"きれい"
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卒業パーティーから一週間ほど、経ったある黄昏時。
エキドナはリアム付きの従者に案内される形で、己の侍女であるエミリーを引き連れながら王城内の通路を黙々と歩いていた。と言うのも、優勝者の命令で呼び出されていたのである。
(『今日の十八時に来るように』って……。リー様は一体、何を企んでいるんだろう)
疑問符を浮かべながら、脳裏を過ぎるのは、幼少期にリアムにやられた嫌がらせの数々。
ある時は実父を煽る材料にされ、ある時はデカいカミキリムシ片手にしつこく追いかけ回され、またある時はイモムシをこちら側に蹴り飛ばされ。またある時は、あまりにグロい思想過ぎて国内外で禁書扱いされていたホラー本? を『貴女が好きそうな本だよ』と笑顔で手渡され、女学園に行こうとしてたのを阻止され、さらにある時はこの低身長を馬鹿にされ、さらにある時は…………etc.
(もはや両手で数えられるなんてレベルじゃない。あの人の嫌がらせについてなら、一晩中話せる自信さえある…ッ!!)
思い出すだけで背中から肩、二の腕辺りがゾワゾワし身震いする。
(アレ? 薄々思ってたけど……もしかして私、リー様に虐められてる?)
そのような考えと言うか、ある意味事実が思い浮かびハッとする。
だがしかし、首を横に強く振り即座に否定するのだった。
(いや、やられたらいつも反撃して来た。だからまだセーフのはず)
兎にも角にも上辺と言えど、相手は婚約者であるいじめっ子王子だ。命令でわざわざ自分の城に呼ぶなんて、絶対ロクなことじゃない。
(とにかく、身の危険を感じたら速攻で逃げよう。逃げるは恥だが……えっと、なんだっけ。ナントやら)
「お待ちしておりました。エキドナ様」
あれやこれやと思考し、無意識のうちに現実逃避をしていたら目的地に到着したらしい。聞き覚えのある声に、内心首を傾げながら顔を上げた。
(あっ…)
懐かしい人物がそこに居たため、エキドナは特徴的な金の目を丸くするのだった。
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数刻後、エキドナは次の目的地まで再び歩いて移動していた。
「先程はあまりの早業に驚きました。スカーレット殿」
「老いぼれの身と言えど、この程度当然のことでございます」
スピードを緩めず、淡々と答えるのは幼少時代にリアムの身の回りの世話をしていた元侍女頭のご婦人である。現在では王宮勤めを引退して、侍女の教育係を担っているらしい。
そんなことを思いながら、自身の胴回りから爪先までしげしげと見つめては考え込む。
(リー様は一体、何を企んでいるんだ…?)
先刻、男性の従者によって案内されたのは大きな控え室のような場所だった。
そして従者が扉の前で控えていた元侍女頭のスカーレットとバトンタッチしたかと思えば、ベテランそうな侍女ら数名に囲まれ、あれやこれやという間に身を清められ指定の服を着せられ、化粧にヘアセットにアクセサリー諸々の支度をさせられたのである。
エキドナが身に纏っているのは、純白の生地に繊細だが華やかな金の刺繍が施された清楚なドレスだった。夜会用のドレスに合わせた靴は揃いのデザインで、比較的に踵が低く動きやすそうである。当然ながらドレスも靴もサイズはピッタリだ。
…普通の女の子なら、唐突なドレスアップに驚きつつも少しときめくものかもしれない。
(マジでリー様は何企んでるんだ…ッ!?)
