帰る場所
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リアムの顔を見た瞬間、エキドナは思った。
(あぁ、今日は…)
トラウマを連想させる場所でヴィーとスタン、ケイレブ、衛兵×2。
イーサンからのスキンシップ(注:頭ナデナデ)
(男との遭遇率高いな…)
先刻のフラッシュバックで不安定だったエキドナは限界突破し、とうとうその場で仰向けにパタリと倒れるのだった。
「ドナ!?」
「…ナ、ドナ!」
「ぅう…?」
気怠げに目を開けるとリアムがこちらを覗き込んでいる。それを認識したエキドナは再び血の気が引いた。
(ごめんリー様…ほんとごめん……適当に無視して転がしといて…)
罪悪感から心の中で謝罪を繰り返す。
そして男への拒絶反応で再び意識が遠のき掛けたその時、
「また気絶したら顔に虫でも置くか」
「あっ 起きます! 今すぐ起きます!!!」
ボソッと呟くリアムの低い声にエキドナは気合いで跳ね起きるのだった。ショック療法とこの事だろうか、ぜーはーと冷や汗をかきながら息を整えるエキドナに、リアムが「元気そうで何よりだよ」とシレっとした態度で言ってのける。
「な…なんで、貴方が、ここに…?」
「それはこっちの台詞だよ。……まったく、あいつも余計なお節介を…」
不機嫌そうに言いながらエキドナの方へ手を伸ばし…ピタリと止まった。
彼が僅かに眉を顰めたのを、エキドナは見逃さなかった。
「馬鹿イーサンが。こんな場所に放置するなよな」
しかしリアムはリアムでこの場に居ない兄に悪態を吐き、エキドナの身体を覆うように先刻まで使っていた毛布とイーサンが使っていた毛布の二枚をぐるぐると巻き付ける。
「隣いい?」
「え? あ、うん…どうぞ」
リアムの申し出にエキドナも特に断る理由が無いためそのまま隣を座るよう手で促す。
無言で腰掛けるリアムに対してエキドナは戸惑いがち声を掛けるのだった。なお猫達は気絶している間にどこかへ行ってしまったらしい。
「あの、寒くない? 毛布…」
「平気」
「そ、そっか…」
寒そうにしている素振りも無く平然と言ってのけるリアムにエキドナもそれ以上言えず言葉を詰まらせる。
「「……」」
気付けば、自然と互いに視線を外して黙り込んでいた。
相手の顔が見えない状況で気不味い沈黙が降り積もるごとにエキドナの中で焦りが増していく。思わず毛布の端を小さく握り締め、目を泳がせたまま顔を下に向けるのだった。
(あれ? いつもこんな感じだったっけ。前はどうやって話を…)
__本音を言えば、今彼には会いたくなかった。弱っている自分を見られたくなかった。
(聡いこの人に何もかも見透かされている気がして…。あとミア誘拐の件で一瞬疑ってた分、気不味い。ごめん)
「「あの、」」
不意に二人の声と視線が重なる。
「な、何?」
「ドナこそ…」
「いや私は別に…。リー様先に言いなよ」
「僕だって別に…」
「「……」」
結局たどたどしいやり取りの後、また互いにそっぽを向いて沈黙してしまうのだった。
変に遠慮し、ギクシャクし合う空気にエキドナは居た堪れなくなる。
(どうしよう…)
「あ、あの! リーさ…」
「悪かったね。一度も見舞いに行けなくて」
不安や罪悪感に押されてエキドナが口火を切ろうとしたその時、リアムの唐突な謝罪でまた言葉を失うのだった。
「…え?」
「自制の意味も兼ねて行けなかったんだ。言い訳にしか聞こえないだろうけど」
「い、いや! 流石にほらっ…リー様の立場を考えれば、そりゃあねぇ」
そう。救出されたあの日からおよそ一ヶ月間、リアムはエキドナの元に一度も訪れなかった。
だがエキドナもよく理解していた。ブレイク・キングの件で『王家の血を引く自身を危険に晒してまで婚約者を優先した』と評価されてしまった以上、今後のテロ対策の協議等を蹴って見舞いに行く訳にはいかなかったのだろう。
「……」
エキドナのやんわりとした言葉をリアムは静かに聞いていた。
ジッと己を見つめるサファイアの瞳と反応にエキドナがまた小さく固まる。
「ごめん」
