輪郭に触れる
<<警告!!>>
一部に鬱・残酷描写があります。
________**
出自に複雑な事情はあれど、ここ、ウェルストル王国国王バージル・イグレシアスの実子であり王位継承権第二位という尊い立場にあるイーサン王子は現在、激しく後悔した。
「すまないドナ、こんなっ…!」
「いえいえお気になさらず。外の空気を吸いたかったので」
対するエキドナは笑顔だ。長く白っぽい金髪をなびk…荒ぶらせ、引き攣った笑みを浮かべている。
「ちょっと寒いですけど☆」
カタカタぷるぷる小刻みに震えながら。
(俺の馬鹿野郎ォォォォ!!! 人目を気にしていたからとはいえ本当に庭へ連れ出す必要は無かったのに…ッ しかも相手は病み上がりの怪我人!)
後悔のあまり頭を抱えて胸の内で咆哮するが、寒さが緩む事は無い。
イーサンが思い返すのは隣に座る少女との先刻のやり取りだ。通路を歩いている途中で具合が悪そうなエキドナを発見し、さらに身を隠したがっていたため咄嗟に『前会った猫に子どもが産まれたんだ! 一緒に見に行こう!』…と彼女の手を取り肩を貸しで連れ出して今に至る。
当然だがイーサンに悪気は無い。訳ありげな幼馴染にただ外の空気を吸わせて気分転換をさせてあげたかっただけなのだ。
だがしかし、流石に冬なので容赦ない粉雪混じりの北風が二人の身体を押し、先ほどより息苦しそうな様子は無く気丈に振る舞っているものの全身を震わせてエキドナの歯が小さく鳴っている。
「ドナ! せめて上着を!」
「いやいやステラに悪いです!! 闇堕ちステラはもう見たくありませんから!」
「うっいや、だが、こんなに震えて寒そうなのに… 」
「いやいやお気遣いなく!!」
「いやいやいや!!!」
互いを気遣う押し問答を見かねてか、イーサン付きの従者が人数分の毛布と温かい飲み物を素早く用意し手渡すのだった。
(そうか、手配するよう頼めば良かったのか…俺はなんですぐこういう事に頭が回らず…!)
『ズーーン』と効果音が出そうなほど落ち込んだイーサンにエキドナが膝に乗せていた子猫を腕に抱えて声を掛ける。
「…猫、あったかくて気持ちがいいです。ふわふわで可愛い。ありがとうございます」
「ドナ…」
幼馴染の柔らかな笑顔とさりげない気遣いにイーサンが今度はジーンとした風に紺の目を潤ませてエキドナを見やった。
そんな彼の純朴な反応にエキドナはおかしそうに顔を綻ばせ、イーサンもつられて笑う。やや気不味い空気が和らいでから少し経ち、子猫を堪能しながらエキドナが尋ねるのだった。
「あの、サン様話は変わりますが……リー様は大丈夫ですか? 保護されたあの日から全然会ってないんですけど…それだけ多忙という事ですよね?」
「む、リアムか…」
エキドナの問い掛けに同じく子猫を堪能、どころか親猫の尻を慣れた手付きで叩いていたイーサンの表情が曇る。
なお幼少の頃に比べて二人きりになる頻度は減ったものの、エキドナとイーサンの会話はもっぱら世間話や共通の知人友人…つまりステラかリアムかフィンレーあたりである。
「確かに此度の件でリアムが中心的に動いてる分やる事が多いんだ。…あ!」
「?」
何か思い出した風なイーサンにエキドナが首を傾げて見守る。
すると乾いた笑みを浮かべて一人空を見上げるのだった。
「……そういえば、俺も書類を取りに行く途中だった…」
「え"!? だ、大丈夫ですか!?」
イーサンの発言にエキドナが驚いて尋ねるけれども、イーサンは少し考える素振りをしてからゆっくりと微笑んだ。
「ううむ…まぁ、少しの時間なら問題無いだろう…たぶん。何より君をあのまま放っておく訳には行かないからな」
「そ、そうですか…なんかすみません」
