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五年 後編


________**


「何だよそれ、ふざけんなよ…」


触れている指先を振り払う素振りは見られない。しかしヴィーは不快そうに顔を歪め、声を震わせた。


「矛盾してんじゃねえか。今死にてェのに『五年生きろ』って何だよ……テメェ、『死ねって言われるより生きろって』、『言われた方が辛い』って、自分で言ったばっかりじゃねーか…!」


「……」


ヴィーの指摘に金の目を伏せる。

エキドナとしても、自分の発言の身勝手さを理解していた。自分の考えが正しいとも思っていなかった。


「うん。わかってる。…ただ、」


一度口を閉じて静かにヴィーを見つめる。

エキドナとしては、それでも今ヴィーが死ぬのは早すぎると思ったのである。


「死ぬのなんか誰にも出来る事。生き続ける方が圧倒的に難しい。……あんたならわかるでしょ?」


なんとか説得しようとするエキドナにヴィーが苦しげに、忌々しそうに睨みつける。


「ッ…」


そんな彼の反応に構わずエキドナは必死で言葉を紡いだ。


「あと五年の余命なんだからさ、死ぬ前にやりたい事全部やっちゃいなよ! 本を読むのはオススメ。心理学とかは自分の心の動きとか苦しんでる原因を客観的に見る事が出来るし、評論系や自伝だと作者とお話しした気分になって寂しくない」


出来るだけ明るく、軽い口調で立ち振る舞いながら、スッと隠しポケットに手を入れる。


「今のうちに美味しいものとか好きなもの食べときなよ。それにあんたの素行次第では見張り付きなら…いずれ行きたい場所にも行けると思う。何より」


言いながら隠しポケットから一枚の封筒を取り出して、目の前の男に手渡すのだった。


「どうせ死ぬなら、会いたい人に会っときなよ」


「……? これ、」


訝しげに手紙を受け取ったヴィーが黒い目を大きく開く。しばし固まった後で、息苦しそうに喉を詰まらせながら声を出した。


「何…だよ、これ……あ、アイツらは…」


手渡された "それ" を見て、ドクンドクンとヴィーの内側から早鐘が鳴り響く。脳裏に浮かぶのは幼い子ども達の顔だった。

眉を下げつつ、現実を受け止めるため言い切ろうとした。


「し、死…ッ」


「生きてるよ。ちゃんと」


言い掛けたヴィーの言葉をエキドナが遮る。けれどその声は冷静で真剣で……温かい声だった。


「貴族議会の事は(フィンレー)から聞いた。その後少し気になって調べたんだ。二人に直接会った。…あんたに、会いたがってたよ」


エキドナの声が聞こえているのかいないのか、ヴィーは震える指先を何度も動かしては失敗し、上手く開けられないままやっとの思いで封を開き中身を見た。


『拝啓 親愛なるヴィー・モリス様へ』


(この筆跡…!!)


見覚えのある字に息を呑む。

しかし当然だろう。

何故ならあの少年に読み書きを教えたのは、ヴィー自身なのだから。


『モリス公爵様から、妹と一緒に知らない場所へ連れて行かれた時はこれからどうなるんだろう? と不安でした。でも、僕達を迎えてくれた新しいお父さんとお母さんはとても優しい人達です。毎日、パンを食べて、学校に行って、農作業を手伝って、暖かいベッドで眠っているのでとても元気です。リナは相変わらず人前で左手を隠さなきゃいけないし、あの子も少しずつ、自分の手の事に気付いて恥ずかしそうにしている時があるけど、お母さん達に可愛がられてるからいつも笑っているし、僕が兄として、ちゃんと守ってあげるから安心してね』


そう、ヴィーの義父であるヘンリー・モリスは嘘を吐いていたのだ。

彼は兄妹(きょうだい)を殺したのではなく、秘密裏にモリス家の遠縁にあたる、子どもが居ない夫妻に二人を託していた。


『ヴィー兄ちゃんは元気にしてますか? 僕もリナも、お別れの言葉やお礼が言えないまま別れたのがずっと心残りでした。だからこの手紙を通して言わせて下さい』


「ぅっ…!」





『あの時、僕と妹を助けてくれてありがとう!』





__生きてた。


『またいつか、会える日を楽しみにしてます。リナも会いたいって言ってます。待ってます』


(永遠に失ったと、本気で思っていたのに…!!)


