静かな生き地獄
<<警告!!>>
鬱描写があります。
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リアムによって、ヴィーが隠し通そうとしていた情報が暴露された事により議会は一旦中断され協議は延長となった。その際モリス侯爵がリアムに対して、深々と頭を下げ謝辞を述べていたのが印象的だったとフィンレーは話していた。
あれからさらに時間が経過し、王族や貴族の重鎮らで話し合いを重ねた結果…以下三名の処分が決定されたのである。
まず実子のヴィンセントが病死した時やヴィーを養子として拾った時に正規の手続きを踏まず周囲を欺きつづけ、長年ヴィーに対する虐待行為及び年齢詐称の強要を行い、その非道な行動が彼を反王政派組織に加担する切っ掛けになり、さらに義理の息子の異変を察知して事前に防げなかったモリス侯爵には爵位や領土、財産の没収と平民への降格。加えて監視のため国外追放は無いものの王都から離れた僻地へ送られることとなった。
夫の暴走を見てみぬふりをして止めなかったことや一人でも誰か第三者に真実を打ち明けなかったこと、義理の息子の不穏な動きに気付けなかったことより侯爵夫人も同様の処分を受けた。
そして議題の中心人物であるヴィーはというと、加害者・功労者・被害者という複雑な立場に居るけれど、本来なら王家に害を成した謀反の罪で死罪が降される……はずだった。
再調査により現時点で十三歳だった彼は、どのような罪に手を染めていても刑事訴訟手続きから除外され有罪判決を受ける事が出来ないため、治安判事裁判所に送られた後で義理の父母と同じ土地へ追放され、以降はその土地の地方自治体に対応を委ねる事となったのである。
なお未成年者を裁けない理由は我が国、ウェルストル王国の法律において、『何が法的に善であり悪であるかを、十五歳未満の未成年者は判断する事が出来ない』と定められているからだ。
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今後の方針が確定されてから数日後、ヴィーは未だ地下牢に居た。
(ふざけんなよあんな所、行っても何も変わんねェんだよ!!)
一人部屋の隅にうずくまり…かと思えば力任せに拳を床に叩きつける。
(昔似たような場所に行った。でもあんなの『出来損ないを育ててやってる自分』って悦に浸るだけの向き合う気もねぇグズばっかりのロクでもねぇ場所だった!)
「〜〜〜〜!!」
また両手で頭を押さえながら唸る。自然と掠れた細い声が辺りに響いた。
「…なんでっ…」
(なんでだよなんで俺だけ…? 未成年だろうが罪は罪だろ。変なところでガキ扱いしてんじゃねェ…!!)
「…い」
(俺は、俺の意志でこの道を選んだんだ。覚悟もとっくに……なのになんでッ)
「…おい、大丈夫か?」
「あ"ァ!?」
遠慮がちに自身に声を掛ける衛兵を容赦なく睨みつけた。
けれどヴィーの攻撃的な態度に不快感を示したり声を荒げたりすることなく、こちらの様子を伺いながら衛兵はやんわりとした口調で言葉を続ける。
「お前に、客が来ているぞ…」
「…!!」
男の声や表情の裏にある感情を悟るたび、ヴィーは絶望感とともに無言で歯を噛む。
(今迄平民を理由に威張ってた癖して、俺が未成年と知った途端態度を変えやがって…!!)