「いや気にしないでくれ」
遠慮がちに謝るエキドナにイーサンが気さくな笑顔をしながら手を横に振った。
「にしてもその様子だと皆さん大変でしょうねぇ……というか、リー様もかなり大変って事ですよね…あの、サン様。あの人意外と不器用というか、根を詰めやすいタイプだから気を付けた方が良いと思いますよ?」
「……それを、君が言うのか…」
「? はぁ、」
いまいちピンと来ず生返事をするエキドナにイーサンが寂しそうに笑う。
「…俺からもリアムの事は気に留めておくから、安心してくれ」
「ありがとうございます」
リアムの話題を皮切りに二人は毛布と猫や鳥の温もりに包まれながらこれまでの事を話した。
イーサンはヴィーの処罰がイーサンの父親であるバージルなりの『もう一度家族としてやり直してほしい』という想いから出たものだったことや当然ながら『罰があまりに軽すぎる』と一部から強いバッシングを受けたこと、結果的に王家の力や被害者家族(特にアーノルド)の圧力によりなんとか場を収めたことを話した。
エキドナはエキドナで先刻のヴィーのやり取りを自身のことはぼかしながら話すのだった。
「そうか…ヴィー・モリスが、そんな…」
罪の意識や葛藤の苦しみからヴィーが死にたがっていた事がよほどショックだったらしい。口元を手で覆いしばらく言葉を失ってしまった。
「彼がそこまで追い詰められていたのはよくわかったが、何故前触れも無くドナに…こ、『殺してくれ』なんて……」
「どうでしょうねぇ…」
言いながら思い浮かべるのは先刻のもがき苦しみ死を求めたヴィーの姿、顔だった。
「これは私の憶測ですけど」と前置きをして話す。自然と自身の視線が足元へ降りた。
「罪は消えず、それでなお『生まれ変わるくらいの気持ちでやり直せ』と言われている中で…そもそも彼は、やり直すだけの気力が残っていなかったんですよ。それだけ弱りきっていた。憎しみに……自分が抱える "毒" に、呑まれたんだと思います」
(彼の気持ちはなんとなく理解出来る)
否、もはや "理解出来る" という域では無かったのだ。"同じ" だったのだ。
そこまで思い至りエキドナの手に自然と力が篭った。
(あの子は私と同じ、憎しみに囚われている人間…。あんなに視野が狭くなって、自暴自棄になるんだ…他の人達から見たら、私はあんな風だったんだ…)
ヴィーの憎しみに呑まれ暴走している姿も自暴自棄になっていた姿も少なからずエキドナと重なる部分があると思った。
しかし、自分の脆さを誤魔化すようにエキドナは明るく "笑う"。
「ああいうのは呑まれる前に小出ししないと爆発しちゃいますからね〜。だから、今は思い切り憎めばいいんですよ」
だが隠しきれずまた少しずつ静かに、寂しそうな口調へと変わるのだった。
「腹の底から憎んで、憎んで、憎み切って…。それで、周りが見え始めた時に、もう一度………… "憎しみ" 以外の "何か" を、探せばいいんじゃないかなって思います」
(自分の失敗を直視出来ない馬鹿さ加減も、弱さも、全部、全部、……本当は、気付かなきゃ、いけないんだ…)
「……」
俯き、次第に苦しげになるエキドナをイーサンは眉を下げじっと見つめた。自然と口を開き声を出す。
「…君は?」
「はい?」
聞き返すエキドナにイーサンが少し躊躇いがちに、しかし金の目を真っ直ぐ射抜きながら再度尋ねるのだった。
「君は、俺やリアムに、その "毒" とやらを晒してさえくれないのか」
「っ…!」
「不快にしたならすまない。だが、その、彼をみていると何故だか君と重なる部分があるような気がして…君はとても優しい人だから」
「……優しくは、ないです」
「いいや、ドナは優しい子だ」