『また会えるその日まで、体に気を付けて元気にお過ごし下さい。  アシェルより』


手紙の後ろには幼い子どもが描いたような絵が添えられていた。黒い目と髪の男と赤茶の子ども二人が手を繋ぎ、笑っている。

それを見た途端、数枚の紙と絵を胸にかき抱きながら啼泣する。


「アシェル…リナ…! なんで、今…っ」


人目を気にせず泣き叫ぶヴィーにエキドナがハンカチを手渡すけれど、ヴィーは嫌がるように首を横に振った。


「俺はっ どこから間違ってたんだよォ…! 信じていた人間には裏切られ」


『何年か前にアンタみたいな黒い目のガキを見た気はするけどさァ……アタシそんな事したかい?』

『だからどうした。アンタらも楽しかったろ? "革命ごっこ"』


言いながらヴィーの瞼の裏に映るのはアーモンド色の目の女、


『私はあの時から、お前が貴族を憎んでいた事を知っていた。わかっていた。だが憎しみの中に深い悲しみを抱えているお前の目を見て、放っておけなくなった』

『我が息子ヴィンセント… "ヴィー・モリス" が犯した罪、そして罰をともに背負う所存でこちらへ参りました』


そして冷たい水色の目の男だった。


「逆に嫌悪していた人間は "完全な悪" とは言えない存在で……もうメチャクチャだ。議会の時から『もしかして』って、心のどこかで思っていた。奥方だって本当はいつも陰で薬とか俺のことを…! でもさあ!!」


ヴィーがエキドナを見つめ、助けを乞うように縋る。自身より明らかに背が高く大人びた容姿をしているのに、その表情は年相応に幼く、まるで迷子のようだ。


「俺のこと考えてるなら、ずっと嘘を吐き通せばいいのに。味方のままで居てくれれば、最低のクソ野郎のままで居てくれればこんな風に…ッ!」


手紙を大事そうに抱えながら、しかし堪え切れず片手で頭を掻きむしり叫んだ。


「こんな風にっ 苦しまなくて済んだのに!!!」


「……」


泣き叫ぶヴィーをエキドナは痛ましく見つめていた。


「なァ! 俺はどこから間違ってたんだ!? どうすればこんな事にはならなかった!!? 教えてくれよ…!」


嘆願するヴィーに対してエキドナはまた静かに金の目を伏せる。


「"正しい選択" なんて、存在しないと思う。何年か経って、自分のやった事が合っていたか間違っていたか…それだけだと思う。それを踏まえた上であんたに言うことがあるのなら、」


言いながら思い返すのは前世の肉親の背中だ。

今度は顔を上げ、頬を濡らす彼の目を見つめた。


「あれから、私なりにずっと考えてたんだけどさ……あんたの考えや感性がそこまで変だとは思わない」


想起するのはミアと囚われて逃げ出し、ヴィーと対峙した時のことだ。


『俺はもともと平民の生まれだった…。ただの平民として、普通に生きていくはずだった!! でも出来なかった! 子どもの頃、母親が貴族の馬車に轢き殺されたから!!』


「大事な肉親を一方的に傷つけられれば憎むのが当たり前の反応だよ。そもそも憎しみの感情が絶対悪だとも思わない。夢とか希望とか、誰もが明るいものを抱ける訳じゃないし、それしか抱いちゃダメなら……打ちのめされて、何も信じられなくて……憎む事さえ出来ないなら、逃げ場が無くなっちゃう」


