触れた跡
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「……ドナ、」
静かにエキドナの頭に触れていたリアムの指先が何かを摘む動作をし、そして目の前に掲げた。…貼り付けた笑顔を浮かべ問い掛ける。特徴的な青い瞳は普段以上に冷え冷えとしていた。
「何故猫の毛を頭に被っているのかな?」
「えっ? …あ!」
一瞬疑問符を浮かべ、しかしすぐさま原因を思い浮かべる。
「さっきサン様に撫でられたから…猫触った後で」
「は?」
顔を僅かにしかめたリアムが呆れたように息を吐くのだった。
「まさか猫を触った手で? …ッ…あの馬鹿は本当に、」
「傷口は避けてたから大丈夫だよ! そもそもガーゼ付けてるし」
「そういう問題じゃないでしょ。妙なところで雑なんだからドナは…。大体フィンレーならまだしも何故イーサンを…」
言い掛けた刹那、怪訝な顔をしていたリアムがハッとした風に青い目を瞬かせた。
「……」
かと思えば下を向き黙り込み、何か考え事をしている。
「?」
急に黙り込んだリアムに首を傾げながらエキドナはとりあえず見守った。
「まさか…ドナ、」
「? うん」
えらく歯切れが悪い口調で声を掛けるのでエキドナも不思議に思いつつ返事をした。
躊躇いがちに、彼にしては珍しい乾いた声が細く響く。
「…イーサン……の、こと、」
「いや違う違う」
質問の意図を理解したエキドナが即否定するのであった。顔や口調は平然としているものの横に振る片手には勢いがある。
「なんかねぇ、似てるんだよサン様」
「…誰に?」
意味がわからないと言いたげな顔で問い掛けるリアムに対してエキドナはにこーっと人好きする笑みを浮かべた。
「私のお兄ちゃん」
「は??」
エキドナの表情と発言に面食らい、リアムは一瞬呆けてしまう。
けれどすぐさま我に返り事実確認をするのだった。
「『お兄…って、まさか、貴女の前世の実兄?」
「うん」
あっさりした口調で頷きほんわかした口振りで説明する。
「と言っても私の兄ちゃんは癇癪持ちな暴れん坊☆ な側面があったしシンプルにクズだなと思う瞬間が多々あったから、」
「躊躇無く毒吐いたね」
「あの人にはよく振り回されてたからね〜☆ …だから、あくまで落ち着いてる時の雰囲気だけっていうか、本体の二百倍くらい美化したらサン様っぽいっていうか……まぁ、私結構ブラコンだったからねぇ」
「前世からブラコン…」
「そうだよ。筋金入りでしょ?」
「開き直るところじゃないでしょそれは…」
あははー☆ と笑うエキドナにリアムは手で額を抑えだした。
すると途中でまた何か思うことがあったようだ。僅かに顔色を変える。
「まさかイーサンが貴女の前世の兄の生まれ変わりという可能性は」「それも絶対無い」
リアムが推測したリアムにとって恐ろしい仮説をエキドナは秒で打ち消すのであった。
またもや明るい口調で前世の兄の事を話しはじめる。
「うちの兄ちゃんはサン様ほど出来た人間じゃないもの。優しいちゃ優しかったけど基本保守的で我が身が一番可愛いタイプだったし、リーダーシップゼロだし」
「ものすごく貶しているな珍しい。貴女らしくない。過去に何があったの」
エキドナの無慈悲な兄批判にリアムが思わず口を挟む。
しかしそんな指摘に対してピクリと反応し、かと思えば途端に勢いが萎んで口ごもるのだった。
「……まぁ、それなりに、ドロドロとした愛憎劇がね…」
「ふぅん」
含みのある返事をするリアムをエキドナは敢えてスルーして本題に戻した。
「…それにね、例えば前世絡みの人間が私の前へ別人として現れても、たぶんひと目見ればすぐわかるよ。直感で。だから兄ちゃんとサン様はまったくの別人!」
「……ドナがそこまで力説するなら」
リアムが言いながら脱力する。想定外のことが起こり過ぎて疲れてしまったのだろう。
そんな彼の様子をチラリと見つめて、リアムから前へ顔の向きを変えたエキドナは先刻の出来事を伝えるのだった。
「さっきさぁ、サン様に『兄のように甘えてもいいんだよ?』って言われたんだけど断ったよ。もちろんサン様の善意は有り難かったし、嬉しかった。だってサン様は、出会った時から "憧れのお兄ちゃん像" ってイメージがあったから」
これはエキドナの本音だ。
優しく穏やかで面倒見のいい人柄、何より心身共に健常で安定。そして趣味趣向や波長が不思議と一致した。
幼少からエキドナがイーサンに懐くのはとても自然なことであった。
「でも……私にとっての "兄ちゃん" は、一人しか居ないから」
懐かしそうに、少し寂しそうに呟く。
前世の事を思い起こしながら、軽く俯いた。
「だけどほんの少し、ほんの数ミリだけ、いつも心のどこかで、サン様に兄を重ねていたかもしれない…。ごめんねリー様、貴方のお兄様なのに」
「別に」シレっ
「……」
イーサンの実弟であるリアムに対する申し訳なさから出た謝罪をあっさり受理され、エキドナは言葉を失うのだった。
思わず彼を見やるがリアムは本気で気にしていないらしい。あまりに何も感じていないその様子に、子どもの頃から一貫して兄に塩対応すぎるリアムにはいっそ清々しささえ覚える。
「そんな事より猫の毛を取るのが先だよ。動かないで」
「あ、はい」
(男同士の兄弟ってそんなものなのかな…?)
