暗い暗い闇の中で、
<<警告!!>>
残酷描写及び鬱描写があります。
苦手な方は飛ばして読んで下さい。
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本当は…私はこの行事に参加したくなかった。
嫌なものを、思い出してしまいそうだったから。
だから今迄だって、前世の記憶を思い出していなかったにも関わらず二回くらい理由を作って休んだりもしていた。
今回もそうしなかったのを……私はこの先ずっと、後悔し続ける事になる。
「わー! ここから見るのは初めてです! きれいですねー!」
「そうだろう? ここは俺のオススメスポットなんだ」
フィンレー達の賑やかな様子に目を細めながらエキドナは後に続いた。
ここは王城のとある展望スペース。
いつもなら昼時に来ている王城に、今回は日が完全に沈んだ夜、フィンレーとエミリーの三人で訪れていた。リアムとイーサンに誘われたのだ。
年に一度、ウェルストル王国で行われる大きな国民行事の一つである『夏の祭典』を見るためである。
王都の市街地では屋台が立ち並び、人々は賑やかに飲み食いしたり音楽に合わせてダンスを踊ったりする。
そして祭典の締めくくりに、大広場で各々で願い事を書いた天燈……つまりスカイランタンを飛ばして日々の平和に感謝し、未来の安寧を願うのだ。
「ほらっ姉さまも行こう!」
「エキドナ、せっかくだから前においで」
「っ…! いや私は…」
後ろで隠れるようにみんなを眺めていたエキドナをフィンレーとリアムがそれぞれ手を取り前まで連れて行く。
瞬間、みんなの背で隠れていた景色が眼下に広がった。
真っ暗な夜の中で街の家々を上から包み込むように沢山のスカイランタンの炎が宙を舞っている。
ユラユラと揺れる小さな光達によって、ひどく現実離れした幻想的な光景が広がっていたのだった。
そんな美しい光景をエキドナは……色褪せた絶望を含む、悲しみに満ちた目で黙って見つめる。
(ーーーー "きれい" …)
ドッッックン
「!!!」
意識が、ここに居るはずの感覚が、遠のいていく。
ドッッックン
"あの光景" が、目の前に広がる。
ある一室の、暗い部屋…。
風で揺らめくカーテンからは日の光が零れ落ちていた。
ドッッックン
『わぁっ…きれい…!』
ドッッックン
後方から掴まれる大きな手の感触、
「!!!!!!」
全身が強張りそのまま震え始めた。
ドッッックン
ドッッックン
ドッッックン
(なんで? なんでなんでなんでどうして)
「わっ!」
「!? エキドナ?」
バッと二人に繋がれていた手を勢いよく振りほどいて両手で頭を抑え込む。
目は見開いたままなのに、まわりが見えない。
…………真っ暗な闇の中の、あの光景が焼き付いて離れない。
(おかしい嘘だ!! だって "あれ" は……!!)
ドッッックン
("あれ" はもうっ…治ったはずなのに……ッ!!!)
「…エキドナ?」
…リアムの声が、薄っすらと聞こえた気がした。
「…ハァッ……ッ…ハッ…」
ドッッックン
(息がっ…、気持ち悪いっ怖い怖いっ!!)