顔を下に向ける。身体の横で拳を作ったまま首を振り、エキドナが唸った。



「それ以外に苦しみを抑える方法なんて、私も知らない」



『平民がどんな風に生きてるのか知らねーみてぇだな? 流石は名家のご令嬢様、生まれながら恵まれてきたテメェに "俺達" の苦しみなんかわかるはずもねぇよなァ? テメェのその浅はかな正義感がずっと胸糞悪かったんだよボケが! 良かれと思って動いた結果生まれる不幸もある、犠牲がある……それくらい、考えたらわかる事だろうがこの偽善者が』


「"弱い立場の人達をただ守りたかったんだろうな" って…そういう想いは伝わった」


『誰も助けたりなんかしないッ! 罰する事もしない!! 平民は石ころかもしれねぇが、テメェら貴族はみんなゴミ屑以下だ……平民を人間だとも思わねぇ、簡単に命や自由を奪う!! だから今度は俺が奪って罰してやるんだ!!!』


「でも、明らかにやり方を間違っていた。どれだけ悲しくて悔しくても、暴力に訴えるのは一番やっちゃいけない行為なんだよ」


不意に忌々しいあの声が耳元で蘇る。


『ごめんね、ごめんね』


「っ……暴力の理屈が通じるのは精々戦場みたいな、瞬間的で危機的な状況ぐらいだろうよ。だって相手を殺さなきゃ自分が殺されるんだから」


息苦しさを堪えてエキドナは自身の胸元をギュッと掴んでまた上を向く。


「だけどここは戦場じゃない。暴力は武器でも強さでもない。…ただの弱さだ。自分の弱さで、自分と同じ被害者を生み出すのは良くないと思う。それに人間社会(ここ)での武器は暴力じゃなくて、お互い理解するために言葉を交わす事だと思うんだ。…あんたは、自分の考えや思いを周囲に理解して貰う手段を誤ったんだよ」


「……!!」


黒い前髪を押さえながら声を詰まらせて泣くヴィーにエキドナが手を伸ばし、目元にハンカチをそっと当てる。静かに、柔らかい口調で伝えた。


「だけど仕方ないよ。私達はまだ十五、六の…あんたに至ってはもっと年下の子どもなんだから。大人達に比べれば、私達は生きる上で知っている事よりも知らない事の方が多すぎる」