「優しくないです」
慰めだと思いつつ即座に否定し首を振る。そんな頑なな態度に、イーサンもついむっとして反論するのだった。
「優しいよ」
「優しくないですって」
次第に白熱する口論のさなか、エキドナの脳裏に蘇ったのは前世の記憶だった。
「何故そこまで否定するんだ…? ドナ、君は自分が思っているよりすごく優しい人間なんだ。だから俺やリアムも、きっと、ヴィーだって君の優しさに…!」
「優しくない!!」
強く悲痛な声で言い切るエキドナにイーサンが衝撃を受けたように固まる。
その反応に顔を一瞬強ばらせ、しかしまたぼんやりと下を見て静かに瞼を閉じるのだった。
「すみません…」
「ドナ…」
眉を下げたイーサンが心配そうにエキドナに近寄って言葉を掛けつづけた。
「俺は君の深い事情はよく知らないが、力になりたいんだ。君の "毒" とやらを少しでも取り除けたら……少しだけでいいから、何か希望や、救いがあればと…!!」
まるで祈るような目で己を見つめるイーサンを、僅かにじっと見つめ、また視線を落とす。
「…希望も、救いも、多分この先ずっとありません」
口元だけを引き上げて自嘲した。
「消えません。毒はもう、私の一部なんです」
(男に襲われたあの日から一体どれだけの時間が経過しただろう)
エキドナにとっては毒を抱える前の頃の自分よりも抱えた後の自分の方が明らかに長く生きているため…例え苦しくても、辛くても、毒とともに居続けていたからこそ、もうとっくに戻れないと結論づけていた。
一言で『消えてしまえ』と吐き捨てられるほど、簡単なものではないのだ。
「毒も憎しみも、死ぬまで……死んでからも、ずっと一緒なんです」
「……」
(これは呪いだ)
何も言わないイーサンをまた少し見た後で『逆にどうすればこの呪いは解けるのだろうか』と、エキドナはふとその場で物思いにふけった。
ヴィーと重なる部分があって、それが客観的に見たらどうなるのか理解出来ていても…それだけでは、どうしたって飲み込められない感情なのだ。
(唯一思いつくのは、私を襲った男への復讐くらい)
__ただ死ぬなんて生ぬるい。ありとあらゆる…思いつく限り残酷な拷問を繰り返して、『生きたくない殺してくれ!』と泣き叫んでも無理やり生かして、ボロボロの廃人にしてから元いた社会へわざと返す。そして廃人のまま普通のフリをして生きる地獄を味あわせて…自力で回復出来そうになった瞬間を、狙って、命を奪う。これくらいはしないと割に合わない。
(でもあのロリコンクズ野郎はこの世界のどこにも居ない。そもそも前世の世界でも顔は覚えてなくてどこの誰かも知らない。特定出来ても時効はとうの昔に過ぎている。仮に訴えられたとしても『嘘を吐くな』と周囲から神話によって否定され相手にされない……。とっくに総詰み)
だから自分の呪いは永遠に解けない上に救いが来ることも永久に無いと、エキドナは一人で数え切れないほど諦観して手放してきたのである。
(あの手の犯罪者心理は性欲ではなく支配欲から来ている…。あのクズ野郎がまだ幼子だった私を支配したかったのなら、嫌と言うほど目的を達成して満足してるんでしょうね)
__私の知らないところで。
精一杯の皮肉を胸の内で呟くと同時に思い出すのは、故意では無かったにせよヴィーの母親の命を奪ったブレイクが平然と言い放った一言だった。
『アタシそんな事したかい?』
(そもそも私の存在自体 "きれい" にすっかり忘れて…きっとこうやって馬鹿みたいに苦しんで、引きずってる人間を作った事実さえ忘れて……私を襲った男は、さも当たり前のように恋愛を楽しんで、結婚して、子どもが産まれて、家庭を築いて "普通に" 生きているんだろう)