衛兵はただ少年の不運な境遇を憐れみ、気遣っていたのだろう。
が、そのよそよそしくある種こちらを下に見るような反応がかえってヴィーを刺激し、苛立ちを助長させているのに衛兵は気付いていない。
「わぁ…思ったよりも暗い場所ですね」
「!」
しかし訪問者らしき人物の声が通路の奥から聞こえ、ヴィーが息を呑む。
「は…? なんでテメェが…!」
彼女の顔や特徴的な金眼を見た瞬間、ヴィーの中で先刻まで確かにあった焦燥感がするりと抜け落ち、純粋な驚きと疑問が同時に湧き上がるのだった。
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(おおかた予想通り……ううん、予想以上の荒れっぷりだな)
思案しながらエキドナはさりげなく周囲を見渡す。"地下牢" という場所が場所だけれど空間自体はネズミやGが湧くほど酷くなくて意外と清潔なようだ。
しかしただでさえ前世で言う病室のような簡素な空間にも関わらず、パンは放置されスープ皿は乱雑に投げ捨てられて中身が散乱している。
そしてやはり物理的な薄暗さが際立っていた。
ドッッックン
(…………暗い)
息が詰まるのを感じつつ僅かに目を伏せて、背で隠した手に握り締める。誰にも気付かれないよう、小さく細く、息を吸って吐いた。
殺気立っているヴィーの顔をエキドナは努めて冷静に見た後、身体ごと向きを変えて隣に立つ衛兵に声を掛ける。
「案内はここで結構です。彼と少し話がしたいので席を外していただけますか?」
「し、しかし…!」
「悪いようにはしません。単にリアム王子の婚約者たる私を拉致した元同級生の顔を拝んでみたくなっただけなので。……あぁ、もちろん王宮を守る優秀な騎士様が、不作法な真似をする、などはありえませんよね?」
途中から威嚇代わりに謎の顔の影と音を出しつつニヤリと笑い衛兵を凝視した。遠回しに聞き耳立てないようあらかじめ釘を刺しているのだ。
「いっ いえ! そのような事は…! では出入り口の警備へ戻りますので失礼致します!!」
軽い脅しが無事効いたらしい、衛兵が慌てて走り去った。気配が確遠くへ行ったことを確認してヴィーと二人きりになってからエキドナはその場にストンと体育座りで座り込むのだった。
「服が汚れるぞ」
同じ目線になってから先に口を開いたのはヴィーだった。彼のこちらを気遣う発言にエキドナはクスリと笑う。
「構わないよ。洗えばいいから」
「"洗わせる" の間違いじゃねえか」
「貴方が望むなら、この場で手洗いしてもいいけど。城の道具を借りてさ」
「……俺を、笑いに来たのか?」
悪戯っぽく笑うエキドナの発言を無視してヴィーが低い声で問い掛ける。黒玉の瞳は射殺さんばかりに強くエキドナを睨み上げており警戒しているのは明らかだ。
そんなヴィーにエキドナが小さく首を振って否定した。
「…ちょっと違うかな」
(フィンやお父様から議会の様子を聞いて、居ても立っても居られなくなって…なんか顔を見たくなったから)
エキドナとしてはただそれだけの理由でここへ来たのだが、彼に理解されるとは最初から思っていなかった。
こちらがどれだけ "きれい" な言葉で誤魔化したとしても、ヴィーにとってはすべて『冷やかしに来た』と受け止められるだろうから。
「……やっぱりムカつくな。アンタ」
恨めしそうにこちらを見つめるヴィーを、エキドナはじっと静かに見据えた。
「ムカつくほど涼しい顔しやがって…気に食わねぇんだよ本当に。滑稽だったろ? 俺のこと」
「……」
ヴィーの発言にエキドナは敢えて否定も肯定もしない。黙って彼の言葉に耳を傾けていた。
「…俺が、腹の中でどうしようもねえほどグチャグチャになったモン抱えて、一人で突っ走ってるところを見るのは楽しかったか? 『馬鹿みてェ』って、本当は笑ってるんだろ?」
ヴィーの問い掛けに対してエキドナは音を立てず、ただ視線を僅かに下へ向ける。
煮え切らない態度にとうとうヴィーが叫ぶのだった。
「いい加減にしろよ!!!」
「っ…」
近くにあった石を掴みエキドナに向かって投げる。ビュンと風音を立て至近距離で迫るそれをエキドナはギリギリで避ける。
「痛っ」
だがしかし、直後数個投げ付けていたようだ。紙一重で避け続けたが最後の一個が間に合わずコツンと顔に当たった。最初の勢いに反してそこまでの威力は無かったのが不幸中の幸いだろうか。
「! あっ…」