それだけ言うと、エキドナはヴィーにハンカチを握らせて静かに立ち上がる。


「もし私があんたの立場だったら…きっと似たような選択をしたと思う」


そのまま去る、と思いきやぴたりと足を止めてエキドナは顔だけヴィーの方へ向けた。


「そうそう、この面会は無理言って割り込ませて貰ったから…もう少ししたら "本当のお客さん" が来るよ」


「っ……は…?」


「オルティス嬢! 貴様ヴィーに何をしているんだ!!」


エキドナの意味深な発言にヴィーが呆けていると

大きな怒った声と共に二人分の足音がこちらへ迫って来た。そして…


「無事か!? まさかこの女にいびられたのか!!?」

「エキドナ様に虐められるなんて少し羨ましいかも〜。ヴィンセ……僕も "ヴィー" って呼んでいいのかな?」


「…スタン、ケイレブ。な、なんで…」


信じられないと言わんばかりに問い掛けるヴィーに対してスタンは指でメガネを押し上げながら照れ臭そうに応えた。


「…何度も言わせるなよ。友達だろ、俺達」

「何やらかしたのかはざっくりとしか知らないけどさ、悩んでたんなら早く言ってくれたら良かったんだよー!」


未だ実感が湧かないのだろう、空いた口が塞がらないまま、ヴィーはままゆっくりと顔を下に向ける。


「何だよそれ、ふざけんなよ…」


手紙を抱き締めもう片方の手に持つハンカチで顔をぐしゃぐしゃに拭いながら、ヴィーは人知れず笑うのだった。


「…お人好し過ぎるだろ……みんな」


「……」


こうして三人の姿を見守ったエキドナは静かに目を細め、何も言わずに立ち去るのだった。

青年達の明るい声が通路まで響く。


「ほら泣くな! お前がいずれ送られる土地は我がエドワーズ公爵家の息が掛かっている場所の一つだ。自然が多く少々不便な場所だが顔を出せないことも無い」


「良かったねヴィー! スタンさ、陰ですっごく頑張って公爵様を説得しててね〜」


「余計なことを言うなケイレブ!!」


今回の暴挙によって、ヴィンセント・モリスことヴィー・モリスが失った代償は大きい。

侯爵家の跡継ぎとしての地位や名誉、財力、今迄積み上げてきた周囲からの信頼。

本当の母親と共に過ごした故郷に足を踏み入れることも一生叶わないかもしれない。


「ところでお前、本当は名前だけでなく年齢も偽っていたんだろう? リアム王子との会話中危うく叫びそうになったぞ」


「まだ十三なのに僕達と一緒に学園通えてたって事は相当頭いいんじゃん、今度勉強教えてよ! ここに参考書持って来てさ」


「ほう、なかなか面白い案だな。ハッ! そうだせっかくならミアさんも誘って…!!」


「…テメェらアホかよ。一応ここ地下牢だぞ?」


それでも彼には新しい両親と元孤児の兄妹(きょうだい)、そして二人の友達が残っていたのである。


________**


地下牢の出入り口に立つ衛兵二人がエキドナを見て敬礼する。


「オルティス侯爵令嬢、お帰りですか」


「はい。失礼します」


「か、顔色が悪いようですがだい…」


「結構です」


ヒッと短い悲鳴が聞こえる。無視して早足で通り過ぎると後ろからヒソヒソと話す声が小さく聞こえた。


「酷くないか? 心配しただけなのに…」

「まぁ気にするな。"そういうお方" ってだけの話さ」


でも相手を責められない。自分でも冷たい言い方をした自覚があるから。


「ハっ…」


__だけどそれくらい、もう、余裕が、無い。


足を早めてなんとか人気の少ない場所へ駆け込みエキドナは崩れ落ちた。床に手をつき呼吸を整えようとしても、息苦しさがどうしても収まらない。


(わかってた。こうなる事くらいわかってた!!)


薄暗い空間、相手がヴィーとわかっていても若い男と二人きりの状況はエキドナの古傷を確実に深く抉っていた。


(…やっぱり私、暗いところダメなんだな。怖い)


心の中で小さく諦めたように呟く。手元を見るとただでさえ小さく頼りない手が指先まで震えていて、より弱々しく映る。


(いやそれよりも。ヴィーのあの姿、あの感じ…)


__あれは…


先刻の少年の姿を追憶する。

だがそうしているのも束の間、複数の人の気配がこちらへ近付いているのを感じ取りエキドナの身体がビクリと跳ねた。慌てて袖で涙を押さえた。


(不味い…早く身を隠さないと!)


リアム王子の婚約者という立場により普段から注目されやすいのに、こんなところで悪目立ちしたら後々厄介だ。どんな噂を立てられるかわからない。

けれどもそんな思考とは裏腹に身体は歩く力も出なかった。両手を懸命に動かし、ずりずりと僅かに動くのが精一杯だ。


(馬車……遠い。離宮は、あぁだめ。もっと遠い…)


酷いめまいによりぼんやりとしてきた頭を必死に動かすものの他の良い手段は思い浮かばなかった。

もはや自分だけではどうしようも出来なくて、せめてこれ以上目立たないようにと、身体を動かし通路の端を目指した。

…後方で、一人の男が呼び止める。


「ドナ?」


男性特有の低い声。でもよく知る聞き慣れた声。

ゆっくり振り返るとそこにはイーサンが居た。

イーサンはイーサンで『何故そんなところに?』と不思議そうな顔で驚き、しかしすぐさまエキドナの異変に気付いたらしく慌てて駆け寄った。


「……大丈夫か?」


片膝をついた彼の紺色の瞳が同じ高さで交わる。

気遣うように差し出された手は子どもの頃と変わらず、大きくて温かくて、優しかった。


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