本当に忌々しい。
すると、不意に頭上から鳥や小動物ではない何かが覆ってきたためエキドナの肩が大きく跳ねた。
「ひっ…!?」
「す、すまない! 何度も呼び掛けたのだが、その…!」
短い悲鳴を上げ後ずさって見やるとイーサンが慌てた様子で釈明していた。どうやらエキドナの頭に近付いたのはイーサンの手だったようだ。
その姿にエキドナは内心胸を撫で下ろす。
「…いえ、私の方こそすみません。お話中に黙り込んでしまって…。どうしたんですか? 頭を、撫でてくれようとしてたのですか?」
「う、うむ…」
戸惑いがちに答え、しかし何か決意した表情でイーサンが再び手を伸ばす。
エキドナは先程嫌な反応をしてしまった罪悪感からひとまず彼らしい不器用な善意を受け入れる事にした。
…手が頭部に触れた瞬間、ゾッと悪寒が背筋を走る。
「辛そうな顔をしていた。あまり無理をしないでくれ。…いや、ずっと無理をしているのかな」
「……」
ガーゼを避けつつもじわり、じわりと小さな悪寒が頭部を這いずる中でイーサンの温かい低音が響く。ほんの僅かにだが、その優しい声で内側の強張りが緩み、嫌悪感が和らいだのを感じた。
「俺のことは本当の兄と思って、甘えてくれてもいいんだぞ?」
イーサンの純粋な思いやりに対してエキドナはまたゆっくりとした動作で首を横に振る。
「…いいえ、サン様。お気持ちだけで十分です」
刹那、石のようにピタッと固まったかと思いきやズーンと音を立ててイーサンが沈むのだった。
「……すまない。流石に図々しすぎたな…俺は未だに実弟から『兄上』と呼ばれずむしろ呼び捨てにされ雑に扱われている男……」
「いえいえそういう意味ではなく!」
イーサンの反応に流石のエキドナも焦って顔を上げる。別にイーサンを兄のように慕う事が嫌な訳ではないのだ。
「えっと…そう、そうですサン様は……そ、そのままで十分、素敵なので…」
「! ドナ…」
若干照れ気味に答えたエキドナの言葉にイーサンが感動でジーンとしてからまた手を伸ばし頭を撫ではじめる。
優しく、やや遠慮がちな手つきにエキドナはついある人物を思い出し、懐かしさで小さな笑みを浮かべるのだった。
エキドナの僅かな変化に、思わず撫でていた手を上にあげてイーサンは固まった。夜空のような深い紺色の目も大きく見開いている。
「?」
「あ、あぁ…すまない…続きを……」
訳がわからずエキドナが不思議そうに見つめると我に帰ったイーサンがもう一度こちらへ手を伸ばした。
が、喉が鳴る音が聞こえたかと思えば寸前で止め、伸ばした手で拳を作る。
そして勢いよく立ち上がるのだった。
「すまないドナ、俺とした事が忘れ物をしてしまった」
「え?」
「とても…ものすっごく大事な忘れ物なんだ。すぐ戻るから、悪いが少し待っていてくれないか?」
「は、はい。どうぞ…」
珍しくも彼による謎の威圧感を覚え了承すると、イーサンは挨拶もそこそこにその場から走って立ち去るのであった。何故か途中で叫び声? も出ているらしい。
「そういえばサン様、書類…」
若干ポカンとしつつ現状を理解したエキドナは、このまま待ってるとイーサンの邪魔になるから帰った方がいいだろうかと少々迷うのであった。
だがしかし、思いの外早く終わったようだ。五分も満たないうちに人の気配を感じたエキドナは猫を抱いて寛いだまま声を掛ける。
「サン様〜。忘れ物って書る…」
「イーサン、こんな場所に使役で呼び出すとはいい度胸だな。要件は」
「え!? リー様??」
「え?」
自然と声がする方向に二人とも顔を向けていたためすぐに視線が交わる。
互いに目を丸くしながら予想外の再会で言葉を失うのであった。