しかしながら幼少期から "あの" 見た目だけ王道王子なリアムから散々な目に遭ってきたエキドナには、そんな思考など微塵も思い浮かばないのであった。ゾクゾクと悪寒がし、思わず頭を抱えはじめる。
「エキドナ様、頭部を押さえないで下さいませ。整えたお髪が崩れてしまいます」
「は、はい! すみません」
「安易な謝罪は望んでおりません」
言いながらスカーレットはどこからか取り出した櫛を手にし、慣れた手つきでササッとエキドナの髪を整える。
そして何事も無かったかのように再び歩き出した。
「お連れ致しました。リアム王子」
思いの外近場だったらしい。数分と経たずに目的地に到着したようだった。スカーレットが深々と臣下の礼を取り、報告する。
「ありがとうございます。では手筈通りに」
「仰せのままに」
リアムも慣れた様子で返答し、二人の短いやり取りが幕を閉じた。
「さぁドナ、手を」
笑顔で差し出すリアムの手をエキドナが触れる。どうやらここからは二人で向かうらしい。
スカーレットだけでなくエミリー達も深く礼を取ったまま動かない。
「…一体何を考えてるの? それにその服…」
エキドナはリアムが身に纏っている物を見つめ、言いにくそうに口籠る。何故なら彼は卒業パーティーで着ていた礼服姿だったからだ。
視線に気付いたリアムが、意味有りげに宝石のような青い目を細めた。
「優勝者の命令は一つ。『卒業パーティーのやり直し』だよ」
にこやかにそう告げると、リアムが扉の前で待機していた従者にアイコンタクトで指示を送り、重厚そうな扉を開けさせる。
眼前に広がるのはバルコニーだった。この場所にエキドナは既視感を覚える。
「……ここは、」
「覚えてる?」
「…一応」
パタン、と後ろで扉が閉まる音がした。
にこやかに答えるリアムに、エキドナは気不味そうに目を泳がした。
ここは八年ほど前に『夏の祭典』を見るため、イーサンの案内のもと弟達と行き…結果としてだが、エキドナがフラッシュバックを再発した場所である。以降は参加を断っていたため、エキドナにとってはとても久方ぶりの場所なのだ。
「……」
外は雲一つ無く晴れ、星々が小さな宝石のように光り輝いていた。
満天の星にエキドナは正直な感情を溢す。
("きれい"…)
『ごめんね、ごめんね』
刹那、男の声が頭上から落ち、心臓を直に掴まれたような衝撃に、大きく目を見開いた。
ドッッックン
全身が竦んで硬直する。息が詰まる。
触られた箇所が腐ったような感覚に陥る。
「っ……」
焦ったようにリアムから顔を逸らし、目を伏せ、唇を歪め……そして失望した。
(あぁ、またか)
思いながら、顔を下に向けて手を身体の横で握りしめた。
"きれい"
そう感じるだけで、前世の幼少期に男に襲われた記憶を想起させる。
けれど、それだけじゃない。
("きれい" なものを、ただ "きれい" だと思いたいだけなのに…)
"暗闇から覗く僅かな光"
"男とニ人きりの状況"
"自分より背の高い若い男"
ドッッックン
「はっ…」
(いつもこうだ!)
何千回、何万回と前世から繰り返されるフラッシュバックにエキドナの心は再度、絶望した。
(フラッシュバックを起こすたびに、思い知らされる…どれだけ、『もう治った』、『昔の話だ』と自分に暗示をかけようとも、)
「ハァッ……ハッ….」
ドッッックン
____私は、変われない。
「ッ…はっ……」
視界が歪む。
目を閉じてはいないはずなのに、目の前が黒く、塗り潰され行く…。
ドッッックン
ドッッックン
ドッッックン
____この苦痛は、地獄は、終われない。
(……一体あとどれくらい繰り返せば良いの? もう嫌っ…!)
変な呼吸音が聞こえる。息が苦しい。目眩がする。指先の感覚が無い。頭が、全身が、グラグラと揺れて視界が悪くなる。
「…ナ、」
(嫌だ…。嫌だ嫌だ嫌だやめて)
「ドナ」
誰かが、私を呼んだ。
「ドナ…!」
誰かが、たぶん今、私の両手を握っている、気が、する。
(誰……?)
聞き慣れているはずの声なのに、わからなくなる。
(わから…い。こわい。こわい!)
"また" 嫌なことをされるのか、同じ目に遭うくらいなら死んだ方がマシだと、そんなことを考えながらエキドナの身体は、あまりの恐怖で硬直していた。
「ドナ、こっちを見て」
一方のリアムは、エキドナの身に起こった事をすべて見ていた。一瞬星空を見上げて感動しているような表情をしていたのに、即座に顔をこわばらせ、かと思えばどこか絶望したような、悲しげに……まるですべてを諦めたような、冷め切った目をしていたこと。
「……」
この過程を、今目の前に居るエキドナの僅かな "変化" を、リアムは昔から知っていた。
『…うん。すごく きれい 。……ありがとうリー様! 部屋に飾るよ!!』
そう、子どもの頃、リアムがエキドナにガーベラの花束を送ったあの日。リアムは "不可解な変化" を見ていた。ずっと知っていた。…花束を受け取ったエキドナも、今と似たような表情をしていたから。