エキドナの小さな悲鳴でヴィーがハッとして顔を上げ、途端に端正な顔を歪める。手元が震えているのを見つめていると、またヴィーが声を張るのだった。
「『ガキだから』、とか、『可哀想な目に遭ったから』…とかさぁ!! そんな風にされるとかえって惨めなんだよ……ッ 子ども扱いしてんじゃねえ!! 気まぐれに手を差し伸べて、助けてやってる風な偽善者が…!!」
「……あぁそうだよ」
ヴィーの最後の一言にようやくエキドナが反応して淡々と言葉を返した。
「私は偽善者だ」
「くッ…………ああ"ぁクソったれ!!!!」
やけくそ気味に叫ぶヴィーの声にエキドナも僅かに肩を揺らすが、すぐさま切り替え再度ヴィーを観察するように、冷静に "見守る" のだった。
「「……」」
二人の間に沈黙が流れる。ヴィーは両手で自身の黒髪を押さえながら、エキドナは静かにヴィーと床をゆっくり交互に見つめながら。
「ミアさんを誘拐したのは、口止めと時間稼ぎと身代金目当てだった…。アンタは高位貴族の代表として、リアム王子の代わりに仕方なく拐った。単に…邪魔してムカついたからぶん殴ったんだ」
そして静寂を破ったのは、またヴィーの方だった。
「そう」
苦しげに吐き出すヴィーの告白に、エキドナはただ短く返事をする。
「『そう』…ねェ。それだけかよ」
静かに自身の頭から両手を離し、ゆっくり下ろすヴィーの顔は、まだ長い前髪に隠れて見えないでいた。
「…なんで、何も言わない」
言いながら細く震える手のひらをヴィーはギュッと握り拳を作った。
「テメェは被害者なんだよ。慈悲も同情もいらねえ。初めからいらねぇッ」
「そっか」
「……っ」
また短く返すとヴィーが勢いよく顔を上げたこちらを鋭く睨んだ。
しかし、その瞳には涙が溜まっているのだった。
「…………………誰もっ 罰してくれない…!」
悲鳴を上げるように、掠れた声が響く。
「確かにブレイクに唆された部分があるのはわかってる。でも俺が選んだんだ。全部、俺が…」
不意にヴィーはエキドナの頭部の、正確にはガーゼで保護してある部分を見つめて泣き出しそうな顔をした。
「俺は! 自分がやった事の重さをわかってるんだ!!! …ッ、なのになんで…!」
そう。ヴィーは全部わかっていたのだ。
頭の中で声が鮮明に蘇っていくに連れて生まれたのは後悔だった。
(失うものはもう無いと、本気で思っていた…)
『"例え憎むべき貴族の養子になろうとも、" …… "それでもあの寒空の下、独り飢え死にするよりマシだろう" ……そう思い、お前を拾ったんだ』
『わたくしも同罪です! 彼の人生を壊した切っ掛けはわたくし。夫の気持ちがわかっていたからとはいえ彼への暴力を止められなかったのも、そして犯してはならない罪に手を染めた……息子を、気付いて止める事が出来なかったのも。わたくしにも、非があるのです! ですからどうか…!』
「なんで…ッ」
『"友" と会話する時間をいただいた事、心から感謝申し上げます』
(気付かなければ良かった)
「なんでぇぇぇ…!!」
(戻れなくなった今、なんで本当はずっとそばにあったものに、気付いてしまったんだろう…!)
「ううぅッ…ヴぅ〜〜〜!!」
ずるりと布が擦れる音とともにヴィーがその場でまた頭を押さえ、うずくまる。そんな彼の静かにのたうち回るさまを…エキドナもまた静かに見つめていた。
そこからどれだけの時間が経過しただろうか、ほんの一瞬のようにも何時間も経ったようにも思えた。
罪の意識と裁かれない現実、望み通りにいかない世界の狭間で彼の精神がどれほど追い詰められていたのかは、
「…………つかれた」
きっと、誰も "明確には" 想像出来ないだろう。
「こんな世界…生きたくない。もう疲れたんだ。楽にさせてくれよ…!!」
まるで縋るように少しずつ、少しずつ、ヴィーはエキドナの元へ近付き嘆願した。
「俺は罪人、アンタは被害者だ…。アンタは、俺を罰する権利がある……だからっ…!」
(…静かだな)
彼の姿を見て心の中でポツリと呟く。同時にエキドナは前世の事を、少しだけ鮮烈に思い出していた。
『この世で最も不幸な事は "辛い目に遭った事" 自体ではなく、誰にも "その辛さを理解されない事"』
(今、目の前に居るこの子は孤独だ)
「頼む、俺を…!」
誰かの悲鳴や叫び声や唸り声が聞こえる訳ではない。
けれどもエキドナとヴィーの二人の胸の内には、それに似た声が確かに鳴り響いている。
(誰にも理解されず、存在をみなされる事も無い)
「俺を…殺してくれ」
__私達は今、静かな地獄の中に居るのだ。