身体の力が抜けていく。指先が震える。足がもうっ…
「エキドナ!?」「姉さま!」
「お嬢様!?」「なんだどうした!?」
異変にいち早く気付いたリアムとフィンレーに続いて、エミリーとイーサンが気付く。
ふらりと力無くよろめき倒れそうになるエキドナを咄嗟にその場にいた三人で支えそれにエミリーも加わった。
エキドナは苦しそうに眉を寄せ、涙を溜めた目は見開いたまま反応がない。
呼吸は浅く顔色が悪い。手足は死人のように冷たくなってガタガタと震えている。
ドッッックン
「ハァッ……ッ…ハァッ…ッ」
ザザザ…とテレビの映像が流れるように、過去の記憶が、感情が、一気にエキドナに流れ込んでいた。
「すぐに医者を!」
誰かの声にハッとして。
暗闇の中手探りになりながら、誰かの腕を掴む。
「エキドナ!?」
ただ頭を横に静かに振った。
なけなしの理性をフルに使い声を出す。
「ここ、に…居たく、な、い…」
耳から聞こえるのは、自分とは思えないほどにか細いく弱々しい声だった。
「…お嬢様、失礼します」
顔面蒼白で肩で息をするエキドナをエミリーは横抱きに抱え早足で退出する。
リアム達も慌てて後に続いたのだった。
その間に……エキドナは意識を失った。
ドッッックン
気付いた時には……暗い暗い闇の中で、私は一人立っていた。
「……?」
強い恐怖で身体を強張らせ、両腕で自身の肩を守るようにして抱き寄せ背を縮こませながら周囲を見渡す。
誰も居ない。
……向こうから音が聞こえる。
……誰か、居る?
「ひっ……!!!」
遠くから、大きな人影がこちらへ迫って来る……!
エキドナは走った。
遠くへ、遠くへ逃げようと必死に足を動かす。
……動かしているはずなのに、
全然、前に進まない。
影が、真後ろまで迫っているのを気配で感じる。
そう気付いた瞬間、その大きな手で肩を掴まれ……
「あっ! いやだやめてぇっ!! いやだいやだもうやだぁ!!!」
床へ押さえ付けられた。
必死に手足をバタつかせ抵抗するも、拘束から逃れられない。
……後ろで影が笑っている気がした。
「誰かっ…誰かぁぁっ!!!」
懸命に泣き叫ぶ。
けれど自分と影以外誰もおらず、まるで死に際のようにしんと静まり返るのみだった。
「お願いっ…! 誰か、たすけて!!」
『助けてくれる人なんて誰も居ない』
そんな現実、とっくの昔から知っているのに… "私" は泣きながら叫び続ける。
「たすけて! たすけて! たすけて!」
そのまま影の手が動き出し、そして…………
「エキドナ!!!」「姉さま!!!」
「しっかりしろ!!」「お嬢様!!」
ハッ!!!!
エキドナが飛び起きる。
周囲を見渡し混乱する。
(あれ? ここはっ? この子達は……!?)
「姉さまっだいじょうぶ!?」
「どうしてそんなに泣いているの!?」
「しっかりして下さいお嬢様!!」
「怖い夢でも見たのか!?」
徐々に思考がクリアになっていく。
……そうだ、あれから私は…。
…………そうだ……。
まだ息も荒く全身汗で濡れている。
そして眉が下がったその瞳からは……未だにボロボロと涙が溢れていた。
「み、んな……」
呆然としたまま、掠れた小さな声で答える。
「…気を失ったと思ったら酷くうなされていて焦ったよ」
「『暗いっ暗い…』って言いながら姉さまないてたんだよ!? おぼえてないの?」
「…………」
リアムとフィンレーの言葉を聞きながらエキドナは無言で頬を伝う涙を拭く。
「…エキドナ、大丈夫か?」
気遣わしげなイーサンの声に、エキドナは無言で俯いたままだった。
エキドナは心の中で強く念じた。
(顔を作れ笑顔を作れ私なら出来る)
前世だって…ッ!
ずっと心を押し殺して "何事もなかったように普通の顔をして笑ってた" んだから…ッ!!