けれど当時はどうしてそんな顔をしたのかは、わからなかった。
『前世の、"ここ" とは全く違う世界に生まれた私は…六歳の頃に知らない若い男に…レイプまがいをされた。だから、男嫌いになった。…襲われ、た事を…思い出すから背後から触られるのが嫌だった。…薄暗い場所も、"夏の祭典" みたいな夜景も、苦手に、なった。……若い男性、も、みんな…』
のちに理由を知ることになるが、それは花束を渡したあの日から八年近く、時間が経過していた。
「ドナ」
目の前のエキドナは尋常じゃないほどに怯え切っていた。倒れ込むようにその場に座り込み、両腕で自身を抱き締め震えていた。
ヒュー…っヒュー…っヒュー…っ
あまりの恐怖で泣き叫びそうな、まるで今すぐ、誰かに殺されるような表情をして、過呼吸発作を起こしていた。
「ドナ、落ち着いて」
姿勢を低くして焦点が合わないエキドナを真っ直ぐに見つめる。
「ドナ、僕を…」
握り続けていた冷たくて小さな手に力が篭る。
「僕のことを、"僕自身の事を" ちゃんと見て!」
エキドナを諭すように、静かだが力強い口調で告げたのだった。
「っ……はぁッ…り、りぃ…」
聞いたことがある言葉に、エキドナは少し正気を取り戻す。何故なら先程の言葉には、聞き覚えがあったからだ。
『僕のことを信じなくてもいい。男嫌いを治せとは言わない。だけど…せめて僕の事を、"僕自身の事を" ちゃんと見てくれ』
エキドナが、リアムを含む男という存在に対する憎しみを包み隠さず吐き出した時に、リアムが告げた言葉。それは幼少の頃、自分がリアムに伝えたものを沿っていたからとても印象に残り刺さっていた。あの時の彼の "きれい" な青い目が、今のように真っ直ぐこちらを見つめていたのを、鮮明に覚えている。
「リー…さ…まっ…! わた、私は…ッ」
「ゆっくり息をして、ドナ。無理して話さなくていいから。…周りをよく見て」
言いながら、リアムがそっと抱き締める。彼の温もりと匂い、あやすように背中を叩く大きな手に、身体の緊張が僅かに溶けていった。耳元で、リアムの声が優しく響く。
「貴女を傷付けた男は、もうどこにも居ないよ。だからよく見てごらん」
「…!!」
リアムの指摘にハッとする。
そう、ここは前世の世界とはまったくの別世界で、まだ幼かったエキドナ…前世の世界で生きていたエキドナを襲い、男嫌いになるほどのトラウマを植え付けた元凶は居ない。
そんな当たり前過ぎる事実を飲み込んで、エキドナはジッと周囲を伺った。
バルコニーにはリアム以外の人間は居らず、ただ上空で星が静かに辺りを照らしている。
「リー様…私……っ」
「落ち着いた?」
「…取り乱、して、ごめん」
「気にしなくて良いよ。想定範囲内だから」
目元を擦りながらエキドナは申し訳なさそうに頷く。
対するリアムは気にしてない風に微笑み、エキドナを立たせる。
「呼吸は少し乱れてるし、顔色もあまり良くないけど…まぁドナなら踊り切れるかな。僕がリードするし」
「え?」
リアムの意図がわからないままバルコニーの中央部までエスコートされる。頭上にクエスチョンマークを浮かべて相手を見上げるが、リアムはリアムで思考が読めない笑顔を浮かべるばかりだった。
「こちらの準備が整いました。演奏をお願いします」
少し前に通った扉に向かって、リアムが声を張る。
すると扉が僅かに開いたかと思えば、隙間からヴァイオリンなどの弦楽器やフルートなどの木管楽器と言った数種類の楽器の音が、ここまで響いて来たのである。
「は!!!!?」
息を切らしているエキドナは、思わず素っ頓狂な声を上げて音楽に耳を澄ませる。正確には奏でている曲のジャンルなのだが。
「さぁドナ、手を」
リアムはどこか楽しそうに、胡散臭いキラキラ笑顔で改めてダンスを申し込んでいた。
普通、一般的には、夜空で二人きりのダンスなんて、スローテンポなバラードが定番だろう。
だがしかし、今流れている曲はどう考えても真逆の明るくアップテンポな曲なのだ。加えてエキドナの記憶から推測するに…
(最高難易度の舞曲…!)
そう。別に人前で見せる必要も無いのに、元々リズム感がありダンスが好きなエキドナとそんなエキドナがどこまで行けるのか実験感覚で試していたリアムの二人による、悪ふざけによって完成したペアダンスだったりする。
わかりやすく前世風に例えるなら、エゲツない速さで踊るタンゴのようなものだ。
「いやいやいや初っ端からこの選曲ぅッ!!? これ相当集中しないと踊れないし無理だよ!! せめて少し休…」
「行くよ、ドナ」
「待っ…!」
慌ててストップ掛けるも虚しく、リアムはエキドナの方をニヤッ…と黒い笑みをたたえる。
そして迷いなく手を取り腰に手を回して基本ポーズを取り、秒でダンスが始まるのだった。
幼少から見てきた、リアムの邪悪で楽しそうな笑みに、エキドナは改めて思い知らされる。
『やっぱりこの人、鬼畜だ』…と。