たじろぐエキドナにリアムが再び謝罪の言葉を重ねた。
「き、気にしないでよ…。たかが見舞いなんだから」
「貴女を置いて逃げて、ごめん」
「!」
エキドナが驚きで金の目を大きく開く。
「すぐに助けに行けなくてごめん」
「……」
そして謝りつづけるリアムから視線を外し静かに目を伏せた。
刹那、口元を引き上げて明るく "笑う"。
「何言ってんの! あんなの私の自己責任なんだから気にしないでよ☆ あと我ながら悪運強い方だし…」
「っ……、ふざけるなよこの馬鹿!!!」
大きな声にエキドナがビクリと肩を跳ねたまま硬直する。
早口で結論付けようとしたエキドナにリアムが感情的に怒鳴ったのだ。
狼狽え何も言えないエキドナに構わずリアムは肩を掴んで揺さぶるのだった。
「どれだけ後悔したと思ってるんだ! みんなドナの身を案じて、心配して、どれだけ動いていたか…!! こんな怪我までして…ッ」
ヴィーに殴られた跡が覆われたガーゼのそばを指先で触れ、顔を歪ませる。
「なのに貴女がそうやって一人で明るく振る舞って、誤魔化して、"無かった事に" してしまったら…僕は……っ、僕は…!!」
肩を掴んだまま、リアムが力無くもたれ掛かる。エキドナより遥かに大きいその身体は、頼りなく震えていた。
か細い声が耳元へ伝う。
「僕の気持ちは、ずっとドナに、謝りたかった気持ちは……どこへ持って行けば良いんだ…」
「…!」
「例え無謀だとしても二人で逃げれば良かったって、……居なくなって、僕は…ッ」
自然とリアムの腕がエキドナの肩にまわっていた。
(痛い)
自身を締める力が強くて、痛みでエキドナは身を捩る。
しかし彼を止める事は出来なかった。抵抗出来なかった。
「僕が……どれだけ…!!」
(辛い事や悲しい事を "無かった事" にされる苦しみは私が一番よくわかっていたはずなのに)
エキドナよりもリアムの方が、今この瞬間、きっともっと痛い。
「…ごめん。ごめん、リー様」
リアムにされるがまま、エキドナが小さく声を漏らす。
するとその声で我に帰ったのか、リアムは焦った様子ですぐさま手を離して拘束を解くのだった。
「僕こそ…ごめん。言い過ぎた」
リアムの言葉にエキドナが静かに首を横に振る。
「「……」」
また、何度目かの沈黙が二人の間に訪れた。リアムはエキドナとは反対の方向へ顔を向け、逆にエキドナはリアムの顔色を覗うように、遠慮がちに見つめる。
しばらくして、視線に気付いていたであろうリアムが口を開いた。
「…いい加減にしてよ」
「……うん、」
「貴女が居なくなった二日間。たったの二日だったのに、生きた心地がしなかった」
「…うん」
『ごめん』とは言わず、ただリアムの言葉に小さく頷いた。
謝罪を述べるのは簡単だ。
だけど、今はそういう問題じゃないと思ったから。これ以上謝罪の言葉を重ねるのはリアムの気持ちを蔑ろにしていると思ったからである。
「ドナにその気が無くても…… "僕達" が、ドナの帰る場所、なんだよ」
「………………うん…」
("帰る場所")
無意識に反芻する。リアムの言葉が、エキドナの胸の奥の奥へと突き刺さっていた。次の瞬間、走馬灯の如く脳裏を過ぎるのはみんなの顔だった。
再び静寂が訪れる。
リアムは未だにそっぽ向いたまま。エキドナは体操座りで顔を下に向けたまま。
しかし不思議と先ほどまであった居心地の悪さや不自然さは無い。けれどもいつもの空気とも違っていた。
そんな中、今度はとても細い声で、エキドナがぽそりと、呟くのだった。
「……来てくれて、嬉しかった」
その言葉に驚きエキドナの方を振り返る。『来てくれて』はおそらく、この場の再会を指しているのではない。
だが、紛れもないエキドナの本心なのだとリアムは気付いていた。
相変わらず顔を俯かせたままなので今どんな表情をしているのかは本人以外誰にもわからない。
(……だとしても、)
そんな事を思いながらリアムは仕方がないなという風に脱力して息を吐く。青い目を細め、すぐそばの小さな頭に手を置いた。
「生きていてくれて…本当に良かったよ」
リアムの本心に、エキドナもただ小さく一度、頷くのだった。