「……びっくりさせちゃってごめんね? 実は昨日寝不足気味だったから…」
困ったような笑顔を "作り" 申し訳なさそうな "表情" で俯く。
「「「「…………」」」」
静かになる周囲に構わず穏やかな余裕ある微笑みを維持する。
堂々とした… "普段と同じ" 態度を維持し続ける。
(大丈夫絶対悟られない。それに人は本能的に……、)
「…そうか! 病気とかじゃなくて良かった!」
「もぉ〜ほんと心配したんだからね姉さま!!」
「……そう」
「……」
イーサンとフィンレーが明るく…けれどひどく安心したように笑った。リアムとエミリーも、辛うじてだが納得していると思われる。
エキドナは再び俯き……隠れて軽く安堵の息を吐くのだった。
そう、人は本能的に……自身にとって都合の悪い現実は見ないように出来ている。
私の "奥底" にあるコレを敢えて探り出さない…… "存在しないもの" として無意識に避けるのだ。
それはある意味で、人間の賢い生き方なんだろう。
…結局私の所為で、予定より早めのお開きとなってしまった。
両親にも伝えられたようで余計な心配を掛けてしまった。
『大丈夫』と再三伝えたが、未だ不安そうに見つめる両親は『何かあったらすぐ言いなさい』と優しく言ってくれたのだった。
…その優しさが、逆に辛かった。
フィンレーも私を心配して『いっしょにねようか?』と言ってくれた。
でも私は丁重に断らせてもらった。……笑顔を "作って"。
そしてやっとの思いで自室に辿り着いた時、
「あの……お嬢様」
「なぁに?」
「…本当に、大丈夫ですか?」
瞬間、エキドナは顔が歪みかけるのを背に隠した手と手を強く握りしめて必死に抑えた。
僅かに俯き……また笑顔を "作って" 顔を上げる。
「大丈夫! 色々心配掛けちゃってごめんね? 何かあったらまた呼ぶから」
「…わかりました」
「お疲れ様! お休み〜」
「お休みなさいませ。お嬢様」
にこやかに微笑み片手を振る主人を気遣わしげに見つめながらエミリーが退出する。
パタン
……扉が静かに閉まり、エキドナの表情からは灯りが消えるように笑顔が消え失せて一気に全身の力が抜けた。
「……」
その場で崩れ落ちそうになるのを何とか堪えながら、ふらふらと…覚束ない足取りで自身のベッドまで歩く。
(もう……いいよね?)
身体がベッドサイドに打つかる。
その感触と共に脱力し、力無く上半身だけベッドに預けた。
掛け物を強く握り締める。
(みんなの事は誤魔化せた…多分。
だからもうっ 泣いても……いいよね?)
「わあああぁぁっ うああぁぁぁ…!!」
掛け物に顔を突っ込み、声が外に漏れないようにしながら……エキドナは再び泣き叫んだ。
「あぁぁぁ…っ!」
泣いても泣いても、涙が溢れて止まらない。
当たるように…両の拳でベッドを何度も軽く殴った。けれどもこの激情の波は止まらない。
「ふっ…ううぅ……!」
( "あの" 記憶もそうだけど……死の直前、私は何を思った? 感じていた? どうして…今迄忘れられていた?)
痛感させられた。
久しく忘れていた。
例え死のうが、転生して生まれ変わろうが、
"私" が "私" である事に変わりはない。
……どう足掻いても、変われないんだと。
変われなかったんだと。
逃げたくても逃げられなかったんだと。
私は、
死に損ないの、醜いバケモノのままだったんだ。
私はずっと……救われる事なく、苦しみ続けるしかないんだ。
「……ゔうっ……ひっく……っ…」
エキドナの心が暗い闇で覆われギュッと強く握り潰される。暗い暗い闇の中に閉じ込められる。
苦しい。息が止まりそうだ。息が出来ないくらい苦しい。
涙が止まらないまま、心身共に疲れ切り瞼を静かに閉じる。
「……ふっ……う………くっ…」
(……いっそ、このまま呼吸が止まってしまえたら…)
…………いや、
(生きろ)
泣きながら再び目を開く。
(誰も傷付けたくないなら笑え。"なかった事" にして振る舞え。大丈夫、前世もずっと、長い間ずっとずっと "そうやって生きてきた" んだ。
私ならやれる。……………やれる)
やるしか、ないんだ。
未だ激しい痛みや悲しみが雫となって零れ落ち続ける中…エキドナは暗闇の中で独り、決心するのだった。