速やかに話題を切り替えてエキドナの頭から猫の毛を取り除きはじめるリアムにエキドナは戸惑いつつもそれ以上言えず大人しくすることにした。
ほどなくして最後の一本を取り終えたらしくリアムの手の動きがゆっくりと止まる気配を感じる。
そろそろかと思ったその時、中途半端な位置で彼の指先が停止した。
「傷、」
短く切ったのちにリアムの碧眼がエキドナの金眼を真っ直ぐ射抜く。
「見てもいい?」
「……」
突然の問い掛けにエキドナは目をぱちくりさせてリアムを見つめ返す。
リアムの瞳には不安や罪悪感の色が混ざっていた。
リアムの心中を察し穏やかに微笑む。
「いいよ」
言いながら慣れた手付きでガーゼを静かに外した。
血も膿も付着しておらずすっかり良くなっている。
だが薄っすらケロイド化した小さな "それ" は、裂けて縫った跡をありありと示していた。
「触ってみる?」
見た途端眉を下げるリアムにエキドナがなんて事ない風に明るく笑って手を掴み、自身の頭の方へと誘導した。
僅かに隆起した皮膚に触れてますます申し訳なさそうな顔をするリアムにエキドナが元気づけようと腕を軽く叩いた。
「髪の毛で隠せるから大丈夫だよ! 何よりリー様は知ってるでしょ? 私はもともと秘密主義者だからさ、秘密の一つや二つ…増えたところで大体の人達には隠し通せるから平気。平気なんだよ。…ね?」
「…そう」
それだけ言ったリアムは傷口を見つめたままエキドナの頭を撫ではじめる。
「……」
エキドナは無言で目を閉じ、リアムの手を受け入れた。
少しして、そっと頭部の傷に触れた感触に違和感を覚え目を開ける。
「? 今何かした? なんか柔らかいものが触れたような…」
リアムに疑いの目を向けるけれど、当の本人は何食わぬ顔で告白する。
「毛虫置いた」
「はぁ"!!!? いやあああああ!!!」
ガチな悲鳴を上げてエキドナは頭を激しく振るのだった。
そんなエキドナに元凶のリアムが眉間に皺を寄せ苦言を呈する。
「ドナうるさい。いきなり叫ばないでよ」
「無理無理無理無理取れた!? 取れたぁ!!?」
「あー…取れないよ。残念ながら…っ、必死すぎ」
普段の無表情で冷静な姿からは想像つかないかけ、全力かつ素直なリアクションにリアムは面白がって震えている。
「嘘でしょ感触はもう無いはずなのにっ…!」
「嘘だよ」
「え??」
「だから嘘だって」
ポカンとした顔をするエキドナを可笑そうにリアムは見ていた。
先ほどまでのやり取りを思い返して混乱する。
「え、何が嘘? どれが嘘?? 虫が? いやそもそも『取れない』ってどういう意味?」
「賊に襲われた時、僕を騙したでしょ? その仕返し」
「いやいやあれは『守衛室の場所わかるでしょ?…私はまったく(は流石にないだけどうろ覚え程度にしか守衛の配置場所を)覚えてない』って方便で…」
「どんな嘘の吐き方をしてるんだよ。あの後ドナの嘘に気付いたフィンレーにキレられて結構大変だったんだよ?」
「え、そうなの!!? ごめん…!」
「はぁ、もう良いから。過ぎた話だし」
初耳だったエキドナが顔を青ざめリアムに謝るが対するリアムは呆れ気味に息を吐くだけだ。同時に毛布ごとエキドナをヒョイっと抱き上げる。
「!?」
「立って歩くのが辛いんでしょ? 馬車まで送る」
「…………よくご存じで」
気不味そうにエキドナがリアムから顔を逸らす。もしイーサンやリアムが来なければ這って帰るか誰か見つけ次第エミリーを呼ぶつもりだったのだ。
「こんな状態でよく地下牢からここまで移動出来たね」
「サン様に肩貸して貰った」
「…肩」
「?」
(なんか手に力が入ったような気がしなくも無い…? いや微妙)
「ドナ、」
「? はい」
サファイア色の瞳がエキドナをジッと見つめる。彼のやや圧さえ感じる視線にエキドナは少し身構えた。
だがしかし、エキドナの反応を気にしていない様子のリアムは何故か甘い笑みを浮かべていた。
きっと周りに令嬢達が居たら叫び声が鳴り響いていただろう、そんな事をぼんやりと他人事のように考えるエキドナに対してリアムは笑顔を崩さずとても爽やかに言いのけるのであった。
「その格好、よく似合ってるよ。ミノムシみたいで」
「嫌な表現しないで貰える?」