二人の喧嘩(?)の仲裁役は専らイーサンが担当している。というかまともなストッパー役がイーサンしか居ない。
何故ならアーノルドは、『男同士の喧嘩は友情の証だッ!!!』とか言って全く止めずに静観しているのだ。現在ものんびり紅茶を嗜んでいる。
しかしながら、温和なイーサンに二人の喧嘩(?)は止められるはずもなく…。口論はどんどん激しさを増していった。
「きらいです! あなたみたいないじわるな人は大きらいです!!」
「ッ…」
どストレートに拒否されリアムが僅かに固まる。
やり方はどうかと思うが、実はリアムなりにエキドナ同様フィンレーを気に入っているから構っているのだ。玩具的な意味で。
「こんな人が姉さまのこんやくしゃなんて、姉さまがかわいそうです!!」
「……へぇ」
「ひっ!! まぁまぁっフィンレーその辺で…ッ!」
イーサンが大慌てでフィンレーを宥めはじめる。
弟の纏う空気が変わったのだ。自身の中で警報が大きく激しく鳴り響いていた。
「『姉さま』『姉さま』とエキドナに頼ってばかり……まるで赤ん坊みたいだね、フィンレー」
「ちっ 違います!! 僕はもう七さいですっ! そもそも最近は姉さまといっしょにあそぶ時間へったのに…!!」
「ほらまた『姉さま』って。いつまでも姉にベッタリしてたらエキドナに嫌われてしまうんじゃないかな?」
「そっそんな! でも姉さ…っ でもぉ…」
「おいリアム…!」
「知ってる? 貴方の『姉さま』は怒るとだいぶ容赦しない子だよ? ふふっ、嫌われたら大変だね!」
「…!!」
くすりとリアムは微笑みフィンレーはショックを受け固まっている。
「リアムっ これ以上はよせっ!!」
イーサンが本気で止めるも時すでに遅し。リアム自身はにこにこと楽しげにからかってるだけのようだが…年相応の幼さがあるフィンレー相手に意地悪な冗談が通じるはずもなく、
「…っく、ひっく…やだぁ…やだよ姉さまっ…姉さまぁ〜」
「あぁっ フィン、頼むから泣かないでくれ…」
リアムの執拗なちょっかいという名の嫌がらせに加えて男だらけの厳しい鍛錬、姉不足と悪条件が重なった最年少のフィンレーは……とうとうポロポロと泣き始めた。
イーサンがオロオロ慌てながらフィンレーの頭を撫でたり指で涙を拭いたりしている。
気不味い空気を打ち破ったのはアーノルドから発せられた大きな溜め息であった。
「全く貴方がたは…エキドナが居なければすぐ喧嘩しますな」
「そんなっ…! でもお父さまは、姉さまがいなくてさびしくないのですか!?」
フィンレーの言葉にアーノルドがピクリと反応する。
するといきなり勢い良く立ち上がった。大柄な体格なので動作の一つ一つに迫力があるので思わず三人の身体が固まった。
しかし気にせずアーノルドはテーブルに両手を付いてボソッと本音を零し始める。
「やはり、男しか居ないのはむさ苦しいものですな」
「は?」
言葉を返したのはリアムである。
「私はこれでも元来硬派なので『女が男の領域に入って来るな』と常々思っておりました。…ですがいつもいるあの娘が居ないとやはりアレです空気に華がない」
「……」
『オルティス侯爵が壊れた』とリアムは思った。
別の意味で固まるリアム達に構わずアーノルドは言葉を続ける。
「私だってねぇ、娘に友達が出来て嬉しいのですよ。すっかり明るくなりましたが今迄ずっと内気で繊細な子でしたから。心配してたんですよ父親ですから。……でも、こんなにお父様の事放ったらかしでイキイキと出掛ける娘を見るとなんかもう…ッ」
声を震わせ早口で語ったかと思えば、ガッと自身の両手で頭を押さえアーノルドが悶えはじめた。
「これでも娘に剣の指南をするの楽しくて仕方がなかったんです! だってあの子身体の動かし方上手いし度胸あるし何より本人の意欲が高くてすぐ覚えるし!! めちゃくちゃ武闘派一族の子ですもん立派な武人の卵ですもん!! ……エキドナっ…エキドナァァァァ!!!!」
「……」
「不味いぞオルティス侯爵の方が重症だった!!」
「うわぁ〜ん姉さま〜っ!!」
「フィンも落ち着いてくれ頼むから!! 親子で泣かないでくれぇぇぇッ!!!」
大の大人のアーノルドが娘恋しさにおいおい人目もはばからず漢泣きしている。
その光景にリアムは本気でドン引きしイーサンは事の深刻さに焦ったのであった。
こうしてこの惨状を目の当たりにしたリアム達は速攻で『こっちの存在忘れ過ぎ』『いい加減帰って来い』とエキドナにクレームを入れたのであったとさ。
(注:エキドナはこの期間も剣の稽古は遊びに行く前に予定を繰り上げて自己鍛錬してるしフィンレーとの『毎日のハグ』もちゃんとやってます)